意地悪な騎士の甘い本音

青柳朔

意地悪な騎士の甘い本音

 華やかな夜会の会場の片隅で、ダイナは一人、壁の花になっていた。

 ダイナがこういう場にいるときはいつもそうだ。素敵な紳士が話しかけてきてくれたことなんて、ほとんどない。

 だからダイナは夜会があまり好きではなかった。早く終わればいいのに、とため息を零して時間が過ぎ去るのを待つ。

 しかし近頃は―

「こんばんは、ダイナ嬢」

 騎士服を着た一人の青年が、むっつりと顰め面になっているダイナのもとにやってきた。いつぼさぼさの灰色の髪がきちんと整えられていることに違和感を覚える。

 レト・ミシュカス。ダイナの父が団長をつとめる騎士団の一員である。

「あなた、いつもわたしに声をかけてくるけど暇なの?」

 じとりとダイナに睨まれても、レトはまったく動じない。慣れたというものではなく、この男は最初からそうだった。

 つり目がちで顔立ちのはっきりしたダイナは、ちょっと見ただけでも迫力がある。おかげであまり他家の令嬢たちとは親しくなれていないし、男性は可愛げがないと近寄ってこないのだ。

「付き合いで来ているのでけっこう暇です。でもそれはお互い様でしょう?」

「最低。紳士ならたとえ本当のことでもそんなこと言ったりしないわ」

 ダイナが誰からの誘いもなく、暇を持て余していることは明らかだ。けれどそれをわざわざ指摘してくるこの男は心底性格が悪いと思う。

 いつもにこやかで、一見するとやさしそうなのに。

「これは失礼。……踊らないんですか?」

 レトが会場の中心に目を向ける。そこでたくさんの男女が優雅な音楽に合わせて踊っていた。ダイナほどの年頃の少女ならば憧れやまない光景だろう。

 けれどダイナには縁がない。ダンスは一人では踊れないから。

「……わたしは下手だから足を踏んじゃうもの」

 本当は誘ってくれる人がいないから、ダイナはこうして一人でぼんやりとしていたわけだけど、ダンスが苦手なのも嘘ではない。

「いいですよ踏んでも」

 そう言いながらレトは手を差し出してくる。

 この男はいつもそうだ。夜会で壁の花になっているダイナを見つけては話しかけてくる。よほどのお人好しなのか、暇人なのか、それとも。

 答えを知る術はなくて、いつもダイナはここで思考を止める。

「あなた、そういう趣味なの?」

 足が踏まれるのが好きなのか。世の中には痛みを欲しがる特異な趣味の人がいるらしいということはダイナも知っている。

 それにしても、話しかけられることはこれまでもあったが、レトにダンスに誘われたのは初めてだった。だからダイナは内心ですごくどきどきして、それを誤魔化すようにくだらない質問が口から零れる。

「まさか」

「だって、踏まれたら痛いでしょう?」

「あなたに踏まれたくらいじゃなんともありませんよ。これでも騎士ですから」

 ふわりと微笑むレトを見て、ダイナの心はくすぐられる。

 煌めくシャンデリア。流れるワルツ。色とりどりのドレスを着た令嬢たちと、それをエスコートする紳士たち。その輪の中の一員になったらどんな気持ちだろう。今夜だけでもお姫様みたいな心地を味わえるだろうか。

「だから、踊りませんか?」

 重ねられた誘いに、ダイナは心の中ではくすぐったい気持ちになりながらもなんてことないと平静を装った。

「……しかたないから踊ってあげるわ」

 足を踏まれたって知らないんだからね、と念を押してダイナはレトの手を取る。

 それが、二人がまだ出会って間もない頃の話である。


 次に夜会で顔を合わせたら、レトはまたダイナをダンスに誘った。懲りない人だと呆れながらダイナはその手をとった。

 その次も、そのまた次も、レトは会うたびにダイナを誘う。

 ダイナもだんだん、壁の花というよりはレトのパートナーみたいな扱いになってきて、さすがにこれはもしかして、と少しだけ浮かれた。

 だから父から『おまえの結婚相手はレトがいいのかもなぁ』なんて言われたときは、ドキドキして眠れなかった。

 そうよね、いつも誘ってくるのはあの人の方だもの。それはつまりそういうことよね。ちょっと意地悪なところもあるけど、大抵はやさしいと言えなくもないし旦那様になるならああいう人がいいのかもしれない。別にわたしは彼ことが好きなわけじゃないけど、でも向こうがどうしてもと言うなら考えてあげないわけでもない、なんて。

