紫水晶の記憶2
王国歴一年。
それはこの大陸に栄える三王国が誕生した年だ。永き時に渡って続いた争いを平定した当時の三賢王は、不可侵の条約を交わし、三王国共通の暦が生まれたのである。
それから三百年の時が過ぎた今でも、三王国は条約を破ることなく存続している。
カラッケンの街は、南に位置する三王国一広大な国土を有するローランディア王国の東部にあった。観光で栄えたこの街は、郊外には自然が多いが、街の中は随分と人の手が入っている。観光客は貴族などの金持ちが多数であり、彼らが快適に過ごせるようにと発展に力を入れたためだ。
「……遅い」
街の中心部、小洒落たカフェが立ち並ぶ通りにヒューはいた。
店の壁にもたれながら、イライラと石畳の地面を蹴る。
「遅すぎるだろ……!」
待ち合わせの時間からそろそろ三時間が経とうとしている。
「ちょっとは落ち着いたら? 時間通りに来た試しがないの、分かってるじゃない」
「そうだけどさぁ」
不満げに口をとがらせるヒューに、ユリィは肩をすくめた。確かに遅すぎると心の内で同意し、高い位置で周囲を見回す。
ヒューが何度目か知らないため息をついた時、あ、とユリィが声をあげた。視線を向けると、見知った顔が器用に人混みを抜けてくる。
「いやあ、遅れました」
間延びした声には悪びれた様子はない。
「三時間」
ジト目で呟くと、男は栗色の髪に手を置いて眉尻を下げた。
「すみません。……三時間は新記録だなぁ」
「マイク?」
「ああ、いえ。すみません」
にっこりと微笑むヒューに、マイクと呼ばれた男は慌てて両手を振った。
「ったく、あんたの仕事は信用第一じゃないのか?」
呆れたようなヒューの言葉に、マイクはにこにこと頷いた。
「まあ、そうですね。僕が特殊なだけです。……扱っているモノには定評がありますから」
口元に笑みを湛えているが、眼鏡の奥の目は鋭い光を宿している。
知らず、背筋がヒヤリと凍る。
「さすが。この街の裏社会を仕切ってるだけあるな」
人畜無害な顔をしたこの男の下には、何百人もの部下がいる。
彼の武器は情報。小さな秘密から大きな陰謀まで掌握している彼に手を出そうと考える者は殆どいないと聞いた。
「それはどうも。……ところで、仕事の話ですが」
二人の顔が真剣なものに変わった。
「ああ。……どうだった?」
「結論から言いますと、直接的な収穫はゼロです」
「そうか……」
予想はしていたものの、ヒューは肩を落とした。
だが、すぐに気を取り直すとマイクに視線を向ける。
「直接的なのはって言ったよな。それ以外は?」
「元魔導師の情報屋を見つけました。魔導師としても優秀だったのに、何故か早々に一線を退いて情報屋を始めたとか。魔術に関する情報の精度はかなり高いらしいとの噂です」
「……場所は?」
ヒューの反応に満足げに笑って、マイクはすらすらと答えた。
「ここから北西にある国境近くの街ルーン。そこは色々なものが集まります。人も物も……情報も」
「ルーン、だな。サンキュ」
「いいえ。大した力になれず申し訳ない」
すまなそうに眉を下げるも、報酬の入った袋をしっかり受け取るところが彼らしい。
「さて」
マイクと別れ、歩き出したヒューの前にユリィが顔を出した。
「じゃあ次の目的地はルーンかしら」
「だな。でもその前に金稼がないとなー」
頭の後ろで腕を組んで歩くヒューの肩に乗って、ユリィはポンッと手を打った。
