太陽は輝く

▽side.Sun


 思い立ったが吉日。

 一度吹っ切れてしまえば、俺に絡まるものなど何もない。いや、ファンの視線だとか、事務所の厳しい言いつけとか、障害はあるんだけれども。でも、それで駄目になる仕事ならやめてしまえと思えるくらいには、俺は決心がついていた。

 俺はまだ高校生だし、これから先の将来、モデルで食べていくかどうかの選択なんて考えたこともない。好きな仕事だな、俺に合ってるな、ってだけ。だから、言い切れる。

 好きな仕事よりも大好きなあの子を優先したい、と。


 意気揚々と約束を取り付け、はやる気持ちで迎えた放課後。駅までの道のりを行く俺の足取りは軽々としている。

 びりびりする緊張とどきどきの興奮と甘々な恋心を混ぜて、こねて、固めた俺は自分でも分かるくらいに挙動不審だった。背中を流れる冷や汗が気持ち悪い。

 しかし、俺の浮ついた気持ちは、彼女と顔を合わせた瞬間にどこかへ飛んでいった。


「……宮村ちゃん、なんかあった?」


 俯く宮村ちゃんの顔は浮かないものだった。さっきまでの俺とはまるで正反対。

 もしかして、他に大事な用事があったのだろうか。でも、彼女は拒否というか拒絶の出来る女なので、そうであればここにはいない――はずだ。

 挨拶よりも先に口を出た質問に、宮村ちゃんは「いや」とこれまた珍しくもごもごとした曖昧な返事を寄越した。え、本当にどうしたんだろ。


「体調悪い? 今日は止めとく? 家まで送るよ」

「悪くない。何でもない」


 顔を覗き込むようにすれば、ぺしり、とおでこが柔らかな力で叩かれる。全然痛くない。気安い触れ合いに俺の心はきゅうとかよわい悲鳴を上げた。


「……離れて」


 ちらり、と宮村ちゃんは横目に俺の顔を見て、すぐにつんと顔をそむけた。俺の目の前には彼女の小さい耳。その耳から頬にかけてをうっすらと染める桃色が、俺の心を揺さぶる。可愛い。近すぎるのは恥ずかしいのか。俺の口からは「ひう」と心に留めておけなかった情けない悲鳴が上がっていた。

 彼女の落ち込んだように見えた様子はすっかりなくなっていたので、俺は「具合悪いならすぐに言ってね」と言うだけに留め、彼女の手を取った。びく、と彼女の肩がこれでもかと跳ねる。

 手を繋ぐのは初めてでもないのに、なんだかつられて俺まで気恥ずかしくなってきた。季節は秋でもまだ夏の名残りがあって、ちょっとばかり暑い。でも、絶対離してあげない。


「どこ行くの?」

「内緒」


 半歩先を行く俺に引かれ、宮村ちゃんは黙ったままでついてくる。会話はないけれど、空気が悪いとは感じなかった。

 ふと、顔を上げればファッションビルに掲げられた広告の中で笑う俺と目が合う。さすが和屋司、いつ見てもかっこいい。カメラの前で着飾った姿でいることも本当に好きなことだけど、それでも――そこに居たら、宮村ちゃんに手は届かない。

 彼女に気づかれないように後ろに振り返れば、彼女も俺がしていたように広告の俺を見上げていた。その目があまりにも優しくて、泣きたくなる。

 俺はやっぱり彼女の隣に立っていたい。


 思いついたように一言、二言と言葉を交わしながら、ゆっくりと歩く。俺たちだけ時間の流れに取り残されているかのようにのんびりしている。心地の良い空気感に対して、心の中は飛んで跳ねての大騒ぎだけれど。

 心臓の音どころか、血管を通る血液すら音を立てている感覚。指先から宮村ちゃんへ、何もかも伝わってしまわないだろうか。かっこ悪い動揺は伝わらなくていいけれど、好きって気持ちは伝わってくれればいいのに。


 目的地は歩いてすぐのところだ。俺の家の近所にある住宅街へと続く道。街路樹に囲われた変哲のない歩道の途中で、俺はぴたりと足を止めた。

 宮村ちゃんも俺にならって足を止める。無言のままに立ち止まったのに、動体視力にも運動能力に優れる彼女はたった半歩の猶予でも、俺の背中にぶつかるような失態は侵さなかった。


「ここ、懐かしいよね」

「……? 来たことあった?」

「俺が初めて宮村ちゃんに助けてもらった場所だよ」


 あの夏の日に、救世主が現れた場所。

 宮村ちゃんはきょとんとして、それから周りをきょろきょろと見回した。この景色がどうしたって記憶にないのだろう彼女は「よく覚えてるな」と感心したように呟いた。

 俺にとっては衝撃の一幕だったのだから忘れることの方がありえない。けど、あの時の宮村ちゃんにとってはほんの些細な気まぐれだったに違いない。俺の顔を覚えていてくれただけで奇跡だったのだ。

 あの日から何年も経って、こうしてここに二人で立っている。


「ねえ、宮村ちゃん」


 宮村ちゃんと対面するように身体の向きを変え、繋がった手に力を込めた。汗ばんだ手がしっとりと彼女の肌に吸い付くようで、僅かな隙間も許さない感触に心が満たされる。

 俺を見上げる彼女の瞳には、愛に溺れた情けない男が映っていた。


「宮村理緒ちゃん、俺、君のことが好きです」


 この気持ちはどこへ辿り着くだろう。

 一度、口火を切ってしまえば、言葉は止まらない。俺、宮村ちゃんが大好きだよ。何も分からない宮村ちゃんも、これから知っていく宮村ちゃんも、全部欲しい。

 お腹の底がぐずぐずと熱くなってきた。


「いつからかは分からないけど。きっと、ここで助けてもらったあの日から、宮村ちゃんは俺の特別で――」


 次の言葉を、と急く心のままに出していた声が途切れる。自分の意思で止めたのではない。

 破裂するような音。


「ふぇ?」


 え、なんで、頬が痛い。え、痛い痛い熱い痛い。

 激情を訴え始めた頬に手を当てる。内側の歯まで違和感があった。あれ、俺が握っていた彼女の手はどこに――?

 生理的に浮かんできた涙に滲んだ視界でも、目の前に立つ彼女の姿は鮮明に見えた。

 小さな顔は真っ赤に染まり、眉はこれでもかと吊り上がっている。振りぬいた手に、俺の頬を強襲した原因を理解した。

 それから、頬を伝う涙。


「宮村ちゃ、ん?」


 泣いてる?

 まだ状況が呑み込めない俺がゆっくりと瞬きをすれば、目を覆っていた涙の膜が静かに零れ落ちた。なんていう状況だろう。向かい合って泣く男女。男は女にビンタされ、頬を押さえている。

 こんなの、まるで、まるで――、別れ話じゃ……。


「――!」


 宮村ちゃんは呆然としている俺を見て、はっとするとくしゃくしゃに顔を歪めて走り去ってしまった。今日の宮村ちゃんは、見たことない表情ばかりする。

 ちょっと待って、といくら心で叫んでも聞こえるはずもなく、頭では分かっているのに声が出ることはなかった。金縛りがかけられてしまったかのように身体が動かない。

 走り去る背中を見つめながら、俺はここに辿り着いたところから脳内で記憶を再生していた。何をどこで間違えた? そもそも間違えたのか?


 ――逃げ、られた?

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