第6話 新規

部屋も代わり。


アーラの新しい生活は、思っていたほど過酷ではなかった。まぁ、肉体的に、というだけではあるが。


と言うより、基本的に文官のやる仕事が回ってきており、護衛師の仕事は執務室を離れる王子につくか訓練をするかに留まっている。


文官の資質を持っていないアーラにとって、書類仕事は慣れないことの連続だ。


3、4行の文章を読み、言い回しに間違いがないか、どこに主張があるのかをきちんと汲み取り、王子に渡すか否かを決める。


たったこれだけの事だけれど、ひとつ間違えれば1からやり直しになってしまう仕事だ。


分からないことはアーラが任されるより更に難しい書類を分けているミュンズに聞かねばならないし、ある程度溜まれば一度席を立って王子の元へ運ばなければならない。


デスクワークが苦手なアーラにとって、この仕事はまさに地獄に居るような、そんな心地になるものだった。精神的に辛いのである。


「疲れているようだな。少し休憩するか」

「あ、いえ、大丈夫です。もう少し進めなければ…」

「少し溜まってしまっても大丈夫だ。第一、次々書類を持っていっては、シンク様が参ってしまうからな。程々に休憩を入れるのが1番いいんだよ」

「そ、そうなんですか」


ミュンズに押し切られる形で休憩に入ったアーラは、大きく伸びをしたあと窓から見える訓練場を見やった。


王子の執務室から見える訓練場は、国王軍が主に使用する場所だ。

今年入隊したアーラの同期たちも、あの場所で腕を磨いている事だろう。


(モズ達はいいな、毎日身体を動かせるんだもの。護衛師も訓練は仕事の一貫だけど、事務仕事の方が多いから…)


溜息をつきそうになったが、慌てて気を引き締めた。同じ空間に、アーラの憧れであり目標でもある騎士、ミュンズがいるというのもあるが、新入りがため息などついていたら単純に顰蹙を買ってしまう。