「ああ! また道端で占いもどきや手品もどきをやるのね!」
「もどきで悪かったな」
痛いところをつかれて、ヒューはそっぽを向いた。
この時代に来てから早二ヶ月。
一番苦労したのはお金を稼ぐことだった。
日雇いの仕事もあるにはあったが、馬車馬のように働かされ実入りは雀の涙。
仕方なく、ヒューは魔術を応用した占いや手品をすることにしたのだ。
珍しい物が好きな貴族の観光客が多いこの街では、最良の方法だったらしい。それなりに成功をおさめ、ある程度の蓄えが出来た。
しかし、それも今の情報料やこれまでの生活費で使い果たした。
「ルーンの街までの路銀。情報屋に支払う金……」
軽く計算してみたが、やはり今の懐具合では少々厳しい。
何か手っ取り早く稼げる方法はないものかと考えながら、何気なく壁を見たヒューは、ふいにピタリと足を止めた。
「ヒュー?」
怪訝そうな顔で見上げてくるユリィに、トンッと壁を叩いて示す。
そこにあったのは一枚の張り紙。
「……魔物退治?」
「今回はこれにしよう」
これまでも何回かこなしたことがあった。危険を伴うが、多額の報酬が支払われる。
「でも……これは結構大物みたいだけど」
眉をひそめたユリィは、どうやら反対のようだ。対するヒューは随分とやる気だった。
「何とかなるって。ちまちま稼ぐよりも手っ取り早いし」
「そりゃそうだけど……」
はあ、とユリィはため息をついた。
「無茶しないでよ。危なくなったら逃げる。いい?」
「はいはい」
軽い返事を返すヒューに、ユリィは再び大きなため息をついた。
カラッケンの名所の一つに、湖の中に沈む遺跡がある。天に向けてそびえ立つ二対の塔だけが、湖から顔を出しているその姿が美しいと専らの評判だった。
その湖を囲む森の中に、ヒューたちの姿があった。
「これでよしっと。準備完了!」
そう宣言して、ヒューはユリィに向けてぐっと親指を立てて見せた。
対するユリィは未だ不安を隠せないでいる。
「ねえ……本当に平気?」
「大丈夫だって! オレはそんなに弱くないぜ?」
「それは知ってるけど」
魔術の腕は平均を軽く上回っている。頭の回転も早い方だ。
けれど。
「実戦経験少ないでしょ?」
「うっ……」
「それに、接近戦もダメ」
「うう……」
容赦なく痛いところをつきまくるユリィに、ヒューはたじろぎながらも言い返した。
「だから、今回は罠を張るんだよ!」
ついさっき、準備を終えたものがまさにそれだ。
「相手の自由を奪って、そこを叩く。これならいけるだろ」
一体どこからその自信が湧いてくるのか。
やけに自信満々なヒューを見て、ユリィは肩をすくめた。
「うまくいけばいいけ……ど……」
声が途切れる。
少し離れたところから地響きが聞こえた。
二人は目だけで頷きあうと、素早くその場から離れる。少し走ったところで足を止め、ヒューは目を閉じた。集中して、罠の様子を探る。
「よし」
罠の一部に魔物が触れた形跡を感じ取り、ほくそ笑んだ。そのまま探りを入れ続ける。
そう待たずに、絶好のポイントに標的が入った。
「いくぞっ」
即座に術を発動する。
キィンッ
甲高い金属のような音が鳴って、魔物を取り囲むように青い光が天を突く。
一見、魔物を閉じこめるだけが目的のようだが、違う。光が紐状に変わり、あっという間に魔物をきつく絡めとった。
グアアァァァッ!!
