紫水晶の記憶3
表通りから道を一本はずれただけで、途端に人通りが少なくなる。
道の両脇に並ぶ店の看板のほとんどには、酒のマークが描かれていた。まだ日が高い現在では、開いている店はとても少ないようだ。
「ガラ悪……」
通りを歩く人たちを見て、ヒューはポツリと感想をもらした。
「まあ、色んな人や物が集まるとこみたいだしね」
ヒューの意見に同意しながら、ユリィは肩をすくめた。
ここはルーンの街。
三王国が接する国境に隣接した流通の拠点である。
様々なモノが集まるが故に生まれる光と影。表通りから一本外れたこの道は、まさにその影の部分だ。
一歩踏み出す度に、ジロジロと投げられる視線が鬱陶しい。
「ユリィ、あったか?」
肩に乗ったユリィに小声で問いかける。街中では、ユリィは姿隠しの魔術で普通の人間には見えないようにしているためだ。
「んー……。あ、あった!」
目を凝らしていたユリィが、明るい声をあげた。道の先を指差す。
「ほら、あそこ」
ユリィの示す場所へ近付いていくと、一つの看板が目に入った。
「“鍵を持ちし鳥”。確かにここだな」
「古代語で書かれた看板じゃ、普通の人は読めないわよねぇ」
商売する気あるのかしら、とユリィは首を傾げた。苦笑したヒューが同意する。
「確かに。読めるのは魔導師か学者くらいだしな」
でも、とドアに手を伸ばしながら続ける。
「元魔導師の情報屋ってのは確かだって可能性はあがったよな」
「まあ、そうね」
ユリィの返事と、ドアを開く音が重なった。
「こんちはー」
声をかけながら、店内に足を踏み入れる。
入り口右手のカウンターの中の人影が振り返った。
「悪いね。店は夕方から……って何だ。子供かい」
一瞬、面食らって動きを止めたヒューだが、我に返ると力強く足を踏み出した。顔を赤くしながら捲し立てる。
「オレ、十八歳なんだけど! 十八ってこの国じゃ成人だよな!?」
いきり立つヒューを見て、カウンター内の人物はからからと豪快に笑った。高い位置で結われた赤い髪が、動きに合わせて揺れる。
「悪い悪い。随分と幼く見えたから」
「すいませんね。童顔なもので!」
「ホントに悪かったよ。お詫びに一杯どうだい?」
そう言うと、女性は手にしたボトルを軽く振ってみせた。
「おごり?」
「一杯だけだよ」
「じゃ、遠慮なく」
「……遠慮しなさいよ」
いそいそとカウンター席につくと、ユリィのため息が聞こえた。グラスに酒をついでいた女性が、ふと顔を上げる。
「おや、かわいいお客さんだね」
そう言って笑う。視線は間違いなくユリィを捉えていて、ヒューたちは顔を見合わせた。
「マスター……見えてる?」
「アニタでいいよ。……ああ、見えてるねえ」
頷いて、アニタはグラスをヒューの前に置いた。
途端、ヒューたちの顔が輝いた。それぞれの指と手のひらを合わせて、歓声をあげる。
姿隠しの魔術を使っている妖精を見ることが出来るのは、魔力を操る魔導師だけ。つまり彼女こそ――。
「元魔導師の情報屋?」
問い掛けに、アニタは片眉をあげて答えた。煙草を取り出して火をつける。
「お目当ては? 少年」
「ヒューだよ。……古代魔術。特に、時空移動に関する情報」
ヒューの答えに、アニタは目を丸くした。小さく口笛を吹く。
「そりゃまた大きく出たもんだ。その若さで妖精連れなだけはあるねえ。末は稀代の大魔導師かい?」
またまた豪快にアニタは笑う。お遊びか何かだと思われているようだ。
ため息をついたヒューは、カウンターに身を乗り出した。低く囁く。
「三百年後から来たって言ったら信じる?」
ピタリとアニタが笑いをおさめた。なめるようにヒューを見る。
「そりゃあ、既に大魔導師だね。一度時空移動に成功してるなら、今更どんな情報が必要なんだい?」
