怪談・血吸五本蟲(ちすいごほんむし)

青葉台旭

1.夜鷹と浪人

【1】水路端の道(深夜)


   満月が煌々と江戸のまちを照らしている。丑三つ時、通りに人の影は無い。石垣で両岸を固めた水路。石垣の上は両岸とも道になっている。一本の柳がある。


   水路沿いの道を、一人の浪人(名:血沼ちぬま蛭之介ひるのすけ)が歩いてくる。四十歳くらいに見えるが、蓬髪は真っ白。怪しいほどに白い肌、一重の着流し、削げた頰、落ち窪んだ眼窩の底でギョロリと光る目。


   道の反対側から一人の若い女(名:お杉)がやって来る。巻いた茣蓙ござを抱いて、襤褸ぼろを着ているところから、夜鷹よたかすなわち最底辺の路上売春婦だと分かる。持って生まれた器量は美しいが、厳しい生活のせいか、それとも既に病魔に冒されているのか、肌にも瞳にもツヤが無い。


   浪人(血沼蛭之介)と夜鷹(お杉)、柳の木の下で、すれ違う。血沼蛭之介、振り返って、


血沼蛭之介 「おい、女っ、おい、夜鷹っ!」


   お杉、血沼の声に振り向く。


血沼 「近う寄れ」


   お杉、相手のすさんだ貧しい浪人姿を見て、皮肉な表情を浮かべ、鼻で笑いながら、


お杉 「お武家さん、悪いが店じまいだ。今夜は随分ずいぶんと客があったからね。さすがの私も疲れちまった。商売道具も油切れだ」


血沼 「これでもか?」


   言いながら、血沼は懐から小判を一枚出して見せる。お杉の顔色が変わる。


お杉 「おや、まあ……そこまで言うんなら、しょうがない。ひとつお相手をして差し上げましょう」


   お杉、血沼へ近づいていく。血沼もお杉へ近づく。柳の下で立ち止まって向かい合う二人。間近で女の顔を見た血沼、少し渋い顔をする。


血沼 「顔色が悪いな……お主、やまいに冒されておるのか?」


お杉 「ちぇっ、なんだいっ、今さら怖気おじけづいたのかい? 嫌なら良いんだ。こっちは疲れてんだよ。本当はもう帰って寝たいのさ。さあ、するのかい? しないのかい? さっさと決めとくれ」


血沼 「まあ、そうかすな。やまいは血を濁らせるのだ。においもくさくなるし、味も悪くなる。しかし一方、お主は美人だ。腐っても鯛、病人でも美人は美人。その血の味は、格別」


お杉 「は? あんた一体なにを……」


   血沼の右手がスッと上がる。五本の指がお杉に向かって広げられる。何かを予感して不安になり、お杉、二歩、三歩、後ろへ下がる。突然、突き出された浪人の五本の指が、緑色の地に黄色い斑点模様の、五匹の大きなひるに変形する。蛭になった五本の指がニューッと伸びて、お杉の首へグルグル巻きに巻きつき、締め上げる。お杉、息も出来ず、助けを呼ぶことも出来ない。五匹の蛭の吸盤状をした先端が、えりの中へ潜り込み、両の乳房の間から体内に潜り込んで心臓から直接に血を吸い取る。緑色だった蛭が見る見るうちに赤色に膨れ上がっていく。


血沼 「おお、美味いぞ、美味いぞ……夜鷹だろうがやまいだろうが、やはり血は美人に限る」


   蛭に変化へんげした指先からお杉の血を飲みながら、血沼、夜空の満月を見上げる。その顔に性的興奮の色が浮かぶ。やがて、お杉の首を絞めていた五匹の蛭の力が緩み、お杉、バッタリと地面に倒れる。全身の血を抜かれ、顔色が真っ白になっている。


血沼 「女、美味かったぞ」


   去ろうとする血沼。その後ろに、死んだはずのお杉が立ち上がる。


血沼 「何っ!」


   血沼、振り返る。確かに血を抜かれたお杉の死体が地面に横たわっている。しかし、それとは別に、そのかたわらに、死んだお杉そっくりそのままの女が立っている。立っている方のお杉の姿は半透明で、向こう側の景色が透けて見えている。血沼、驚いた顔から、何事かを理解して安心した表情に変わる。


血沼 「ふっふっふ、恨みの一念が幽霊となって姿を現したか……その恨み、何に対してじゃ? 貴様を殺して血を吸い尽くした俺への恨みか? それとも、下賎のまま死んでしまった情けない自分自身の人生に対する恨みか? それとも、自分をそのような身分にした世間の非情に対してか?」


   お杉の幽霊、何も言わず、ただ恐ろしい目で血沼をギロリとにらみ続ける。血沼、勝ち誇ったような顔。


血沼 「だが、残念よのう……俺は、血を吸った者の魂を、呪いの毒によって服従させ、自在に操ることが出来るのじゃ。

 貴様の霊魂には、既に俺の毒が回っておる。それは、死んで幽霊になった後でも、有効じゃ。

 貴様がどれ程の恨みをいだいて死のうとも、そして幽霊となってよみがえろうとも、決して、俺には逆らえぬ」


   血沼、柳のそばに立つ幽霊に指を突きつけて、


血沼 「地縛霊! 貴様は、たった今から地縛霊になるのだ! その柳の下から動くことは許さん! 永遠に! これは貴様の血を吸った俺が、血を吸われて死んだ貴様に掛けた永遠の呪いじゃ!」


   血沼、嫌らしいニヤニヤ笑いを顔に貼り付けて、柳の木から離れて行く。その後ろ姿を恨めしそうに凝視するお杉の幽霊。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪談・血吸五本蟲(ちすいごほんむし) 青葉台旭 @aobadai_akira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