第11話

11話『星の最後』


「……マ…、……マリ!」

 暗闇が小刻みに揺れている。どうやら瞼を瞑っていたらしい。土埃にまみれて、茶色にくすんだボロボロのマントの襟元を揺さぶられ、少年は不快そうに、目を覚ました。

「なんだ? ちょっとくらい休ませろ……」

 少年は自分を起こした、自分とさして変わらない格好の痩せこけた少年に、しかめっ面を向けた。先ほどまで自分と同じように、泥のように眠っていた彼は今、暗がりの中で声を落として辺りを警戒している。

「ここはもうダメだ。すぐに違うシェルターに移るぞ」

「何があった?」

 すぐに意識を覚醒させて、彼も辺りを窺った。すると、ゴウ、ゴウという地を揺るがす低い音と共に、収容されている避難民の肉薄した声が、迫ってきていた。

「食料をめぐって暴動が起きかけている。このままじゃここも危ない。せっかく死ぬ思いをして辿り着いたシェルターだが、危険は承知でもいったん外に出る必要がある」

「わかった。ここまで来て嬲り殺しは嫌だからな」

「最後まで足掻いて足掻き切るぞ。食っておけ。ちゃんと口元を隠すんだぞ」

 そう言って彼は、一切れの堅いパンを少年に手渡した。二人はすぐに寝床を発った。

「よくこんなもの手に入れられたな」

「運がよかったんだ。拾い物だが、これで命を繋げる」

 少年は、ただでさえ小さく固いパンに齧り付いて、半分に引き千切った。それを、前を行く彼に渡そうと差し出した。彼は歩を止め、千切れたパンを一瞬見たが、すぐに前を向いて歩き始めた。

「俺はもう食ったんだ。さっさと食ってしまえ」

 少年は、彼のその言葉に、もう一度彼の表情が見たくなったが、思い直して首を振った。パンを頬張ると、カラカラのはずの口の中にも、唾液が染み出した。これが最後の食事になるのではないかと、心に刻み付けるように、最後の一欠けらを放り込んだ。

 不意に地面が縦に大きく揺さぶられた。二人は、立っていられなくなり、地面に伏せるようにして、振動が収まるのを待った。シェルターの中は、疲れと苛立ちと嘆きの混じった悲鳴が、溢れんばかりに反響していた。ゆっくりと揺れが収まると、シェルターの奥から、怒号が波のように押し寄せた。

「いよいよだな。手を」

 差し出された彼の手を掴むと、乾いた銃声の雨がシェルターをこだました。阿鼻叫喚の後、出口に向かって、恐怖が押し寄せてきた。我先に手足を伸ばして逃げる人の群れ。二人は、息を呑んで、力の限り走った。通路のわき道からも、逃げ惑う人が現れた。どうやら同時多発的に暴動が起こったらしい。その勢い凄まじく、次第に二人を追い越していく者や、蹴落とそうとする者の手に、手足を取られ、二人は人波に飲み込まれていった。二人の堅く繋がれた小さな手は、最後まで離すまいと、指先が離れるその時まで、懸命に二人をつなぎとめていたが、無情にも引き裂かれた。互いの名前を呼ぶが、かき消される。銃声がどんどん近づいてくる。奇声と狂ったような笑い声も。少年は肉の壁の先に、皆殺しにする決意が押し寄せてくるのを感じた。

 身動きも取れず、圧迫されて息も絶え絶えになった時、さっきとは比べ物にならないほどの衝撃が、地面ごと突き上げた。視界が真っ白になり、いつの間にか体は宙に投げ出されていた。

 そのまま数秒間、地面へと落下していき、別の恐怖がせせりあがったところで、体はまた肉の感触とその奥の硬い骨とで、サンドウィッチにされ、自分の腕が折れていくのが分かった。肉塊を転げ落ちながら、詰まる息を激痛が叫びに押し上げたが、さっきまであったシェルターの屋根はなく、爆撃の中、悲鳴を上げているのは別段珍しい光景ではなかった。

 もがきながら一頻り叫び泣いた後、投下されたミサイルの破片が、もの凄い風切り音と共に顔のすぐ横を逸れて、少年は我に返り、必死で身を隠そうとした。幸運にも折れたのは腕だけ。立って歩く分には問題がない。まだ生きている。雹のようにミサイルの破片や薬莢が吹きすさぶ中、少年は別れ別れになった相棒を探した。必死に声を張り上げて名前を呼ぶ。少年のまだ高さのあるか弱い声は、爆風とジェット機吹かしたバーニアによって遮られる。

 黒煙がいたるところで上がる景色の中、物陰を見つけて体を滑り込ませた。呼吸は荒く、腕も全力で太鼓を叩いているかのようにガンガンと痛んだ。

 シェルターに身を寄せる前より、外の戦闘は激化しているようだった。疲労と痛みと恐怖から、いっそこのまま死んでしまった方が楽だと、少年は思った。何をもって生きているのかわからなかった。何のために生きているのかわからなかった。今ここで死んだとして、それはそこらにある肉塊となった人々の一生と何ら変わりはない。必死で生きていただけの人生だった。これ以上先に、この現状を変えてくれる奇跡は望めない。この世界に奇跡がないことは、たった十数年の短い人生の中でも、確かにわかっていることだった。世界というのは自分で考えるより、遥かに合理的に、無慈悲にできている。愛で世界は作られていない。もっと欲望とか意地とかプライドとかそういった負の感情が、世界を作っていっている。

