第22話 たとえ話

 

 即答しかねる僕に対してマルクは苛立った素振りをみせなかった。


 むしろ観察されているのだろう。マルクは僕たちの正面から外れた近くに腰かけた。大きな声を出さなくても会話ができる距離感だ。


「あたしの意見も聞きたいの?」


 面白そうにクロルが訊く。「もちろん」とマルクは頷いた。


「あたしはそうねえ、マルクが村長ってのもアリかなって思うかな。パウの方が大人っていうか、大人しいイメージだから、マルクの方が楽しくなりそう」

「いいところに目を付けたな。そうとも、俺の方が楽しい村にできるだろう」


 胸を張ってマルクは言った。そして僕に目を向ける。考える時間は与えた、とでも言いたげだ。


「――僕はそうだな、悪くはないんじゃないかと思う。少なくとも今のところはね」


 注意深く言葉を選び、僕はマルクにそう言った。


 強い肯定をすべきではないし、かといって否定的な意見を述べるべきでもないと考えたのだ。賛同者としての言質を取られるわけにはいかないが、マルクを敵に回すというのも避けるべきことだろう。彼の技術や発想は優れている。ただ、だからといって下剋上が許されるかどうかは別問題だ。


 だから僕は訊いてみる。


「僕はよく知らないんだけど、村長には必ず長男がなるものなの?」

「慣例ではな。親父も長男だ。ガキの頃からよく言われたよ、お前の方が頑丈で大きな体を持っているが、それは兄を支えて村に利益をもたらずためにあるのだ、と」


 マルクは遠くを見つめてそう言った。手慰みに雑草を引き抜き、その太い指で細かく千切る。草の切れ端は重力に従って落ちていく。その緑色は、どんなに小さくなっても決して地面の土と同化はしないことだろうと思われた。


「慣例を破るのは難しいことだと思う。僕やクロルの助けなんかで可能になるとは思えないけど?」

「それはそうだ。お前たちだけならな。しかしな、お前たちと、それにマンバ。この3人はベスの村にとってイレギュラーな存在だ。わかるか?」

「僕がプロマジンのティムの息子で、マンバは村唯一の球師だから?」

「それだけじゃあないけどな。――確かにお前たちの協力を得られたからといってすぐさま何かが変わるわけじゃない。しかし、ひょっとしたら、場合によっては最後のひと押しにはなるかもしれないと思わないか?」

「可能性としては、考えられないことはないとは思うよ」

「それが俺は欲しいんだ」

「なるほどね。――それで、僕が断ったらどうするの?」


 努めて何でもないことのような軽い口調で、僕はマルクにそう訊いた。髭面の大男はじっくりと僕を眺め、ゆっくりと笑顔を作った。僕も同調するように笑顔を作る。おそらくひきつってはいない筈だ。


 僕とマルクの目が合い続ける。どちらも逸らしはしなかった。


 やがてマルクは口を開き、「どうもしないさ」とゆっくり言った。「する必要がない」


「僕らがパウに告げ口するとは思わない?」

「思わないね。お前がそんなに愚かだとは思わないし、それがお前の利益になるとも思わない。俺をはっきりと敵にする必要はないだろう?」

「それはそうだね。しかし、仮にパウにこの場を見られていて、マルクの態度を不審に思っていたとしたらどうだろう? 村長候補に問い詰められれば、僕はやむを得ずその弟を売ることになるかもしれない」

「売れないさ。買い手がないからな。兄貴はとっくに俺の気持ちなんてわかっているのさ。そこにわざわざ告げ口してみろ、かえってお前の評価が下がるだけだ」


 その発言内容は僕にとって少なからず衝撃だった。思わず言葉を失った僕の隣でクロルが「そうなんだ」と呟くようにして言った。どうやら彼女も知らなかったらしい。


「別に珍しいことではないだろう? まあ俺も確認したわけではないけどな、おそらくあいつはわかっている。俺もわかっていることをわかっているし、それもわかられている筈さ」


 マルクは静かにそう言った。「ああ、勘違いしないで欲しいんだが、俺たち兄弟は仲良いぜ。俺は兄貴を認めているし、おそらくあいつもそうだろう。足を引っ張るつもりや害意があるわけではないんだ」


