絶滅器官

狛犬えるす

『Word-Engine』

 こちらはワシントン、まだ地上じゃミニガンが吼えていて、バタバタ人が死んでいる。


 SNSが死んだんで、僕はこいつを生き返らせることにした。

 自分でもびっくりする。食べるものにも困ってる有様なのに、どうして地下室にこんなものがあるんだろうと。スパムでもいいから缶詰が入っていると思ってたんだが、入ってたのはこんなアナログ機材だった。


 アナログであっても、情報保存が可能なガジェットということに変わりはない。

 だから僕は僕が知っていることを、この内戦に係わり合いがあるかもしれないことを、このガジェットに残して、死に物狂いでどこか安全な場所へ送るつもりだ。

 このガジェットが情報触媒としてどれほど役に立つかは、僕の足と幸運と、そして次に受け取った誰かが、なにをするかに掛かっているが、視認できないネットワークの管理維持者よりは、まだ信じられるような気がする。


 さて。


 言葉はミームを汚染する、最強の武器だ。

 少なくとも僕はそう信じていて、その研究をやっていた。

 国から雇われて仕事をしていたが、仕事の内容は褒められたものじゃない。


 僕はそう信じているが、よく第三者はその強さは内面的なものだと、しかもなにかしらの作品にならなければ他者を扇動するほどの効果がないと、そう思われている。

 たとえばアドルフ・ヒトラーの『我が闘争Mein Kampf』は、第一次世界大戦後の戦後賠償金に苦しむドイツ国民が、彼の政治思想の一端を読み取ってナチズムを広範化することに成功していたし、それよりも以前となれば人種差別の歴史などが文化人によって正当化される過程があっただろう。優生学などはその到達点かもしれないが、それは別の問題だ。


 話を戻そう。


 昔はたしかに、そうする必要があった。

 個人が作品を制作し、それを出版物として拡散させる必要があった。

 誰かが目に留め、説得し、形を作り上げて現実に提供する必要があった。


 でなければこの作品に込められた思想は、熱意は、感情は、拡散することもなく、ただ一人の個人の頭蓋の中、灰色の脳細胞の中で蠢く電気信号の生み出した妄想として処理することができただろう。


 問題は、世界規模で数万人とアクティブになることが出来るネットワークが、僕らにあったということだ。


 僕の研究していたことは、こうだ。

 熱意を、あるいは狂気を、あるいは悪意を、他人に伝え汚染することができたとしたら。

 人間というプランターの中に、そっと種子を紛れ込ませることが出来たとしたら。

 その種子が頭の片隅でひっそりと成長し、日の目を浴びるまで生き長らえたとしたら。

 その熱意、狂気、あるいは悪意を発芽させることができたとしたら。

 言語や、文字によるミームの汚染は、防ぐことはできないだろう、と。


 ……最初に目を付けたのは、おなじみのDARPAだ。

 宗教や思想によって過激化した武装組織を、局部的に絶滅させられないかと考えてた。

 イスラムならばコーラン、クリスチャンならバイブル、ユダヤならタナハ、社会主義者ならレーニンやマルクスの著書など、こうした武装組織には原点としての下地があるという考えだ。


 僕は下っ端構成員などはそこまで思想や宗教に熱心なわけではなく、おそらく認知バイアスがかかった状態で巻き込まれているだけだが、それすら認識していない状態なのではないかと頭の片隅で思ったのだが、さすがにスポンサー候補が目の前に金を吊るしている状態だったために、黙って首を縦に振ってイエスと答えた。


 意外かもしれないが、時代が進歩するように、こうした武装組織もまた進歩している。

 むしろ武装組織ほど資金源が不明瞭で孤立した集団が、思想や宗教だけを信じて戦争をするわけがない。彼らはハイテクではないかもしれないし、金持ちでなければ、正規の国家が後ろ盾にあるわけでもない。

 だがそんな人間でも、ネットワークに流れてしまえばただの個人だ。


 運営企業が規制するまで、そうした集団のアカウントは自由に言葉を発することが出来る。

 規制してもなお、ネットワークに現れた不特定多数の同調者たちは、そのネットワークの一瞬を個人として切り取って、それをまたネットワークの海へと流し、浸透していく。

 SNSで、動画で、そうした存在がちらりと顔を出して言葉を振りまいていく。


 それに『汚染』された人々が媒体となって、その言葉はネットワークの海へと広がっていく。

 まさに僕がDARPAに依頼されたのは、それをもっと限定的に、過激な思想を持つ、人類のガン細胞、あるいはアメリカという国家に対して敵対的な病原菌を抹殺するように仕組むことができる『言葉Word』だった。


