第3話 散兵百騎斬滅後の天然水

寝坊を、した。

夢見が悪かったわけではない。むしろ、胸がドキドキと軋んで、眠れなかったような気がする。

楽しかった! 楽しかった! 楽しかった!

日々の努力は報われるんだ、そんなありえない感情の残滓がここにある。テンションが上がって楽しい気持ちになってしまう。何か心のタガが外れたような気がした。


でも、それはそれだ。イノリは棒時計の先端がぴったり横に来るまで、ここで旅人を待つことが仕事だ。先端がだいたいこの辺まで来たところで、旅人にはランチがふるまわれる。ランチはランチ、味気がないものだ。

イノリが準備を整え終わるまでに、旅人が訪問したことは一度もない。だが、それはそれだ。店番がさぼっている間、たまたま客が来なかった、などという言い訳が通るものだろうか。通るものか! 誰も見ていなくたって、お天道様はちゃぁんと見てるんだ。イノリは叱られない。イノリの仕事は見つからない。だから、自分で自分のメンテナンスをしないといけない。それが、プロフェッショナルというものだ。ビカビカと鈍く光る、黒鋼の強さを手に入れよう。


真っ白な部屋、ふかふかと頼りない絨毯。まるみを帯びたテーブルと一体になった、床から伸びる快適なスツール。それは野生の褐色虎と自分を隔てる檻としては、あまりにも脆弱だった。


ドンドンドン、なんの音。

今日も来訪者がやってくる。


***


ドワルブン・チャンピオン。青年のようにも、壮年のようにも。成年男性。パーマネントのかかった黒髪。隆々たる筋骨の壁。いずれより流れ着いたやもしれぬ、殺戮に特化したフォルム。彼に出会えば、殺される。白い世界に鈴が鳴るような音が響く。


「……名前は?」

「ゴライオン。英雄」


シンプルな名乗り。イノリはとても、怖かった。殺される。殺される。殺される。殺される。ワタシはコレに、殺される。その奥にある感情が、ここから出してと暴れている。口角が、上がる。


「ふざけた名乗りだね」

「俺はふざけているのか?」


せいいっぱいの挑発は、分厚い赤銅の胸板に跳ね返された。芯から意外そうな声音。戦士はふざけたことがない。真面目に丁寧に、そして情熱的に殺してきたのだ。


「飲み物の好みは? なんでもあるぞ」

「雪融け水」

「産地は?」

「南アルペジオ」


戦士は南方の急峻を示した。いつかの美少年に比べれば、手近な望みだ。ここにはなんでも在る。だが、常ならいつの間にか旅人の手元に存るはずのドリンクが届かない。イノリが運ばなければ。それがイノリの仕事だ。


カタカタ


カタカタ


カタカタと。


ゆれる


ゆれる


コップがゆれる。


ワタシハコレニ、コロサレル。コトリ。


「感謝する」

「ありふれたサービスでもうs」

噛んだ。

「……申し訳なく思います」


気まずい沈黙。


「初めていいですか」

「水だ。ただの水だ」


ただの事実。英雄に殺意は必要ない。生きることは殺すこと。

そのように作った。

昼休みが遠い。永い、一日になりそうだった。




*        *        *




執務中。(刑務時間内の殺生を禁止する法律は存在しない。ただし、休憩は認められない。)




*        *        *



イノリは怖かった。こんなに怖かったのは生まれて初めてなんじゃないだろうか。


「エイラムでどうしましたか」

「殺した」

「アルアハドでどうしましたか」

「殺した」

「南方の関所をどうしましたか」

「殺した」

「命乞いをする少年をどうしましたか」

「殺した」

「冬のアルペジオをどう越えましたか」

「殺した」

「助けて」

「殺す」


天を仰ぎたかった。全然適当に答えてないよこの人。でもたぶん、視線を外したらやっぱり殺されるような気がする。イノリはやけっぱちな気持ちになった。


「そんなに殺してどうなったんですか?」

「英雄と呼ばれた」


ぱちくり。イノリは見つけた。ゴライオンにとって、殺害は目的ではない。手段ですらない。過程だ。だから、殺害に至る、そして殺害から始まる因果を辿らねばならない。




*        *        *




執務中。(刑務時間外の残業を禁止する法律は存在しない。ただし、休憩は認められない。)




*        *        *




胸の奥から、酸っぱい葡萄の味がこみ上げる。これは、おいしくない味。イノリはこの味を知っている。苦くてまずい、死の味だ。それでもイノリはあきらめるわけにはいかなかった。ゴライオンの記憶は、ナジールの孤児院から始まる。院は匿名の援助者によって支えられていた。院を代表する女性は、おそらく善良な人物だった。奴隷のしるしが刻まれたゴライオンに、他の子らと同等の愛情を惜しみなく注いだ。


次の記憶は、真っ赤な誓いだ。赤黒い炎と様々な感情の渦の中で、ゴライオンは焼け落ちる孤児院を見つめていた。女性は、ゴライオンと血のつながったそれを救うために、火の中に身を投じた。真っ赤に燃える建物を見つめながら、ゴライオンは力がほしいと願った。みんなを殺す力を。この地獄を作った者たちを滅ぼす力を。


「復讐は何も生み出さないとか、そういうの、ないですか」

「何かを生まないといけないのか?」

「……せんせいは、そんなことを望んでいないのでは、とか?」


しばし沈黙。


「……そうだな、せんせいは、望んでいないだろうが」


それがどうかしたのか、と言わんばかりに。それでも殺さなくちゃいけないんだから、しょうがないじゃないか。イノリは、名前も知らない孤児院のせんせいを少し恨んで、そのあと深く感謝した。コレは、スゴい。昨日よりちょっと成長した今日のワタシじゃなかったら、きっとまた殺されてた。


「システムコール。リクエストプロポジション」


>// Q: 『だぁれ、だぁれ、ゴライオンが殺すのはだぁれ? 一番殺したいのは、だぁれ?』


兵士か。神父か。父親か。皇帝か。殺戮装置が本当に殺したい相手は誰か。間違えたら、きっと殺される。答えられなくても、ぜったい殺される。イノリは、ゴライオンと呼吸を合わせて、すぅ、と息を吸いこんだ。自分がコレだったら、答はひとつしかありえない。胸いっぱいの空気を、音の震えと共に、はき出した。



「「もう」」「「誰も」」







「「殺したくない」」







……。

真っ白に光った真っ白な部屋の中。ふわふわのじゅうたんに広がる真っ黒な染み。

殺しに殺しぬいた英雄は、人の形を残さぬ最期を遂げていた。


これからの後片付けの手間を想像すると、うんざりする。きっと残業代は、出ないんだろうな。だけどイノリはふわふわのモップを汚泥の中につっこみながら、ニヤリと笑った。





「気が合うね、英雄」






Chapter3“Slave/Gladiator”re:corded.

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インタビュー・ウィズ・エンパイア @kiri_nakazato

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