舞台裏

「結婚したい女性がいる。今、そう言ったか?」

ルディはいっそ凶悪にも見える怪訝な顔で確認する。

「はい。そう言いました。」

アラステアはそんな父をいつも通りの仏頂面で見返して頷く。ルディとアラステアの母エリザベスはお互いを一瞥してから前のソファに座る息子をもう一度見た。

「今の今まで、そのような女性がいるなんて噂にも聞いた事がないのだけれど。一体どういう風の吹き回し?」

エリザベスは素早く頭を回転させつつ、目の前に座る自分が産んだと思えない巨大な猛獣のような息子を観察した。もともと武官を多く輩出し、剣で名をはせる家ではあるが、アラステアは歴代の猛者たちをしのぐ体格に恵まれ、そして実際の戦闘力の高さも次期当主としてしまうには惜しまれるものがある。できることならどちらかの弟と入れ替えてやったほうが本人の為にはいいのかもしれないが、長男に生まれてしまったのだからしょうがないことでもある。息子の所作は親の目から見てもそれなりにできている。性格も落ち着いていて軽薄ではない。頭よりはからだ、という若干脳筋寄りではあるものの次期当主としてやっていけないほどではない。ではこの男の何が問題かと言えば、ただ一言凶悪・猛獣・地獄の番人などの言葉をすべて集約したかのような「見た目」である。元々血筋の男たちは体格がいい家ではあるが、その中でも群を抜いてからだが大きい。それもただ太っているわけではなく、体質がそうなのか筋肉を鎧のようにまとっている。エリザベスは過去何度かぶつかって、なぜこんなところに壁がと思って見上げたら息子だったということがある。

「やっと、見つけたのです。」

獲物をか、と思ってしまうほど鋭く目を光らせていうアラステアに父も母も思わずごくりと唾をのんだ。

「そもそもどちらのお嬢さんなの?」

異様な気配を漂わせる息子に飲まれてなるものかと平静を装ってエリザベスが聞く。

「ハウスト伯爵家のレティーシャ嬢です。」

ハウスト伯爵家と聞いてエリザベスはつい最近聞いた名前だと記憶を辿る。

「レティーシャ嬢と言えば、つい最近長年の婚約が破棄になったという令嬢ではないか?」

先に思い出したルディが呟き、エリザベスもそうだったと思い出す。

「南のほうの領地を治める家の方よね。同じ伯爵位の男性と成人前からの婚約だったにもかかわらず、いいご縁に恵まれたからとあっさり破棄されてしまったと。」

レティーシャの名前は思い出せたが、相手の男性の名前までは出てこない。それほど遠い関係の家だった。ルディも同じようで、アラステアが名前を出したからやっと思い出せたという程度のようだ。

「相手の男が邪魔でしたので。ライエル叔父上に動いていただいて、あの男が飛びつきそうな女性との縁を繋いでいただきました。」

はたと時が止まった。ルディもエリザベスも、息子が突然異国の言葉でもしゃべり始めたのかと思ってしまうほどに今聞いた内容を理解することを頭が拒む。

「すまん。ちょっと、聞き取れなかった。今、なんと?」

わずかに震える声でルディが要請すると、アラステアは小さく首をかしげた。

「ですから、相手の男が邪魔だったので、ライエル叔父上に動いていただいて、別の女性との縁を繋いで排除したと。何か擦り付けて辺境にでも飛ばそうかと思ったのですが、ライエル叔父上から可能な限り穏便に済ませたほうがいいと言われまして。色々考えたのですが、これが一番いいだろうと。」

と、ソファの間にあるローテーブルが叩き割られたかのような音を立て、ルディと控えている使用人たちが飛び上がってエリザベスを見た。

「何をしているのですか!!」

エリザベスの怒声が響き渡り、アラステア以外の全員が青ざめた。この家で決して怒らせてはならないその人の額にはビキビキと青筋がたっている。滅多にこの顔を見せることはないが、過去2度ほどこの顔を向けられたことのあるルディは一瞬で胃がねじ切れそうな痛みに襲われた。

