第19話

 午後の授業が終わり、活気を取り戻した教室。

 ペンケースや授業のプリントをリュックにしまっていると、ふと背中に視線を感じた。

 後ろを見ると、未羽はこちらを見上げていた。

 考え事でもしているだろうか、未羽はぼんやりとペンを頬に当てている。そして俺の視線に気ついたようで、未羽はビクッと肩を震わせた。

「ごめん。驚かせちゃって」

「いえいえ。私こそ、ぼーっとしちゃって。授業の内容をダイジェストしててね」

「そっか。結構難しかったな、さっきの授業って」

「うん。だからちゃんとまとめておかないと帰ったら忘れちゃうかも」

 そう言いつつ未羽は自分のノートを大きく開いて見せる。

 箇条書きで丁寧に授業の内容をまとめて、重要そうなキーワードは蛍光ペンで塗っており、このあたりの内容は教科書のどこに記載されているのをすぐわかるようにページ番号もキチンとノートに書いてある。

 まさに優等生らしいノートだ。

「すごいな」

「えへへ。私もう少し整理するから、奏佑くんは私に構わないで先に行って? 今日も生徒会でしょ?」

「ああ、仕事まだ残ってな」

「ほんと、奏佑くんは忙しいね」

 未羽は小さく手を振って微笑む。つられて俺も手を上げた。

 ちょうど教室を出た時、特に意識していないのに俺は反射的に未羽の方に振り向いた。彼女もまたこちらを見ていた。

 改めて手を振り合い、今度こそ生徒会室へと向かっていく。

 恐らく会長はすでに着いている。また会長を待たせてしまわないよう、俺はスタスタと歩いていく。

 昨日、書記の河本かわもとからこんなメッセージがあった。

『秋林さんが遅刻した上、会長を無視したせいで、今すごく落ち込んでいるようです。二人きりになれる時間を作ってあげますから、明日ちゃんと会長に謝ってください』

 最後に怒りのスタンプまで送ってきた。

「変わらず会長の話になると変なスイッチに入っちゃうな、河本って」

 さすが会長のナンバーワンファンだ。

 でもまあ、分からないでもない。河本は元々緊張しやすい人だ。しかも選挙の結果を受けて、河本が次期生徒会長だと決まってから、彼女はなおさらデリケートになってしまっている。

 事情があったとはいえ、先週の件については確かに俺が悪かった。会長に失礼な真似をしたから、謝らければならない。

 それに、後輩の好意に甘えるのも先輩の仕事だから。

 部室棟を繋ぐ空中廊下を渡ってもう少し歩き、気が付けばもう生徒会室に到着していた。

 さっそくドアをノックし、中に入る。

 案の定、会長はすでに自分の席についていた。

 名前は佐々木ささきれい。俺と同じく先生の推薦を受けて一年生から生徒会の一員として勤めている。

 身長は一六〇センチくらいで男にしてはやや小柄。華奢な体つきに透き通るような白い肌は女子の間では人気があり、スキンケアの心得を聞きに来る子も結構いるらしい。

 見た目も中性的。ぎりぎり目にかかる前髪と無邪気な童顔のせいか、周りに気弱なイメージを持たれてしまいがち。

 しかしふわふわとした雰囲気とは裏腹に、彼は責任感があり、リーダーシップが高い人だ。生徒会ではこの上なく頼もしい存在。

 役員たちがミスをしても、会長はいつもカバーしてくれている。それどころか、同じミスを繰り返さないよう、よくアドバイスをしてくれる。

 だから、会長を役員たちは心の底から尊敬していて、彼の元で働ける。

「会長、おはようございます」

「……」

 会長は仕事に夢中らしく、俺の挨拶を聞こえないようだ。

 俺は上座に近寄っていく。

 一度ディスプレイに遮られた会長の顔は、少しずつ見えてくる。

 ディスプレイの上から覗いてみると……。

 会長はやっぱり例のメガネをかけていた。仕事モードに入っている証拠だ。

「……ん」

 会長は眉間にしわを寄せていながらうなる。

 あごに右手を当てていて、左手は一度前髪をかきあげてからまたキーボードに置いた。しかし会長はそれから一向にキーボードを打つことがなく、ただディスプレイをじっと見ていた。

 どうやら思案中のようだ。

 なかなか声をかけるタイミングを見つけないでいると、会長はいきなり画面から視線を上げ、俺と目があった。

「ああ、もう来たか。秋林。ちょうどいい」

 笑顔のまま、会長はいつもの穏やかな声色で話す。

「ここ見てみて」

「はい」

 会長の指示に俺はテーブルを回り込み、会長の指すところを見た。

 画面に表示されたのはパワーポイントのスライド。簡潔な箇条書きがいくつあって、その右にパンプキンやステッキなどのかわいいイラストが目を引く。

 ハロウィンパーティーの企画書。

 生徒会の主導により結成した実行委員会が、二回ほど会議を開いて提出したやつ。特に問題がなければ、会長はこれから代表として教頭先生やPTA代表の前でプレゼンする予定だ。