 天邪鬼なダイナは自分自身にすらそう言い訳して、澄ました顔を装っていた。

 だから、父から聞かされた言葉はまさに青天の霹靂だったのだ。




 淡い緑色のドレスをさばきながらすたすたと歩きながら、一人の少女が騎士団の訓練場へと姿を現した。

 男だらけのこの場で、ぱっと目を引く少女の登場に、騎士の誰もが「ああ」と納得する。動揺したのは新人くらいで、それもあと一ヶ月もすれば他と同じように少女がやってきたことに驚くことはなくなる。

 それくらいその少女が騎士団へやってくることは珍しくなかった。

「レト・ミシュカス!」

 凛とした声で一人の青年を呼ぶ。

 ちょうど新人の訓練にあたっていた青年が顔を上げて微笑んだ。

「こんにちは、ダイナ嬢」

「何を呑気に挨拶しているのよ、あなたいったいどういうつもり⁉」

 穏やかに微笑むレトとは対照的に、ダイナは今にも火を吹き出しそうなほど顔を真っ赤にして怒っていた。

「どういうつもり、とは?」

 首を傾げながらまるで覚えがないとでもいいたげにレトは答える。その余裕ある姿もダイナの怒りに火を注ぐだけだということに、彼が気づいていないわけがないのだ。

「……わたしとの婚約の話を断ったって聞いたわ」

 常ならば愛らしい声音も、このときだけは低く唸るようだった。

 レトは微笑みを崩さないまま、「そのことですか」と答える。

「団長が話したんですね」

「ええ! 父様からぜーんぶ聞いたわ。婚約を打診したけどあなたはへらへらと笑ったまま申し訳なさそうな様子もなく断ったって! わたしだって別にあなたと婚約したいと思っていたわけじゃないけど、こっちにもメンツってものがあるのよ! あなたごときに振られたなんてわたしの矜持が許さないの、どういうことだか説明しなさいよ!」

 つかつかとヒールの音を鳴らして、他の騎士たちがびっくりするのも構わずにダイナはレトに歩み寄った。

 頭ひとつ―いや、ふたつ分はレトよりも低いのに、キッと見上げてくる瞳にはかなりの迫力がある。

「説明しろと言われましても」

「わたしのどこが気に食わないのか言えって言っているのよ!」

 今にもレトの胸倉を掴みそうな勢いのダイナを誰かが止めるべきなのでは、と周囲の騎士たちが少し動揺し始める。

 もともと喧嘩―というよりダイナが一方的にレトに怒鳴り散らしていること―はよくあることだが、今回はどうにも様子がおかしい。

 他の騎士たちは目だけで合図して、彼女の父である団長を連れこようと決断した。こんな破天荒な姿を見た騎士は、可憐なダイナの容姿にときめかなくなる。

「だいたいねぇ、断るくらいならはじめっから気のあるような行動はやめてくれない⁉ この間だってどこそこに行ってきたってお土産持ってくるし、うちに来るときには必ず花とか持ってくるし、珍しく夜会に出ていたと思ったらダンスに誘ってきたり! あなたがそんなんだから父様だってもしかしたらって勘違いして打診したんじゃない。おかげで恥をかいたわ!」

 いやそれって完全にアプローチしているじゃないですか? 誰かがひとり呟いて、あれ、おまえ知らなかったの? けっこう有名だけど、と遠巻きに二人を見ている騎士たちは会話している。

 そう、レトがダイナをどう思っているかなんて、一目瞭然だった。

 だからこそ皆が疑問に思っている。なぜ婚約話を蹴ったのか。やっぱりこんなじゃじゃ馬を妻にするのはごめんってことじゃないの、と誰かが笑っている。普段のダイナならその地獄耳で聞きつけて睨みをきかせるところだが、このときばかりはそんな余裕はない。

