キャンパス・ツアー

紺野透

本文


「みなさん、本日はキャンパス・ツアーにようこそ〜!」

 女性の明るい声が南大澤の地に響き渡る。ツアーガイドの楽しげな声色は、ゴーストタウンのように人気がない駅前ロータリーには些か不釣り合いに思われた。風に吹かれて、何かの団体の啓発ポスターやビラが足元をかすめていく。

「本日のガイドを務めさせていただきます、サユリ=タマセです! よろしくお願いいたします!」

 ガイドのタマセが僕らに向かって笑いかける。それに対し、僕らツアー参加者十名は曖昧な笑みを返した。それを確認するや否や、タマセは目印の小旗を手に、僕らの先頭に立って歩き出す。

「さてさて、それでは早速、今回のツアーの目的であるキャンパスへ向かいましょう。ご安心ください、ここから徒歩十分もかかりませんので!」

 僕らは緩やかに集団を形成しながら、タマセについて歩き始める。参加者はみな背丈も年齢もバラバラで、その中で一際小柄な僕は、どこか緊張していた。隣とぶつからないように、かつ遅れないように、歩幅を気持ち大きくして歩く。背中には重たいバックパックがのしかかり、僕は早くも今日一日バテずにいられるか心配になった。俯きがちに歩く僕の耳に、またもタマセの声が届く。

「あっ、だんだん近づいてきましたね〜。今皆さんの左右に見えますのは、四ツ井ショッピングモールと呼ばれた巨大商業施設跡地です! ご覧の通り、現在はツタ属をはじめとする様々な植物が縦横無尽に生い茂っており、立体交差する廃墟と自然の見事な調和をお楽しみ頂けます。もう少し奥に入っていきますと、ウツボカズラの仲間も生息しており……」

 あんなに喋りながら歩いても、タマセは息切れひとつ見せない。ツアーガイドというのは存外タフなのだろうか。残念ながら僕には景色を楽しむ余裕などなく、他の参加者の肩越しにジャングルじみて背の高い濃緑を見やるしかできなかった。僕がゼイゼイ言いながら歩いている間もタマセは喋り続け、やがて一際強い語調で紹介を締めくくった。

「……そして! ショッピングモール中心地を抜けますと、目前に見えてくるのは堂々たる佇まいの長い階段! これこそが本ツアーの入り口、キャンパス正面階段ですね!」

 その声に励まされるように顔を上げてみると、確かに僕らの目の前には横幅の広い階段が長く奥まで続いていた。キャンパスまで直線上に伸びる階段と、その周囲を巡るような螺旋状のスロープは、なかなかに美しい。その階段とスロープの遥か下には、案の定、鬱蒼とした緑が一面に広がっている。僕は、崩落しかけていたであろう橋を後から必死に補修して、本来の面影を残そうとしている試みを含めて美しいと思った。洒落た手すりも細工の施された欄干もない一見無骨な作りは、当時の文化の名残を感じさせる。荘厳さなど必要ない、ここが人間に学問を掲げた場所であったという名残を。


 

 腕時計を見ると、午後五時を過ぎたところだった。僕らはキャンパス――公立首都大学東郷・南大澤キャンパス跡地――の中央に佇む旧図書館で一時の休憩を取っていた。ここを含め、学生課、食堂などの一部施設は今でも懐かしい発電機が置かれ、ツアー客らのささやかな休憩所となっているとタマセは言った。

「この蛍光灯の白い明かりも趣がありますよねえ」

 二階、三階部分は整備が行き届いておらず、埃をかぶった書物とカビの温床らしいが、吹き抜けが設けられた一階部分はそれなりに快適だった。学生向けのパソコンがあった名残か、床にはコードが通っていただろう小さな穴が点在している。誰もいないカウンターには、ツアー側の備品と思しき器具が代わりに積み上がっている。

