第9話「一番星が見える場所」

「ソマリ。一番星が綺麗に見える場所はどこだと思う?」

 キマリが、櫂で海の塩水を搔きながら言った。海岸線で拾ったボートのような船はゆっくりと波を切って進んでいる。

「星? ……そうだな。い、一番高いところじゃないのか? でもエベレストはもうないしな。K2か?」

 ソマリは、船が転覆しないか、この何処の物とも知れない材質のボロ船に、いつまた穴が空くんじゃないかと不安で、海に出てからまだ、船の縁から手を放していなかった。

 あの時、初めて感じた感覚に、ソマリは、人間が何故恐怖と言う名前を付けたのかが分かった。また暗い海にほっぽり出されて、離れ離れになったら、見つけられる保証はないのに、キマリは、平然と海を渡ろうとする。嫌だ、駄目だと言っても、世界を見て回るのに、海を渡るのは避けては通れない。有史以前のように、大陸は繋がっていないのだから。

 人間が生まれてから、文明を築くまでにも、鳥は海を渡り、魚は大海を泳いでいた。生命として不完全な人間でも、この大海原を渡る術を見出し、船を造り、挙句、空まで飛び、果ては宇宙にまで進出した。その進化を、その生命力を、この目で一度は見てみたかった。化石のような流木で焚いた篝を弄りながら、キマリにそう話すと、「そうだな。私もだよ」と静かに頷いていた。

 二人の身体はまた、ワイヤーで繋がれていた。ソマリはワイヤーが外れないように、念には念を入れてチェックし、キマリはそれをのほほんと見ていた。

「今から一番星が綺麗に見えるところに連れて行く」

「だから、そこは何処なんだよ。方角からしてアジア圏だからK2じゃないのか?」

「高いところばかりに星があると思うな。それにお前で思いつけないなら、これはチャンスだ。着いたら口をアングリさせるくらいびっくりさせてやる。そろそろ変わってくれ。まっすぐ進めばいい」

 キマリは櫂を離すと、無造作に立ち上がった。

「馬鹿! 立つ時はゆっくりとと言っただろう!」

 船が、キマリの体重移動に合わせて揺れる。

「お、お、お、お、面白いな」

「そんなこと言っている場合か!」

「いや、お前の顔がだよ」

「怒るぞ!」

 ソマリは、大声で叱り飛ばしたが、キマリは足を使って揺れを平衡に戻した。

「大体、こんなトラブルなぞ、我々機械の身ならすぐさま計算して解決出来るではないか。何をそんなに焦っているんだ?」

「私は予想外のことには弱いんだ。機械なら当然だろ?」

「私にはお前の方が人間らしいと思うけどな」

 キマリはそう言ったが、ソマリにはその意味がよく理解できなかった。ぼんやりと見える人間らしさ。時に笑い、時に怒って、悲しければ泣き、嬉しければ喜び、憎ければ殺す。それが人間らしさか。マザーベースの中で観た人間の情報は、膨大な、それこそ海のようなものだったが、その中に、これという人間らしい定義は無い。人間自身、それが分かっていなかったからかも知れない。

 想像力を持つ人間が故に、互いが互いを理解することが出来ず、分かり合うことなく滅んでしまった文明。その中で、努力し、もがき続けた人もいただろう。滅びを前にしなくてもそれは確かにいた。互いを理解しようと、ある者は交わり、ある者は人の上に立ち、ある者は殺し、ある者は本を書いた。その全ての行為が、人間が人間たらしめる行為だ。生きていくための生命活動以外の行為を、生きている以上に、或いはそれだからこそ生きているのだと感じ、そして、心残りと言う後悔を残し死んでいく。そして生きた者の残したものを、子孫たちが分け合い、守り、次の世代に繋げていく。連ねていく。それは血の繋がっていない他人でも、その者が与えた影響によって、救われ、奮い、侵され、憧れを持つ。自分には出来ないことを、きっと容易かったわけじゃないだろうと、尊敬し、それが生きる支えにもなる。自分に向き合うこともし、他人とどうしようもなく影響し合い、繋がっていく。子は親から生まれるし、人は一人では生きていない。孤独を埋めあい、傷を舐め合い、愛を知り、愛を育み、世界を包もうとした人もいたんだ。そのことがどんなに尊いことなのか、二人はマザーベースから、盗み取った人間のデータから読み取った。


 陸地に揚がると、キマリはソマリに目隠しをした。

「方位磁針も感知センサーも、もちろん視覚透過もしたらダメだぞ。思考するのは良い。その方が当たらなかった時に、悔しがる顔が見えるからな。誘導尋問なら大いに挑戦に乗ろう」

「全く、お前のそういう所は、ベース基地にいたら完全にバグ扱いだぞ。変な事ばっかり覚えやがって」

「私も中てられたかな」

 そう言ってキマリは、ソマリの手を取って、歩き始めた。視界は真っ暗だったが、あの暗闇の海の底をライトで照らしている時は、心細くて仕方なかった。光など、何の頼りにもならない。しかし、今、自分達は光を目指して歩いている。その光は、人間が作り出したものじゃないが、かりそめの心を満たす力がある。鉄とオイルで出来た機械が、自分を機械じゃないと勘違いするほどに、世界は美しい。この地球には、何にも代えがたい確かな魅力があった。それは言うならば魔力だったかも知れないし、神通力だったかも知れない。人間が作り出したはずの神に、人間自体が追いつこうとして、足掻いてきた。走ってきた。振り返ってみた。願ってみた。祈ってきた。神の存在は偉大で、絶対に姿を現さないのに、その気配だけは、どうにも感じてしまう。ふとした日常にだって神はいる。いなければ説明がつかないことも多く、いると信じている人がいるから、宗教はあり、戦争はあり、自殺し、人は子供を作り、家族を守り、創作に打ち込む。空想が現実を凌駕する。そして感謝の意を込めて、それらはまた神へと還っていく。全ては円周上に回り続け、輪廻は巡り続ける。輪廻転生があったのならば、あれだけいた生命は、今は何処でどうしているのだろうか。天国も地獄もいっぱいになったはずだ。