 正直、少し泣きそうだ。

 泣きそうだから、ダイナは必死に怒鳴り散らして涙を堪えている。

「団長から全部聞いたんじゃないんですか?」

 レトも少し困惑したようにダイナに問いかける。しかしダイナはキッとレトを睨みつけるばかりで、怒りがおさまる気配はまったくない。

「何よ、あなたが断る理由をはっきり父様に言わなかったから、だからわたしがこうして、わざわざ、聞きに来てやったんじゃない!」

「それ、たぶん全部聞いていないと思いますよ」

 くすくすとレトは笑ったままだ。それがダイナにしてみれば腹立たしい。

(ああ、そう! そっちにしてみれば笑ってしまえるくらいのことだっていうのね!)

 ぎゅ、とダイナはドレスを握りしめて、言葉を飲み込んだ。目の前のこの男は、ダイナがどれだけ喚いても本音を明かすつもりはないらしい。どれだけ怒鳴り散らしても怒りをぶつけても、まったく手ごたえがない。

 この男はいつもそうだ。笑顔の下に本音を隠して、思っていることは言ってくれない。

 どうして声をかけてくれるの、どうしてダンスに誘ってくれるの。

 勇気を出して問いかけたところで、微笑んで誤魔化してばかりだ。

 それはきっと、彼なりに照れているとか、そういうことなのかもしれないと思ったけれど―そうじゃないのだ。レトにしてみれば本当にただの暇つぶしで、ダイナに好意なんて欠片も抱いていなかったということなのだ。

「……もういい」

 声が震えた。泣きそうだからじゃない、怒っているからだ。

 ダイナの青い瞳から涙が溢れそうなのも目にゴミが入ったからで悲しかったり悔しかったりするわけじゃない。断じて違う。

「あんたなんかだいきっらい! こっちだってお断りよ!」

 涙が溢れる前にレトを睨み付けて、ダイナはドレスを着ているとは思えない速度で訓練場を後にした。

 取り残されたレトは、周囲からなんとも言えない目で見られるなか呆然と立ち尽くして、しばし硬直したのち、弾かれたようにダイナを追いかけた。

 ダイナ、と叫ぶ声には茶化すような響きはなく、真剣そのものだ。

「……やってらんね。あれ犬も食わないなんとやらじゃねぇの」

「ほんとだよ、余所でやってくれって」

 はぁ、と騎士たちは溜息を吐き出し「いやいやしかし散々見守ってきたからには、なぁ?」と二人の恋の行方には関心が集まっていた。


 ドレス姿だというのにダイナは全速力は速かった。見事にレトを振り切って……というよりも、訓練場のすぐそばに待たせていた家の馬車に乗り込めば勝ったようなものなのだから反則的ではある。

「ダイナ!」

 馬車に乗り込んですぐ、レトの声が聞こえた。そのことにきゅっとダイナは唇を噛み締める。

(何よ、振ったくせに追いかけてこないでよ)

「お嬢様、よろしいのですか?」

 御者がおずおずと問いかけてきた。

「いいのよ! 早く出して!」

 ダイナの怒鳴り声に、御者は馬車を走らせる。イライラよりも虚しさや悲しさのほうが膨れ上がってくる。

 じわりと浮かんできた涙を吹き飛ばすように首を横に振った。

(あんな奴別に好きじゃないもの! あいつが勘違いするようなことばっかりするから、そう、あいつがあんなだから……気の迷いだったのよ)

 何度も自分に言い聞かせるように心の中で繰り返して、ダイナは馬車の中で膝を抱えた。

 本当は間違いですよ、と言って欲しかった。

 婚約の話を断った覚えはありません、と。

 そうしたらダイナも、紛らわしいことをしないでよ! と怒った素振りをして許すつもりだった。

 あなたはいつも勘違いされるんだから、言いたいことははっきり言わないとダメじゃない、と。父様の早とちりだったのね、と笑ってあげてもよかった。

 でも間違いじゃなかった。

 間違いではなかったのだ。

 レト・ミシュカスは、ダイナとの婚約を断った。上司からのただでさえ断りにくい話を、断ったのだ。

(ひどい男)