「夕飯の準備は六時頃からの予定です。昼間に仕掛けた罠がうまくいっているといいですね〜! あ、勿論、何もかかっていなくてもお夕飯はありますよ!」

 参加者から期待の歓声が上がった。それもそのはず、このツアーのメインは夕飯(恐らくはバーベキュー)だからだ。僕も空腹だったため、その知らせは喜ばしい。しかし――。

「緊張する?」

 突然横から声をかけられ、僕の心臓は飛び跳ねた。

「あっ、そんな驚かせるつもりじゃなかったんだけど」

 隣に腰掛けていた男性は、そう言って僕に人懐こい笑みを見せた。

「ごめん、馴れ馴れしかったな。俺はヅツミ。このツアーの常連で、初心者っぽい人を見るとつい構っちゃうお節介焼き。よろしくね」

 ヅツミがタマセに手を振ってみせると、確かに慣れた様子でタマセも旗を振ってみせる。一連の流れから親しさが伺えた。

「それで、君はこういうツアー初心者っぽいけど、合ってる?」

 僕は、彼のあまりの親しみやすさに若干の怯えを感じながら、小さく頷く。ヅツミはやっぱり、としたり顔で矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

「名前は? なんで参加しようと思ったの? 荷物重そうだったけど疲れてない? あ、ワクチン打ったよね? 友達とか一緒に来てる? ジビエ系の料理食べた経験は――」

 なんという情報量だろう。これが、会話のフットワークが軽いということなのだろうか? 慣れない僕にはただただ――つらい。


「そっか、シモトくんは料理じゃなくて狩猟の方を見に来た感じか」

 一通りの説明が終わり、僕はやっとヅツミの質問責めから解放された。ヅツミはどこかがっかりしたような表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して話を続ける。

「いや、でもさ、これをきっかけに学食の良さに気づいてもらえれば俺も嬉しいし! てことで、今日の夕飯は色々君の手伝いをしてもいい?」

 僕が頷くと、ヅツミはころっと嬉しそうな表情に戻った。そしてひとまず、靴を脱いで足を伸ばし、疲労を回復するところから始めることになった。

「学食はさあ、よく人肉とか感染食とかってバカにされるけど、普通に美味しいんだよ。要は内臓をちゃんと取ればいいだけで……」

 ヅツミはそう言いながら、自身のタブレット端末でアルバムを表示してみせた。

「ほら、これ前にビーフシチューっぽく調理した時の写真なんだけど、美味しそうだろ?」

 画面に表示された茶色のスープの中には、ニンジンやジャガイモ、ブロッコリーなどの乱切り野菜と、ゴロゴロと贅沢に投入された肉が湯気を立てて映り込んでいる。確かにパッと見は素晴らしいディナーだ。しかしどうしても、画面下に小さく表示された関連写真に目がいってしまう。サムネイルでわかる、赤く大きな肉塊。ヅツミも僕の視線に気がついている。

「あー……こっちはそうだな、解体の時の写真」

「やっぱり、その、いくら美味しくても……人型、なのが、気が引ける要因でしょうね」

「人型っていうか、本当に人だったんだろうけどなあ」

 ヅツミもどこか遠い目で答える。

「でも、もう理性は俺たちと違うんだし、意識だってほとんど寄生虫の方が本体だ。やっぱり俺は動物だと思うよ」

「寄生虫って、彼らの体細胞に共生したっていう生物のことですか? ミトコンドリアに近いとかいう……」

「そうそう。実際は虫じゃないんだろうけどさ。むしろ冬虫夏草かな? いや宿主は至極元気だけど……難しいな」

「言いたいことはわかりますよ」

 数十年前の日本に突如現れた、人に寄生する生物。それに寄生されると、人は落ち着きなく動き回り、汚水や廃棄物を食すといった異常行動を始めたため、一時はそれこそバイオハザードだと言わんばかりの大騒ぎになった。が、行方不明者こそ多数あったものの、明確な死亡者は出ず、不思議と感染も収束していった。一説では、感染者達は集団で人里離れた僻地に生息地を定めたとも言われた。そして、数少ない痕跡や皮膚片などから、その寄生生物は驚異的なスピードで人間の体細胞と共生したのではないか、という荒唐無稽にも思える理論がウエイ教授によって発表されたのはつい十年前の話だ。

「それならもう俺たち人間とは別種だと思うんだよ。だって俺たちは、人様の家のゴミ漁ってプラスチックまで食う訳ないし、やりたいとも思わない。そんなの食って生きていけるのもおかしい。見た目が似てても別の生き物として扱うべきだ」