もっともな意見に、ヒューは肩をすくめた。自らの意志で行ったものならどんなにか良かったか。
「事故みたいなもんだからさ」
「なるほどねえ」
「頼むよ。……何としてでも戻らなきゃならないんだ」
まっすぐにアニタを見つめる。アニタも黙ってその視線を受け止めた。
続いた沈黙を破ったのはアニタのため息だった。
「金貨十枚」
トンっと指でカウンターを叩く。
顔を輝かせたヒューが荷物を漁り、金貨の詰まった袋を取り出した。
「商談成立」
にっと笑って、金貨十枚をカウンターに置いた。中身を確認したアニタが小さく口笛を吹く。大分短くなった煙草の火を消して、もう一度ヒューを見た。試すような眼差しにごくりと喉を鳴らしながらも、ヒューは負けじと見つめ返した。
ふっと唇を笑みの形に刻んだアニタが口を開きかけた時、店の扉が開いた。
「悪いね。まだ準備中……ああ、あんたかい」
入ってきた人物を見て、口調が親しげなものに変わる。何気なく振り返ったヒューとユリィは、驚きに目をみはった。
入口に立つ男は、チラリとヒューに視線を投げると、すぐに興味を失ったのかさっさと奥の席に座った。
「ちょっとヒュー! あいつって……」
耳打ちしてくるユリィに、ヒューは頷きを返した。気付かれないよう視線を向ける。
黒髪に黒い服――全身黒ずくめの青年。
カラッケンの街周辺で二回、出会った男に間違いなかった。
「悪いね。常連なんだ」
ヒューに手を合わせてから、手早く酒の用意を整える。男の席へと向かうアニタの背を見ながら、ユリィが囁いた。
「偶然って怖いわよね~。でも、今回で三回目だし、ここまで来ると必然かしら」
「偶然だろ。世界って案外狭いのな」
肩をすくめて、ヒューは目の前のグラスを取った。一口飲んで顔をしかめる。
思っていたより強い。
グラスを置いてチラリと男を見やると、目が合った。試しに手をあげてみるが、あっさり無視される。
「知り合いだったのかい?」
ちょうどカウンター内に戻ってきたアニタに問われ、曖昧に笑う。
「知ってるのは顔だけ」
「ふぅん。……あいつ、この辺りじゃそこそこ有名人でね。〈魔狩りのギル〉って呼ばれてる」
「魔狩り……? 魔物を狩ることが仕事? でも、あいつ……」
眉をひそめたヒューを見て、アニタは身を寄せてきた。声を落として囁くように訊ねた。
「気付いてたのかい?」
「見りゃわかるよ。……あの目」
前髪に隠れた左目。
最初に会ったときにはっきりと見た。
「紫の目は、人間には決して顕れない。神か魔か、もしくは……」
「神と人、魔と人との混血」
ヒューの後を継いで、ユリィがポツリと呟いた。
神は滅多に人界に干渉しないため、紫の目を持つ者は、そのほとんどが魔物と人との混血である。
つまり、あの青年――ギルには半分魔物の血が流れているわけだ。
「何で……」
知らず、言葉がついて出た。
「半分は、同族なのに」
どうして、あんなに無感動に魔物を斬り捨てられるのか。
理解できないと首を横に振る。
「生きるためだ」
ふいに、新たな声が加わった。
ハッと振り返ると、ギルがこちらを見ていた。射るような視線に、思わず身をすくめた。それでも好奇心が勝る。
「……生きるため?」
ギルが嘆息して、そっぽを向いた。アニタが後を継ぐ。
「混血が何て呼ばれてるかは知ってるかい?」
「……禁忌の子」
答えながら、理解した。
人と同じ外見をしながら人よりも遥かに長い時を生き、人が持つことのない特殊な能力を持つ者たち。
人々は、禁忌の子を恐れ、嫌う。
そんな彼らが普通の仕事に就くことは難しいだろう。
生きるために、魔物を狩る。それがギルの選んだ生き方なのだ。