 それなら話しかけないで欲しかった。

 ダンスになんて誘わないで欲しかった。

 足を踏んでも大丈夫だなんて、笑わないで欲しかった。

 女の子は夢見がちな生き物だから、だから、悪いのはレトだ。ダイナは悪くない。勘違いするような振る舞いをしたレトが悪い。


 どんなにレトが優秀な騎士であろうと、馬車に追いつけるはずがない。

 ダイナが屋敷に帰り着いたときには彼の姿はなく、当たり前だとわかっていながらそのことが腹立たしくて悲しくて、浮かんだ感情を振り払うように自分の部屋に駆け込んだ。

 唇を噛んでばかりいたせいだから、少し血の味がした。

 ああそんなだから男性に見向きもされないんだと母から小言を言われてしまう。せっかく見つけた結婚相手の候補も駄目だったと父はがっかりしているかもしれない。

(好きじゃない。あんな人、好きじゃないもの)

 枕を強く抱き締めて、ダイナは堪えていた涙をようやく解放した。だってここにはもう誰もいないから泣いても構わない。誰かに泣き顔を見られることはないから。




 夜会になんて、行ったところで、ダイナは誰にも見向きもされない。だから行ったところで意味はないと、ダイナは自分の部屋に引きこもった。

 騎士団の訓練場にも顔を出さなくなった。以前は父に用事があればすぐに出向いたし、気が向いたときは差し入れなんかもしていた。だからわりとダイナの訪問は歓迎されていたのだが、今はそんなものどうでもいい。

 行けるはずがない。だってレトに会いたくないから。

 どんな顔をすればいいのかわからない。いや、顔を見たら怒り出すか泣き出すかしてしまいそうで、そんなことはダイナのプライドが許さなかった。

 泣き顔なんて誰かに見せたくない。泣くくらいなら怒鳴り散らしてなんて品のない女だと思われるほうがマシだ。そういう風に生きてきたから可愛げがないと言われるんだと気づいているけれど、性分からもうどうしようもない。

 しかしそれが許されたのも耐えられたのも半月だった。

 もともと家の中に引きこもっているような性格でもないから、ダイナは少しずつ以前のように過ごすようになった。

 夜会と訓練場は、相変わらず避けていたけれど。

「……父様に、届け物?」

 ダイナが家でお茶を飲んでいると、母が封筒に入った書類を手にそんなことを言ってきた。

「そうなの。うっかり忘れていってしまったんだけど、大事な書類らしいから届けて欲しくて」

「そんなの、誰か他の人に頼んだらいいじゃない」

 わざわざ娘のダイナが行かなくても、使用人に任せればいい。まだ訓練場には近寄りたくなかった。

「それじゃあ届くまで時間がかかるじゃない。あなたならまっすぐ届けに行けるでしょう?」

 騎士団の人間にすっかり顔も覚えられているダイナは、訓練場に行っても今更誰かに止められることはない。使用人となると、どの家の者か、不審者ではないかと確認を受けることになるだろう。

(……どこにも寄らずに団長室まで行けば……会わなくてすむ)

