優しい風が吹く場所で

和泉

紫水晶の記憶1

 近くからも遠くからも唸るような音がする。時折何かが爆ぜる音が聞こえたかと思えば、そことは別の場所で建物が焼け落ちていく様子が見えた。

「こっちだ! 早く!」

 かき消されぬよう必死に声を張り上げる。

 村は、炎に包まれていた。その様は、暗闇の中、赤い悪魔が縦横無尽に暴れ回っているようだった。

「早く! 聖堂の中へ!」

 逃げ惑う村人たちにヒューは指示を飛ばす。

「ヒュー!」

 ふいに名を呼ばれ、ヒューは振り返った。

 走ってきた幼なじみの姿を見留めて、ほっと息をつく。

「セナ!」

 駆け寄ってきた青年――セナも、ヒューを見て安心したように笑った。

 炎を受けて光るヒューの金色の髪にぽんっと手を乗せる。

「無事で良かった」

「お互い様だ。……そっちの状況は?」

 表情が真剣なものに変わった。

「こっちは避難終わった。後は俺たちだけだろう」

 チラリと周りの様子を伺って、セナは答える。その眉がふいにひそめられた。かなり近くで怒声が聞こえたからだ。

「……くそっ」

 村を襲い、火を放った憎き盗賊たち。

 唇を噛み締めたヒューの肩を叩き、セナが親指で聖堂を指した。ヒューが頷きを返すと、二人は同時に駆け出した。

 聖堂内に飛び込むと、中の村人たちが身をすくめてこちらに視線を投げた。怯えた瞳が、ヒューとセナを認識した途端、ほっとしたものに変わる。

 だが、何人かから不安の声が飛んできた。

「ヒュー! こんなところに逃げ込んでどうする!?」

「ここにも火をかけられたら……!」

 安心した空気が漂っていた聖堂内がざわついた。再び皆の表情が絶望的なものに変わる。

 しかし、明るい声が重い空気を吹き飛ばすように響き渡った。

「大丈夫だ!」

 ニッとヒューは笑ってみせる。

「今からここに結界を張る。剣も矢も炎も侵すことのできない結界だ」

 隣町に常駐する騎士団にも使いを出した。朝まで持ちこたえればきっと騎士団が駆けつけて来る。

「本当に……大丈夫なのか?」

 不安の消えない村人に、ヒューは笑顔を向けた。

 胸元の紫水晶のペンダントを握りしめる。

「もちろん! 〈ロシェンの魔女〉が施した術を使うんだぜ?」

 途端、聖堂内は再びざわめいた。

 だが、先程とは違う。そこかしこから安堵の声が聞こえた。

 〈ロシェンの魔女〉の名は絶大だ。

 彼女がどれだけ慕われているかは誰の目にも明らかで、ヒューはこんな時だというのに頬が緩むのを止められなかった。

「ヒュー!」

 緊迫したセナの声に、ヒューはハッと振り返った。セナの手には愛用している銃が握られている。

「早くしろ! 奴らが来る!」

「わかった!」

 叫んで、ヒューは身構えた。両手を前に突き出して、目を閉じる。

「解印」

 白い光が両手の間に生まれる。それは徐々に細長くなり、光がおさまった時には先端に透明な宝玉のついた真っ白な杖がそこにあった。

 感触を確かめるように一度くるりと回し、とんっと床を叩いた。

 再び目を閉じ、意識を集中させる。

(最後の調整から五年……。でも、きっと大丈夫)

 〈ロシェンの魔女〉が張った結界だ。そんなにヤワな筈がない。

 呪文を唱えながら、イメージを確立する。

(強化して……発動!)