 実際近年になり、かつての感染者たちの子孫と思しき個体が、ここ南大澤を始めとする東郷都西部で見られるようになった。ゴミを漁る害獣のような形で、だ。

「だから人間に害を為す動物はこうして駆除すべき、と?」

「まあね。騒音の被害もあるし。もちろん調査の協力は惜しまないし、いい感じにお互い住み分けられるならそれに越したことはないと思うけど、しばらくは無理そうだよなあ」

 あいつらも声帯はほとんど同じはずなんだから、喋ってくれたらいいのに、とヅツミがぼやく。人間の既存の言語を使わない、というのも動物と見なされがちな一因だとは思う。僕は、だからといって思考までも浅はかだと考えるのは違うと思っているが、それは未だ解明されていないことなので、彼らの思考や生活、感情については何とも言えない。それでも、思いを馳せるところもある。

「彼らは殺される時に痛みや恐怖を味わうんでしょうか」

 こんなことを言っていると、狩猟反対派に思われそうだ、と自分でも思った。彼らの狩猟反対と人権擁護を掲げる組合がいくつか存在しているのは知っている。動物として扱った上で、愛護を訴える団体も都の西部にはあると聞く。遠回しにヅツミを非難しているように聞こえないかと心配になる。しかしヅツミはあっけらかんと答えてくれた。

「どうだかね。けど、もしあいつらが人間と同じ感覚でそういうのを味わうんだとしたら、そこは楽に殺してやる腕の見せ所ってやつじゃない?」

 ちょうどそれを聞いたところで、タマセが出発の時間がもうすぐであることをアナウンスした。皆荷物を持って各々立ち上がる。僕も靴をしっかり履き直し、罠を設置し終えて軽くなったバックパックを背負った。先ほどよりは随分気が楽になったものの、やはり僕の顔は強張っていたらしく、ヅツミがポンと僕の肩を叩く。

「まあそう気負わず、気楽にいこうぜ。ほら、人間は好きだろ? きちんと殺して残さず食ってやるのが食べられる側への礼儀だーってやつ。あんなもんでいいんだよ、多分な」

 図書館のゲートをくぐり、僕らは獲物を求め出発した。



 大学跡地で狩猟した、人間に似た生き物――発見者にちなんでウエイ亜人間とも呼ばれる彼らを、その場で捌いて食するジビエ・ツアー。それがこのキャンパス・ツアーだ。そうとわかっていても、いざ生きている亜人間を前にするとやはり緊張した。

「おーおー、今日もよく鳴いてんな」

 旧図書館から出てすぐの所にある旧学生ホールには、あまたの亜人間が生息している。かつて学生サークルが利用していた多くの小部屋を巣にしているらしい。今のところ亜人間猟はこの大学跡地内でしか行われていないため、学食という名前もここから来ている。

 昼間はホールも静かだったため、本当にここに亜人間がいるのかと半信半疑だったが、陽が沈んでくると確かにアッハッハッと笑うような声があちこちから聞こえてくる。声だけ聞くとかなり人間の笑い声に近く、耳に障るという話も納得する。

「在学生の行方不明者が多すぎて閉校した大学にその子孫が大量に住んでるっていうのは、帰巣本能なのかね」

「今までは僻地にいたらしいのに、急にこんな住宅街近くに戻ってきたのは不思議な話ですよね」

 ホールの二階部分をくぐり抜けながら僕らはキャンパス入り口付近に仕掛けた罠へ向かう。ホール内には亜人間の排泄物や吐瀉物が落ちていることがある、と聞いていたが、幸いにも今回は遭遇せずに済んだ。やはり、そういうものはできれば見たくないものである。そう考えていた矢先に、ヅツミがぽつりと言った。

「たまに落ちてる汚れ物も、結局は自分たちで食って分解してんのかね」

 それまでの人間には見られなかった、ゴミや汚物をも食する雑食性を身につけた亜人間は、寄生生物との共生によって分解者の働きをも得たという説がある。人工の化学物質さえも分解できる、自然界きっての存在なのではないかとも言われる。その話自体は面白いし、現代環境への適応という側面からも興味があった。が、食事の前にそれを話すのか、と内心で思ったのもまた事実だ。

