叫んで
明里 好奇
叫んで、届いて、繋がって
いつかまた、あえるのならば、いつかまたぼくを見つけてくれるのなら
その日までまた、ぼくは生きていけるだろうか。
それだけを希望に、生きていけるだろうか
いつか一緒に見た世界と一緒に
ここにいます
ここにいます
みつけてください
だれか
だれでもいいから
一人で死ぬのは、ごめんです
はじめて、こんなことを考えた
一人で死ぬのがいやで
一人で生きるのが、いやだとは
まだ、生きていたいんだ――!
薄暗がりに、光が射した。背中から強い光が射しこんで、怒号の中から確かに声が聴こえる。肩に触れる掌の感触は、分厚い戦闘服越しでもはっきりと分かった。
「落ち着け、息を吸って、大丈夫。背中は俺が守ってる。ここには、俺らしかいない」
言葉を聴いて、理解して、やっと呼吸を思い出した。そうだ、呼吸。意識して大きく息を吸う。頬が冷たい。泣いていたんだと気が付いた。のどがひりついて、意識した呼吸の繰り返しで、熱くて痛い。
「これくらいならすぐに処置できる。動くな、待ってろ」
左の膝から下の感覚がない。処置したって、元通り動けるとは思えない。冷静な声が聴こえて、呼吸が落ち着いてくる。そうだこれは、目の前のこれは現実だった。
廃屋の中に飛び込んで俺を見つけた男は、大きな身体をかがめて、腰のポーチのひとつから止血帯と応急処置キットを取り出した。目だけが光っていて、素手の指がせわしく動く。傷を手早く洗浄し、清潔なガーゼで水滴を押さえてふき取る。傷が沁みるなんて、分からなかった。痛みも今はよくわからない。麻痺してしまったのは感覚だけじゃなかったらしい。
「大人しいな、大丈夫か。覚醒は、してるな。びっくりしたぞ、お前が叫んでるのが聴こえたから、急いで来たんだ。間に合ってよかった」
手際のよい男の分厚い手を見ていた。熱い位の熱を感じた。戻ってきた痛みだと気が付いて、びっくりして息が詰まって体がこわばる。
「叫んでた……?」
そう言われたら、喉が痛かったのも納得がいく。酸素が足りなくて頭が痛かったのも、痛みや感覚が麻痺していたのも、きっと。詰まったまんまの息で、尋ねてみる。この男は人が好さそうだ。
男は隠していた鼻まで覆うマスクを引き下ろした。見慣れない顔だ。男は低く穏やかな声で、少しだけ笑うと「そうだ」と言った。
「敵さんが集まってこないか、冷や冷やした」
「あんたと味方でよかったよ。助かった。ありがとう」
この男が見つけてくれなければ、俺は確実に殺されていた。敵の銃弾か、飢えか感染か、分からないけれども。無自覚に叫んでいたことにも驚いた。自分にそんな熱量があると思っていなかったからだ。
「いや、気にするな、お互い様だ。こっからは俺の背中預けるんだから、しっかりしてくれないと困る」
男は人好きのする顔を残してマスクを目の下まで引き上げた。同じものを俺も使っている。同じようにマスクで顔を覆った。人の肌の色は紛れるには向かない。
廃屋の崩れかけた壁の隙間から、周囲を観察する。音もなく、動く者も見えない。今の現状では。
「あんた、普段叫ぶような人間じゃないんだろう?」
何でもないことのように男は言った。吹きさらしの風の音に紛れてしまうような、囁き声だ。視線を送って、先を促す。その通りだが、どうしてそう思った?
「いやなんとなく、自制できそうな人間だと思っただけだ。よし、敵は居ない。出るぞ」
手で合図を送って男は音もなく、廃屋から飛び出した。それに続く形で背中を追う。なんとか走れそうだ。視界も明瞭。意識もしっかりしている。これならしばらくは追いかけられると、自己分析する。
周囲に味方が潜んでいるのが分かった。いつでもけん制、応戦できるということだろう。合流した一人から、フルオート射撃可能な拳銃と予備の弾倉をいくつかもらい受ける。これを撃つ時は自分や味方の命が脅かされた時だ。どちらかが、死ぬ。
「あんただったのか、叫んでたの」
顔見知りの仲間だった。深い関係ではないが、世間話をするくらいの間柄だ。眼鏡越しの視線を俺に向けて、息を飲んでから「よかった」とつぶやいた。
心配させてしまったなあと思っていたら、強く抱きしめられていた。一瞬の間、男に抱きしめられた。熱と人の匂い、それから絶対的な安心感。
「馬鹿、戦場でなにしてんだ。帰ってから、存分にハグしろよ」
「すまん、高ぶってしまった。生きて帰ることが先決だ。もちろんだよ」
「お、おお」
男の体温が遠のき、戦場に立っているという自覚をした。拠点まではあと少し。まだ、気を抜いてはならない。
足を引きずって松葉杖をつきながら、拠点内を歩く。やっとこの杖にも慣れてきた。腕のトレーニングにもなっている気がする。
拠点にたどり着いて、息をつく間もなくハグされた。あの男は泣いて喜んだ。仲間を失くすことも多い戦場で、助かってよかったと泣いてくれる仲間がいるのかと、くすぐったく思った。彼の名前はミハイ。故郷に妹を二人残してきたと話していた。青くて済んだ、優しいまなざしの男だ。
