君は私の救世主

すぐ目の前にあるもの

▼side.Dog


 あの夏の事件は何かを変えてしまうものだった。私にとっても、和屋にとっても。

 結局、和屋は一度も病院へ見舞いには訪れなかった。特に連絡を取り合うこともなく、どちらからも何のアクションもないまま時は流れた。

 夏も終わるのではという頃、私は父からの苦言に背中を押されるように退院した。そして、過去と決別し、欠けてしまった日常へと飛び込んだ。


 和屋と私とが再び顔を合わせたのは、道端でばったりと出くわす偶然だった。偶然、とは私の感想であって、和屋の隣にいた小関は得意気にしていたから、絶対に奴の差し金だったのだが、特に言及はしなかったと思う。

 実はその時のことは、あまり良い記憶ではないのでよく覚えていない。


 入院中、小関に妙なことを言われたのが発端。大量の少女漫画を読まされ、あろうことか小関の妹まで見舞いに現れ、恋愛ごとのあれやこれやを吹き込んできたせいで、めでたく、私の頭には新しく”恋愛”というカテゴリが作成される運びとなっていた。

 そして、私の意中の相手というものが、あの和屋司であることを知ったのだ。


 自覚も知識もある状態で、和屋とのご対面。

 私は完全に動揺していた。いざ、その顔を見た時、私は彼と真っすぐに対峙することができなかったのである。

 素っ気ない挨拶と、体の大事を確認するような当たり障りのない話をして、私たちは早々に解散した。小関の悔しそうな顔だけはよく覚えている。


 あの時、私は自分で手一杯だったが、帰り道、ふと、和屋こそおかしかったのではという点に行きついてしまった。

 どれだけ彼のことで頭を一杯にしているのか、と言われてしまえば恥ずかしい限りだが、それでも、気になってしまったものは仕方ない。私の知っている和屋はあのような場所であのように遭遇をした場合、あんな言動はしないはずだ。絶対。

 その理由も分からない。

 さらに顔を合わせずらくなってしまった。


「理緒」

「……なんですか? お義姉さん」


 退院してからというもの、私は家でも真面目を突き通している。

 私が暴力を手放し、素直に言うことを聞くと確信した父は、義母と義姉に私の矯正を止めるように指示した。退院から、悪いことばかりではなかったというわけである。

 しかし、更生作業がなくなったのと、仲が良くなるのはまったく別の話だ。義姉が私を呼ぶときの用事は良い話である試しがない。

 御使いに行ってこいだの、買い物の荷物持ちをしろだの、お菓子が食べたいだの、勝手にしてくれといった用件ばかり。


「あんた、司君と知り合いなのよね?」

「え?」

「前にお茶してたことあったでしょ」

「ツカサクンというのは、――」

「司君って言ったら司君よ! モデルの和屋司君!」


 和屋とお茶なんて数えきれないほどしている。

 義姉と三人で顔を合わせたことなんてあっただろうか。はて、と記憶を掘り起こし始めたところで、義姉は自ら「あんたが中三の時の冬!」と答えを述べた。

 随分と前の話を持ち出してきたな。よくもまあそう覚えているものだ。言われてみれば、確かにそんなことがあったかもしれない。


「それがどうかしましたか?」

「司君との間を持ちなさいよ」


 知ってる。このパターンは小関に借りた少女漫画で見たことがある。私に使い勝手の良いお助けキャラになれということだ。


「司君だって私のこと気になってたと思うの!」


 それは、どうだろうか。

 あの時、和屋は義姉にどんな態度をとっていたか覚えていない。しかし、少なくとも気になるの意味は彼女が思っているのと、彼が感じたのものでは違う気がするが。


「お義姉さんは和屋が好きなんですか? お付き合いしたいんですか?」

「勿論!!」

「どこが好きなんです? 昔に会ったというのもたった一瞬のことでしょう? それでどうして恋人に関係を発展したいという欲が生まれるんですか?」


 私にとって恋愛は未知で謎だ。

 世の中には一目惚れというものもあって、目が合った瞬間に電撃に打たれることもあるらしいが、それが恋愛感情だと何が判断するのだろうか。もしかしたら、前世で親を殺した仇の生まれ変わりだとか、もっと因縁めいた運命を感じているのではないだろうか。


 義姉は私の矢継ぎ早の質問にきょとんとした顔をすると「やっぱりあんたって枯れてるわ」と呆れたように吐き捨てた。貶されているのは分かる。同じ言葉を小関の妹からも頂戴し、その上、どんな意味でそう言っているかの解説までしてもらっている。

 枯れている、と称されるのは受け入れよう。

 では、どうすれば枯れていなくなるのか。私が和屋を好きな気持ちと、義姉が和屋を好きな気持ちは一緒なのだろうか? 本当に? 重さが違うと感じるのは、私の自己陶酔?


