醒める時

▼side.Dog


「夏服最悪ゥ!」


 夏、炎天下、路地裏。並べられた屍もどき、仁王立ちする飾先輩、壁沿いで他人顔の私。


「その感想、毎日聞かなきゃいけないんですか?」

「白、白、白! おいたはいけませんよってかあ!?」

「さすがに声が大きすぎますよ。落ち着いてください」


 衣替えが終わってからというもの、飾先輩の口癖は冒頭の通り「夏服最悪ゥ!」である。私と先輩の通う学校の制服は、夏も冬も白色を基調としている。冬は上着を脱いで、セーターでも着ていればなんとでも誤魔化しが効いたが、夏はそうはいかない。

 白のシャツにノーネクタイ。シャツは学校指定の校章入りのものしか認められていない。学校指定のベストもあるにはあるが、それも色は白である。勿論、スラックスも白。飾先輩曰く、全身漂白人間。

 日替わりだとして最低五着必要であるが、先輩の場合は一日三着は欲しいところである。

 血に汚れるのが日課と言って良い先輩には、縛りプレイの装備でしかない。


「私みたいに喧嘩を控えては?」

「ぜーってぇ嫌ァ! この裏切者、絶対許さねェからな。お前と決別する日には血祭に上げてやるから、覚悟しとけよォ」

「はいはい、分かりましたよ」


 私の脱暴力計画は順調に進んでいる。たまに発作的に殴る蹴るをしたくなることはあるのだが、その頻度はぐんと減った。飾先輩の付き添いは続けているが、本当に傍にいるだけだ。

 あの日、――いつだかの夜、和屋に心の内をぶちまけた日以来、だと思う。あの時の記憶は曖昧だが、朝起きたら和屋の家にいた。枕元で伏せるようにして寝ていた和屋が寝言で「宮村ちゃんは、宮村ちゃんの速度でいいんだからね」と言っていたのが今でも心に残っている。

 きっと生き急いでいるような弱音を吐いてしまったに違いない。和屋は私の心の壁を溶かすのが得意だから困る。


「理緒」

「……はい?」

「今、誰の事考えてた? 小関クン?」

「え?」

「誰だ、言え」


 飾先輩は私との距離を零にすると、真剣な顔で詰め寄ってくる。片手で顔を捕まれ、親指と中指で力一杯に顔を挟まれれば、必然に顔が不細工になる。

 内頬と歯とが押し付けられ、口の中が切れそうだ。


「オトウサマ以外に理緒を縛る首輪があるなんて知らんかったな」


 突然ブチ切れた先輩は、顔を固定していた手を離すと、そのまま私の首に血染めの指を添えた。親指で喉仏をごりごりと撫でられ、戯れに強く押される。

 器官を押さえられている感覚は、殴られた時と違って死に近い感覚がした。痛いのではなく、苦しいのだ。


「理緒、俺とお前は同類だろ? 俺はお前、お前は俺だ」

「……」

「誰だ? お前を人間にしようとしてる馬鹿な野郎はよォ? えぇ?」


 飾先輩の怒りは止まることなく、答えろと言う割には、私に声を発せさせまいとばかりに喉を潰しにかかっている。

 最悪だ。完全に手形が残ってるに違いない。夏服では首元を隠し切れない。私も夏服最悪と叫んでやろうか。


「理緒ォ!!」

「飾さん!? やめてください!!」


 私を絞め殺そうとする手は、別の手に押さえられた。それでも、拘束が緩むことはなかったが、先輩の視線を奪うことはできたらしい。

 飾先輩は横目で「小関クン、邪魔しないでくれるゥ?」と乱入者を軽くいなした。

 もう、小関がいつもの挑戦に現れる時間だったか。助かってはいないが、とりあえず、これで私が路地裏の死体になる可能性は減った。


「宮村が死んでしまいます」

「死なねえよ。俺も理緒も、死なねえんだよ」


 正直、先輩の言葉の意味は分かる。

 私も先輩も死なないのだ。不死身の化け物だとか、そういうことじゃなくて、真っ当な人間として正しく弔われ、哀惜の中で送られるということはないという意味。きっと、実際に死ねばそうして葬送されるのだろうが、それは偽物の私であって本物の私ではない。

