6

 僕はしがない大学生だ。

 文学を学ぶために大学にいるし、人生の箸休めのためにもいる。だけど、どうして進学したかなんて、そんな理由は後々からついていくものなのだ。大概の理由とか動機とかいうものがそうであるように。

 そしていま、僕はここにいた。

 夕方、僕は図書館から底を這い出るようにして、地上に出た。鞄いっぱいの本を抱えて、夕陽が射し込む地上階へ。暮れ時のキャンパスには、帰宅のムードが満ちていた。

 だけど、僕らの夜はこれからだった。

 正門前には学生たちが集まっていた。創立者の銅像を目印に、頭髪を金や茶に染めた男女がたむろす。スマートフォンを片手に、あれこれと喚いている。きっとこれから酒を飲む場所を探しているのだろう。

 僕はそれを無視して、図書館の裏手側に回った。そこは建物の陰で、完全に夕日を遮っていた。地べたにはいつのものか分からないゴミが落ち、アリの群れがそれを運ぼうと躍起になっている。清掃のおばさんも見落とすような場所なのだ。

 だけど、そこにもヒトが来る場所はある。小さな喫煙所があるのだ。といっても、円筒型の灰皿があるだけの、本当にちいさな喫煙所だけれど。およそ喫煙者の学生でさえ、ここに灰皿があることを知らないような、ここはそんな空間だった。

 でも、あいにく僕は喫煙者ではない。(常喫という意味でだけど)

 じゃあ、どうしてわざわざ喫煙所に来たか?

 それは、尾けられていたからだ。

 灰皿を起点に振り返ると、そこには何人かの男がいた。スーツ姿で、如何にも屈強そうな逆三角形の体格をしている。痩せこけた文学青年の僕とは真逆で、まるで体育学科から抜け出してきたラガーマンみたいだった。

「椎名カオルだな」

 夕日の陰になってよく見えないけど、浅黒い顔をしていた。歩様はまるでヤクザもの染みていて、その一歩一歩に威圧感を染み込ませているみたいだ。僕みたいな華奢な文学徒なぞ、指一本で十分だとでも言わんばかりに。

「そうですけど。尾行してきて、なんの用ですか?」

「学生部の者だ。一緒に来てもらう」

 ――嘘だ。

 僕にはすぐわかった。というか、誰だってわかるだろう。こんな体格のいい大学職員がいてたまるか。体育会が職員として採用されることはままあるというけれど。でも、彼らは事務方の職員というよりも、警察や軍人、ヤクザの鉄砲玉といったほうがよほどしっくり来るような風貌だった。

「ずいぶん屈強そうな職員さんですね。学生部の方がどうして?」

「いいから来い」

 奥に控えていた髭の男が言った。慎重一九〇センチはありそうで、片手だけで僕を殺せそうに見えた。それに背中に隠していた右手は、まるで銃か刃物でも握りしめているみたいだった。

「どうしてですか? 理由を教えてください。僕、なにか書類の提出とか忘れてました?」

「とぼけるな。おまえがと関わっていることはわかっているんだ。彼女はどこだ? 答えろ!」

「誰のことです?」

「シラを切っても無駄だ。はおまえたちをワザと逃しているが、それももうこれまでだ。データは十分に取れたからな。一緒に来てもらう。警察沙汰にならないだけありがたく――」

 ラガーマン風の男が言い掛けた、そのときだった。

 その首もとがズレていく。赤い液体で奇跡を描きながら、首がゆっくりと、下へとズレ落ちる。ついには頭が落ちて、地面にぶつかり、頭蓋骨が鈍い音を鳴らした。

「なっ……おい、ウソだろ! こんなの聞いてないぞ!」

 一九〇センチの大男が、女のような悲痛な声を上げた。しかしそれも束の間、彼の首も同様に落ちる。重力に押し負けて、頸動脈が裂け、頭蓋骨が破裂する。

 風を切る音、破裂音、赤い血しぶき、夕陽に鮮血が舞う。

 わずか一〇秒。

 そのあいだにすべてが赤く消えた。三人いたはずの大男は消え失せて、そこには肉塊だけが残る。しかし僕はそれを見て、むごいとか可哀そうだとか、残忍だとも思わなかった。

「タルタルステーキだ」

 僕はそれだけつぶやき、そしてすぐ後ろに彼女がいることに気づいた。

 青ざめた膚。黒々と伸びた爪。琥珀色の瞳と、それを覆い隠さんとする衣服。雨貝アズミはそこにいて、タバコを吸っていた。マッチで火をつけて、あの円筒状の灰皿を前にして。

「得意料理だって、そう言ったでしょ?」

 紫煙を吐きながら彼女は言う。

 僕はその言葉を耳に、死体を見つめた。彼女が狩りたくて狩ったものたち。彼女は、こうしないと生きていけないのだ。誰が彼女をこうしたかは知らない。でも、このキャンパスにいるどこかの誰かが、彼女をこうしないと生きていけない人間にしたのだ。誰かを傷つけないといけないようデザインした。

「でも安心して。わたしだって、選んで料理してるから。罪のないヒトを殺すほど、わたしも残酷じゃない。彼ら、すでに何人かわたしの仲間を殺してる。実験動物を殺す係なのよ。そういう仕事をつかまされてる」

「知ってる。そういう言い訳を探すことで、自らが殺したくて殺しているだけの獣ではないと、そう思いこめる……だろ?」

 言って、僕は鞄のなかから本を取りだした。何冊もあるうちから僕が選んだのは、一冊の詩集だった。それも、ウィリアム・ブレイクの『無垢と経験の歌』だった。

「やっぱりやさしいね、キミって」

「僕のことをそう言うのは、きっと雨貝さんだけだよ」

 僕の指から詩集が抜けていく。青ざめた膚が本を取り上げるとき、彼女のその青さはゆっくりと失せていった。

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死に至る自由にキスして 機乃遙 @jehuty1120

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