「あんたみたいに愛されないで育つとこーんな枯れ木になるのかしら」

「……」


 愛されて育つ、とは。


「……私には”愛”がよく分かりません。私が父の犬として生きてきたのは、父が私を愛していたからではなかったのでしょうか。私が父を愛していたからではないのでしょうか。私は父に大事にされていたのではなかったのでしょうか。私は父を大事にしていたのではないのでしょうか」


 私が今日まで生きてきた中で、私の傍らに愛は存在しなかったのだろうか。そんなはずない、と思うのは、希望なのか、現実なのか。

 飾先輩や小関は、私をどう思っている? 父は? 和屋は?

 義姉は引きつった口元を隠すこともせずに「……何意味わかんないこと言ってんのよ、気持ち悪い」と吐き捨てた。

 確かに、私は何を言っているんだろう。


 ――義姉は私の目から見ても義母から溺愛されている。愛されて育った義姉さんに私の気持ちが微塵も分からないのなら、やはり私に愛は程遠いものなのかも知れない。


*****

▽side.Sun


 宮村ちゃんとの距離がおかしなものになってしまった。

 そりゃあ、顔を見れば話しはするけれど、彼女がなんだかおかしいのは隠し切れていない。異様にしゃべるのだ。まるで隠し事をするように、誤魔化すように、間をあけずに言葉を紡ぐ。

 俺が頑張ろうと決めた途端これである。カザリサンに出鼻をくじかれ、大好きな人は別の男が好きな上に様子がおかしい。なんてこった。


 最初はお見舞いに行かなかったことを怒っているのかと思ったけど、彼女がそんなタイプではないのはよく知っている。しかも、俺の不安を煽るように、宮村ちゃんから小関への態度は普段通りなのだ。むしろ、前よりも仲が良さそう。

 好きな人だけは特別に、ってことなの? それ以外は目にも入らないの? へこむ。


「最近、宮村も和屋も元気がないな」


 今日は小関に常連のファーストフード店に引っ張ってこられていた。ここの良いところは、個室型に壁で区切られた席があることだ。もはや有名人である俺は見つかればすぐに囲まれる。下手するとそのままファンサービスに勤しむこととなり、休日とは、と頭を抱えるはめになるのだ。応援してくれるのは本当に嬉しいんだけど、オフはオフということでご勘弁願いたい。


 小関とはたまに遊びに出かけるが、話をすることが目的のお出かけは珍しい。

 シェイクにささったストローを咥えたままの小関は「宮村と喧嘩でもしたか?」とのんびりした口調で尋ねてきた。


「いや、喧嘩はしてないけど」

「じゃあ二人揃ってどうしてそんなに覇気がないんだ?」


 俺が聞きたいよ。


「俺は普通。でもなんか、宮村ちゃんが変。口数多いし、なんか距離とられてる気がする」

「変? 宮村が?」

「変。宮村ちゃんが」


 俺は言葉を吐き出す度にポテトへと手を伸ばした。何か手を動かしていないと落ち着かない。

 小関が俺たちの異変を感じ取ってくれたのは嬉しいが、彼女のことを彼に相談なんてなんだか複雑な気分だ。


「小関こそ、また喧嘩? 最近、ずっーと怪我してるじゃん」


 話を変えるにはわざとらしかっただろうか。でも、本当に気になっていることでもある。

 今までは宮村ちゃんがカザリサンに悪いことさせられてる、って思ってたからカザリサンと喧嘩してたみたいだけど、今や二人の仲は絶縁状態だと聞いている。

 小関はあまり喧嘩が強くないにもかかわらず、路地裏で正義の味方をしがちだ。にしても、ここのところの小関はどこかしらに必ず手当てされた痕跡があり、無傷の姿を久しく見ていない。


「ああ、飾さんに勝つにはまだまだ時間がいる」

「――っはあ!? まだカザリサンと喧嘩してんの!? なんで!?」

「宮村のことは飾さんが勝手に終わらせただけで、なにも解決していない」

「え、いや……。俺、その辺の関係性よく分かってないんだけど、でも、喧嘩続けるのは違くない?」

「宮村はもう関係ない。今は僕と飾さんの問題だ」

「意味わかんない。一回、殺されかけてるのに? やめときなよ」

「それじゃあ、飾さんは誰が助けるんだ」


 いやいや、俺はカザリサンを救済対象だと思ったことがないよ。

 俺の大事な友達二人を半殺しにした狂人、俺の心を高笑いでへし折った奇人。彼への評価はそんなもんだ。

 絶対やめておいた方がいいと顔に出す俺に、小関は「僕のことはいい。今は和屋と宮村の話をしてるんだ」と話を強引に元に戻した。ちぇ。


「あのさ、小関――、」


 ――俺、宮村ちゃんが好きなんだ。

 言うと決めていたのに口が重い。

 小関が宮村ちゃんを好きだったとしても、彼はあっけらかんとして俺の気持ちを肯定してくれるだろう。そういう奴だ。もし、小関が宮村ちゃんを何とも思っていないのなら、牽制にもなるし、協力をしてもらえるかもしれない。