「さーて!」
重く沈み込んだ空気を吹き飛ばすように、アニタがパンっと手を叩いた。
「待たせて悪いね。あんたらの用事を済ませようか」
慌ててヒューは居住まいを正した。聞き逃すまいと真剣に耳を傾ける。
「この街の中央部に大きな屋敷がある。オースティン家という古くからの名家だ」
ピクリとギルの肩が動いたが、誰一人気付いた者はいなかった。
「先代当主が、古代魔術を研究する学者だったらしくて、蔵書の中に時空移動に関する書物があるそうだよ」
「本当か!?」
ガタンと音を立てて、ヒューは身を乗り出した。その目は期待に輝いている。
まさかこんなに直接的な情報が手に入るとは思っていなかった。
「本当さ。屋敷に招かれた何人かの魔導師と学者が、書物を前に自慢されたと話してる」
「ありがとう!!」
満面の笑顔で礼を述べると、ヒューは勢いよく席を立った。軽やかに店を飛び出していく。
「ちょっと待……あぁ、行っちまった」
アニタの制止の声も届かない。
音を立てて閉まった扉を見て、アニタは肩をすくめた。
ある意味もっとも重要な部分を聞き逃していった。おそらく、一時間もしない内に戻ってくるだろう。きっとがっくりとうなだれて。
そんな姿が思い浮かんでクスクス笑っていると、低い声が彼女を呼んだ。
「オースティン家の現当主の名は?」
ギルに見えないようにアニタは片眉を上げた。
珍しいこともある。いつも世情や他人のことに興味を示さなかった男が。
「そうだねぇ。銅貨一枚かね」
通りを歩く誰かに聞けばタダで教えてくれるようなことだが、それでも情報は情報だ。
怒るかとも思ったが、弧を描いた銅貨がアニタの手元に落ちた。
「カイザーだよ。カイザー・オースティン。八十を越えたじいさんだけど、まだまだ隠居する気はないらしいね」
「…………そうか」
手にしたグラスで覆い隠された口元が、笑みの形に刻まれる。
「カイザー……!」
低い呟きはアニタの耳には届かない。
グラスの中の氷が、カランと小さく音を立てた。
「何でだよ!」
ルーンの街の中央部。様々な屋敷が立ち並ぶ中、一際大きい屋敷の前で少年がひとり叫んでいた。少年の前に立つ衛兵は、一切表情を動かさない。対称的なその姿に、時折屋敷の前を通りかかる者は奇異の眼差しを向けていく。
「旦那様はお忙しい。お前のような者と会う時間などない」
「いや、だから! ちょっと本を見せてくれるだけでいいんだって!」
「旦那様の許可なくそんなことなどできん」
「だったらその旦那様に……ああもう!」
また元に戻る会話に、少年――ヒューは地団駄を踏んだ。
かれこれ二十分以上こんなやり取りが続いている。
衛兵の一人がため息をついてヒューへと近付いてきた。がしっと遠慮なくヒューの首ねっこを掴む。
「え、ちょっ……!」
そのままズルズルと引きずられ、大通りでポイっと捨てられた。
「オレはゴミじゃねぇぞー!」
何事もなかったように去っていく衛兵の背中に叫ぶも、振り返ることすらなかった。
「大丈夫?」
「ケツ打った……」
あの野郎、とブツブツ言いながら、ヒューは立ち上がる。心配そうに覗き込むユリィには、大丈夫だと笑いかけた。
だが、すぐに顔をしかめて愚痴をこぼし始めた。
「ったく、何なんだよ。融通きかねえの」
「子供だと思ってなめられたんじゃない?」
「……あっさり言うなよな。オレだって傷つくんだけど」
「あら、ごめんなさい」
くすくすと笑ったユリィが、ふと小首を傾げた。
「ねえ、ヒュー。おしゃべりはここまでにしない?」
「何で?」
「だって……」
ユリィは困ったように頬に手を当てる。だが、その口元がかすかに笑っている。
「これ以上はヒューに変人のレッテルが貼られちゃうもの」