あの男を探している。錯乱して叫ぶ俺を見つけてくれた、あの男に会いたい。俺よりも大きな体を持って、広い背中に守られた。俺の肌よりも深い色合いをしていて、優しい夜のまなざしをしている。ミハイはすぐに見当が付いたらしい。拠点の高台になっている医療棟に居るんじゃないかと、教えてくれた。腕も立つし、戦闘においても申し分ないらしい。何だったら恐れられているらしいことも分かった。存外、近くにいたらしい。
苦労して丘に登った。足が二本残っているのにこんなに疲弊するとは思わなかった。息を切らして医療棟を眺める。そっとテントの隙間から覗き込むと、たくさんの人間の気配がした。その間を縫うように歩き回る人間もいる。俺も、先日まではここに居た。うめき声がこだまするような場所。それを励まして強く手を握ってくれた場所だ。
「おおら、換気だ換気! 空気も気分も入れ替えようぜー!」
覗いていたテントのかけ布が少しだけ揺らいで、一気に巻き上げられる。意気のいい声が、一緒に飛び込んできた。
「リョウ助かる、ありがとう」
「だったら換気のひとつでもしてくれよ、兄貴」
あの男が、リョウと呼ばれた男がテントを開け放っていた。そこから覗いていた俺とがっちり目が合う。
「ああ! あの時のおにいさん!」
リョウは大きな体をばっと広げて、俺をハグしてちょっと地面から浮かせた。
医療棟のテントがはためいている。先ほどリョウが開けた反対側も、彼の兄が開けていた。彼の兄、コールは彼よりも背が高く、すらりとしていてその分理知的な印象を受けた。
「たまに覗きに来るんだ。兄貴がここに居ることが多いから。換気も忘れるし、物品だって不足しがちだから、顔見るついでに」
リョウがもってきたコークの瓶を持って、テントの横に並んで座った。貴重品だが、こっそり貯めていたらしい。リョウは慣れた手つきで蓋を飛ばすと、喉を鳴らして飲んだ。
「冷えてたらもっとうまいんだけどなあ」
「とっておきだったろうに、悪いね」
「いや、お兄さんと飲みたかったから気にしないで」
脇に置いた松葉杖を眺めながら、コークを一口煽った。舌の上を甘い刺激が通り過ぎていく。喉元を通り過ぎても甘さは残った。
手にした瓶を弄びながら、リョウはこぼした。
「あの日、見つけられてよかったよ。あの周りは包囲されていた。一つ離れた区画でたくさんの仲間を見たよ。あんた、それ見ちゃったんだろう?」
言い当てられてしまった。その通りだ。
「あいつらの気を逸らすためにけん制しておいて、でも自分の死を目前にしたら怖くなった、んだろうなって思った。確かにあんたの手で半分くらいは減ってたんだろうと思うけど、自分があれじゃ世話ねえな」
さらに厳しい言葉までもらった。リョウは朗々と話す。低い声は、心地よく耳に届いた。
「だけど、俺たちは先発のあんたらがあそこで敵さんの数を減らしてくれて助かった。礼を言う」
人を、殺して殺されて、礼も何もないだろう。だけど、後発した仲間が無事だったなら、それはきっと嬉しいことだ。誰かのために生きられたんだ。
「あの時、弾が尽きて予備もない。仲間もどれだけ生きているのかわからない。弾道で自分の場所はバレている。一気に死が近くなったんだ。あんたの言う通り、世話ねえよ」
ここは戦場で、俺たちはただの駒だ。その中で、奪う命もあれば救う命もある。だから、礼なんて言われるほど大儀なことはしていない。助けてもらったのは、俺の方だ。
「だけど、あの時あんたの声を俺は受け取った。確かに聞いた。恐怖におびえて、確かに受け取ったんだ。俺だって怖かった。いつもすごく怖いんだ。奪うことも奪われることも。だからあんたのことを俺は一切笑えない」
静かに涙があふれてきた。あの日と同じだ。俺はいつから泣き虫になったんだ。感情をコントロールできない。こいつが、生かしてくれてる。
「ありがとう、リョウ」
リョウはひとしきり泣くのを待ってくれた。少しずつ日が傾いて、夜の風が吹いてくる。テントの掛け布は下げられている。今日もまた、痛みに苦しみに包まれるんだろう。少しでも、それが和らいでくれるといいと思う。
俺の背中を飽きずに撫でていてくれたリョウの瞳を覗き込んだ。深い夜の色だ。
「俺の名前は、ノゾムだ」
彼は少し面食らって、すぐに破顔した。嬉しそうにしてから、何度か声に出さずに俺の名前を味わうように繰り返した。
「ノゾム、これからよろしく頼む。俺は」
「知ってるリョウだろう? それでお兄さんはコール」
「言わせてくれよ!」
二人で、並んで笑いあった。もうすぐ夜が来る。こんなおかしな世界で、確かに生きていた。夜空に星が瞬いていた。
叫んで 明里 好奇 @kouki1328akesato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます