第2話 上の世界
今日の授業は数学から始まった。例のテストはテルハ十点中四点、マルヒコは九点だった。テルハは授業中窓外を見ていることが多い。それがテストにも影響を及ぼしていたが、昔から彼は学業に励まない少年ではなかった。
マルヒコはテルハの斜め後ろの席で、最近の彼の調子の変化には気づいていた。彼がどんな気持ちでここに席を下ろしているのか、何を考えているのか。こんなに近くに座っていても彼のことがよく理解できない。ただ、半年前の彼はもう戻ってこない気がしていた。あの件があって以来、テルハの笑顔は減った。見せる表情が減った。どんな顔で運動場を……空を眺めるのか。マルヒコには分からなかった。
「今日は歴史について学びます、教材の四十七ページを開いて」
テルハは教材すら開かない。
「では、過去にも学んだようにこのアーカベルについて振り返ります。あなたたちは今教育を受けていますね。この場、今現在のことです。ここに私たちがいるのは何といってもハシバトウゾウの存在が大きい。彼は何を作りましたか、ミナミさん?」
「エラトニウムです」
「そうです。その通り。エラトニウムは電気を生む薬品です。1900年、トウゾウはこの地でこの薬品を生み出しました。空気に触れることで電気を発生させる、素晴らしい発明です。これを多くの地域が求めるようになりこのアーカベルは発達したのです。そして電気を使った産業はさらなる発達を進め世界に改革をもたらすはずでした。しかし、問題が一つ生まれてしまったのです。その影響もあって今では電気はこの上の世界にしか通っていません。その問題とはなんでしたっけ、テルハさん?」
テルハは正面を向く。
「窓の外に何か珍しいものでも見えますか?さぁ、教材を開いて。アーカベルの抱える問題は何?」
「あぁ……」
こんな問題ここの住民であれば誰だって答えられる。
「テルハさん……やる気がない生徒はこの学堂にはいりません。ここにいる人は選ばれた人なのです。それを今一度理解しなさい。ではマルヒコ君、頼りないテルハ君の代わりに答えてあげて」
マルヒコはテルハを見つめる、彼はもう窓外に視点を移していた。
「エラトニウムが有害な空気を作り出すことです」
「その通り。エラトニウムは電気を排出すると同時に自然では分解不可能な煙、つまりアカダモニウムを出してしまうのです。これは“下の世界”にはびこる煙で……」
どうしようもない心のざわめき。マルヒコにはきっかけが欲しかった。テルハをあの頃に呼び戻すきっかけが。
「ではここらへんで今日は終わりにします。次回は上と下の空気を分断する仕組み、プロペラについて説明する予定ですので」
チャイムと共にマルヒコはテルハに近寄り言った。
「テルハ、また外ばっか見て」
「なんかだるくてさ」
テルハは答える。
「程々にしとかないと、呼び出しくらうよ?」
「あぁ、わかってるさ」
朝の元気はすっかりないテルハ。最近の彼は情緒不安定でマルヒコはこういう時の対応が苦手であった。
「次は畑仕事だ。着替えて早く行こう」
校庭の隅にある畑には数多くの野菜、果物が収穫される。ここで学ぶのは自給のスキルだ。どの家庭にも何かしらの作物が庭に植えられているし、テルハの家でもかつてはナスやトマト、夏にはスイカなどが採れた。
「今日はニンジンを収穫しましょう、それとジャガイモも」
上下つなぎ姿の約千人の生徒が畑に腰を下ろした。その中に数人着替えもしない生徒がいた。
「ハルシンさん、ユキノリさん、そしてフウゼンさん、着替えてもらわないと」
教師の言葉にその三人は言い返した。
「俺たちがここで学ぶものは何もない。こんな作業するのは俺の召使で十分だ」
周囲がざわついている。
「おい、またフウゼン達かよ」「あんま大声で言うな、よくない」「関わらない方がいいよ、あんなの無視して早く収穫しちゃお」
フウゼンはあのハシバ家の出だ。この世界の頂点のひ孫にあたる。彼の発言には誰も逆らえない。
「でも困ります。ご両親は皆と同じ教育をしてほしいと望んで……」
「はぁ?なんだ?俺が気に食わないのか」
教師は縮こまる。フウゼンを注意してクビが飛んだ教師は多くいる。全部フウゼンのでたらめによって巨大な力が動いたのだ。彼の周りについた数人もハシバ家の幹部や息が吹きかかった親の子だ。
「な……何でもないです」
教師はさっさとその場から離れた。三人の笑い声が響く。
「ほんと嫌な奴、あんな奴らがこの街を担っていくなんて考えたくもない」
マルヒコが呟いた。テルハも口を開く。
「あぁ、あんな奴の下には就きたくないね」
二人は手袋を汚しつつ、じゃがいもを掘り出す。マルヒコは時々テルハの様子を伺う。やはり彼は変わってしまった。母親を失ってから魂が抜けているように見える。こんな時話しかけてあげたいが上手く言葉が見つからない。隠れているのなら探せばいいし、埋まっているのならこのジャガイモのように掘り起こせばいい。だがマルヒコにはこの答えは最初から存在していないように思えた。
灰溜まりの子どもたち @JohnnyBlack
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