 訓練場の近くを通ることは避けられないけれど、足早に過ぎ去ってしまえば大丈夫だろう。そして用事を済ませたらさっさと帰ればいい。

「……わかりました。それじゃあ、行ってきます」

 母から書類を受け取るとダイナは静かに立ち上がった。


 騎士団に女性はいない。

 だからだろうか、ダイナがやって来ると自然とあちこちから視線が集まる。それにはもう慣れてしまった。

 背筋を伸ばす。俯いたりなんてしない。ダイナは胸を張って父のいる団長室までの道をまっすぐに歩いた。

 心臓は情けないくらいにばくばくと激しく音をたてていた。口の中は渇いているし、手のひらにはじっとりと汗をかいている。

 耳を澄ます。あの人の声が聞こえたらすぐにでも逃げ出せるように。

 自然と足早になった。用事を済ませて一分一秒でも早く家に帰るために。

 団長室までが死ぬほど遠く感じた。以前はこんなに緊張しなかったのに、たった一人にこんなに振り回されている自分が滑稽にも思えた。

 扉の前まで辿り着くと、ダイナはふぅ、と息を吐き出す。呼吸を整えて、なんてことない顔をする。

 コンコン、とノックをして扉を開けた。

「父様? 忘れ物が……」

「ダイナ」

 部屋の中には父がいた。

 そして―

「……ダイナ嬢」

 レトがいた。

 持っていた書類をばさりと落とすと、ダイナは悲鳴を飲み込んですぐに踵を返した。それは反射のようなものだが、レトが呼び止める暇なんてまったくなかった。

(ああもう、ほんと嫌になる! そうよ、訓練場を避けたって父様のところにいる可能性だってあったのに!)

 鉢合わせになる可能性は限りなく低かっただろうが、それでもゼロではなかった。ゼロではないことをダイナはすっかり忘れていたのだ。

「ダイナ!」

 本当に憎たらしいことに、レトは追いかけてくる。ダイナには逃げる理由があったけれど、彼にはダイナを追いかける理由なんてないはずなのに。

 そんな必死な声で名前を呼ばないで欲しい。また勘違いしそうになる。こんなに捻くれた女の子でも、ダイナは年頃の女の子とおんなじで夢を見たくもなるのだ。

 そうして見た夢が、決してやさしいものではなかったと思い知ったばかりなのに。

(追いつかれちゃう……!)

 男と女というだけでも走る速さは違うのに、ましてレトは騎士だ。ダイナがどれだけ速く走ってもその足の速さの差は歴然だろう。

 それでもダイナは早く、もっと早く、と足に絡みつくドレスを引き裂きたくなるくらい必死に走った。

「きゃっ」

 足に纏わりつくドレスの裾が、ダイナのバランスを崩させる。

 転ぶ、と思って覚悟したが―一向に衝撃はやってこない。ダイナの耳に届いたのは、どくどくとうるさい自分の心臓の音と、間近で聞こえる自分ではない他の誰かの荒い息。

「……どうして、そう危なかっしいんですか」

 低い声が耳元で聞こえて、ダイナは「ひゃあっ」と短い悲鳴をあげた。転びかけたダイナを抱きとめたんだろう、レトのたくましい腕がしっかりとダイナの腰に回されていた。

「いや、離して!」

「離したらまた逃げてまた転ぶじゃないですか」

「転んでないわ!」

「俺が防いだからでしょ」

 とにかく離しません、とレトはしっかりと後ろからダイナを抱きしめてくる。ダイナは顔を真っ赤にして、もう泣きたくてしかたなかった。

 だって、好きじゃないならこんなことしないでほしいのに!

(なんなのよ! なんでこんなことするの!)

「やめてよ、誰かに見られたりしたらそれこそお嫁にいけなくなるじゃないの!」

 ただでさえ、夜会でも騎士団でも、どこでもダイナの相手はレトだろ? というのが共通の認識だった。喧嘩ばかりしていたはずなのに、どうしてそんな甘い関係だなんて思われたんだろうか。