「女性にとって婚約破棄ということが、どれほどの傷になるということなのか分かったうえでの愚行か⁉」

侍女の一人が床に倒れたが、誰もそれを助けるどころか気付くことさえできずにただその場で必死に息を殺す。

「わかっております。ですが、彼女を手に入れるためにはどの道を通ってもそれは避けられない。彼女を傷つけた分はこの命を懸けて彼女を幸せにする。」

いまだかつてない息子のまっすぐにエリザベスを見つめて言い切る様子に、エリザベスは内心で舌打ちをした。もはや狂気ともとれるほど、アラステアはレティーシャという女性にのめり込んでいる。その見た目から今までどれだけの女性に何もしていないのに逃げられてきたのかを忘れ去ってしまっているようだ。両親でさえあまり無理して嫁を探して人一人の人生を悲惨なものとするより、弟でも親戚でも、良さそうな子を後継ぎとして養子に向かえればいいのではないかとさえ思っているというのに。

「…大至急ハウスト伯爵にお手紙を。」

「もう用意してあります。」

素早くジャケットの内ポケットから取り出してきた封書を、エリザベスは目にもとまらぬ速さで奪い取ってすぐ後ろに控える侍従長を振り向きもせずに手紙だけ突き出す。

「今すぐ、何もかも後回しで、あなたが直接お届けしてちょうだい。」

年老いた侍従長は素早く一礼して部屋を飛び出した。


部屋にいた使用人がエリザベスから箝口令を言い渡されているとき、侍従長は馬小屋に自ら飛び込んで鞍を引きずり出した。あまりの様子に有事かと判断した馬番が支度を手伝い、鞍とはみがつけ終わるや否やその場で飛び乗って邸を飛び出す。奥方のあの切れ具合ではのんびり走っていたとでも誰かに告げ口でもされればその場で人生が終わってもおかしくはないとさえ思える。アーデスご夫妻はあまり認識はないようだが、伯爵家につかえる執事として貴族の家の大まかなことは把握しており、もちろんハウスト家のタウンハウスの場所も知っている。社交シーズン真っただ中の今、タウンハウスに行けばおそらくハウスト伯爵とも連絡はつくだろう。これがオフシーズンであったならば往復にかなりの日数がかかってしまうところだった。どうかまかり間違ってご令嬢の婚約破棄の一件で領地に戻られていないことを祈りつつ老体と馬の両方に鞭を打ってひた走った。


「ただいま戻りました。」

侍従長はボロボロになりながらも身だしなみを整える暇すら惜しんで主人の執務室に入る。中は異常な緊張感に満ちており、ルディとエリザベスが無表情のままソファに座っていた。挨拶もそこそこにハウスト伯爵がその場で書いてくださった返事の手紙をルディへと差し出す。一切無駄のない動きに悪寒を感じながらも置物にでもなったかのように息を殺してその場で待った。

「…急な申し出に驚いていると。とにかくレティーシャ嬢の様子を見ながら本人に打診してみるそうだ。何といっても傷心の身であり、いかにうちからの申し出であってもご令嬢の気持ちを優先したいと。」

ルディがどこか安堵した様子で言うと、エリザベスも細く息を吐いた。

「ハウスト伯爵は一般的な感覚をお持ちのようね。これで格上の家にほいほいと娘を差し出すような方であればこの先が思いやられたわ。」

夫妻そろってため息をつき、そこでやっと侍女にお茶を頼んだ。

「あの子にいったい何があったというのかしら。」

疲れ切った様子のエリザベスは、ソファに背を預けて遠くを見つめる。

「何か、あったんだろう。だが、あれはもはや狂っているとしか思えん。」

まさか一人の女性を気に入ったからと、他家の婚約を潰してその女性を奪おうなどとは物語でもあるまいし現実に行うなどありえないことだ。兄弟仲が良すぎるほどいい弟たちに話したって信じるどころか笑ってもくれないだろう。今まで誰からも怖がられているだけでなく、本人自体があまり外交的でないこともあって、ごく限られた人間関係の中でしか活動していなかったはず。向こうから近づいてきて、かつ、ふるいにかけまくって付き合う人間を選ぶというのに。

「恋、したんでしょうけれど…。でも、無理でしょう。」

エリザベスは古傷を無造作にえぐられたように顔をしかめる。アラステアが自分が産んだ子だということは間違いない。どうにもならないことだとはわかってはいても、それでもせめてもう少しからだが小さい子であったり、せめてもう少し目つきだけでも柔らかい子に産んでさえあげられていれば違っただろう。

