犬に首輪
▼side.Dog
父親の犬として生きてきたこと、人へ暴力を振るってきたこと、飾さんを大激怒させたこと、小関に心配をかけたこと。
私が今まで生きてきた中で強く記憶に残っていることはいくつかある。ただ、何をどう振り返っても、人生でこんなにも後悔したことはなかった。
――宮村理緒ちゃん、俺、君のことが好きです。
まさか、そんなこと。
宛てもないのに走り続けた。
動いていないとおかしくなってしまいそうだった。止まった瞬間、身体に籠った熱が爆発してしまいそうなのだ。どこどこ、と心臓は動揺を知らしめるように荒ぶっている。
――いつからかは分からないけど。きっと、ここで助けてもらったあの日から、宮村ちゃんは俺の特別で。
やめてやめて、ああ、もう。和屋の馬鹿。
小関に借りた漫画には描いてなかった。小関の妹だって「好きな人と思いが通じるなんて幸せなことしかない」って言ってた。
それなのに、どうして、こんなに痛いんだろう。
身体に染みついた習慣というものは、普段は忘れていてもふとした瞬間に顔を出すものらしい。
私の足はよくよく飾さんと喧嘩に明け暮れた路地裏へ向かっていた。駄目だ。ここでは和屋に見つかってしまうかもしれない。
角を曲がって広い通りに出よう、と明確に目的地を設定したところで、目の前には気だるげにたむろする集団があった。
「あ?」
和屋ではないが、面倒なのに見つかってしまった。
普段なら周りの音にも気を遣っているし、こんなヘマは犯さないのに。今は素行不良たちに構う余裕なんて微塵もなかった。
駆け抜けてしまえ、という楽観的な判断を嘲るように、円を描く五人のうちの一人が「お前! 飾とつるんでる女!!」と高らかに叫んだ。それを皮切りに回りの奴らも、私の認識を”突然現れた女”から”不条理な暴力女”に変えたのが目つきで分かる。
どうしよう。
喧嘩をする気はない。であれば、このまま突っ込むよりも今来た道を戻るのが正解ではないだろうか。でも、それじゃあ和屋と鉢合わせるかも。
ああでもない、こうでもないと試行錯誤しているうちに、制限時間は尽きていた。
「宮村ちゃん!」
ああ、きらきらしてる。
私が向かう進行方向から、不良たちの間を分け入って来たのは、紛れもなく和屋司だった。どうやら、私の行動なんてお見通しらしい。
「走って!!」
和屋はぶつかるように私の手を取った。
そうして、そのまま路地裏から逃げるように走り去る。どうしたって私よりも足が遅いのに、一生懸命に私を引っ張る背中に目頭が熱くなった。来てほしくなかった。来てくれると思っていた。
握られた手から安心と不安とがごちゃ混ぜになって伝わってしまわないだろうか。
近くの大きな公園に入って、ようやく走る速度が落ちる。
頭が真っ白な私はすぐに気づけなかったが、私が絶賛情緒不安定でいた頃に和屋に拾われた公園だった。
「へ、平気?」
「あ、ああ、うん」
平気ではない。
だが、どちらかと言えば、和屋の方が平気ではないだろう。大きく肩で息をする和屋は、その辺の木に寄りかかるようにへろへろと座り込んだ。
どうしよう。
ず、と靴裏を後ろに滑らせる。
「に、逃げないで!」
ぐったりとしていた和屋はわっと飛び上がり、私の両手を掴んだ。座ったまま、私を見上げる和屋は情けなく眉を下げ、ぐっと唇を引き絞っている。
「お、俺のこと、嫌いになっちゃった?」
「そんなわけ、ない」
そんなこと、あるわけない。
和屋への気持ちがたくさんありすぎて、こんなに困っているというのに。
「じゃあ、付き合うの、嫌だった?」
違う。嫌じゃない。嫌じゃないけど、苦しい。
「その……、わ、私には、上手く恋人を出来る気が、しなくて」