ハッとヒューは辺りを見回した。
通り過ぎる人たち、道端で話し込んでいる人たち。皆一様に不審な目でこちらを見ている。
忘れていた。
今のユリィは姿隠しの魔術を使っている。人々には、ヒューが空中に向かって話しかけているようにしか見えないはずだ。
早くこの場を立ち去ろう。そう思いつつ、ヒューは小さな声でユリィに話しかけた。
「ユリィ、頼めるか?」
「もちろん」
それだけでヒューの意図を察したユリィは、とびきりの笑顔で頷いた。
「アニタのお店で待ってて」
言うが早いか軽やかに空を切って羽ばたいた。大きな屋敷に向かう小さな姿を見送って、ヒューも足早にその場を後にした。
扉を開けると、笑顔のアニタに迎えられた。
あぁ、やっぱり。
そう言いたげな顔に、ヒューは恨みがましい視線を向けた。
「教えてくれれば良かったのに……」
「話を最後まで聞かずに出ていったのは?」
「……オレです。ごめんなさい」
間髪入れずに返ってきた言葉に、あっさりと打ち負かされる。力無くカウンターに座るヒューに、アニタはやれやれと首を振った。
「オースティン家の奴らは一般市民には冷たいからね」
「あれは馬鹿にしてるって言うと思う」
「ま、そうとも言うねえ」
笑いながら、アニタは数枚の紙を取り出した。バサリとヒューの前に放る。
「これは?」
「オースティン家に関する情報。家系図から屋敷の見取り図まで揃ってるよ」
「マジで!?」
飛びつこうとしたヒューの前に、火のついた煙草が突きつけられる。顔をあげると、アニタの笑顔があった。
「金貨一枚」
「…………」
無言でヒューは懐から金貨を取り出すと、目の前の手のひらの上に置いた。喉元まで出かかった別料金かよという言葉は無理矢理飲み込んだ。
アニタはにっこりと笑って、煙草を口にくわえる。
口元をひきつらせながら、ヒューは屋敷の見取り図を手元に引き寄せた。警備の情報と照らし合わせ、食い入るように数枚の紙を見比べる。
「どうするつもりだい?」
「んー? 忍び込むつもりだけど?」
予想通りの答えにアニタはため息をつく。そこへ、新たな声が加わった。
「俺も連れていけ」
驚いて振り返ると、奥の席のギルがこちらを見ていた。黒の瞳は有無を言わせぬ迫力で、思わず喉が鳴った。
「な、何で」
「当主に用がある。真正面から乗り込んでもいいが、面倒だ」
「……無理じゃなくて面倒、ね」
確かにこの男の実力なら可能だろう。
だが、そうあっさり言われると素直に頷けないものがある。
「助けにこそなれ、足手まといにはならないと思うが?」
言い方に若干引っかかるものがないわけではないが、ギルの言葉は間違いではないだろう。
ふと、さっき衛兵に軽くあしらわれたことを思い出す。いざという時、きっと彼の力は大いに助けになる。
「……分かった」
ヒューが頷いた時、開いた窓から小さな影が飛び込んできた。
「ただいまー」
明るい声が店内に響く。
僅かに開いた窓から飛び込んできた小さな影は、軽やかにカウンターに降り立つと、にっこりと笑った。
「確かにあったわ。書斎の本棚よ」
「そっか! サンキュ」
労いの言葉と共に頭をなでると、ユリィはくすぐったそうに首をすくめた。
「持ってこれたら良かったんだけど、重くて無理だった」
気にするなとヒューは首を振る。確認してきてくれただけで十分だ。今はそれよりも。
「作戦会議だ」
にっと笑って、ヒューは手にした紙を振った。
忍び込むのに必要な情報はここにある。行動は早い方がいい。
――決行は、今夜だ。
優しい風が吹く場所で 和泉 @izmss
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