「……あ、ごめん、俺は肉が美味しければなんでもいい派だからさ。忘れて」

「いや、その、可食部部分には影響ないそうですし、その……僕も気にしないようにします……」

 そう、たとえ汚物を食べていようが、それが通るのは消化器系だけ。感染能力がまだ残っている可能性があると言われるのは脳や生殖器などの臓器だけだし、肉の部分には共生生物によって作られた、人間とは異なる栄養素から成る赤身があるだけだ。人肉でもないし、アンモニア臭もしない肉だ。そう自分に言い聞かせながら、ドーム状の覆いが残る広い通路を抜ける。

「あ! みなさん見えますか?」

 タマセは急に、しーっと口元に人差し指を当てながら、僕らにだけ聞こえる声量で話す。

「昼間仕掛けた罠の周辺に、亜人間たちが集まっていますね。あの石造りの門の奥です。芝地の真ん中辺りに結構います。今日は多いですね〜」

 暗闇に目をこらすと、確かに芝地にはいくつかの亜人間のグループが見受けられる。僕らが昼間に罠を張った地点でも、亜人間たちは平気で歩いている。罠はきちんと作動しているのだろうか? 今更ながらに僕は不安になってきた。罠といっても、僕が担当したのはとても簡易な箱罠だ。ヅツミや他の参加者と分担して、金属製の底板や側板、天板、レンチなどを必死に運んできた僕らは、昼間にそれを組み立てて芝地に設置した。箱罠というと、箱の中の餌につられて獲物が入ってきたところをガシャンと閉じ込める一般的な罠だが、流石にこんな平地では亜人間もかからないのでは、と思っていた。しかしヅツミ曰く、春は開けた平野でもある工夫で亜人間が狩れる変わったシーズンなんだそうだ。というのも――、

「あれはハナミと呼ばれる亜人間の習性です」

 日本人の行う花見に似ていることからその名が付けられたハナミは、亜人間たちの行う独特なコミュニケーションのことだ。春になると亜人間たちは、餌や情報を共有するグループや、冬の繁殖期に向けたつがいを形成すべく、ハナミを通じて大規模な交流活動を行う。それは決まって開けた平地で、衣類やビニール袋などで作られたシートの上で夕方〜夜半にかけて行われる。ハナミとは言うが、桜などの花があるかは関係なく、敷物の上で互いに鳴き声を上げながら食事を行うことが重要らしい。この時に特に好まれるのがアルコールだ。多ければいいという訳でもないようだが、一部の実験では、アルコール飲料がある場合とない場合とではハナミの長さや集まる個体数に有意な差が出るとされる。

 そこで今回の罠では、ポリエチレン製の大きめのブルーシート(およそ十二畳程度)を芝地に敷き、そこに青く塗装した箱罠と、中に餌となるアルコール飲料とノンアルコール飲料を半々ずつ置いた。甘めの紅茶や乳酸菌飲料といったノンアルコール飲料をいくらか混ぜることで、雌の個体もかかりやすくなるとヅツミは言っていた。経験則、というものだろう。芝地の周囲には小さめのドライソーセージやチーズを置き、その匂いに惹かれた亜人間たちが芝地に集まるよう誘導してみた。

 結果、目の前では大規模なハナミが行われている。共感を表すと考えられているゲラゲラ声や、好意を示すとされる手叩きが各所で上がる。

「既にいくつかの箱罠には泥酔した亜人間がかかっていますね。もう少しすればハナミも終わるでしょう」

 タマセの言う通り、今回のハナミは真夜中まで長引くことはなく、次第に亜人間たちは散り散りになって数を減らしていく。春の終わりかけや夏に見られるハナミは、もっと長引くそうだ。この騒ぎが夏の夜中まであるようでは、近隣住民からの苦情も出ようというものだ。彼らにとっては必要な活動だろうが、夜行性の亜人間と昼行性の人間は相性が悪い、としかいえない。

「もうそろそろいいでしょう。移動しまーす」

 タマセを先頭に、僕らは芝地へ踏み入る。足元には、亜人間が巣から持ち込んだと思しき食べ物の残飯も転がっている。ブルーシートを踏みしめて緩やかな坂を登っていくと、確かに僕が仕掛けた箱罠の中で、一体の亜人間がだらんと寝転がっている。他の罠にも手応えがあったようだ。