 聖堂の壁を虹色の光が巡った。しかし、そう見えたのは一瞬で、光は壁の半ばでふいに弾けた。

「しまっ……!」

 反動が一気に押し寄せる。ビリビリと両腕が痺れた。

「ヒュー!!」

 駆け寄ってくる幼なじみの姿。

 それを最後に、ヒューの意識は闇に飲み込まれた――。



 ◇◆◇



 ロシェンとは遥か遠く離れた森の中を一人の男が歩いていた。

 黒髪に黒い服を纏い、昼なお暗い森では、ともすると木の影に埋もれてしまいそうである。

 ふと、男は足を止めて空を見上げる。

「…………」

 何か違和感を覚えた。

 だが、雲一つない青空にはどこにもおかしなところはない。

 片方だけ覗いた黒い瞳がすっと細められた。片側だけ長く伸ばされた前髪のせいで、もう片方の目は見えない。

「……気のせいか」

 興味が失せたのか、男は視線を戻すと再び歩き出した。

 その頭上でキラリと太陽以外の何かが光る。


 出逢いは、もうすぐそこまで迫っていた――。



 ◇◆◇



 濃い緑の匂いが鼻をくすぐる。

 その匂いでヒューは目を覚ました。

「――セナっ! みんな!」

 飛び起きようとしたが、全身を走った痛みにもう一度倒れ込む。荒い息を繰り返し、きつく目を閉じる。

 痛みが引いた頃、ふと違和感を覚えた。

 ――静かすぎる。

 聞こえるのは葉ずれの音や鳥の声。

 そして、自分が今寝転んでいるのは、感触からして床ではなく地面。

 どくん、と鼓動がなった。

 嫌な予感しかしない。

 目を閉じたままおそるおそる体を起こす。覚悟を決めて、パッと目を開けた。

「なっ……」

 絶句した。

 いや、絶句する他なかった。

 立ち並ぶ無数の木々。どこからどう見てもそこは森の中だった。

「なん……で」

 つい先程までヒューがいたロシェンは草原の中心にある村だ。何より、こんな鬱蒼とした森は近くにはなかった。

「どこ、だよ……。ここはどこなんだ!」

「カラッケンの街近くの森だけど?」

 ふいに横からかかった声に、ヒューは一瞬固まった。はじかれたように声の方を振り返る。

「……いない?」

 何故かそこには誰もいなかった。

 幻聴かと思ったが、それにしては随分と現実的な響きを伴っていた。

「ちょっと、どこ見てるの? 私はここよ!上!」

 声に従い、ゆるゆると視線を上向ける。そして、再び硬直した。

 ――確かに、いた。

 ゆるくウェーブのかかった茶色の髪に、くりっとした同色の瞳。とても愛らしい容姿の少女は、普通ではなかった。

 背中に生えた透明な羽と、その大きさ。おそらく二十センチにも満たないだろう。

「……妖精?」

 その姿はまさしく、噂に聞く妖精に相違なかった。

 妖精の少女はくるりとヒューの周りを一周すると、小さく首を傾げた。

「なあに? その珍獣でも見る目。見たところあなた魔導師みたいだし、妖精なんて珍しくないでしょう?」

「珍しくない!?」

 少女の言葉に素っ頓狂な声をあげる。そんなバカなことがあってたまるかとヒューは思った。

 百年前、人間の乱獲によって妖精はその数を激減させた。妖精を復活させようという運動が起こってはいるが、まだまだその数は少ない。数が増えるのは、きっと遠い未来――。

 そこまで考えて、ヒューはある考えに行き着いた。

「……まさか」

 自分は未来に来てしまったのだろうか。

 地面についた手がじわりと汗ばむ。ドキドキと脈打つ胸に手を当て、ぐっと服を掴んだ。

「なあ……今、何年だ?」

 唐突な質問に、少女は目をしばたたかせる。

「王国歴三一七年だけど……」

「三一七年!?」

 それが何? と問う声は、ヒューの叫び声にかき消された。驚きと信じたくないという気持ちに押されるように、ヒューは小さな少女に詰め寄る。

「なぁ、本当に今は三一七年なのか? からかってないよな?」

「な、何よぅ……。そんな嘘つくわけないじゃない」

 その迫力に少女が身をすくませて後ずさる。

 確かに嘘をつく意味がない。そう思いながらもヒューはまだその言葉を信じきれずにいた。まるで、石か何かで頭を殴られた気分だった。

 ヒューがいたのは、王国歴六一八年。

「マジ……かよ」

 未来ではなく過去。

 ゆうに三百年の時を越えていたことに愕然とする。思考は完全に停止して、目や耳から入ってくる情報を処理できずにいた。

 呆然と座り込む少年を前に、妖精の少女は困り果てていた。

 何度声をかけても反応がない。理不尽かもしれないが、段々と腹が立ってきた。

「…………もう!」

 こらえきれず、少女はえいっと腕を振りあげた。

 呼応するように、近くの木の枝がスルスルと伸びてきた。勢いをつけて、ヒューへと向かわせる。

 バシィンッ!

