ブリキの王冠
ニィニィゼミが鳴いている。
「んぁ…? なんだよ、コレ」
正宗は不可解なモノを見る目つきで自分の右の手のひらを睨んだ。
生ぬるい水でしめった指先に、濡れた頬。
スン、と鼻をすする自らの行動で、正宗は自分が泣いていることに気がついた。
「…は? なん、……なんで?」
隣に目をやると、座っていたはずの少女がいない。正宗は狐につままれた心地で周囲を見渡した。盛夏の日差しは衰えることなく、草木の青を焼いている。ベンチに投げ出したデニム地の太ももは、なかばの
手元に視線を落とすと、左手にはオレンジ色の瓶が握られている。
「そうだ…、あの子は。栓抜き、借りに行ってるんだっけ」
心当たりを探り、確かめるように口に含んだ。白いセーラー服の背中が、正宗の目蓋の裏によみがえる。
手の中の瓶はさほど結露していない。涙の
「ま、いずれにせよ…───たいしたことじゃ、ないだろ」
己からこぼれでた涙の
「…よし」
得体の知れない感情に区切りをつけた、そのとき。
示し合わせたようなタイミングで、いきおいよくガラス戸が開け放たれた。間髪を入れずに少女の弾んだ声が続く。
「あった、あった! 借りてきたよー」
その一声で、にわかに正宗を取り囲む空間が
「おかえり」
何の気もなく答えた正宗の言葉に、少女はパチパチと瞬きを返した。だがそれは一瞬のことで、少女の反応に正宗が何かを見いだすより早く、少女は次の言の葉を紡いだ。
「―――ただいま!」
「瓶のフタ、自分で開けられそう?」
正宗がそう尋ねると、少女は少し間を置いてから
「まずは自分でやってみるね」
と笑った。裁量は少女にゆだねたほうがいいだろう。少なくとも、こちらがいらぬ気を回すよりマシだ。
「途中で困ったら遠慮なく知らせて」
「うん」
少女の返答に気負った色がないことを確認してから、正宗は手の中のラムネ瓶へと向きなおった。
ヒガン飴に反応を示した少女なら、こちらのラムネにも食いつくのではと安直な打算を働かせた正宗だったが、その予想は虚しくも外れ、結果として選び取られたのはありふれたソーダ水だった。
鬼灯の模様を目にしたとき、少女の顔がわずかに引き
飲み口をふさいでいる栓がわりのガラス玉を瓶の中に落としこみながら、正宗はふと、そんなことを思った。だがそれも、飲み口からあふれだすラムネを受け止めるうちに思考の
夕焼けによく似た色の液体を口に含むと、爽やかな甘みと炭酸が舌の上いっぱいに広がった。喉を鳴らして飲むたびに、すっきりとした果実の芳香が
「───…ッ、こういうのって久々に飲むとホント美味いな!」
そう言いながら、それとなく隣の様子を探った瞬間だった。
正宗のすぐそばで、「ポンッ!!」と豪快な開栓の音が響き渡った。視界の先で、コイン状の物体がくるくると宙を舞う。子どもたちから"王冠"と呼び慕われるそれ――――ブリキの蓋は、金属性の輝きを煌めかせながら、みごとな放物線を描いて地面に落ちていった。
「……や…た、」
なかば
「やた…やった! いまの見た⁉ わたし、自分で―――…」
「……こぼれる、というかこぼれてる!」
「ぇ、ゔわッ⁉」
正宗の忠告に少女が反応するも時はすでに遅く。少女のスカートには炭酸まじりの大きなしずくが容赦なく降り注いでいた。正宗は思わず額に手をあてた。
「ぅあ゛――――――⁉」
裏返った少女の悲鳴は、軒下に満ちた蝉の喧騒をあわただしくかき消していった。
夏に帰る 玉門三典 @tamakado-minori
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