「国王軍の訓練が気になるか」


後ろから声をかけられ、アーラはおもわず肩を揺らした。


「そう、ですね。私も、あの場所に入りたかったので」

「そうか。お前の実力なら、入れただろうな…シンク様に目をつけられれば、いずれ引き抜きにあっただろうが」

「結局私はここに来ることになっていたんですね…」

「恐らくな。運が良かったと思えばいいだろう」

「そういうものなのでしょうか」

「そういうものなのだろう」


辟易した様子で肩を落とすアーラを、ミュンズは軽い調子で笑い飛ばした。


ミュンズは序列を気にするような風体だが、案外と気さくで話しやすいということは初日に知ったことだ。


訓練の際にはアーラが直すべき点をひとつずつ丁寧に教えてくれるし、どうしても分からない書類を持っていった時は嫌な顔一つ見せずに教えてくれる。


同期の中では上司に恵まれた方であろう。完全実力主義のミクス王国には、実力は高いが下を引っ張っていくようなリーダーシップを持つ者が少ない。


リーダーシップをとるのは苦手だが、自分の経験を生かして下を引っ張る者、自分のやりたいように振る舞う者などはごまんといるわけで。


騎士にはそういったもの達が多くおり、上司に恵まれるものは僅か十数%程度だ。


そんなことを思っていると、コンコンというノック音がした。

間を置かずに開かれた扉の先にはまだ歳若い文官が立っており、はあはぁと肩で息をしながら声を出した。


「ミュンズ様、失礼致します」

「なんだ」

「上がミュンズ様を読んでいます。来月の隣国行きの件で話したいことがあると」

「そうか、すぐ行こう」

「ありがとうございます。失礼致しました」


また扉を閉め、慌ただしく帰って行った文官を見送ったアーラは、机の上を片付けるミュンズを見た。


「出られますか?」

「そうだな。遅くなるだろうから、いつも通りの時間に終わって休むといい。わからないものは私の机に置いておいて構わないから、なるべく速やかに終わらせるように」

「は、はい!」

「あの会議が終われば、しばらくは今まで以上に忙しくなるだろうがな」



ミュンズが上の文官に呼ばれてから数日後。


アーラは、王子シンクの私室に呼び出されていた。


「来週、隣国ヴェストリアーナに経つ。2人とも、それまでに準備を済ませておいて」

「はっ」

「はい…ところで、つく騎士はどれほどか、シンク様はご存じですか」

「さぁ…だけど、国王軍の新人が入るとは聞いているよ。それと、後方支援軍の第二部がつく、とも」

「後方支援軍の第二部…?」

「食料などの物資調達や、王族の身の回りの世話をする部だ。ほとんど前線には出ない、まさに後方支援と言って差し支えない部隊だな」


はて、それはなんだろうかと首をかしげたアーラに、ミュンズが説明する。


「ヴェストリアーナまでの道のりは険しいところもあるから、彼女たちには大人数用の馬車を用意してもらうんだ。アーラには、その馬車の夜間での警戒を頼みたいんだけど、大丈夫?」

「大丈夫です」

「まぁ、一緒に寝てもらうだけになるがな。夜間、外に女性がいるのは好ましくない…うちにも、腕はいいがその辺は信用がならんやつがいるからな。暇かもしれんが、護衛師の仕事として割り切ってくれ」

「はい」


細かい説明を受け、アーラは来週からの動きを頭の中で組み立てる。


隣国ヴェストリアーナは、ミクス王国周辺の国家としては最大の規模を誇る。


小国たるミクス王国を出るのは簡単だが、ヴェストリアーナに入ってからはなかなか厳しくなってくるだろう。


幸い、ヴェストリアーナもミクス王国も使う言語は同じだから、警護の時はその辺に注意した方がいいかもしれない。


「あ、アーラは日中、僕と同じ馬車ね」

「…は?」

「あははっ、ビックリするよね。けど、父さんに言われたんだ。アーラは僕と同い年だから、見聞を広めるために日が出てる間に話してみたらどうだって。ほら、アーラは僕とまともに話すこと、護衛師になって一回もないでしょ?ミュンズとはしょっちゅう無駄話してるけどね」

「あれは無駄話に入らないでしょう」


冷静なミュンズの突っ込みも意に介さず、シンクはケラケラと笑った。


(無邪気な笑みだなぁ…試合中はかっこよかった気もするけど)


惚けつつもそんなことを考えるあたり、アーラもたいがい肝が座っているのである。



「アーラ!!」

「ん…あぁ、モズ。元気にしてた?」

「まぁな。それにしてもお前、あのヴェストリアーナに行くんだろ?大丈夫か?」


廊下を歩いていたアーラに声をかけたのは、同期の中では最も優秀で、現在国王軍に新人騎士として所属しているモズだった。モズの不躾な質問に、アーラは若干半目になりながら返す。


「ひっどいわね、大丈夫よ。これでもあなたに次ぐ成績を収めて騎士になったんだから…やりたい仕事とはかけ離れているけどね」

「そんな怒るなよ、一緒に遠征に行く仲なんだからさ」

「…あぁ、そういえば王子が国王軍の新人が入るって言ってたわね。あれ、あんたの事だったの」

「俺だけじゃないさ。俺たちの代は全員ヴェストリアーナの遠征隊に組み込まれてる。何人か先輩達も混じってるけど、大半は同期だな」

「そう」


(同期、か…)

モズ以外で仲良くなった同期はいないから、誰が来るのかアーラには検討がつかなかった。


「…ねぇ、モズ以外に誰が来るの?」

「来るの?えっとな…シューク様とリリンシェ、コンノイとエルバ、あとはコルポークだ」

「へぇ…エルバ、国王軍に入れたのね」

「エルバはお前に負けてから実力が伸びてるって話題になってんぞ。リリンシェとコンノイとコルポークは歓迎試合で剣技が評価された連中だからかなり強いしな。シューク様は言わずもがな、実力と器の広さだな」

「でしょうね。」


名前を言われても顔を思い出せないが、そんなのがいた記憶はある。特にコルポークは、少しぽっちゃりとした体型ながら俊敏な動きをすると小耳に挟んだことがある気がする。


どいつもこいつも、くせが強い奴らばかりだ。


「ま、王子様や後方支援軍の警護は俺らに任せて、アーラは自分の職務を全うすればいい。サポートは任せろよ」

「はいはい、頼りにしてるわ」

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初の上司は王子様! @hinata-ishinido

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