和屋には絶対にもっといい女の子がいる。私なんて暴力を振るうだけの犬なのだ。どれだけ矯正しようと頑張っても、今までの行いが消えるわけじゃない。
愛を知らない枯れた生き物。
そんな私がみんなに愛される和屋の隣に立つなんておこがましすぎる。
和屋は「そんなことない」と力強く声を張った。まるで心の声まで聞かれてるかのようだった。もしかして、顔に出ていただろうか。
ぐっと手を引かれ、私はその力のままに膝をつく。
座って向い合うと、目の前に和屋の顔があった。
いつ見ても綺麗な顔の男だ。私が平手打ちしなければ、頬が赤く腫れていることもなかったのに。
やはり、私は和屋にはふさわしくないと心がしゅんとした。
「俺も彼女いたことないけど、恋人に上手いも下手もないと思うよ。宮村ちゃんが気持ちをくれるだけで十分、傍にいてくれるだけで満足」
和屋の手が私の手のひら、指と這い上がっていく。最後にはするりと指を絡めとられた。傷のない綺麗な手。ぴたりとくっついた肌から伝わる温度に心臓がばくばくと暴れ始める。
こんな甘やかな触れ合いを私は知らない。
「宮村ちゃんが嫌なら諦める。でも、そうじゃないなら、俺の傍にいて欲しい。いっぱい好きって伝えるし、好きになってもらうように頑張るから」
窺うようにする和屋の瞳に映った私の顔は、見たことないくらいに情けなかった。じわじわと顔に熱が集まってくる。
和屋はすごいやつなのかもしれない。こんな風に言葉で想いを伝えてくれて、それだけで私を幸せにしてくれるのだから。
恥ずかしい。嬉しい。苦しい。このまま溶けてなくなってしまいたい。それくらい熱くて仕方がなかった。
「私といても楽しくない」
「俺は楽しいよ」
「友達もいない」
「俺は恋人枠に移動するけど、小関がいるじゃん」
「またひっぱたくかも」
「その時は手当して」
「後悔する」
「誰が? 俺は絶対しないし、宮村ちゃんには俺がさせない」
……完敗だった。
「よっ……、よろしく、お願い、しま、す」
「――っ、俺の方こそ!」
繋いだ手が引かれる。
背中に回った和屋の手がぎゅっと私の身体を抱き締める。心がいっぱいだった。首筋をくすぐる和屋の髪の毛がくすぐったい。
それから、和屋は私の両肩に手を置き、見つめ合うように距離を取る。
和屋の目がそっと伏せられ、私の唇を見ていた。普段からは考えられない色っぽさにくらくらする。知らない顔。
反射的に手が動き、私はぱ、と指先で自分の唇を隠した。それでも、ぐいと身体を寄せる彼は止まらず、指先越しで私と和屋の唇が触れ合う。
なんだこれは。
どうしようかと考えているうちに、彼の伸ばされた舌が指の合間を這いずり、隠した唇を求めようとしていた。ぺろ、と舌先が唇の隙間を分け入ろうとする。
手が出たのは、不可抗力だった。
「うっ――、宮村ちゃん」
平手打ち。
またやってしまった。顔から血の気が引いていくのが分かる。さっきまで爆発しそうに赤かったはずだが、今は青っ白い顔をしているだろう。
「いや、その、悪い。本当に私、あの」
「そのうち慣れるでしょ。これから先、ずっと一緒だから」
また暴力を振るってしまった私の手を取り、和屋は楽しそうに笑う。朗らかな姿はいつもの眩しい彼だった。
優しすぎて、温かすぎて、涙が出てくる。
ああ、好きだな。
「和屋」
「ん?」
「好き」
私の大切な恋人は、今度こそ私の唇にキスを落とした。
――やっぱり和屋は太陽みたいだ。
完
犬と太陽 真名瀬こゆ @Quet2alc0atlus
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。