「だが、わからんぞ?あのアラステアをあそこまでおかしくする娘さんだ。もしかしたら、もしかするかもしれない。」

「やめましょう。変に期待して待つより、これでアラステアが振られればどんな事態になるかわからないわ。それに備えたほうがいいわよ。」

滅多に見せることのないエリザベスの悲壮感に満ちた顔に、ルディは大丈夫だと優しく抱きしめた。

「私たちの息子を信じてみようじゃないか。これ以上おかしなことをするようであればあらゆる手を使って私があいつを止める。ライエルにも話を聞かなくてはな。こっちにな寄り付きもしないというのに、いつの間にアラステアと繋がっていたのか。」

騒動の一端を担っていたライエルはそもそも貴族というしがらみを嫌っている節があり、成人してすぐに勝手に廃籍の手続きをして家を飛び出し、農作物の研究者になってしまったルディの一番下の弟だ。元々頭が切れる男だが、こんな騒動にそれを発揮してほしくはなかった。


数日後、レティーシャと昼食を食べに行くことになったとアラステアが夕食を食べ始めるや否や報告してきた。エリザベスは顔を青ざめさせ、手にしていたナイフとフォークを置いてしまう。アラステアは一見いつもと変わらないそぶりだったが、スープをフォークで飲んでいることに全く気が付いていないことからどれだけおかしくなっているのかがわかる。それ以上会話もないまま食事が終わり、そしてレティーシャとの約束の日まで何かをつぶやきながら真夜中に邸を徘徊するアラステアに何人か失神者が出たり、数少ないアラステアの友人たちが見たことも無い鬼気迫る表情を浮かべて邸を出入りするなど、昼夜を問わず緊張感にあふれた日々となった。


「レティーシャ嬢から、お二人へのお土産だそうです。」

今か今かとアラステアの帰りを持ち構えていたルディとエリザベスは、ずいっと差し出された小さな包みをあっけにとられてそれぞれ受け取った。

「食事の後に植物園に寄ったのですが、その近くの店で押し花のしおりを売っていたのです。レティーシャ嬢にはそんなものは必要ないといったのですが、どうしてもお二人に贈りたいと。」

肝心の自分よりも先になぜ親が彼女からのプレゼントを受け取るのか。アラステアの低い低い地の底を這うような独り言が気になりつつもルディとエリザベスは急いで包みを開けた。中に入っていたのはアラステアのいった通り押し花が貼られたしおりで、ルディには男性が持っていてもけっしておかしくはないだろう草を中心としてデザインされたもの。エリザベスには可憐な小花がちりばめられたセンスの良さをうかがわせるものだった。

「それで、レティーシャ嬢とは?」

礼を伝えてくれるようにと言ってから、ルディは肝心の話題に切り込む。

「食事も植物園も楽しんでもらえたようです。持つべきものは良い友ですね。彼らのアドバイスがなければ今日は悲惨なことになっていた。」

そういってアラステアは本当に滅多に見せることのない柔らかい表情をした。アラステア以外の使用人に至る全員があっけにとられてしまう。もしかして、なんだかいい感じにまとまるのか。アラステアの雰囲気はそう思わせるものだった。

「またどこかに誘ってもいいと言ってもらえました。父上も母上も、若い女性が好みそうな場所をご存知でしたら教えていただけると助かります。」

早速検討しなければ、と立ち上がるアラステアを呆然と見送り、出て行ったドアと今手の中にあるしおりを何度も夫婦そろって交互に見た。


ハウスト伯爵から正式に縁談を進めることを了承する手紙が来た時、アーデス伯爵家は有事かというほどの大騒ぎになった。アラステアただ一人は庭の四阿で真夜中まで魂が抜け落ちたかのように静かにしていたが、ルディとエリザベスは錯乱したかのように時に笑い、時に泣き、時に徘徊したりと大忙しだった。さらにそれから数回の手紙のやり取りを経て両家で一度顔合わせをということになり、場所がアーデス伯爵邸に決定するとエリザベスが先頭に立って食堂や応接間の内装から見直して整えた。日数があればそれこそ次期当主夫人を出迎えるのだから一新していたかもしれない。さすがにそこまでは出来なかったことが悔やまれるが、その苛立ちは何とか霧散してエリザベスだけでなくルディまでも手足を動かして準備を整えた。