「表面上従ってはいるけど、実はパウが嫌いで、取って代わりたいと思っているわけではないってこと?」

「違うんだ。俺はパウのことが嫌いではないしな。これは、どちらかというと、企てているというよりは準備しているわけなんだ」

「――準備?」

「準備だ。世の中何があるかはわからないだろう? 俺はパウのことは認めているが、俺の方が村長にふさわしいとも同時に思っている。やつを裏切るつもりはない。しかし、何かそういった類の、神の導きに恵まれるようなことがあった場合に備えて準備しているというわけさ」

「神の導きね」と僕は言った。


 どうやらマルクは強引な手段で政権を得ようとしているわけではないらしい。少なくとも今のところはそうなのか、どこまで彼が本心を語っているのかは知らないが、ひょっとしたら自分でもどこまで本気かわかっていないのかもしれない。


 未必の故意というやつだろうか。確かに、どれだけ周到に計画を練ったところで不思議な偶然によってすべてが無駄になることは珍しくない。逆に、どれだけ杜撰ずさんな考えだろうと転がるようにして成功に至ることも長い歴史の中ではあり得ることだ。


 どれだけ数字としての確率が低かろうと、出来事というものは起こるときには起こるものである。不運として言いようのない怪我でバスケットボーラーとしての選手生命を失った経験のある僕にはよくわかる。


 それほどトリッキーなプレイを選択してこなかった僕の足が使い物にならなくなって、そこのあいつが元気に複雑なレイアップ・シュートを放てているのに明確な理由などないのだ。


「つまりこういうことかな。マルクは特別パウに害するつもりはないし、乞われた協力を拒むこともない。利益をもたらすこともするだろう。しかし、何らかの偶然が重なったりして村長の地位を得られる機会があれば、そのチャンスを棒に振るつもりはない、と」

「その通りだ」

「それなら僕らはこれまで通りに暮らすだけだよ。僕たちもマルクと同じように、パウのことは嫌いではないし協力するつもりもある。マルクに対しても同様だ。特別どちらかに肩入れするようなつもりはないね」

「それでいいさ」とマルクは言った。


 怪訝な顔をしているのはクロルだ。


「じゃあこれまでの話って何も意味ないんじゃない? なんでわざわざマルクはこんなことを話してきたの?」

「それは、おそらく意図していないんだろうが、ミノレが俺に肩入れするような行動を取ってしまっているからだ。その点に関してパウに釘を刺されるかもしれないし、俺に対しての言動を改めようと思うかもしれない。そうする前に、俺の考えを知っておいてほしかったのさ」

「それって、プロマジンに連れていかれたことを言ってるの?」

「そうだ。わきまえた行動としては、ミノレは俺をメンツに加えずパウにすべての手柄を取らせるべきだった」

「でも、あの場合、パウだけだと街に対して十分な説明ができなかったと思う。僕はベスの村にとって不利益となるリスクをなくしたかったんだ」

「わかってる。だからパウも同行を認めたんだ。それは村にとっての利益となるだろう。しかし、俺と兄貴だけの関係を考えた場合、これまでの俺たちのあり方とは少し違った結果になった。これをどう捉えるかは人によって異なるだろう?」

「それで釘を刺されるかもしれない、と?」

「可能性としてはな」


 確かに可能性としてはあり得るだろう。この前知識なしに何かしら指摘されていた場合を想像すると、あるいは言われたまま素直に従っていたかもしれれない。


 それをマルクが危惧し、このようなアプローチを取ってきたのだとしたら、この髭面の男は僕のことをよくわかっているのかもしれない。十分な情報を与えておけば、僕は自分なりに考え、大人から受けた指示を鵜呑みにすることはないと思われているのだろう。そしてそれは多くの場合そうだった。


「それじゃあ話はおしまいかしら? 荷物を持って、帰りましょ」

「そうだな」とマルクは言った。


 実際ひとに聞かれたくない話は終わりだったのだろう。僕らの荷物を軽々と運びながら、マルクは僕にバスケット・ゴールについての意見を求めた。


「ゴールは同じものを作るのでいいと思うか?」

「設置のやり方が違うから、これ以上村で工夫を重ねてもどこまで実用的かわからない。同じものさえ作らなくていいと思うよ。あの音が出る仕組みって作るのそれなりに面倒だろう?」

