天穿ちの楼
その楼は、どこまでもどこまでも天に続いていた。この町のどこからでも
楼の中は、螺旋階段が無限に続いているだけだった。無限にというのも、民草が確認できる限り、幾段にも幾段にも続いていたという話らしい。好奇心に駆られた民草たちが、足が棒になるまで螺旋を登って、惜しむらくも途上で踵を返し、転がるようにして地上へ帰ってきて広まったことだ。
楼は石造りで、随所が風化し、膨大な歴史が刻まれていることが窺えた。いつ造られたものなのかは誰もわからないらしい。楼に関する文献の類もない。これだけ巨大な建造物が、全くの謎に包まれたまま今日も明日もそびえていることに疑念を抱くのは、とても自然なことだと思う。
幼少から、事あるごとに言われてきた。
「楼の上には神様がいて、いつも私たちを見守っているのよ。」
父母は勿論、周りの大人たち、同年代の子供たちも、口を揃えて楼への信仰を誓っていた。
「駄目よ、悪いことしたら。楼から神様が見ているんだから。」
――あまりにしつこく言われるもので、段々と疑念が生まれてきた。本当に、神様なんているのか?誰も見たことなんてないのに、どうしてそうも頭ごなしに信じられるのか。不思議に感じられてきた。
その疑問を周囲にぶつけてみたことがあるが、怪訝そうな顔をされるだけで、満足な回答は得られなかった。まるで自分が異端者だと謗られているようで。盲目的に楼を崇拝するのが、絶対的な善であり公明であると、叩きつけられているようで。いつしか、楼への疑念は身辺の人間へのものに転換され、果てには嫌悪へと昇華していった。私にとって、楼へ執心する彼らは気味の悪い存在に思えるようになっていった。
時は経ち、私は大人になって、父母は亡くなった。父母は最期に、それぞれ同じことを言っていた。
「死んだら神様になって、あの楼の上から見守っているからね。」
その言葉のせいで私が顔をしかめてしまったことを、彼らは気付いていただろうか。産声をあげた瞬間から楼に見下ろされ、最期まで楼を見上げて生きる。彼らの目にはあの楼しか映っていなかった。彼らの生は、ずっとあの楼に支配されていた。気付けば、目から雫が零れていた。これは、彼らを悼む雫ではない。滑稽で空虚な生を全うした、彼らの悲劇にあてられたものだ。
私は決心した。あの楼をこの身尽きるまで登り続け、神の存在を確かめることを。途上で疲れ果てて折り返してくる民草どもとは違う。本当の意味で力尽きるまで、彼らが信じた神の顔を拝むまで、決して後ろを振り向かない。もし、本当に神に出逢えたのなら、私のこれまでの醜劣な猜疑を懺悔し、己の在り方を恥じよう。そして、彼らの生が浮かばれたものであったと、私に証明してくれ。
明朝、持てるだけの食料を持って、私は町の中心に位置する楼の前に立った。見上げるとやはり、雲を突き抜け空を突き抜け、天を穿っているように見えた。嫌というほど見上げてきた、もはや私にとって忌々しい楼だ。私はしっかりとその荘厳さを目に焼き付け、内へと歩を進め、螺旋の一段目に足をかけた。
日は落ち、昇り、また落ちた。幾度となく、朝が来て、昼が来て、夜が来て、また朝が来た。どれだけの時間が経過したかを、私は知る術がなかった。その実、一週間でも一か月でも、どうでもよかった。目下の問題は、私の足がもう満足に動かないことと、食料が尽きてしまったことだ。一向に、楼の頂上へ着く気配はない。結局、ひ弱な人間一人の力では、神に会うことはできないということなのだろうか。いや、ここで最も忌々しいのは、神がこの上にいるのかどうかすらわからずに、私の生を放棄することだ。それだけは絶対に避けねばならない。だってそうなってしまったら、私の生は彼らのものよりずっとずっと意味のない、滑稽なものになってしまうじゃあないか。
一段一段、這いずるようにして上る。恐らく、もう私の体は死んでいる。死んだ体を精神で動かしているに過ぎない。それも、長くは持たないだろう。次に意識を手放したときが、私の最期だろう。そんなことを考えていたら、ほら、眠くなって――
――突如として、十数段ほど先に、人影が見えた。霞んだ目をこすっても、その人影が消えることはなかった。いてもたってもいられず、立ち上がって螺旋を駆け上った。
そこには骸骨がいた。楼の外壁に空く方形の穴に乗り出す形で頬杖をつき、どこかうっとりとした表情で下界を見下ろしている。――これは私だ。私のように、この町の人間の在り方に、そしてこの楼に、ついには神に疑問を持ち、ここまで駆けてきた者だ。志半ばで倒れた者だ。私の、これからの姿だ。
私はこの骸骨に、これまでにないほどの強烈な親情を抱き、気付けばその頭蓋を撫でていた。骸骨の視線に沿うように下を見ると、雲がまばらにあり、その隙間のずっとずっと下には、蟻んこほどの家々が並んでいた。この町はこんなにもちっぽけで、私と彼らはもっともっとちっぽけだったんだと気づいた。もう、どうでもよくなってきた。
骸骨を撫でながら、ふと、彼らの言葉を思い出した。
「楼の上には神様がいて、いつも私たちを見守っているのよ。」
――ああ、そうか。神様は、結局人間だったんだ。なあんだ。拍子抜けだ。神様なんて、いなかったんだ。じゃあ、私も神様になれるんだ。これから、なるんだ。でも、そうね。どうせなら、この神様よりもうちょっと上で、みんなを見守ってやろうかしら。
私は最後の力を振り絞って次の方穴まで這い上がり、ちっぽけな町を見下ろしながらうっとりと目を閉じた。
――その楼は、どこまでもどこまでも天に続いていた。
「すみません、私、旅の者なんですがね。あの馬鹿高い楼、気になっちゃいまして。あれ、一体なんなんです?」
「ああ、あれは、天穿ちの楼といいまして。あの楼の上には神様がいて、この町を見守っているんですよ。」
「ほう、なるほど。ありがとうございます。――しかし、本当に神様なんて、いるんですかね? ――ああいや、失礼。忘れてください。」
「――そりゃあ、いますよ。だって、じゃああの楼は一体、誰が造ったっていうんです?あんなもの、人間が造れるはずないでしょう?」
かけがえのない明日のあなたへ(短編集) 平凡ノ助 @heibonnosuke
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