「お。いいな〜、かかってるじゃん。あっちで俺が試してたくくり罠は全部ダメでさー」

 ご覧の通り、とヅツミは大きく広げられたワイヤーの輪を見せる。くくり罠は地面に埋める輪状のワイヤー罠で、獲物が罠の上部を踏むと、地面から飛び出した輪が獲物の足首を締めつけて離さない仕掛けになっている。箱罠よりも獲物の行動を読んで設置する必要があるため、僕は仕掛けなかった。

「やっぱり手先が器用で集団行動してるから、上手いこと仲間と協力して外しちゃうみたいなんだよね。箱罠の方は助けないみたいなのに、不思議だな」

「寝ている個体は無視するんですかね」

「あーそうかも。確かに、こんな泥酔した亜人間一体を巣まで運ぶなんて大変そうだし、勝手に起きるまでほっとくのかね。結構薄情っていうか、合理的? っていうか」

 言いながら、ヅツミは止めさしのための電撃器の準備を進める。近くの学生課などに電力が供給されているのは、このバッテリーを充電するためでもある。

「シモトくん、これやりたい?」

 フランクにゴム手袋を差し出しながら、ヅツミが笑う。

「い、いや、僕は……遠慮します」

「そう? 超初心者でもできるんだけど……じゃあ今回は俺がやっちゃうね」

 慣れた手つきでゴム手袋とゴム長靴を履いたヅツミは、箱罠の隙間から足錠をつけた長い木の棒を差し込み、泥酔した亜人間のだらんと垂れた右足首に開いた錠の内側をぶつける。それがスイッチとなり、足錠は勢いよくバネの力で亜人間の足を締めた。それを確認してから、錠の後部から抜けた棒を回収する。足錠にはワイヤーが取り付けられており、近くのコンクリート柱にきつく結び付けられてある。

「これだけやっても起きないんだから、こいつはもう暴れたりしないと思うけど……前に捕獲した亜人間が起きて暴れた時があって、その時は保定がもうすごい大変でさ」

 思い出話をしつつ、ヅツミは亜人間の左手首にも錠をつけ、反対側の柱にワイヤーが固定されているのを確認する。一連の保定作業はつつがなく終わり、これで完全に亜人間の体は拘束されたことになる。つまり、いよいよ電撃器の出番ということだ。ヅツミが道具を取りに行く。僕はその少しの間だけ、亜人間の寝顔を見つめる。檻が閉まったことにも、錠がつけられたことにも気づかないくらいに酔っているのだろう。赤くなった頰には涎が伝っている。ぐーぐーと心地よさそうにいびきをかいて眠っている。人間も亜人間も、酔っ払って寝る時は同じような顔をするのだと思った。ビニール袋に穴を開けたような簡易な服を着た亜人間は、今から殺されることも知らずに目の前で眠っている。その手足も顔立ちも、どこにでもいそうな普通の人間のように思われて、僕は奇妙な気分になる。中身はもはやまるで違うというのに、どうして外見ばかりがこうも人間のままなのだろう? 人間に襲われにくくする擬態の一種なのだろうか。

 そんなことを考えている間に、ヅツミは用意しておいた二本の長細い槍のような電極針とバッテリーを持って帰ってきた。

「俺も昔イノシシ猟をしてた時は銃で止めをさしてたんだけど、電撃器は資格もいらないし血も出ないし便利だよね」

 心臓を挟むように、二本の電極針を上半身と下半身の筋肉に突き刺すことで、電撃が亜人間の体を通り失神ないし絶命させるようになっていると聞く。今回は脂肪の少ない首と脛を刺すことになった。だらしなく寝転がる亜人間に狙いを定めるのは至極簡単で、僕が心の準備をする前に、ヅツミは針を勢いよく二箇所に突き刺す。それは奇しくも、うと、と亜人間が微かに瞼をもたげた瞬間だった。

 およそ一分程度、ヅツミは亜人間に電流を流した。電気が流れたであろう瞬間に、亜人間の全身は小さく跳ね、そのまま手足は宙に固定されたように動きを止めた。大した音も光もなく、静かな一分間がゆっくり流れていった。そろそろか、とヅツミが針を引き抜くと、亜人間の体は完全に脱力し、だらりと力なく芝生に横たわる。一見すると、先ほど寝ていた時と変わらないように思えた。