大騒ぎで迎えた当日。家人全員がアーデス家の玄関から入ってきたレティーシャのあまりの普通さにど肝を抜かれた。あのアラステアを受け入れるとはどんな豪傑、もとい、たくましい令嬢が現れるのかと全員が固唾をのんで待ち構えていた。そもそもあまり社交界に出てこないレティーシャと面識がある知人が見つけられず、どんな女性なのかをあらかじめ知ることがほとんどできなかった。入ってきたのはルディとエリザベスも顔を見た覚えはあるハウスト伯爵夫妻と、ごくごく普通の人間の若い令嬢だった。アラステアが素早くハウスト伯爵夫妻に挨拶をし、誰も止める間もなくレティーシャの前へと移動してしまう。そしてそこでもアーデス伯爵家側の全員が目を見張った。アラステアとレティーシャがごく普通に、本当に普通に、挨拶を交わしてさらに何かを話しているのだ。

「旦那様、奥様、お気を確かに。」

いち早く我に返った侍従長が唖然とする夫妻に耳打ちをして正気に戻す。二人ともにぎこちない所作となりながらも出迎え、そして無事に和やかな雰囲気の中ですべてを終わることができた。

「…普通、だったな。」

ハウスト伯爵夫妻とレティーシャを乗せた馬車が見えなくなるまで見送り、玄関の中に入るなり使用人もろともその場に崩れ落ちた。アラステアだけは姿を消したが、もう何もかもどうでもいいとエリザベスまでもが床に座り込んでいる。ルディはぷつりと切れた緊張から吐きそうになっているエリザベスの背中を撫でながら、こらえきれずに笑い出した。

「運命の相手というのは、誰にでも存在するらしい。」

かつて一度として母親以外の女性がアラステアの隣で楽しそうに笑い、おいしそうに食事をし、楽しげに二人で会話をしている光景を見たことがない。

「笑い事ではありませんよ。」

青ざめた顔のエリザベスがルディをたしなめる。

「何かあったら大惨事です。とにかく二人をさっさと結婚させなくては。」

言われてルディも間をおいて深く頷く。レティーシャがいるときには穏やかな空気に包まれているが、彼女を求めるアラステアは狂気じみている。今までどこにも向けようのなかった思いが一転集中で出ているにしても異常だとしか思えない。今日見た限りではレティーシャがアラステアにおびえた様子は一切ないが、もし巧妙に取り繕っているのだとすればアラステアとの婚約を破棄するために何か考えている可能性もある。アラステアが仕組んだことはそれこそ元婚約者を含めて誰にもばれてはいないというが、ある意味婚約破棄の一つの手段を明示してしまったともいえるのだ。楽しい気分も一転、しっかり気を引き締めなおしてルディはエリザベスを抱き上げた。寝室へと運んで体調を崩した妻をねぎらい、結婚に必要な準備に向けて頭の整理を始めた。


おかしくなったアラステアの手綱をルディとエリザベスの二人がかりで何とか握りつつ、拍車を入れて鞭を入れて結婚式までを最短距離で駆け抜けることに成功した。途中で男所帯のアーデス家に自分以外の女性が、しかも長年切望した娘が来るのだと気が付いたエリザベスが一時暴走したが、結婚式のドレス作りにかけるエネルギーで何とか発散して元の道に戻ってきてくれた。レティーシャは決して目を見張るほどの美しい娘でも、一目で男を虜にするような悩ましいからだの持ち主でもない。ごくごく普通のかわいらしい令嬢だ。エリザベスの気合を表すかのように生地からレースからふんだんに使われたドレスはレティーシャが、というよりもドレスが歩いているかのようになってしまっている。それでもヴェールをあげて幸せそうな微笑を浮かべるレティーシャに誰もがほっと溜息をつき、我が子の門出を喜ぶような温かい気持ちになった。そしてそんなレティーシャが隣にいると、アラステアが猛獣というよりも大きな番犬のように見えてくるのが不思議だった。初夜の翌日にもじもじと恥ずかしげにするレティーシャを家の者全員が庇護欲に駆られて身もだえし思わず抱きしめたくなるのを、同じようにもじもじする気持ち悪いとしか思えないアラステアを見てテンションを下げてやり過ごした。孤独な人生しか想像できなかった息子の幸せな未来を想像して、誰もが頬を緩ませてしまうのはしょうがないことだ。


数週間後、敬愛する兄が結婚しないのならばと仕事にだけすべての力を注ぎこんでいた弟二人が、何の前置きもなく結婚を考えているという女性を邸に、しかも示し合わせたように同じ日に連れてきてアーデス伯爵家がまたも有事かというような大混乱に陥るのは、また別のお話。

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普通の二人の物語 白川 慎 @shirashin

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