第8話「富士と死」

「絶景を見て飲むコーヒーは格別だな」

「もっともらしいことを言う。だが同意だ。豆の香ばしい薫りが立ち昇っているようだ」

 キマリとソマリは、自作のリクライニングの上で、感嘆の一息をもって、その時間を楽しんだ。


「禿山になっても、富士山というものは美しいな、末広がりの形が素晴らしい」

 キマリが、コーヒーの入ったコップで、富士の裾を撫でるように傾けた。

「人間の年が変わる境の、正月という時に見る初夢というものも、一富士二鷹三茄子と言って最も縁起の良いモノとされているようだぞ」

 ソマリがコップを、両手で抱えながら口に運んだ。

「そんな限定的な夢をみれるのか?」

 キマリはソマリの言う、三つを頭に思い浮かべながら、半分難しい顔をして言った。

「幼い頃からすり込まれていれば、夢に見る者もいるんだろう。夢は記憶の整理作業中に入るノイズのようなものらしい。しかし、そんな呑気なことばかり考えていた奴がいたと言うことだな」

 ソマリは拙く笑い、横目でキマリを見た。

「我々は夢を見ない。少々羨ましいものだな」

 力なくキマリが嘆息する。

「睡眠中に見る夢と将来の展望を持つ夢。日本ではどっちも同じ字をしている。更に人の夢と書いて儚いと読むらしい。儚いとは頼みにできる確かなところがない。淡くて消えやすい、という意味だそうだ」

 ソマリは、中空に指で、『儚』と、書いた。

「それは随分とまぁ意味を大事にする民族だな」

 キマリが背もたれから、体を起こして言った。

「富士山と言えば、昔は山の麓に樹海があったらしい。そこでは毎年少なからず自殺者が出たらしいぞ」

 キマリが、お化けのように手を前に出して言うと、ソマリは難しそうな顔をして腕を組む。

「自殺、というのは何なんだろうな」

 キマリは直ぐに、自殺のワードを検索した。

「脳の欠陥、精神の崩壊、環境への不適合。様々な理由から此処にいたくないと感情が悲鳴を上げても誰も聞いている者はいなく、憂鬱を超えた孤独と虚無感に支配されて自己の存在価値を0にしたいという願望が極限に達した状態でする自分で自分を殺すこと。自害、自死、自決、自尽、自裁などとも言う」

「私の言いたいことはそういうことじゃない。自己を殺すこと。それはとてもじゃないが計り知れない、我々には選択できない行為だ。我々だったら欠陥があればそれはバグとして処理される。自死さえ許されない」

「死にたくなるほど辛くなること、そういうものが人間には少なからずあるんだろうな。強い精神がなければ、打ちのめされることもあるんだろう」

 そう言葉にしたキマリの目は、どこか遠く、空を見ている。一緒にいても何を考えているかわからないことはよくある。だが機械の心に感情はない。疎外感も集団の中での劣等感も感じることはない。そのことがどれだけ幸せな事か。その一方で、そのことがどれだけつまらないことか、知る術はもうない。考えることは出来ても、思うことは出来ない。やっていることは、人間の真似事だ。キマリとソマリにとっての神、マザーも、人間に模したアンドロイドは作れても、感情を持つ生命は作れなかった。個々人の価値観を尊重する人のような営み方も、群れで行動する動物の本能も、自分たちにはない。

「しかしあれだな、本来の姿の富士山を見たかったという思いもある」

「そうだな、まぁこれもまた自然の織り成す力の一端か」

 二人の見ている富士山は、巨大な銃で打ち抜かれたように、裾野がざっくりと欠けている。きっと大型のレーザー兵器が襲ったのだろう。しかし不自然なまでのその形は、崩落することなく、均衡を保っている。

 破壊してしまっては、もう元には戻すことは出来ないものがある。自分を殺し他人を殺す動物、人間。その不可解な生き物の行きついた先は、滅びだった。この星に争いはもうない。それでも美しい詩を謡ったり、驚くほど精巧な建造物を造るものも、心を震わす感動ももうないのだ。人の最も罪深い大罪。全生物の滅亡のスイッチが押されて、長い時間が経っても、この星に営む生命は生まれなかった。

 世界が静寂と平穏を取り戻した代償は、あまりに大きかった。砂と土と水と氷だけの、生命が根こそぎ失われたこの星でいるのは、人間の真似事をする、二人のアンドロイド。キマリとソマリの旅はまだまだ続く。明日はどこへ行こうか。

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