 しかし、その半開きの目が瞬きをすることはもうなかった。

ヅツミがその死体を檻から引っ張り出すまで、僕と亜人間の目は合ったままだった。あっけない死を、しかし僕はその虚ろな目から、ひしひしと感じていた。

 食道まで至らないよう、ヅツミはナイフで亜人間の喉元を最小限に切ると、そのまま髪の毛を掴んで少し首を反らせるように顔を上げさせる。頸動脈だけが見事にぱっくり開いた首元からは、勢いよく血液が溢れ出し、芝生に赤黒い染みを作った。今日の個体は安静だったからよく放血できてるな、なんてどこか嬉しそうに感想を述べるヅツミとは対照的に、僕はホースから水が弧を描いて噴き出る様をうすら寒く思い出していた。やがて勢いがなくなり、ちょろちょろ、ぽたぽたと液体が滴るだけになるのも、よく似ていた。血だまりは、僕の靴先のすぐそばにまで広がっている。

 若干血の気の引いた顔で佇む僕を見て、ヅツミは彼なりに気遣ってくれた。

「あー、今回はなかったけど、たまに泥酔した亜人間が突然凄い勢いでゲロ吐くこともあってさ、だからこいつは静かに終わってくれて良かったよ。マーライオンみたいに吐かれちゃ首に触るのも嫌になるからさ、ほんと!」

 マーライオンみたい、という表現は、頸動脈から噴き出す血にも同じように言えることを、彼は気づいていない。



「と、まあこんなもんかな」

 ヅツミがそう言って腰を降ろす。今僕の目の前には、広めの作業台の上で綺麗に捌かれた亜人間の枝肉があった。二の腕や太もも、ロース、バラといった大まかな部位に分けられた、赤と白のマーブル模様の肉が転がっている。これだけ見ると、スーパーで売っている牛肉とさほど変わらないように感じる。ただし僕の足元には、取り出した内臓や余計な脂肪を捨てていっぱいになったバケツがあり、その辺りはスーパーとはまるっきり違う。

 時刻は九時を回った頃だ。ハナミを狙うツアーは夕飯の時刻が遅くなりがちなのが大きな欠点と聞いていたが、本当に解体というのは時間がかかる。特に他のグループは皮剥ぎに手間取っているようなので、ヅツミはそちらのヘルプに向かった。内臓、特に消化器系を傷つけてしまったグループは、内容物が肉について大変そうだ。タマセも洗うのを手伝っている。

 僕は細々とバーベキューの準備をしながら、ひとつながりに美しく剥がれた亜人間の皮と、そこに丸ごと切り落とされてくっついたままの顔を眺めた。壁のフックに吊るされて干されている。脳も内臓もこの後研究資料になるそうだ。一部には、顔や皮部分の熱心な収集家もいると聞いているが、僕はこれらを大量に部屋に吊るしたいとは思わない。逆さに吊られた顔とはもう目が合わず、この個体が生きていたという感覚も薄れていく。ノコギリで胸骨を開かれて内臓をまとめて引き抜かれた時も、脂を切り取りすぎないよう繊細に皮を剥がれていた時も、ずっと同じ虚ろな顔をしていた。後半は、壁に吊るされたまま、自分の背骨がゆっくり外されていくのを黙って見ていた。生気の抜けた、という表現がしっくりくる顔つきだった。今だって、僕がその肉を焼くためのグリルを用意しているのを静かに眺めている。

 僕はその寡黙な視線を背に、表に出た。


 着火剤のオレンジの火が黒炭に移っていく。パチパチと心地よい音がする。

「はあ〜〜疲れた! グリルの調子どう?」

 解体作業を終えたヅツミが旧三号館の正面玄関から出てくる。内部は電気が通っているものの、自動ドアまでは動いておらず、ヅツミは古びて重たいドアを鬱陶しそうに押し開ける。