「ぐわっ!」

 鞭のようにしなった枝の一撃を受けて、ヒューは吹っ飛んだ。ゴロゴロと地面を転がり、近くの木に当たって止まる。

「あら……やりすぎちゃったかしら」

 動かなくなったヒューを見て、少女はちょっぴり反省した。

 スーッと空を滑るように近づいて様子を見る。

「い……つつ」

 気を失ったのは一瞬だけのようだ。ゆっくりと開かれた緑の目が少女を捉える。

「ごめんね。ちょっと力の加減間違えちゃって」

 正直ちょっとどころではないと思ったが、手を合わせて謝る少女の可愛らしさに免じてヒューは口を噤んだ。

 沈黙が落ちる中、ふいに少女がパチンと手を叩いた。

「そういえば自己紹介してなかったわね。私はユリィ。あなたは?」

「オレはヒューだよ」

 体を起こし、木に背を預けながらヒューは名乗り返した。

 ユリィはヒューの肩に座ると、ずっと気になっていたことを口にした。

「ねえ、ヒュー。あなたって変わってるわよね。どこから来たの?」

「ロシェンだよ。草原の村ロシェン」

「ロシェン……聞いたことないなぁ」

「だろうなあ」

 自嘲気味にヒューは笑う。

 この時代にはまだロシェンは存在しない。

「なぁに? どういうこと?」

「うーん、信じてもらえるか分かんねえけど……」

 怪訝そうに顔をのぞき込んでくるユリィにヒューは頭をかいた。躊躇いがちに口を開く。

「三百年後から来たって言ったら……信じる?」

 ユリィの目が大きく見開かれる。

 そりゃ驚くよなぁ、と思いながらユリィを見つめた。まじまじとユリィも見つめ返す。

 やがて、ユリィはにっこりと微笑んだ。

「未来って妖精少ないの?」

「あー……まあ、色々あってね」

「そう。どうりで珍しいもの見る目してると思った」

 魔導師なのに、と呟いてユリィはヒューの肩から離れた。目の前でくるくると回ってみせる。

「どう? 初めて妖精を見た感想は」

「すごく可愛い」

 ヒューの答えに、ユリィは満足そうに笑った。さらに問いを重ねる。

「ヒューはこれからどうするの?」

「元の時代に帰るよ」

 帰りたい。

 いや、帰らなければならない。

 キッパリと言い切ったヒューに、ユリィは純粋な疑問を投げかけた。

「どうやって?」

 ヒューは言葉に詰まった。

 そう。それが一番の問題だ。

 時空移動の魔術はある。いや、あったというべきか。それは、すでに失われた古代の高等魔術である。それに例え方法が分かったとしても、ヒューの魔力では扱えない。

 唇を噛んだヒューを見て、ユリィは口を開いた。

「契約、してあげましょうか」

 紡がれた一言にヒューはハッと息を呑んだ。

 契約――。

 それは魔導師にとっては大きな意味を持つ。

 人間より遙かに高い魔力を持つ妖精との契約は、魔導師の魔力を底上げする。だが、契約には妖精の同意が必要で、プライドの高い妖精は一定の力を持った魔導師としか契約しない。

 そもそもヒューのいた時代には妖精自体が少なかったのだ。妖精との契約など夢のまた夢だった。

「……いいのか?」

「もちろん。ヒューのこと気に入ったし」

 ニコニコとユリィは笑う。

「ありがとう、ユリィ」

 ヒューも微笑みを返して立ち上がった。まだ体は痛んだが、我慢できないほどではない。

 両手を前に突き出して、目を伏せる。

「解印」

 光が溢れ、杖を形作る。

 真っ白な杖を見て、ユリィは眩しそうに目を細めた。

「キレイね。あなたのパートナー」

「サンキュ」

 くすぐったそうにヒューは顔を綻ばせた。

 魔導師の杖。それは特別なものだった。

 三日三晩、魔力を注ぎ続けて作る、自らの半身。

 故に同じものは一つとしてなく、自らの魔力が注がれているため魔術の制御がしやすい。しかし、大きな術や儀式以外では使う機会がほとんどないので、普段は自らの体内に“しまって”あるのだ。

 大事な半身をほめられて悪い気はしない。

「じゃあ、いくぞ」

「オッケー!」

 くるりと杖を一回転させ、先端の宝玉をユリィに向ける。宝玉が、淡い光を放ち始めた。

「大地に根付き、緑なす木々。その化身たるものよ。我は請う、汝が力。その名の下に今、約定を結ばん」

 ゆっくりとヒューは閉じていた目を開いた。まっすぐにユリィを見据える。

「――ユリィ」

 低く名を紡ぐと、二人を光が包んだ。

 それは徐々に収束し、やがて杖の宝玉に吸い込まれ消えていった。

 ふう、と二人同時に息を吐く。これで契約は終了だ。

「さて、これからどうするかな」

「そうねえ。とりあえず街に行く?」

 ユリィの提案に、ヒューはそういえばと呟いた。

「さっき、近くに街があるみたいなこと言ってたよな」

「ああ、カラッケン?」

「そうそう! ……初めて聞く名前だな」

 さすが三百年前、と頭を振った。他にもヒューのいた時代と異なることが多々あるのだろう。

「じゃあ案内……」

 ガアアァァァッ……!

