背中合わせの視界

▼side.Dog


 目を開けた時、私のぼやけた視界に入ったのは妙な動きをする人影だった。段々と焦点が合い始め、人影の正体が頭に包帯を巻いた小関だと分かる。

 そして、ここがどこかを考えた。私も小関も死んでしまったのか、それとも生きているのか。視界からの情報はほとんどない、痛む頭と体では判断ができなかった。

 それから、小関が覚束ない手取りでナースコールを押すのを見て、ここが病院であると知り、まだ生きながらえていることを理解した。

 それから、私はまたすぐに意識を失った。


 私に与えられた病室は個室は個室でも一般向きではなく、特別待遇向きというやつで、VIPフロアにあるホテルのような部屋だった。特別ゆえに滅多に人の出入りがない閉ざされた空間。おそらく父の意向であろう。

 今回は無抵抗に殴られただけだから、ぎりぎり粛清の対象にはならないだろうが、監視の目が厳しくなるのは避けられない。


 私の暴力もこれでおしまいだ。良い引導だった。先輩には酷い仕事をさせてしまったけれど、いずれ必ずやってくる終焉だった。そのいずれは飾先輩が高校を卒業する時だと勝手に思っていたが、随分と先んじてきてしまった。ただそれだけ。

 こんこん、と元気なノックが聞こえたので「どうぞ」と、返したがその声は掠れて酷いものだった。耳だけでは性別も分からないだろう。


「やあ、宮村」


 この病室に見舞いに来るのは小関だけだ。

 見舞い、といっても、彼も見舞われる側の入院患者なので、単純に時間を持て余した入院患者同士というだけでもある。

 私と違って、小関には見舞いの客が来る。家族だったり、友人だったり。だから、彼がこの部屋を訪れるのは決まって面会時間外の午前中だった。


「変わらずに酷い声だな。まだ話さない方がいいんじゃないか?」

「いや、むしろ少し声を出した方がいいって言われてる。悪いけど、話相手してくれよ」

「僕で良ければ」


 小関は病室には不釣り合いなソファーに座ると「君の担当医が言っていた。声帯が潰れていなかったのは不幸中の幸いだと」と深刻な顔で俯いた。私はそっと自分の喉に触れる。腫れた痛みが機能を失っていないことを伝えてくれていた。


「はは、飾先輩も鈍ったかな」

「笑い事じゃないぞ」


 飾先輩が積み上げてきた屍の山は飽きるほど見てきた。その惨状に一切の加減がないことも知っている。この喉は、私に情けをかけたのではなく、ただ本当に潰し損ねたのだろう。そもそも、潰す気がないならこんなになるまで執拗に喉は狙わなない。