「お! いい感じじゃん! 腹減ったからもう焼き始めたいくらいだわ」

「温度的にはいけなくもないかと」

 僕がそう返すと、ヅツミはいそいそと亜人肉を袋から取り出した。

「ちょっと早いけど、焼くか! 肩ロース!」

 肉に塩胡椒を軽く振り、オリーブオイルも塗りつける。それを火の強いところで表面を炙ったのち、アルミホイルに入れて弱火で二、三十分ゆっくり加熱する。それが完成する頃には、他のグループも作業を終え、皆で食事にありつくことができた。無骨なエプロンと血塗れの手袋を外したタマセも、嬉しそうに肉と野菜をグリルに乗せていく。

「どうだった? 今回のキャンパス・ツアーは」

 グリルに炭を足しながら、ヅツミは僕に話しかける。

「……色々と考えさせられる経験だった、と言ったら月並みでしょうか」

「初めての学食なんて、みんなそんなもんじゃない? 肉食ってみたら、また色々考えるかもしれないし」

 ほんとはレバーとかハツも食いたいんだけどなあ、とヅツミが笑う。

「早く安全性が証明されるといいですね」

「出来れば、生レバーまでOKしてくれたら最高なんだけど!」

 本当に学食が好きなのだろう、ヅツミは今日一番目を輝かせている。そんなに美味しいものなのだろうか。

「亜人間の肉って、ちょっと塩辛いんだよね。それで程よく歯ごたえがあって……これがもう酒に合うんだわ……」

 僕はギリギリ未成年なので酒は飲めないが、その恍惚とした表情を見ていると、酒との組み合わせもまた美味なのだろうと思われた。

 実際食してみた感想も概ねその通りで、アルミホイルで焼いた亜人間肉は、振った塩胡椒の割にはしっかりとした塩味がついていた。よく高級な肉は甘みがあると言うが、むしろこちらは塩気があった。貝や魚の塩気とも違う、香辛料的な風味が感じられる。何を食べたらこの味の肉になるのか、つくづく不思議に思われた。噛みごたえがあり、肉汁もそれなりにある。

「どう? 美味しい?」

 ヅツミが僕に問いかける。僕は肉をしっかり咀嚼しながら頷く。疲れた後の塩味はなおさら美味しく感じられた。

「気に入ったら是非また来てくれよ、なっ」

 缶ビールをあおりながらヅツミが笑う。また来るかどうかは、僕が今日のこの体験を今後どう思い出すかによるだろう。美味しかった、楽しかった、と思えたならまた来るだろうし、やはり解体するのは気が引ける、と思ったならもう来ないだろう。今の僕にはまだそれはわからない。それでも、この料理が美味しいことは今後もずっと変わらないだろう。

「ヅツミさん、今日もありがとうございました〜」

 肉と野菜をバランスよく乗せた皿を持って、タマセが僕らの会話に加わる。気にしないで、とヅツミも笑って返す。

「今日の個体は良かったですね〜! 皮を持って帰っちゃいたくなるイケメンさんでした!」

 ……タマセが、件の亜人間皮愛好家だったという意外な事実が明らかになったものの、僕は深く追求しない。彼女なりの美的感覚があるのだろう。ほんのりと酒で頰を紅に染めたタマセは上機嫌のようだし、至極嬉しそうに今日の皮の良さを話す彼女は、ヅツミの熱烈な学食愛にも似ている。そういう点でこの二人は気が合うのだろう。僕も、そこまで嬉しそうに喋る二人の姿を見ていると、自然と好感が持てるというものだ。話の内容に共感できるかは別として、僕も横で話を聞かせてもらう。

 そうして、ほろ酔いになったヅツミとタマセの様々なツアー話を聞いているうちに、キャンパスでの夜は更けていった。



 キャンパス・ツアー。それは学食と、その食材であるウエイ亜人間を自分の目で確かめるツアーである。生きた亜人間やその習性を感じ、直接捌くツアーである。

 運がよければ、かつての大教室で寝て過ごす亜人間や、旧学生ホールで楽器を嗜む亜人間さえ見られるツアーであり、自分好みの学食に出会えるかもしれないツアーである。

 新参者の僕は、またタマセとヅツミに会えるだろうか? 答えは明確で、僕が望む限りきっとまた会えるだろう。僕がこの南大澤の地に足を運び続ける限り、彼らはいつだって、そこにいるのだ。そう――彼らの愛する亜人間たちと共に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キャンパス・ツアー 紺野透 @navy_vio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