 いや、喧嘩なんかではなくダイナが一方的にレトに対して怒っていただけだ。どちらにせよ恋愛関係だと結論づけるにはあまりにも色気がなさすぎる。

「お嫁にいかれちゃ困りますよ」

「何でよ! そんなのあなたにはもう関係ないわ」

 縁談を断ったのはレトのほうだ。今更ダイナの結婚話にとやかく言う資格なんてない。

「関係あります」

「どうしてよ。断ったのはそっちじゃないの。わたしみたいなじゃじゃ馬はごめんなんでしょ。そうよね、男の人はみーんな淑やかで女の子らしい子が好きだものね!」

 レトの腕の中から逃れようとダイナは必至で足掻くけれど、レトはその拘束をますます強めてくるばかりだ。

 ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる腕に、ダイナは混乱しっぱなしだ。

「淑やかな女性には興味ないです」

「ああそう! じゃあ色気のある人が好きなんでしょ!」

「色気はあってもいいですけど、特に気にしません」

 まるで誰か心に決めた人がいるような口ぶりだ。

 そうか、好きな人がいるのか。だからダイナではダメなのか、とひとつの結論を見つける。

「す、好きな人がいるならその人のところへ行けばいいじゃない! わたしなんかに構っている暇はないでしょう!」

 レトにとってダイナは結婚相手とは思えなくても、直属の上司の娘だ。ちょっと性格は悪いけど基本的にお人好しな彼は、ダイナを放っておけないのかもしれない。

 でもそんなの、ダイナにとっては酷な話だ。

「だからここにいるんでしょう」

 ダイナ、と耳元で名前を呼ばれる。いつものレトの声じゃない。甘くて、甘くて、どろりと身体に沁み込んでくるような声だ。

 ぞくりと何か得体の知れないものが背筋を這う。その正体をダイナは知らない。逃げ出したくなったが、レトの腕は今もダイナを捕らえたままだ。

「俺のお嫁さんになってください」

 ダイナからは顔の見れないこの状況で、レトの声は真剣そのもので。

 ダイナを離さないと言いたげに、彼の腕は苦しいくらいに強くダイナを抱きしめてきていて。

 告げられた声は甘くて甘くて溶けそうなくらいなのに、ちょっとかっこわるく語尾が震えていて。

 これが本音じゃないというのなら、何を信じていいのかわからないくらい。

「……俺から先に言いたくて、団長には聞かなかったことにしてもらったんです」

 そんな、ダイナからしたらバカバカしい理由まで律儀に言ってきて。

「だいきらいだなんて、嘘でしょう?」

 問いかけてくる声には不安が滲んでいる。

 なんてことだろう。ダイナよりも頭ふたつ分は背が高くて、ダイナより七歳も年上で、騎士団の中でも有望株で、いつだって笑顔で余裕ありそうなレトが、こんなに弱々しいなんて。

 弱々しくしているのが、ダイナなのだ。

 だいきらい、なんて。子どもの喧嘩の延長のような言葉ひとつで、彼はこんなに不安になるのか。隠されたレトの本音にダイナが悩まされたのと同じように。

(……なんだか、わたしたち似た者同士みたい)

 意地っ張りで頑固で、なかなか素直になれない。

 だからこんなことになるのだ。

 ダイナはいつも強がってばかりで素直になれないけれど、でも今だけは、本当のことを言わなきゃいけないと思った。乙女のプライドも、今はちょっとどこか遠くへ行ってもらおう。そうでなければ、きっとダイナは一生後悔する。

「わ、わたし、天邪鬼だから……」

 ぎゅ、とレトの袖を握りしめる。彼の顔が見えないのは良かったかもしれない。きっと今すごく赤くなっているに違いないから。そんな顔をレトに見せながら本音を告げるには、まだちょっと勇気が足りない。

「わたしのだいきらいは……だいすき、だもの」

 恥ずかしさでどんどん声が小さくなるけれど、レトにはしっかり聞こえたらしい。よかった、と心底嬉しそうな声で笑った。

「ダイナ」

 甘い甘い声が耳元で名前を囁く。そのたびに身体が痺れて動かなくなった。

(い、いつまでこの体勢でいればいいの……?)

 レトに後ろから抱きしめられたまま。彼の腕の拘束はまったく緩む気配がなくて、ダイナからは離れることができない。

「ね、ねぇ、ちょっと離れてほしいんだけど。誰かに見られたらどうするの」

「見られても困らないでしょう?」

 恋人なんだから、と囁く声にダイナは悲鳴を飲み込んで暴れた。

「こ、困るわよ! 父様のところにも戻らないと!」

 届け物の書類を落としたままだ。それにきっと、ここ数日のダイナの気落ちっぷりを知っている父は原因であるレトが追いかけた姿も見ているのだから気が気じゃないはずだ。

「そうですね、戻って報告しないと」

「ほ、報告?」

 緩んだ拘束にほっと息を吐き出しながら、ダイナはレトを見上げた。

「俺たち婚約しますって。言っておかないとダメでしょう?」

 とろけるような微笑みとともに落とされた発言に、ダイナはくらりと眩暈がした。

 普段本音を隠している人が素直になると、心臓に悪い。


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