第10話『闘争が生むもの』


「ソマリ。いいなぁ、ここは」

「そうだな。『世界一平らな土地』だとよ」

 一面、いや天と地を合わせた二面を占めゆる、澄み切った青色。青は空の青。それが映る鏡面化した湖面。キマリとソマリは、ボリビアの西部、ウユニ塩湖に来ていた。

 ここへは、二人が訪れた、元陽の棚田で星を見てから、ソマリが一番に提案した場所だった。ウユニ塩湖は、二人が地球のデータを盗み見た時から、抜きに出て優先度の高い旅の候補地に挙がっていた。キマリのミーハーさに負けないくらい、ソマリはここへ来るのが楽しみだったし、あれだけの景色に見合う場所は、ここしかないだろうと思っていた。キマリのあっと驚く顔が見られれば、込み上げていた留飲も下がる。今日は風もなく、丁度良い雨上がりの青空で、ちらほらある雲の陰影が、湖面に反射して、天地を合掌したような、絶景が広がっていた。地平線だけが、境界を作り、ただゆっくりと、雲が流れる。二人は、湖の真ん中に腰かけ、時を微睡んでいた。

「人間ってのは、空を愛でることも出来たんだろうな」

 もう何時間もこうしている。それなのにキマリの声音は、全く退屈とは無縁といった感じに弾んでいた。

「それは、空に幾つもの顔があるからだろうな。雲だって種類は多い。夜になれば星座だって」

 大宇宙の中で造られた、たかが機械に、何処までも果てしないと思えるほど、空も地球も大きかった。空の映るこの湖面が、自分のいる場所を、海の印象よりも、更に青い星だと認識させた。

「空なんてもう見飽きたと思ったが、こうも感動させてくれる。なんと奥深いことよ」

「いろんな空を見てきたな。雲ひとつとっても、鰯雲、鱗雲、筋雲、並雲、積雲、層雲、雄大雲。形はいまいちだったが、富士山でも笠雲を見れたな」

「もう飛行機雲が見れないというのは寂しいがな」

 手を空に透かしながら、キマリが言う。

「晴れ、雲、雨、雷、雪、みぞれ、雹、風、朝日に夕日。大自然と共に生きることこそ、人間の生き方だったと思うが、この大自然を手に納めてしまいたいほど、人間の欲というのは大きかったのだな」

 ソマリは、空の表情を指折り数えてから、手を儚げに開いた。キマリは、後ろにもたれるように両手で体を支え、天を仰いだ。

「自然を凌駕しようとなど、大それたことを考える。光を集め、風を活かし、火をくべて、水を落とした。果ては、作り出した自分たちにも手の余る科学に手を出し、それでさえ賄いきれなかった」

「あれだけ増えたのに、いや、あれだけ増えたからこそ、人間の抱えた問題は大きくなり、自分たちでは対処できなくなるほどに膨らんでしまった。人自身がゆっくりと絶滅に向かっていたとも言えるな」

 しんみりした空気に、キマリがいきなり立ち上がった。

「……虚しいな。人間がじゃない。こんな不毛なことを話すことがだ。我々は絶景の中にいる。その中でなんと暗いこと。私は怒っている。人間ってのは何故こうも愚かなのだ。語るにも落ちる。馬鹿だ、馬鹿だ!」

「おいおい、お前が怒ってどうする」

「人間のことを知るたびに、あいつらがどれだけ自分のことしか考えていない生き物なのか、お前は腹が立たないのか?」

「腹を立てるといっても、もう死に体すら残っていないからな。文句の言いようがない」

「いいや違う。間違っているぞ。我々はもっと自然を賛美し、輝かしい言葉を紡がねばならない。そう、詩を作ろう! これまで見てきた全てのことを言葉にして、作品をクリエイトするんだ」

「いい考えだとは思うが、少々突拍子過ぎないか? 私は愚かしさの中から教訓を得たりするのも悪くないと思っているのだが」

「だが暗くなるのと、意欲的になるのとでは、どっちが優れているかは明白だろう?」

「現状、我々に障害がないにしても、その時あった問題は解決されないまま風化してしまった。問題の根っこは幾らでも語り尽くせる我々のような者に託されたのだと思っている。人間の抱えていた問題を考えることこそが、人間という生き物を知る最も厳かな向き合い方だと、私は思う。役目、責任の問題だ」

「過去と未来どっちを見つめるかで意見が割れているな。私の主張を始めよう。お前の考えている結論は、いつも人間が愚かだった、完全ではなかったからと言って、何も残らない。何も生まれないんだ。だったら、私はまだ未体験のものに挑戦し、人間の正の部分が作る素晴らしさを賛美したい」

「確かにつまらないかもしれない。何も生まないかもしれない。でも、その結論を出すことは単なる思考停止に過ぎないことを言っておく。自分ならこうすると仮説を立ててみれば、幾らだって議論の余地はあるし、人間が愚かで不完全なことを踏まえたうえで、正しさを説くことが出来れば、この星にある罪を幾つかでも贖罪出来るのではないか? お前のクリエイトに関しては、否定はしない。ぜひ今後の旅の中でやっていければと思う。だが、向き合えない理由にしているのは気に食わん」

「言うではないか。過去を見つめることで、未来をよりよくすることは出来るかもしれない。だがそれは、人間にとってのいい未来ではないか? この終末を迎えた世界で、それをやり直すなら、人間の作った素晴らしい部分で世界を再構成すればいい。間違いや失敗から学ぶこともある。しかし、その上澄みだけで良い。最後に残るのは美しいことなんだ」

「私の言っている哲学を導き出す術だって、違わず美しさを導き出す知恵だ。こういう議論だって、完全な神でもない限り、避けては通れない。瞬時に答えが分かるほど、私たちは人間と同様完璧には出来ていない」

 珍しく二人は声を荒げて自分の主義主張を交わし合った。人間に必要な互いを認め合うこと。アンドロイドの二人は、地球の記憶を共有したからこそ、完璧に近い自我を手に入れることが出来た。それまで、量産型の、それもバグを含んだ粗悪品に過ぎない二人に写った人間という不可思議な生き物は、どこまでも探求の出来る関心の的だったし、自分たちのルーツだった。この旅をして分かったことは、たとえ模造品の自分たちであっても、恋にも似た羨望だった。一つとして同じものがないということは、互いを認め合うふりをして、共存していかねばならない。それでも、ふとした時に、重なる瞬間がある。それは幸福かもしれないが、「夢」と言う名の質の悪いまやかしなのだろう。

 そういう将来への明るい展望が抱けるからこそ、人間の種は、食物連鎖の頂点に立ち、未来永劫続くだろう文明を築いた。それが潰えた時、残ったのは人間が抱いていた夢の残滓だけだ。それを悲しい、虚しいと取ることも、やっと手に入れた静寂の中の戯れと取ることも出来る。強さからやっと解放された世界で、二人はCPUの排熱の中にたゆたう幻と言う名の情熱に、懸命に耳を澄ます。相手を論破して屈服させるのか、議論の末に中庸を見つけられるのか、それとも無意味な時間に妥協を見出すのか。話し疲れたら、明日はどこへ行こうか。


「よし、こうなったら相撲で決着をつけよう!」

「望むところだ! その間抜けずら、泥まみれにしてやる!」

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