 一生、普通とは外れた道で生き続ける。呪われて生まれた命。人として生きられなかった哀れな生き物。

 私も、先輩も、茨に身を蝕まれながら心臓を動かしている。


「……そだ。離してもイイヨ。小関クンが俺の質問に答えられたらね」

「――!」


 私の声はやはりでなかった。

 先輩の手でせき止められた声帯では、どんなに頑張ってもうめき声を漏らすのが精一杯で、意味のある音にならない。

 知られてはいけない、と本能が訴えている。飾先輩と私はよく似ている。だからこそ、分かる。彼のことを教えてはいけない、と。


「なんですか?」

「理緒の大事な子、知らない? 理緒はその子がだァい好きだし、その子も理緒のことがだァい好きみたい」

「大事な……? 和屋のことですか?」

「――っ!」

「ワヤクンってーの? それとも、ワヤサン? 小関クン、その子の写真かなんか持ってなァい?」

「写真っていうか――」


 小関は路地の隙間から見える先にあるビルを指さした。

 ビルの壁を覆う屋外広告には、誰をも恋に陥れる笑顔を振りまくモデルの写真があった。さらさらと靡く金髪、きらきらの星に満ちた瞳、可愛らしく上げられた口角。

 愛されるべくして、愛される人間の姿。


「彼ですよ。モデルの和屋司」


 最悪。


「ふぅん……」


 先輩は広告の和屋に負けず劣らずに綺麗な笑顔を浮かべると、頬に涙を伝わせた。

 先ほどまでの怒りはどこに行ってしまったのか、彼の表情は見たことのないものだった。でも、何の表情かは分かる。悲壮だ。


「ばいばい、理緒」


 私はただ目を閉じた。

 飾先輩の顔を見ていられなかった。悲しんでいるだけなら、まだ耐えられたけれど、先輩の瞳は裏切られたと悠然に語っていたから。

 こんなに早く、こんなに突然に、この日が来るとは。


 ――、世界で、たった二人の化け物だと、信じていたんですか。


*****

▽side.Sun


 俺が自体を把握したのは、久しぶりに小関と話をしようと思って彼の教室を訪れた時だった。

 宮村ちゃんを保護した日、俺の心構えが変わった。宮村ちゃんは前に進もうとしているのだから、俺だってうじうじと嬉し恥ずかし片想いなんてやっている場合じゃない。

 まずは小関に自分の気持ちを打ち明ける。次に、彼がカザリサンと喧嘩をする訳を聞く。

 うし、やるぞ。と、気合を入れて、教室の扉を開いて、小関がいるか近場の同級生に尋ねた俺に返された言葉は「小関君なら、昨日に怪我したとかで入院してるよ」だった。

 嘘じゃん。俺には連絡一切来てないんだけど。


 俺はもう気が気がではなく、授業どころでもないし、心臓がばくばくだった。

 小関、プラス、怪我で入院、イコール、宮村ちゃんとカザリサンだ。俺の決意の出鼻が挫かれたのはもうどうでもいいとして、まさか、宮村ちゃんにも何かがあったんじゃないだろうか。

 小関も宮村ちゃんも連絡返してくれないし、電話も出てくれないし、まさかとんでもないくらいの大怪我したとか。なんで俺だけ蚊帳の外! どういうことなの!!


 授業を終え、猛ダッシュで病院へと走る。

 この炎天下、こんなに全速力で走ることになろうとは。汗すら輝く俺じゃなかったら、見苦しくて見てられないだろうに。

 学校から病院への距離はそう遠くない。バスがあれば便利だね、といったくらいで、充分に徒歩圏内だ。春なら軽いジョギング程度で済んだだろうが、どうあがいたって夏である。

 くっそ暑ぃ!!