 入院は同時期だったが、目が覚めたのは小関の方が早かった。そこは損傷の差で、私の方が手酷くやられていたからだ。むしろ小関の怪我は私の巻き込み事故に近い。

 本当に申し訳ない、と何度も謝っているがまだ気はすまなかった。小関にはもういい、と言われているが多分、まだ謝り続ける。


 飾先輩は今も一人で狂気を持て余しているのだろうか。

 こんな立場で心配するなんておこがましいかもしれないが、私は彼の行く末が不安である。私よりも荒んだ”何か”に囚われたあの人が、これからどうしていくのか。


「……和屋は一度も顔を見せないな」


 黙りこくった私に、小関はなんとなしに言葉をかけてきた。

 和屋司。私のたった二人しかいない友人のうちの一人。こんな状況ならすぐに駆け込んできて大騒ぎをしそうだが、それは私の想像でしかなかったらしい。

 動けるようになってから確認した携帯に連絡は山ほど来ていて、遅れて一応の返事はしたものの、それに対する返事はまだ来ていない。


「和屋か……。単純に仕事が忙しいか、もしくは――」


 そういう所を見たことがないから、想像でしかないけれど。


「怒ってんのかもな。和屋にしてみれば一時期は音信不通。入院したのにすぐ一報もくれやしないんだから。友達甲斐もない」

「連絡したらいいじゃないか」

「返事はした」

「返事ではなく、宮村から和屋に連絡だ。暇だ、とか、暑くなった、とか。何でもいいと思うが」


 和屋に連絡、ねえ。

 そういえば、いつからか和屋からの日記という名の連絡も届かなくなっていた。

 最後に会ったのは、私の暴力が久しぶりに暴発して行き過ぎてぶっ倒れた時か。もっと長い期間で顔を合わせないことだってあったのに、全然会っていないような気がする。


「寂しそうだな」

「は?」

「和屋に会いたいんじゃないのか?」


 和屋、という人間を思い起こした時、まず浮かぶのは笑顔だった。

 雑誌や広告で見る笑顔とは違って、へらへらと力の抜けるような緩み切った笑顔。


「……和屋は太陽みたいだよな。そこにいるだけで明るい。馬鹿でナルシストだけど、優しくて素直で、和屋なら自分を裏切らないって信頼ができる」

「ああ。和屋は本質が良い奴だ」

「小関にそう評されるなら相当だな」


 小関だって相当心根の真っすぐな正義漢だ。私みたいな暴力だけが取り柄の愚かな生き物とは違う。

 正しく生きて、正しく送られる人間。

 なんで私みたいなののところに、こんなに良き人間が二人も揃っているのだろうか。笑えてくる。

 和屋と初めて会った日が懐かしい。

 あまり変わらなかった身長も、今や頭一つでは足りないくらいに抜かされている。


「宮村は和屋が好きなんだな」

「ああ、そりゃ好きだけど」

「そういう意味じゃなくて、異性としてってことだ」

「…………はあ?」

「気づいてなかったのか? そういう顔をしていた」


 何を言っているんだ、こいつは。

 きょとん、とした顔の小関は、すぐに仕方がなさそうにして肩を竦めた。まるで、私の察しの悪さなど分かっているぞ、と言わんばかりでなんだか気に食わない。

 私が和屋を異性として好き? そんな、まさか。

 確かに好きか嫌いかの二択ならば好きだ。和屋は私にとって初めてで来た友人である。私の暴力を見ても怖がらず、いや怖がっていたかもしれないけれど、それでも逃げなかった。私がなぜ暴力をするのかを暴こうともせず、暴力を注意することもせず、そのままの私をそのまま受け入れてくれた稀有な存在。


「言い方を変えれば分かりやすいか? 君にとって和屋はいつでも一番の特別だろう?」


 和屋が、私の、一番の特別。

 確かに、そう言われてみれば、私の中で小関や飾先輩と和屋は違う存在だ。和屋以上に安心できる奴はいない、和屋の代わりになる奴はいない。

 でも、それが恋愛感情なのかは分からない。


「暇な時間は腐るほどあるだろ。妹から少女漫画を借りてきてやる」

「はあ?」

「読めば君が抱えている問題の答えが分かるぞ」

「……いや、特に何も抱えてないけど」

「僕は二人はお似合いだと思う」


 小関は緩やかに笑みを浮かべる。それが私には酷く優しいものに見えて、目が潰れそうになるほど眩しかった。

 急になんだって言うんだ。

 なんだか気恥ずかしくて、自分の心の整理も上手くできなくて、ただただ素っ気なく「そりゃどうも」と返すだけが精一杯だった。


「和屋には華やかな仕事もあるし、私とは遠い人間だけどな」

「そんなことはない。君と和屋はお互いの一番近いところにいる。見えていないのは君たちだけだ」


 じゃあ、どうして和屋は私の前に現れない? 連絡の一つもくれない?

