5分間。
山村 草
恋の記憶は紫煙の向こうに
即席麺はふやかした状態が好きだ。
だから本来は三分で出来上がるカップ麺をこうして五分待つ事にした。
五分。
タバコに火を着けて、ゆっくりと燻らせ、揉み消すまでの時間。
風呂に入って顔と髪を洗い終わるまでの時間。
歯を磨きながら車のエンジンを掛け暖機運転をする時間。
10時の休憩時間。
ど◯兵衛のうどんに設定された調理時間(実は鍋で茹でた方が麺がもちもちになって美味い)。
吉◯家に入り牛丼の大盛り汁だくを注文し食べ始めるまでの時間(混雑していない時に限る)。
速やかに大便を排出する時間。
朝のミーティングの時間。
五分と言っても色々ある。
湯を入れて二分三十秒が経過した。まだ半分だ。硬めの麺が好みな人は食べ頃だろうが僕にはそれが分からない。歯が悪いわけではない。ただ単に柔らかな食感が好ましいだけだ。だから、とんこつラーメンのバリカタとか湯気通しとか、気が知れない。
五分間という時間はまだ他にもある。
少し長めの一曲の時間。
最寄りのコンビニまで車で行く時間。
車で街中まで出掛けるのにかかる時間の三分の一。
街中に入り市内で唯一の総合病院まで掛かる時間。
その病院に入院していた恋人が死んだ事を、私の母親が連絡してきた時の通話時間。
このカップ麺はその病院の直ぐ側のコンビニで買ってきた。今はその病院とはまるで縁がないがたまたま空腹を自覚した時にその直ぐ側を通り掛かって衝動買いしたのだ。
待ち時間にと燻らせていた一本はもう根本まで尽きていたので揉み消すと残り時間はあと三十秒だった。
本来三分の調理時間の物を五分にしようが四分三十秒で切り上げようが変わりはない。タバコの他に時間を潰せる当てはないので少し早いが食べる事にして蓋を開ける。麺は湯を吸って膨張し湯面は見えない。
これで良い。いや、これが良いのだ。
蓋の上で温めていたスープを入れて割り箸でかき混ぜる。特に拘りもなく手に取ったこれは醤油味だった。化学合成されたようなスープでもその良い匂いに食欲を唆られる。
そして紫煙に紛れていた空腹を思い出す。
当時の事はその時の混乱した頭と時間の経過によって曖昧になっている。
それでもこうして極たまに不意に思い出す事がある。いや、思い出すと言うよりは意識する、と言った方が適当だろう。フラッシュバックとか大袈裟な物ではない。だからと言って気分がいい話ではない。
空腹に任せて麺を啜る。本来よりも倍には膨れているであろう麺は僕好みになっていて、舌で押し潰せば千切れてしまう程柔らかく仕上がっていた。
これが美味いんだ。
誰に理解して貰おうとも共感して貰おうとも思っていない。僕がこれが好きなんだからそれで良いのだ。
好きという気持ちなんてそんなものだ。
だから、喪失感なんて結局のところ自分で落ち着けどころを見つけるしかないのだろう。
空腹の度合いはさほどでもなかったようで大盛り1.5倍を詠うカップ麺を残りあと数口のところで満腹を感じて飽きてきた。
それでも押し込めないこともないと啜りスープも飲み干す。スープは長時間麺に湯を吸わせたせいか少し塩っぱかった。
食べ終えてタバコに火を着ける。
それが店で食うのも即席麺であるのにも関わらずラーメンを食った後にタバコを吸いたくなるのは不思議なものである。別段味が変わるわけではないのに。
吸った煙を換気扇に向かって吐く。
空腹感は満たされ安堵のため息を混ぜて吐く。これで今日の昼飯が終わってしまった。なんとも侘しい休日である。金がないわけでもないので少し良い所に食べに行ったって良いのである。逆に言えば週に一回しかない日曜の昼食時もまた週に一度きりなわけで、そのチャンスをたかだか二百円のカップ麺に消費してしまったのである。
少しだけの後悔が頭を過ぎる。
もう今週の日曜の昼飯は終わってしまった。
食べる時間はやはり五分だった。
僕は、今火を着けたタバコをのんびりと時間を掛けて吸うことにした。
5分間。 山村 草 @SouYamamura
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