 これに対抗できる手段を、僕は思いつかなかった。

 だから僕はこれを研究し、対抗し、分析するべきだった。

 しかし僕がやったのは、DARPAの手先としての軍事転用研究だった。


 耳を閉じたとしても、文字による情報伝達がある。

 それすらも拒絶して、目と耳を塞ぎ口をつぐんでしまえば、たしかに身を守れる。

 だが、自己表現を捨てた人間が、はたして人間と呼べるのだろうか。


 言語や民族といった隔たりは、あらゆるツールやガジェットによって薄氷化されてきた。

 ネットワークにおいて偽る事は簡単で、いとも簡単に敵対する民族と友人になれさえする。

 偽りがなくとも殴りあうことすらできないこの空間において、『言葉Word』がすべてだ。


 僕はこの『言葉Word』を開発するために、雇われた。

 イスラム原理主義の武装組織を絶滅させるための『言葉Word』を。

 キリスト原理主義の反政府勢力を絶滅させるための『言葉Word』を。

 無階級無政府主義を掲げるテロリスト集団を絶滅させるための『言葉Word』を。


 それが出来上がって一定のをあげたとき、なるほどと思った。

 これはたしかに現状、対抗手段がない最強の武器だが、非効率すぎた。

 新発見の薬剤が強力な効果を発揮する一方、未発見の副作用が現れるように。


言葉Word』を確立するためには、そうした集団の下地となっている普遍的な事柄を調べ上げ、『言葉Word』がその集団にだけ蔓延するように彼らを知り、理解し、隣人のように親しみを持って、ハグし合えるようになるくらいまで親密にならなければならない。

 でなければ『言葉Word』はネットワークの海ではなく、現実世界において拡散し、発芽した瞬間に不和を生み、混沌を生み、暴力と戦争を巻き起こして絶滅する。

 しかし、隣人にある日いきなりVXガスをぶちまけて殺害するようなことを、僕は連続ですることはできない。


 DARPAが次に指示したのは、その『言葉Word』を作成するツールだった。

 特定組織を精査し調査し、分析し、その集団が普遍的に考えている事柄を導き出して最適な『言葉Word』を吐き出してくれる、便利な絶滅器官Extinction-Organ

 それは僕に掛かる負担と労苦と辛苦を、すべて背負ってくれる便利なツールだった。


 さらに年数を重ねて、僕はそのツールを作成した。

 人間の行う作業のなかで、人間だけができる作業は、ほとんど存在しない。

 だから、僕が行ってきたプロセスをツール化することは、あっけないほど簡単だった。


 あっけないほど簡単に僕の仕事は片がついて、DARPAは大喜びで報酬をくれた。

 僕は買いたかった家電を買って、家を買って、高級珈琲豆を買って、ドミノピザを食べた。

 そしてあっけないほど簡単に、ツールの一部が流出した。


 結果は知っての通り、ではない。

 流出したツールの一部だけでは、僕の考えた『言葉Word』は完成しない。

 しかし、どういうわけかメディアはこの流出したツールが『言葉Word』を弾き出すためのものだと分かっていたらしい。


 それを彼らは、報道した。

 知らせてしまったわけだ、無形で抵抗すらできない恐怖の存在を。

 誰が『汚染』されているかわからない、不定形の殺人ウイルスを。


 ようやくこう言える、―――

 拡散し、発芽した瞬間に不和を生み、混沌を生み、暴力と戦争を巻き起こして絶滅する。

 最悪なのは、この『言葉Word』に制限がないということだが。



 ――――――



 人間という動物が進化の系統のなかで、普遍的にまで浸透した機能を、あるいは器官を、今さらになって放棄することに意味はあるのかと、僕は今になって考えることがある。


 それが出来ないのならば、ミームの汚染を引き起こすものを、

 組織を、

 団体を、

 あるいは企業を、

 あるいは、人物を。


 排除し、排斥し、弾圧してこの世から抹消することに、なんの迷いがあろうか、と。


 だとしたら、自己保全と主観的な世界の正常化を、

 社会への貢献と表現することが、すでにミームの汚染なのではないか、と。

 この内戦はそういう根っこがあるような気がしてならない。


 もともと、ネットワークの海の中では日常的だったはずだ。

 一人の人間を、個人を、全体主義的な正当性の中に溶け込ませ、圧迫し、抑圧する。

 まるで白血球が敵性と判別した細菌や細胞を殺すように。


 では、そのミームの源泉はどこか。

 僕にはそれが分からない。どうしてこうなったのか、それさえ分からない。

 あるいはそれが、人間の機能としてそなわった、無形の器官なのかもしれない。


 我々が、普遍的にそれを使いすぎていて、無意識だと思っていただけなのかもしれない。


 なんにせよ、これは僕の最後の呟きTweetだ。

 僕はこれを今から死に物狂いでどこかに送りつけることにする。

 誰かが、僕の呟きTweet反応Replyしてくれることを祈ってPray


 それじゃあ、さようなら。

 こんな僕がいたことを忘れないでくれ。

 我々を、忘れないでくれ。

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