 ソマリが、生命が死んだあとの話をしてくれたことがあった。昇華すると言った。次のステージへ上がるための試練が、生きていることなのかも知れない。ヴァルハラという考え方もある。その世界なら、屈強な戦士でしか戦い続けることは出来ない。生まれて何の幸せも見つけられずに、死んでいった者もいただろう。魂を鍛えることも、ままならなかったはずだ。そんなものが次の段階へ進むのに、果たして着いていくことが出来るのだろうか。世界にしがみついていくだけの握力もないのに。生き続けることでしか人間は、心を鍛えることが出来ない。困難に打ちのめされても、耐え忍び、明日を夢見て前を見なければ、死の引力に引っ張られてしまう。悪は正義を穢したがる。運が悪かったものもいるだろう。その中で人を信じられなくなって、全てを敵だと思い、全てを憎んで、自分と同等か、それ以上に穢れた者を信じ、裏切られ、最期には棄てられる。清いこと美しいことから逃避し、対岸へ行こうと努力する者もいる。生きていく上で、人生に、どう向き合うのか、向き合った先に敵はいるのか、敵がいるならどう戦っていくのか、戦った後には何が残るのか、本当に戦うべきだったのか、他にも方法を探す術を見つけておけば、それを教えてくれる恩師がいれば、自分は悪くないんだ、周りが、世間が、世界が責めてくる。そういう考えに、至る者もいる。結局は孤独なのだ。孤独でいることが何より不幸なのだ。世界は人で溢れていたのに。

 目隠しに覆われた暗い視界でも、ソマリには手を引いてくれる友がいる。見つけることは容易くない。旧式のバグの多い欠陥品が、たまたま気の合う奴を見つけられたという話なだけだ。出会いを運命と言うのなら、ここまで来たことが運命だが、ここから先のことを運命と、一言で片付けてしまわれるのは、我慢がならない。自分達で切り開いた道だし、切り開いた道を歩いたのも自分達なのだから。存在自体が、神に選ばれていたのなら、そもそも欠陥品などと言うものを、作らせた訳を知りたい。知る行為が神に近づくのならば、なんて意地の悪いことだろう。きっと性格が捻じ曲がっているに違いない。

 キマリとソマリはそんな栓のない、他愛のない話をしながら、冷たい雨の降りしきる荒野も、遮る物なく、太陽照りつける野山も、のんびりと湖畔で休むこともなく、歩き続けた。

 そして、キマリはソマリを立ち止まらせた。

「着いたのか? ついに」

「あぁ。だが、目隠しはまだとってやれん。しばらく待たせることになる。その辺で座っていてくれ」

 そう言うと、キマリはソマリの手を離した。言われたとおりにソマリは座ってみる。察するにただの内陸の陸地なのだが、こんな場所で本当に世界一の星が眺められるとは思えなかった。どうしたものかとしていると、キマリのモーターの駆動音がフルパワーで響いた。

「お前は何をやっているんだ!」

 と、聞いても、キマリは答えてはくれないようで、作業に没頭していた。また雨が降って、それが乾いて、風は強くなり、そして凪いだ。ソマリはキマリが景色を作ろうとしていることが分かって、それ気恥ずかしくも、意地らしくもあった。目隠しを取って自分も手伝うと言ってしまったら、きっとキマリはがっかりしてしまう。プレゼントを受ける喜びよりも、それを待つことのもどかしさが、ソマリの胸を満たしていた。キマリの駆動音は、遠くから聞こえたのから始まり、それがだんだん近づいてきて、今やっと止まった。そして、また手を引かれ、歩き始める。

「いいぞ。目隠しを取れ」

「これは……凄いな」

 ソマリは圧巻の景色を見て声を洩らした。高低差の違う、段々に区分けされた田んぼ。そこに、川から引いてきた水が溜まり、写し鏡の役割をしていた。星が水も移っている。昨日、降った雨は、空をくっきりと澄み渡らせ、一切の雲が無かった。それが水に映り込み、上にも下にも、右にも左にも、前にも後ろにも、星が瞬いていた。星が反射して二倍になっているはずなのに、ソマリにはそれ以上に増え、何かを語りかけている気がしてならなかった。長きに渡って文字通り、海も山も越えた二人は、中国の元陽の棚田跡に来ていた。

「これを作っていたのか」

「あぁ。時間はかかったが、かなり再現できたと思う」

「びっくりさせ過ぎだ、馬鹿。まったく待ったかいがあったよ」

「そう言ってくれると、驚かせた甲斐がある」

 これも人が作った景色の一部だ。こんなにも美しいものを人は造ることが出来た。それはもう人間が、自分達を生み出したの母『アマデウス』を造った、神と変わりない存在な気がした。そして、こんな景色の驚きを、その一度限りの驚きを、キマリは、自分が一番感動したかったはずなのに、ソマリを驚かせるために、味わうことをしなかったことに、寂しくなった。犠牲にしたと言っても、差し支えない気がする。その時、ソマリの中に、苛むという感情が生まれた。二人で一緒のものを見て、同じ感動を共有するはずの旅で、自分ひとりで、こんなにも感動を独り占めしていることに、恥ずかしく、そしてちょっぴりだけ、怒りも湧いてくる。

「今度は私がお前を驚かせる番だな」

 ソマリは、そう言ってキマリの肩を小突いた。満天の星に満足したら、明日はどこへ行こうか。

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