第7話「感情と一番高い山」
「感情の話をしよう」
「こんなところでか?」
キマリとソマリ。アンドロイドの二人は地球で一番高い山。エベレスト跡で人を語らう。人間に似せて作られた二人の、永遠のテーマ。人間とは何か。成人した男女から、命が混ざり合い子を成す。泣くことだけが仕事の赤子から、好奇心の塊の幼児。手足を動かし言葉を学び、感情を爆発させてから、見たもの感じたものを、語らうようになり、何者も傷け、傷つけられる少年と少女。他人を知り、自分との違いに打ちひしがれる青年。人格が作られ、自分を守ることが出来るようになった若者たちは、互いに違う環境で育ち、それぞれの個性に惹かれあう。同じ水、同じ土から生まれたものを食べても、重なり合い一つになっても、その違いが、争いを生み、悲しみと憎しみを生んでも、違うことが幸せなことだと知る。やがて自分を生んでくれた親のように、自分たちも子供を成す。そうして命の大切さを知り、あるいは、命の重さに押しつぶされる。皆が同じ道を辿るわけではない。だからこそそこに、かけがえない魅力が生まれ、世界のどこにも存在しない、新たな色が生まれる。
「一括りに感情といっても、世界のように広いぞ。一体何から話すんだ?」
ソマリが言った。
「例えば、恐怖。人間は自分の人生観、世界観を持ちながら生きるものたが、それをどこかで大きく揺り動かすものを、恐怖として定義づけているらしい。世界観、つまりは自己の存在か。存在を揺るがされるということは、大変な危機だ。一つしかない命、危害を加えられれば、自己防衛本能が最大限に、警告を上げるだろう。発汗や動悸、寒気なども起きる。具体的に言えば、人間は未知のものに対して恐怖を抱く。知らない人。伝わらない言葉。発達した技術。苦痛や弱点。死。経験や体験から導き出せない、想像を絶するものに恐れ、畏れる。神に対してもそういう畏怖はあるな。だが恐怖は、上手くすれば、新しい価値観が開く、良いきっかけになるという」
と、キマリ。
「我々に例えれば、バグが見つかってバージョンが新しくなることか?」
ソマリが聞いた。
「似てはいるが決定的に違う気もする。まぁ存在を揺るがすほどの脅威を、人間は排除し続けて、自分の快適で安息できる社会を形成するのにいそしんできたわけだが」
キマリが首を振って答える。
「子供が、刺される前の注射に対する痛みや、大切な人がいなくなってしまうんじゃないかという不安。ありもしない幽霊や怪物の存在。自分の想像を超えたものに対しての感想。実に様々な形態の恐怖がある。人間が考え、思う生き物だということが良く分かる」
ソマリは、噛み締めるように言った。
「私はそれを羨ましいと思うよ」
そう、キマリは風に流すように言った。
「恐怖があることがか?」
半ば驚いたように、キマリが聞いた。
「恐怖がない生き方は一見良いようにも見えるが、そのような状態は、ずっと続くと安心ではあるが、死んでいるのと変わりない。我々は生きてはいないから恐怖もない、恐怖がないから生きてはいない」
動力炉が止まったら、それは死ぬことなのだろうか。マザーシップを出たあの時に、夢見た地球に行こうと、辿り着けなかったらどうしようと思ったのは、はたして恐怖ではないのか。別に胸は苦しくならない。汗も出ない。涙も。でも思うものはある。それはただAIが、考えているだけの、ちっぽけな電気信号なのだろうか。最適なものを選び続ける機械の脳は、無機物的な無機質で無感動なものなのだろうか。
「テーマを変えよう。逆に喜びはどうだ?」
キマリが言った。
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛おしい。これもまた様々な形態がある。努力が報われ、競争に勝利した時、一から作り上げたものが自分の手で完成を迎えた時、心から理解できるものに巡り合えた時。これだったら私にも感じることがある」
ソマリが言う。
「私はお前と一緒に旅が出来て良かったと思っているよ。これは私の人生の中で最大の喜びだ」
恥ずかしげもなく、キマリは真っ直ぐにそう言った。
「恥ずかしい奴め。まぁ私もお前といなかったらこんな気持ちにもならなかったのだろうな」
二人はそう言って、そこで小休止を挟んだ。
二人は大きな大きなクレーターの中にいた。それは一つの山を、丸ごと抉り取るほどの、大穴と言っていい程の、綺麗なクレーター。見上げても尚、高い高い山は、覗き込んでもまだ、低い低いクレーターになった。馬鹿な。クレーターと呼ぶのにはいささか大き過ぎだ。地球上で一番眺めのいい場所は、『ステラΩ』と呼ばれる、一つのテラスト爆弾で、消滅した。世界七ヶ所に落下したそれは、人類最大の殺戮兵器だ。エベレストに落ちたのは、破滅の運命に堕ちた、人の過ちと諦めだ。こんなところでとキマリは言ったが、こんなところだから相応しいのかも知れなかった。
考えることを止めたら、そこで全ては終わってしまう。分かり合えなくても、譲り合えなくても、奪い合っても、それでも、なかったことにしてはいけなかった。それこそが人間の最大の過ちだ。周りが見えないほど、高い壁を作って、武器を取って怖いものを排除して、自分だけが良いなんて、そんなことは、絶対に許されない。一緒にいることを諦めてしまったら、そこには、空虚な空っぽの自分が残るだけだ。一人きりでは喧嘩もできない。喜びも恐怖も、痛みさえ、感じることは出来ない。
―――コポコポ。
腹が減ったなら、互い分け合えばいい。二人は、大穴から空を眺めた。雲一つない晴れた空だった。作り物の身体の、幻のような気持ちでも、そこには確かに何かがあった。空いた腹を満たして、明日はどこにいこうか。
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