 ただ、どうしてもそれは少しずるい気がする。

 俺は宮村ちゃんが小関を好きなことを知っているのに。


「和屋?」


 恋って難しい。


「あのさ、小関――」


 駄目だ。うじうじしていても、仕方ない。

 俺はぱちん、と自分の頬を叩いた。わざとらしすぎるほどの気合の入れようであるが、それくらいの勇気が必要だったから。


「こ、小関は宮村ちゃんのこと、いいなって思ったことある?」


 覚悟を決めた声は少しだけ震えていて早口だった。あーあ、どこまでも格好がつかない。

 そわそわする俺に対して、小関は不思議そうな顔で「いいな? 羨ましいという意味でか?」と首を傾げる。


「あの腕っぷしの強さは多少憧れるな」

「そうじゃなくて! つ、付き合いたいとか、そっちの――」

「それは和屋だろ」


 俺の勇気は華麗に打ち返された。秒も待たずに突き返された言葉は完全にホームランで、俺の思考は早くも迷子。

 声も出ない。ただ驚いた顔をするのが精一杯。

 脳内で慌てた悲鳴を上げた俺の考えなど分かったものだ、と言わんばかりに小関は訳知り顔でうるさくシェイクを啜る。何そのすかした顔は。


「和屋は宮村が好きなんじゃないのか?」

「え、いや、宮村ちゃんのことは好きだけど――」


 やば。口が滑った、と口元を押えても音になった声は戻らない。

 恐る恐る小関の表情を窺い見てみるが、あっけらかんとした顔とした小関は当然のように「なら、なんで彼女に好きって言わない」と正論をぶん投げてきた。


「なんでって……、え?」

「僕はいつまでじれったい関係を見せつけられているのかと思っている」


 小関が飲んでいるものはバニラシェイクでここはありふれたチェーン店の一席であるのに、彼の佇まいはまるで深窓に腰掛け、悠然と紅茶を嗜む貴族様みたいである。

 というか、何、どういうこと。

 小関は俺が宮村ちゃんを好きだって知ってたってこと? 俺、そんなに顔に出てた?


「いや、でも、宮村ちゃんは、小関のこと、好きだし……?」

「は? 宮村が僕をか? あるわけないだろ」

「なんで?」

「なんで、って……」


 目を丸くした小関は俺の言葉に疑問符を溢れ返させている。

 その顔をしたいのは俺の方だ。小関はなんでそんな自信満々で否定の言葉を口にできるのだろう。


「なんでそんなこと思ったのかは知らないが、僕と彼女は本当にただの友達だし、どれかと言えば僕の立ち位置は二人の相談役だ。違うか?」


 さっきまで頓珍漢な受け答えをしていたはずの友人が急に知らない人に見えた。

 嘘をついているようにも、見栄を張っているようにも見えない。小関はさもそれが当然であろうとばかりの口振りで呆れている。


「……いや、待て、察しがついた。その事実無根を突き付けてきたのは飾さんだろう」


 小関は俺の知らぬうちに探偵にでもなったのだろうか。

 確かに情報の出所はその通りだったのでゆっくりと無言で頷けば、小関は重苦しいため息とともに眉間を押さえた。皺の寄った顔はあまり見ないもので、「まったく、あの人は」と呟く声には多分に疲労感が含まれている。

 なんなの。小関とカザリサンって実は仲良しなの。


「あの人が何を言ったか正確には分からないが、宮村と仲の良い和屋を妬んで捻くれたことを言ったんだ。宮村が僕を好きだなんて嘘だぞ」


 俺の頭は数分前からポンコツ状態で、上手く回っていないのが自分でも分かる。

 小関とカザリサンのどちらを信じるか、と問われれば迷う間もなく前者を信じる。ということは、宮村ちゃんの恋の話はカザリサンの作り話ってことになる。そして、小関は自分は二人の相談役という立場だと主張している。

 二人、って誰――、なんて、そんな初心で野暮なこと口にする気はない。


 ――すべての点が繋がった時、俺は両手で顔を覆った。どんな顔をしているか分からなかったけど、絶対に人に見せてはいけないものだという自信があったから。

 宮村ちゃんの様子が変な理由を、自分の都合の良いようにとらえてしまって良いということでいいのだろうか。

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