第11話 鷹鹿の傷跡

 すっかり乗り気になったレイホの耳に聞き捨てならない声が入り込む。

「チョッロ……」

 勢いよく立ち上がったレイホはそっぽ向いている白鳥を捲し立てる。

「おい! 今なんて言った!」

「チョロ助って言ったの、あんた今すぐ神楽チョロ助に戒名しなさい」

「なんだと? それがこれから人類の為に貢献する者に向ける言葉か?」

「何が貢献よ。あんたはまだPRPに提供すらしていないくせに。あんたはまだ単なる変態でしかないわ。部長のように行為を超える大志を抱いてから物事言いなさい」

 また部長のことか、とレイホは組んだ手に顎を載せて微動だにしない鷹鹿を見やると、その高く買われた株を落とそうと試みる。

「部長は……、白鳥のスカートの中を覗いたんですか?」

「そんなこと今関係ないでしょ!」

 白鳥が恥ずかしそうに声を上ずらせるが、レイホはそれを右手で阻み相手にしない。

 即答を避けていた鷹鹿だったが、しばしの沈黙の後、その重い口が開かれた。

「結論から言うと……、見ていない」

 これは関わる女性全て覗いていると思っていたレイホにとって意外な回答だった。では、白鳥を率いれるまで大変だったというのはどういうことなのか。レイホは簡単な相槌を返すのみに留めて鷹鹿の説明を待つ他なかった。

「そうなんですか?」

「俺の鼻をよく見てくれ。僅かに曲がっているのがわかるか? これは白鳥君のかかと蹴りの爪痕だ」

 レイホが鷹鹿の顔をまじまじと見つめると、たしかにそれが見て取れた。

「部長! あの時のことはもう謝ったじゃないですか!」

 白鳥が小さな手を握り締めて声にもその動揺が表れている。そんな白鳥の姿を見て、レイホはこの二人のおかしな関係をさらに問い正す必要があると確信した。レイホにとっては鷹鹿という上級生は単なる変態のレイホの同類でなければならないからだ。例外も特例も認めるわけにはいかない。

「つまり、覗こうとして、失敗した、ということですね?」

 桜咲ちひろのスカートの中身を華麗に覗き見た部長でもそんなことがあるのかと、レイホの内心には喜びがこみ上げてきていた。

「そうだな、白鳥君には三度試みたが、その全てが失敗に終わった。聴覚の優れた白鳥君の背後から攻めたところでこちらに勝ち目などない。今だから言えることだがね。一度目で今とは逆方向に鼻が曲がり、二度目で元通りになり、三度目で今の形になっている」

 ここは笑って良いところではないと戒めるより前に、レイホは抱腹絶倒状態になっていた。

「アハハハハッ! ヒィヒイヒイイヒイー!」

「神楽! あんたふざけてるの!」

 笑い過ぎたレイホが呼吸困難になってようやく息を整え始める。

「そんな怪我まで負ったなら白鳥を逆に障害で通報すればよかったですね」

「いや、三度目でようやく交渉できるに至ったんだ。こちらから通報など考えたこともない」

 レイホはここで鷹鹿の言動に違和感を覚える。それは女子に抵抗と偏見を抱えるレイホだから気づき得た違和感だったのかもしれない。

「でも、なんで部長は勧誘するなら初めからそんなことせずに普通に勧誘しなかったんですか?」

 レイホが自然と口にした普通という言葉が、この場には似つかわしくなかったと、レイホはすぐに後悔することになる。普通ではない者が集まった空間で、なぜ一般論など唱えられようか。

 その問いを受けた鷹鹿の冷徹な瞳には不穏な微粒子がうごめき始める。鷹鹿は俯き加減で重苦しそうに答えた。

「俺はな、レイホ君……。昼間の行為をした女子としか会話したことがないんだよ」

 鷹鹿の心の声を聴いたレイホは慙愧の思いに打ちひしがれ、先程までの笑みなどは消え去っていた。鷹鹿もまたレイホと同じように普通に女子と会話ができるタイプではなかったのだ。なぜ、スカートの中身を確認するとしゃべれるかは捨て置き、白鳥を勧誘するために負傷してまで会話を試みた鷹鹿の只ならぬ信念というものを、レイホは白鳥ほどではないにしろ感じ取ることができた。

「あんただって似たようなものじゃない……」

 白鳥が吐き捨てるように言ったそんな言葉にも、レイホは返す言葉が見つからなかった。鷹鹿にどんな過去があってそのようなことになってしまったかは知らないが、そうなってしまったことを責める権利はレイホにはなかった。

「ごめんなさい部長……」

 レイホがそう言って軽く頭を下げると、鷹鹿は手を三度叩きながら威勢よく声を上げた。

「ほら! こういった話はこの辺にして本題に移ろうか!」

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