「まあ、それなりに面倒だな」

「マンバや皆の練習用に作るようなものだから、たとえばフチの部分だけを金属で作って、そこにピエルナスが通り抜けられる穴を底に空けた網でも固定してやればいい。同じものを作るより安く簡単に済むんじゃない?」


 ついでに僕の知るバスケのゴールにより近くなるデザインをそれとなく伝える。マルクは満更でもない様子だった。


○○○


 荷物を整理している間にマルクの雇ったらしい水屋が訪れ、家中の清潔な水を保存できる容器すべてを満たしていった。


 僕らが毎日汲んで使っている水より明らかに不純物が少ない。何か専用のろ過装置のようなものを持っているのかもしれないな、と僕は思った。


「マンバ、球師になれたんだろ? お前ももうすぐ成人なんだし、貧乏ぶってないで俺を雇えと言っとけよ」

「そうね、あたしが成人したら考えるわ」

「頼んだぜ。今度はそこの坊主が成人するまでやっぱり待ってってのはなしだからな」

「バレたか。――これで最後よ、お疲れさま」

「毎度あり」と水屋は言った。


 改めて実感したが、この村は分業制度がかなり発達している。科学技術が発達していない世界では基本的に自分で生活のすべてを賄わなければならないと考えていた僕の先入観とこの現実は大きく異なる。


 何がこの社会を成り立たせているのだろうか、とぼんやり考えているうちに、マンバが仕事から帰ってきた。浅黒い肌を汗で湿らせている。どうやらかなり忙しかったらしい。


「おかえりなさい」と僕らは言った。

「ただいま。ちっ、もう暗くなってきてるな」

「ちょっと、これから練習に行くつもりだったの? もう暗くなるし危ないよ」

「だから広場へは行かないよ。裏で少しピエルナスを触るだけだ」

「少しって言って、ずっと帰ってこないじゃない」

「これでも我慢して早めに休むようにしてるんだ。だからおれにとっては少しなんだよ。ほら早く食え」


 そう言い、マンバはソーセージと野菜の挟まれたパンを乱暴に齧りはじめた。僕とクロルもそれぞれに与えられた分を口に運ぶ。


 分業制度について考えていた僕は、パンを自分で焼くこともしないな、とぼんやり考えた。麦飯のようなものが食卓に登ることもないのだ。このパンの素となる小麦粉はいったいどうやって加工されているのだろう?


 そんな僕の考え込む様子が悩んでいるように見えたのかもしれない。遠慮がちにクロルに声をかけられた。


「ねえ、迷うくらいならさっさとマンバに報告しといたら?」

「迷う? 何が?」

「あら違うの? マルクとの話について話すべきかどうか考えてるのかと思ったんだけど」

「何だそれ?」


 マンバが水屋由来の清潔な水を飲みそう言った。睨みつけるような鋭さはないが、言い逃れは許さないような目線だ。


 もっとも、言い逃れをするつもりも隠すつもりも僕にはなかった。何ならそれほどマルクとの話が大ごとであるとも思っていない。


「ああ、あれか。すっかり忘れてた」

「わざとらしいんですけど」

「いや本当に。別のことを考えてたんだ」

「いいさ。それで、マルクとの話ってのは何なんだ?」

「ええと、すぐにどうこうって話ではないんだけどさ、マルクはチャンスがあったら次期村長になりたいらしい。そんな機会に恵まれたら協力して欲しい、というような内容のことだったと思う」