魔物の咆哮が辺りに響いた。
木々の間から姿が覗く。巨大な熊のような魔物だった。
「さーて、さくっと終わらせますか」
そう言って呪文を唱え始める。
「青き水よ、凍えし刃となりて敵を貫け!」
ヒューの声に応えて湖の水面が揺らぎ、跳ね上がった水が瞬時に凍りつく。さらに槍状に形を変えて、一気に魔物へと突き刺さった。
そのままめり込んだ氷の槍に体を貫かれ、魔物は狂ったように叫びながら苦しんだ。やがて力尽きたのか、地響きを立てて倒れこむ。
「よし!」
「やったぁ!」
ヒューとユリィ、二人の歓喜の声が重なった。
ヒューが掲げた指を、ユリィの手がパチンと叩く。普通とは違う、二人なりのハイタッチ。
顔を見合わせて笑った、次の瞬間。
ユリィの表情が驚きに変わる。訝しむヒューが声をかけるより早く、青ざめた顔で叫んだ。
「よけて!」
言うが早いか自らも素早く身を返す。ヒューも何も言わずに前方へダッシュした。
ほぼ同時に、辺り一帯に木々が薙ぎ倒される音が響いた。
「なっ……!」
思わずバランスを崩すほどの衝撃がヒューを襲う。
何とか踏みとどまり、振り返った。
「ウソだろ……」
先程と同じ魔物がそこにいた。
いや、同じではない。今目の前にいる魔物の方が、二回りは大きいだろう。
魔物がその巨大な腕を振り上げる。急いでヒューは身を翻した。
ドォンッ!
背後で地面が揺れ、耐えきれずバランスを崩した。その場に膝をつく。
振り返った先で魔物が笑った気がした。
地面に叩きつけた腕を再び持ち上げようとした、その時。
――黒い影がヒューの目前を横切った。
影は魔物の腕に飛び乗ると、風のような早さで駆けあがっていく。あっという間に肩までたどり着くと、魔物が反応する前に、手にした剣をその首にめり込ませた。
魔物が暴れ出した瞬間、体を蹴って飛び降り、体重をかけて刃を進める。
黒い影──黒ずくめの青年が音もなく着地した後、首を落とされた魔物が大きな音を立てて倒れ込んだ。
青年は髪をかきあげると、呆然と自分を見上げるヒューに視線を落とした。冷ややかに告げる。
「自分の力量を考えて行動するんだな」
「な……! わ、悪かったな……」
思わず反論するも、射るような視線に語尾が弱くなる。
青年はすぐに興味を失ったのか、ヒューから目をそらすと、魔物に向き直った。再び剣を一閃させ、魔物の手首から先を切り落とすと、無造作に布で包み込んだ。
「ちょっ! それオレの獲物!」
慌ててヒューは立ち上がった。
だが、青年は無視して魔物の手を担ぎ上げる。そのままさっさと歩きだそうとした。
「待てって!」
「っ、触るな!」
思わず青年の腕を掴んで引き留めるが、勢いよく振りほどかれた。
鋭い眼光がヒューを射抜く。
――この眼差しに出会うのは二度目だ。
すべてを拒絶するような瞳に、ヒューは動くことが出来なかった。
ヒューが黙ると、青年は再び踵を返して歩き出した。遠ざかる足音に、ハッとヒューは顔を上げる。
言い忘れていたことがあった。
「助けてくれて、ありがとな!」
遠い背中に声を張り上げると、ほんの一瞬足が止まったように見えた。それ以上の反応は見えなかったから、もしかしたら気のせいかもしれない。
青年の姿が見えなくなると、どこに隠れていたのか、ユリィがひょっこりと顔を出した。
「お礼言う必要なかったんじゃない? 獲物横取りされちゃったのに」
「ま、デカい方倒したのあいつだし。偶然とはいえ二回も助けられたわけだし、な」
しょうがねえよとヒューは笑う。
「二回?」
「ほら、オレが初めてこの時代に来た日に会った……混血」
ヒューの言葉に、ユリィはポンッと手を打った。ようやく思い出したらしい。
「さーて、じゃあ街に戻りますか」
言って、ヒューは思い切り伸びをした。やはり慣れないことはするものではない。
「結局、いつも通りね」
笑ってヒューの肩に座るユリィに、ヒューも苦笑いで応える。ゆっくりと街への道を歩き出した。
ルーンの街へ旅立つ日は、まだまだ遠くなりそうだった。
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