 もしかしたら、終わってしまったのは飾先輩との縁だけじゃないのかもしれない。

 私から暴力を取り上げてしまったら、和屋にとって私の存在価値は残らないんじゃないだろうか。だって、私は彼を助けることで関りを持っていたんだから。


 ――握りこぶしを作ろうにも、折れた手はぴくりと痙攣して痛むだけだった。


*****

▽side.Sun


 高校一年生、秋。

 とうとう、あの有名なファッションビルに巨大広告が吊るされ、モデルとして全国的に顔が売れたと言っても過言ではなくなった。周りの反応が億劫になり始めるくらいにはもてはやされている。

 帽子とマスクと軽めに変装をしたら、姉ちゃんに「あの司が自分の顔を隠すなんて」と天変地異のごとく怯えられた。それほど、俺の周りの環境は変わり始めている。


 顔が格好良く、性格もいい俺は、それはそれは女の子にモテる。

 たまに片想いを暴走させた女の子がいて、身の危険を感じることがあるが、いつだって助けに入ってくれるヒーローがいる。

 今だって、俺の手を引いて街中を走ってくれていて、その背中は小さいのに頼もしい。

 路地裏は彼女の庭だ。どの道がどこに繋がっていて、どこに行けば人気が少なくなるかをよくわかっている。静かになったところで立ち止まった彼女は「相変わらずモテるな」と俺の背中を叩いた。


「そして、恋する女子ってすげー迫力」

「マジ助かった。宮村ちゃん万々歳!」

「はは、いいって」


 からからと笑う彼女は俺の数少ない異性の友人だ。

 さばさばとしていて、いや、ちょっと乾ききった面もあるけど、本当にいい子だ。不良と呼ばれる存在以外には、だけど。でも、それももう昔の話。

 今は随分と大人しくなったと思う。というか、夏に大怪我で入院をし、退院してからは「暴力なんて言葉知りませんわ」ってくらいに清く正しく美しく生活している。ずっと傍にいる俺が言うんだから本当。

 一番のきっかけは、カザリサンとの縁がどうにかなったことに起因しているらしい。けれど、俺はカザリサンについて詳しくはないし、何があったか聞く勇気もない。

 つうか、カザリサン、すげー怖いし。できれば二度と会いたくない。


「迎えとか来てもらえないの?」

「ただのモデルだよ? そんなにえらくない」

「モデルにただもなにもあるとは思わないけど」


 きょとん、とする宮村ちゃんは珍しいけど、珍しくなくなった。とはいうのも、彼女はとある奴と出会ってから、表情や感情のバリエーションがすごく増えたのだ。

 そのとある奴と言うのが、俺と宮村ちゃんの共通の友人で、正義感と親しみで構成された爽やかな堅物、小関誠也。簡単に言えば、すごくいい奴だ。

 宮村ちゃんが好きになってしまうのも分かるくらい、俺の目から見てもいい男だと思う。世間的には絶対に俺の方がモテるけど。


「和屋、当たりいいから好かれちゃうのも仕方ないか」

「そうだね」

「素で嫌味なんだもんなあ」

「えっ!?」

「私は気にならなくなったけど。もう少し気を付けなよ。刺されるぞ?」


 笑顔だけでもたくさん種類が増えた。今みたいに歯を見せて笑ったときが俺は一番好き。子供っぽくて。

 昔のギラギラした獣みたいな目をしている面影がまったくないから。


「俺も宮村ちゃん大好き」

「いや別に好き嫌いの話はしてないから」


 とは言いつつも、照れたように頬を染める彼女が可愛くて仕方ない。

 いつから、彼女を見る目が変わったのか、覚えていなかった。最初は喧嘩の強い子、次に優しい子、いろんな宮村ちゃんを知っていくうちに、俺の心はすっかり彼女に夢中だった。

 叶わなぬ恋だと分かった今でも、そう。

 こんなにも俺が君のこと好きだって、君は思いもしてないでしょ。


 ――例え、彼女の目に映っているのが俺じゃなくたって。俺の想いは変わらない。

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