「――なるほどな。まったく、しょうがないやつだ」

「マンバにはそれほど驚きじゃないの?」

「まあな。あいつにどこかくすぶったようなところがあるのは、有名ってわけじゃないが、割と誰でも知ってることだろう」

「それってパウも?」

「まあ当然わかってはいるだろうな。どこまで真剣に受け取っているかはおれにはわからんが」


 マンバはそう言い、手に持つパンの最後の一口を口に運んだ。「それで、お前たちに何か意見でもあるのか? それともおれに相談したいことが?」


 クロルはただちに肩をすくめて首を振った。僕もそれに同意する。


「特にない。だから忘れてたんだ。マルクの気持ちは理解できないでもないけど僕にできることは何もない。するつもりも、できることを探すつもりも僕にはないね」

「まあ、やつもお前たちや、ひょっとしたらおれにも知らせたかっただけだろう。これまで通り振る舞えばいい。お前が何かを自分からする必要はない」

「そうだね」と僕は言った。


 そして僕はマンバの行うピエルナスの練習に付き合った。彼はひとつひとつの動作を丁寧に確認し、目的や信念といったものの込められたような修練を重ねる。


 その瞳は情熱に輝き、仕事後の疲労感を感じさせない表情でボールを扱っている。僕はその様を観察し、時に混ざったり守備側の役目を果たしたり、意見を求められれば彼に助言を与えたりした。


 やがて完全に陽が落ち、本格的に周囲が暗くなってきた。ピエルナスを紛失するわけにはいかないので自然と練習終了の雰囲気が漂う。


「マルクの気持ちはわかる。おれには特にな」


 表情の読めない暗闇の中、マンバはぽつりとそう言った。ピエルナスを所定の位置に収める。マンバが大きくひとつ息を吐くのがわかる。


「おれはかつて球師に憧れていた。何とかしてピエルナスを手に入れたかった。しかしそれはおれにとって難しいことで、方法として考えつくのは決して許されない行為くらいのものだった」

「――今のマルクの状況と似ている?」

「そうだな。悶々としていた。そのために犯罪を犯すつもりはなかったしな。そんな時にお前を見つけた。神様がおれに機会を与えてくれたんだと思ったね」

「行き倒れの服を剥ぎ取ってはいけないって法律はないの?」


 冗談めかして僕は訊いた。それに対してマンバがニヤリと笑ったのがわかる。


「あいにくおれは法律に詳しくないんだ」

「僕もそうだ。――村長には長男がなるっていうのはどこかの法律でそうなってるの?」

「どうかな。少なくとも慣例ではそうなってる。おれもこれには賛成だ。わかりやすいしな」

「より能力が高い者が村を統べるべきだとは思わない?」

「おれにとっての有能と、お前にとっての有能は違うだろ? その点生まれの早さは共通だ。悪い決め方じゃないと思うね」


 面白い考え方だ、と僕は思った。主観的評価の差異など、むしろ現代的な思想にも思え、この男の考えをもっと聞いてみたいという気持ちになる。


「でもさ、長男より実力のあると自負する次男は、それを不平等だと思うかもしれない。どちらが先に生まれたとかではなくて、能力をみて決めろ、とね。能力が測れないというなら村人たちの意見を聞いて、賛同者の多い方を村長にすべきだと主張するかもしれない」

「――本気で訊いてるのか?」

「遊びだよ。僕やマルクが思っていることじゃない」

「それじゃあおれも遊びで答えてやろう」


 マンバはそう言い、たとえ話をはじめた。


「そうだな、ここに男がふたりいたとしよう。彼らはどちらも死にそうに腹が減っている。そして彼らは食べものを探す旅に出るんだ。幸運にもそのうちひとりがイチジクの木を見つけてその最後の実を食べることにした。その時、もう片方の男がそうしているのを見つけるんだ」


 その最後の果実は誰のものか? 当然第1発見者のものだろう。


「彼らの人となりや能力とは関係なく、な。それを受け入れず争うというのも満更不可能ではないと思うが、うまくやらなければ糾弾されるのは後からやってきた男の方だろう。長男・次男もこのようなものだと思う」

「面白い考えだね」

「気に入ったか?」

「気に入った。いつこんなこと考えるの?」

「すごく上手に投げられた筈のシュートが外れた時なんかにな。なんでこれが外れておれのチームが負けになるんだ、って神を呪う」


 マンバは笑ってそう言った。「それが不平等だと言うなら、皆平等に不平等なんだ。悪い決め方じゃないと思うね」

 

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精神科医転生 柴田尚弥 @jukai

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