 ユリィの言葉を遮るように獣の咆哮が響き渡った。

 二人に緊張が走る。

「近かった……よな」

「うん……」

 声のした方向を見据え、ゴクリと喉をならす。

 魔物の相手をするのは初めてではない。だが、先程の咆哮を聞いた時、全身に鳥肌が立った。

 相当嫌な感じだ。

 ユリィも同じように感じたのか、チラリとヒューを見て言った。

「どうする? 逃げる?」

「そうしたいけど……無理っぽいな」

 きゅっと眉をひそめて、ヒューは前を見据えた。ガサリと茂みを揺らして一匹の魔物が現れた。

 灰色の毛をもった狼のような姿。だが、狼では有り得ない。二股に分かれた尻尾。血のように赤い目は、三つともギラギラと鈍い光を放っていた。

 グアアァァッ!

 威嚇するような咆哮。全身がビリビリと震えた。

「くっ……!」

 意を決して身構える。

 ユリィが素早く杖の宝玉に触れた。滑るように宝玉の中に入り込む。その途端、宝玉が淡い光を放ちだした。これでユリィの力がヒューへと伝わるのだ。

「いっけぇ!」

 素早く呪文を唱え、緑の光球を生み出す。それを勢いよく魔物に向かって放った。

 だが、魔物はあっさりとその攻撃をかわした。光球は地面を直撃して小さなクレーターを作った。

「うわ、すげっ」

 段違いにアップした魔術の威力に自分で驚く。

 しかし、今はそれどころではない。勢いよく跳躍した魔物が、ひとっ飛びにヒューへと肉薄した。

「……っ!」

 慌てて横に跳んで、鋭い爪をかわす。

 走りながら再び呪文を唱え、チラリと振り返るとすでに魔物が背後まで迫っていた。

 ギリギリまで引きつけて、真横に跳ぶ。同時に光の矢を放った。

 命中、とまではいかなかったが魔物の背中をかすめた。魔物の唸り声が響き渡る。ギロリと三つの目がヒューを睨み据えた。

「もしかしなくても……ヤバい感じ?」

 間違いない。あれは本気の目だ。

 ヒューは魔導師にしては活発な方で運動神経も悪くはないのだが、接近戦はやはり不得手だ。

 じりじりと後ずさる。トンっと背中に木の感触。逃げ場がない。

「マジかよっ……!」

 魔物が、跳んだ。

 思わずヒューは目を閉じた。

 ――だが、いくら待っても衝撃も痛みもやってこない。おそるおそるヒューは目を開けた。

「なっ……!」

 目の前の光景に、思わず息を呑む。

 魔物が浮いていた。

 いや、よく見るとその胴からは、鈍い光を放つ剣先が飛び出ていた。それを認識すると同時に、魔物の体が思い切り地面に叩きつけられる。

 視界を塞いでいた魔物の姿がなくなって、黒ずくめの男の姿が目に飛び込んできた。

 剣を振って血を払い、さらに懐から取り出した布で刀身を拭う。綺麗になったそれを鞘にしまいながら、男はチラリとヒューに視線を投げた。

「……っ」

 前髪に隠れた左目に、ヒューは目を見開いた。

 男の方はすぐに興味を失ったのか、さっさと歩き出す。ハッと我に返ったヒューは、慌ててその背に声をかけた。

「サンキューな! 助かったよ!」

 だが、男は振り返ることもなく去っていった。

「何だよ……。無愛想な奴だな」

「何言ってるの。絡まれなくて良かったわ」

「ユリィ」

 ふいに響いたソプラノに、ヒューは視線を上向けた。

 いつの間に杖から出てきたのか、ユリィは可愛い眉を顰めて呟いた。

「あいつ、混血よ」

「……分かってる」

 ユリィの言いたいことを察して、ヒューは俯く。その正体にはすぐに気付いた。

 けれど。

(あの目、は)

 ほんの一瞬視線が合わさっただけ。それなのに、やけに鮮明に刻まれた記憶。

「ババ様……」

 ぎゅっと胸元のペンダントを握る。囁くような声はユリィには届かない。

「ヒュー、行きましょ。案内するわ」

「……ああ」

 軽やかに飛ぶユリィを追いかけて、ヒューはゆっくりと歩き出した。



 ――出逢いは一瞬。

 二人の道が交わるのは、まだもう少し先のお話。

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