第5話 僥倖

 昼過ぎからの約束だったのだが、僕は朝からそわそわしていた。いつもより良い目覚めに始まり、朝食も食べ、掃除洗濯をきっちりこなした素晴らしい午前であった。

 

 そして待ちわびた約束の時間。

「お待たせしました」

「いやいや、僕も今来たところです」

まあ少し早く来ていたので待ちはしたのだが。

「じゃあ行きますか。近所のカフェのコーヒーがおいしいと聞いたので」


 僕は兄さんについて歩いた。店に着くまでの間、兄さんはカフェを教えてくれた友人について話してくれた。大学生には珍しく、堅苦しい話し方をする人のようだった。

 またひとつ、この人について詳しくなったところで店に着いた。

 人の多くない小さな店に入り、向かい合って座り、アイスコーヒーを注文した。

「実は僕、あんまりコーヒー飲めないんですよね」

「えっ、すみません強引に連れてきちゃって」

「香りは好きなんです、すごく。飲むのは慣れてないだけだと思うので、僕も飲んでみたかったし、強引なんかじゃ、全然」

「本当?それなら良かったです」


「さて、なんの話をしましょうか」

 コーヒーが来ると、兄さんはそう言った。

「なんのって言われてもなあ……」

 少し考えて、とりあえずどうでもいいことから話すことにした。

「どうでもいい話なんですけどね、一昨日、悪夢を見たんです」

「悪夢ですか、それはまた」

「何かに追いかけられているんです。デパートか何か、建物の中で。なんか謎解きみたいなことをやらされて、階段を駆け上がって、追いつかれるーってところで目が覚めたんです」

「それはまた怖い目に遭いましたねえ」

「よく見る悪夢とか、小さいころありませんでした?僕は森の中を石の巨人に追いかけられる夢ばかり見ました」

「そうですね、私はあまり夢を見た覚えがないかもしれません」

「熟睡できている証拠ですよ、きっと」

「そうですね。比べてあなたは熟睡できていないらしい」

「何とかしたいですね」

「あいにく私は医者ではないので何とも」

 こればかりはわからないね、と笑った。


「じゃあ私の話も、全く関係ありませんが」

といって兄さんは話し始めた。

「私の友人たち、高校のクラスメイトなんですけどね、それがみんな賢くて要領も良くて。この町どころか遠くの賢い大学に行ってしまったんです。私は彼らとずっと一緒にいられるとばかり思っていて、私も彼らと同じ大学を受験しようとしたんです。でもね、合格には程遠い成績で、あきらめる他なかったんです。余計に一年粘りましたけど全然だめで。……彼らのことが大好きだったんですよ。一緒にいたかったんです。皆手の届かないところに行ってしまった。雲の上の人になってしまったようで」

兄さんは寂しそうな表情をしていた。僕も何となく寂しかった。

「でもね、だからね、あなたに出会えたことは僥倖というか、本当に良かったと思っているんです」

「僥倖だなんていわれるとさすがに照れますよ。僕も兄さんに出会えてよかったです」

「そう言ってもらえるのはありがたいですね」

 そんなことを言い交わしつつ、その時僕の思考の半分を占めていたのは長峰の事だった。

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こころと盾とみちしるべ 夏井 @natui_tiyo

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