 病院の門を越えて、俺の足はようやく徒歩の速度に落ちる。こんなに息が上がったままで病室に突入はできない。息を整えて、焦って来たことは隠さねば。俺は怒っているんだから、クールな感じで行こう。

 いっぱい心配をかけて、音信不通なんて、小関、絶対許すまじ。


「わァお! こんなに人のいる世界で、偶然にも出会っちゃったァ!」


 必死に深呼吸をしている俺の正面、病院という場所には不釣り合いすぎるテンションに俺の足は止まることしかできなかった。

 短い黒髪、細められたたれ目、少しの乱れもなく着こまれた制服。


「……カザリサン」

「あれ、和屋クンは俺のこと知ってるんだァ?」


 一瞬だけきょとん、とした青年は目を糸のように細め、にっかりと歯を見せて笑った。

 人の好さそうな、愛想のある笑顔である。何というフレンドリーさ。


かざり真琴まこと。高校二年、よろしくゥ」

「……和屋司です」


 それから、カザリサンは握手を求めるように手を伸ばしてくる。

 反射的に手を伸ばせば、前のめりに手を取られた。ぐ、と力が込められ、その力の強さに友好の意なんて微塵もないのが嫌というほど伝わってくる。手を引き抜こうにも、引き抜けない。

 よくよく見れば、彼の手は傷だらけで節々が腫れていた。こういう手の状態を俺はよく知っている。人を殴った後の手だ。


「知ってる、知ってる。小関クンに教えてもらったし。ビルの広告も見たよ。実物の方がイケメンだねェ」


 外れない手枷。ぐっと腕が引っ張られ身体がカザリサンの方へとよろける。ごつん、と勢いよく額がぶつかり至近距離で睨み合う形で止まった。

 至近距離で見つめたカザリサンの瞳は常闇みたいだった。烏の目玉みたいに真っ黒。


「和屋クン、理緒と小関クンのお見舞いに来たの?」


 額を合わせたまま、カザリサンは楽し気に声を鳴らしている。

 そして、彼の言葉から、嫌な予感が敵中したことを知り、眩暈がした。


「……宮村ちゃんも、入院、してるんですか?」

「あれ? それは知らなかった?」

「……」

「理緒、小関クンより重症だよ?」


 けたけた、と愉快そうな笑い声が耳障りで仕方ない。

 近すぎる距離から離れたいのに、俺の身体は自分のものではないかのようにびくともしなかった。俺の顔が歪め場歪むほど、カザリサンは楽し気である。

 なんだ、この人。

 宮村ちゃんと一緒になって喧嘩している、とは小関に聞いていたが、それだけの先輩じゃないのか。もっと他に、何かあるのか。


「――宮村ちゃんと小関のこと、病院送りにしたのはカザリサンですか?」


 宮村ちゃんは喧嘩が強い。それはもう常人離れしている。

 その彼女が入院した。事故や病気なんて理由だってないわけじゃない。でも、小関と一緒というタイミングも、こうしてカザリサンが俺を待ち構えていたのも、どうしたって偶然とは思えない。


「どォ思う?」


 カザリサンはようやく俺の手を離すと、今度は突き放すように両肩を押し退けた。

 この人が何を考えているのか、さっぱり分からない。


「カザリサンは、宮村ちゃんの何なんですか?」

「――俺は理緒だったよ。理緒は俺だった」

「は?」

「でも、もう過去のお話。誰かさんのせいでね」


 カザリサンはゆるゆると後ろ歩きで俺から遠ざかっていく。

 綺麗な笑顔、汚れのない白の制服、光を受ける黒の髪に光の入らない黒の目。


 カザリサンはくるりと軽やかに背を向け、高笑いを上げた。行動だけを見れば変人である。どこまでも遠くまで響きそうな笑声。

 引いた目でもして、気持ち悪いとでも酷評すればいいのに、それだけなのに。俺はその彼の行動に恐怖を抱いていた。

 意味不明の言動だからではない。彼の底知れぬ狂気が垣間見えた。宮村ちゃんと小関を襲った”何か”の片鱗を体感させられた。そう、絶対、この人が、二人を――。


「お見舞い、いかなくていいんじゃなァい? 理緒は大好きな小関クンと一緒、小関クンも大好きな理緒と一緒で、お幸せ入院なんだから」

「え?」

「二人ともまだ意識不明だよ。夢の中で逢いましょうってね」


 カザリサンは「俺ってもしかして、恋のキューピットちゃんなのかも」と鼻歌を歌いながらその場から歩き去っていった。

 俺は先ほどまでの暑さなど忘れ、鳥肌に覆われた腕を無意識で擦っていた。怖い。寒気しか感じられない。

 そして、最後に残された彼の言葉は俺の心臓に穴を開けた。宮村ちゃんと小関が、なんだって――?


 ――頭が上手く働かない。一体、何が起こってるの。

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