 少年は最後にもう一度名前を呼ぶことにした。それは彼に向けて名前を呼んだのではなく、彼の名前を呼ぶ自分を確認したかったものかもしれない。

 すると、か細く自分の名前を呼び返す彼の声が聞こえた。それもずっと近いところで。少年は尚も彼の名前を呼び続け、破裂音や衝撃、天地を揺るがす轟音の中、必死で耳を澄ませて彼を探った。体を擦って行った瓦礫の反対側に、彼の姿を見止めた。怪我をしている。それも重傷だった。彼はそれを見て叫んでいた声を止めて、持てる限りの力を使って、彼のそばへと駆け寄った。彼は、腰から下を失っていた。出血も酷い。すぐに彼の脇を抱えて、さっきまでいた物陰へと引きずって這って行った。

「よう……。良かった……生きてたんだな」

 彼がマントの端を握ってくる力が、悲鳴を上げたくなるほどか弱く、無くなった両足よりも確かに彼の死を実感した。

 こんな時に使いものにならない片腕が、彼に比べてちょっぴりの自分の不運が悔しくてしかたなかった。砂が混じる風で目が痛い。彼のマントに噛みついて、引きずりなんとか身を隠すことが出来た。

 彼の死期は近い。常にすれすれの中を二人で生きて生きたが、今度ばかりはどうしようもなかった。彼の手を握る。汗をかくまで走ったあと、自分の身体から熱が放射されていく時のように、彼の中から熱が空気中にどんどん霧散していくようだった。

 名前を呼ぶ。嫌だった。死ぬときは一緒と決めていた。こんな無慈悲な世界の中で、たった一つの拠り所だった彼。つまんない冗談を言い合ったり、夢を語ったりしたこともあった。二人はいつか、この土と硝煙ばかりの世界で、ほんのわずかに残された、この星の最も美しい姿を見ようと約束した。山奥に流れる青い川。天高くまで吹き上がる真っ赤な溶岩。誰も踏み入ったことのない白い雪原。牡鹿が水のみに来る森の中の澄んだ湖。星も見たかった。星座というものの所在を確かめたり、その星々の模様や大きさを見ることだって。明日があればそれが出来ると思っていた。明日があればいつか叶うと思っていた。でも、もう二人で明日に向かうことは出来ない。名前を呼ぶ。それで少年は、この願いは絶対に叶うことは無いのだと確認が取れた。

 爆撃は激しくなる。ジェット機が撃墜されて、炎を上げながら、斜めに落ちていくのが見えた。こんな世界に誰がしたんだ。誰がこんな未来を望んだんだ。俺はお前たちを許さない。彼に呪いにも似た憎しみが湧いてきた。みんな死んでしまえ。好きなだけ殺し合え。最後の一人を殺すまで争いをやめるな。こうなった責任はお前にも、お前にもあるんだ。

 少年が視線を移動する度、爆撃機が撃墜されていった。単なる偶然でも、少しだけ気分は晴れやかになった。

 すると、爆撃機たちは、それぞれ目標を失ったように高度を急激に落として、地面へと墜落していった。ヘリもそうだ。きりもみ回転をして、地面に衝突すると、破片をまき散らした。何かが起こっていた。飛行するものが無くなって、空がぽっかりと空いて、あれだけ鳴っていた爆撃音がわずかばかり止んだ。

 そして、空を割るような、聞いたこともない恐ろしく無機質で、恐ろしく正確なクロック音が鳴り響いた。音は、ガン、ガン、ガンと空を揺らしながら鳴り続ける。

 少年は細胞に宿っている本能の奥底で、恐怖とはまた違う自分の根底を揺るがす音を聞いた。何かわけのわからない超自然的なものに支配される感覚。恐ろしいというよりそれは畏れそのものだった。少年は傷つく少年の手を離し、腕を広げてその感覚に抗うように、音のする方向からくるそれを遮った。クロック音は尚も大きくなる。

 すると、地平の先から一陣の風が吹いて、少年を覆った。生温かいような穏やかな風。それと共に、どんどん生気を失って黒く枯れた波が押し寄せてくる。視界の端から徐々に目に見えて襲ってくるそれは、名付けるなら死の波動。中心点から放射状に力場が発生している。少年は思った、これがこの星の下した決断なのか。

 少年はこの星の生命が終わるその目撃者になろうとしていた。波に呑まれ少年の身体はカビが生えた風になった後、脆く崩れて粉々になった。傷ついた少年はその背中をゆっくりと網膜に焼き付け、同じように黒く染まった。

 クロック音が満ち、星が哭いた。世界は静寂に満たされた。もう何も争うものはいない。いがみ合うこともない。傷つけ合いもしない。憎しみ合いも。夢も見ない。それがこの星の終わり。誰もが抗えない一方的な力に染め上げられ。この星は終わりを告げられた。

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World End TourS 柳 真佐域 @yanagimasaiki

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