 ちなみに、会長以外の委員会メンバーと言えば、俺に河本、風紀委員長、そしてクラス委員会に属する一年生二名の合計五人で構成されている。

 「どう?」

 「特におかしなところがないと思うけれど」

 「ああ。むしろ一年生にしてはかなり出来がいいかな。ただ......通らないかも」

 会長は今でも深刻そうな顔で画面を見つめている。

 生徒会では後輩の自主性を重んじる伝統があり、低学年でも遠慮なく自分の意見を言える環境作りに心がけている。その例として今回の企画書はほぼ一年の二人が自力で書き上げた。

「理由は?」

「秋林も知ってるでしょ。今年のPTAって頭が固い方ばかりって」

「確かに」

 四月前のことを思い出す。新PTA役員の方との最初の交流会を行って、その時散々批判された覚えがある。

 俺はあたらめて画面を見る。仮装舞踏会、お化け屋敷。どれも学生目線だと極普通なイベントだが、保護者目線だと話が違う。今年のPTAなら許可を出す可能性は極めて低い。

 でも、会長なら……。

「後輩たちの努力を否定されたくないな。秋林、君もそうは思わない?」

「そうだな。会長ならきっとどうにかしてくれるって信じてるぜ」

「大げさだね。僕の方こそいつも君を頼りにしてるのに」

「いやいやいや、逆だろ」

「逆じゃないよ。秋林がいてくれるから今の僕がいるんだよ」

 会長は真剣な眼差しで俺を見上げた。それに気圧されて俺は返す言葉をなくした。しかし二秒もかからずその目が細くなり、会長は笑顔になっていた。

「ふふふ。褒め合いはやめてさっそく修正に入りましょう? 修正の方向はわかるよね」

「ああ。簡単に言うと後輩のアイデアを否定せずに企画書の内容を控えめに書き直せってことだよな」

「ええ、さすが。心が通じ合ってる」

 そうして、俺と会長は後輩たちが提出した企画書を修正していく。俺は前半の部分を、会長は後半の部分を。こうやって作業していつも間にか時計の針が六時を回ろうとしていた。

 会長はコーヒーを一口飲み、ふうっと息を吐いた。

「もうこの時間か。今日はこの辺にしようかな」

「そうだな」

 相槌を打って俺はパワーポイントのセーブボタンを押す。上座の方を見ると、会長はすでにノードPCを切っていて、帰りの準備を始めた。

 ふっと最初の目的を思い出し、俺は上座の前に立ち会長に声をかけた。

「会長、あの……話あるんだけど」

「……ん?」

「先週のことはごめんなさい。勝手に帰っちゃって」

「せん、先週のこと? あっ、あれなら、その、僕の方こそごめん」

「え?」

 目を見張った俺に、会長は頬をぽりぽりと搔き、ぎこちなく続ける。

「見てしまったんだ。下駄箱でのこと。秋林が笹森さんにこっ、告白したことを……」

「……」

 えっ!?

 時間も時間だし、だから誰にも見られないとあの時は勝手に思い込んでいた。でもよく考えたら、あの時会議がちょうど終わったばかりで、他の役員に見られる可能性は随分高かったはずだ。

 会長ならともかく、もし他の人に見られて言いふらされたら俺にどうしようって言うんだよ。

 ああ、やぱい。目がくらみそう。

 ショックでしょんぼりと肩を落とした俺に、会長はさらに弁解する。

「でも信じてほしい。わざと覗いだわけじゃないんだ。あの時秋林の様子がおかしくて、気になって追いかけていたらあれを見かけちゃって……」

「……」

「言わないから、誰にも言わないから! どうかお許しを!」

 気が気でなくなった俺がなかなか反応しないせいか、会長は早口になり焦ったようだ。パチンと手を合わせて会長は頭を下げた。

 その必死さに俺は我に返り思わず口元が緩む。

「許すもなにも、会長は何も間違ってないよ。むしろ目撃者は会長一人でよかったと思うぜ」

「でも……」

「それでも納得できないなら、おあいこでどう? ほら、俺が会長をほったらかしたことがそもそもの原因だし」

「んー、そうね。お互い悪いところあるかも。じゃどうかな、お互い相手の言うこと一つ聞いてチャラにするのは」

「まあ、俺にできる範囲でお願いします」

 会長がそれで気が済むならなりよりだ。それに、俺にもちょうど彼に教えてもらいたいことあるし、このチャンスで訊こうか。

「で、会長は俺に何をしてほしい?」

 そこで、会長は少し照れてもじもじと言い出した。

「あの、笑わないでほしいけど、実はタピオカを一度飲んでみたくて。けど男一人じゃなかなか買いづらくて。だからそのっ、一緒に買いに行ってくれないか?」

「うん、全然いいよ」

「本当!? やった!」

 と、拳を握りガッツポーズを取る会長。こんな些細なことで大悦びするなんてどうやらよっぽど飲みたがっているようだ。

「じゃさっそく行こうか。会長の行きたい店は分からないから案内してくれ」

「はい!」

 話が一段終わり、俺たちは手早く片づけを済ませて、商店街へと向かっていった。

 その途中で二人の会話が弾み、ただでさえ高い今日の会長のテンションをさらに上げてしまった。

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雪ひらひらの夜に手をつなごう 暁 一徹 @yukilemon

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