エピローグ



 アトキンス家の門前に、パトカーと救急車が何台もやってきた。ユーベルは救急車に乗せられて病院に運ばれる。マーティンはパトカーだ。まあ、初犯だし、ごく軽い窃盗だから、執行猶予がつくだろう。


 マーティンは刑事に連行されていくとき、タクミをふりかえった。


「アトリエに、おれの作った映像ディスクがある。ピグマリオンは、とくに出来がいい。おまえにやるよ。コンスタンチェに聞けば、どれかわかる」


「ありがとうございます」


 マーティンの乗ったパトカーを見送る。

 いつのまにか、コンスタンチェがとなりに立っていた。


「大丈夫よ。アイツは、このくらいで、ヘコタレないわ。芸術家ってのは、あんがい図太いのよ」


「そうですね」

 タクミは笑った。


 さっき納骨堂で、タクミが謎解きしてる途中で、コンスタンチェは意識をとりもどしていたらしい。


 だが、妙な内容を話してるし、マーティンはやってくるし、身の危険を感じたという。なので、ずっと気を失ったふりをしていたのだ。


 すきを見て逃げだすつもりだったというから、なかなかに、たくましい。


「ピグマリオンは、ほんとに、いい出来よ。コピーがあの塔のオーディオルームにもあるけどね。あとで、あなたの部屋に持っていってあげる」

「ありがとう」


「あーあ。新しいパトロン、見つけなくちゃ」。アンソニーは気前がよくて好きだったけど、死なれたんじゃ、しょうがないわ」


 コンスタンチェの口調は陽気なくらいだった。

 だが、言いながら、心のなかに悲しみのシグナルがかけぬけるのを、タクミはエンパシーで感じた。


 アンソニーは、ほんとに友人たちからは好かれていた。それでも、彼の孤独を埋めることはできなかった。


 もし、彼がエンパシストだったなら、どうだったのだろう?

 これほど、まわりの人たちから愛されていることを、彼自身、感じとることができていたなら?

 それでも、彼にとって、人生は無意味なものだったのだろうか?


 ダイアナの——イシスの愛がなければ。


 その夜は一晩中、邸内は警官で、ごったがえしていた。

 タクミも何度も事情聴取を受けた。

 しかし、誰にたのまれたわけでもなく、事実すべてを語りはしなかった。


 たぶん、マーティンは黙秘を続けるだろう。

 コンスタンチェも、ずっと失神していたと言いとおすそうだ。


 被疑者死亡のまま、事件の真相は闇に葬られるだろう。


 そもそも、オシリスが、自分たちの存在を世間に公表されては困るだろう。いずれ、この事件は上のほうから圧力がかかり、もみけされる。


 ダグレスにも聴取を受けたが、タクミは、こう押しとおした。


「なんか、よくわからないんだけど、アンソニーさんが急に、みんなを集めて、自分が犯人だって言って自殺したんです。

 コンスタンチェさんは失神してしまうし、僕らも止めるヒマがなくて……人が死ぬとこ見て、ユーベルも気分が悪くなるし。

 えっ? マーティンさんが共犯? それは、ありませんよ。マーティンさんは、アンさんとアーチャーさんの昔の昔の関係が明るみになると、スキャンダルになる。だから、A・Aのアルバートさんのブローチを盗んで、隠そうとしたんだって言ってました。アンさんの遺体にブローチをつけとくためで、他意はなかったって話ですけど。養ってもらってる恩義にむくいたんでしょう」


 ダグレスも、タクミがウソをついていることには気がついていたようだ。


「それでいいんですか? サイコセラピストとして後悔しないんですね?」

「後悔なんてしませんよ。だって、ほんとのことなんだから」


 世の中をななめに見ている伏し目の刑事は、これ以上、この事件を追ってもムダだと、早くも勘づいたようだ。


「そうですか」


 それで、充分ではないかと思う。

 苦しんで苦しんで生きた、クローンのアンソニーの短い生涯を思えば、すでに彼は罰されていた。


 彼の罪をあばきたてても、誰も喜ぶ者はいない。


 オリジナルダイアナは、生前、彼女を冷遇していた親せきが得するだけ。


 イシスは自分の存在を秘密にしておきたい。


 双子のアルバートは、彼自身の殺人計画もあばかれることになる。


 それなら、せめて、オリジナルのアンソニーとして、敬意を持たれたまま葬られてほしい。

 殺人を犯しはしたが、偉大な人物でもあったと、人々の記憶のなかに残ってほしいのだ。


 ただのクローンとしてではなく、オリジナルとして。


「じゃあ、僕、ユーベルが心配なんで、病院に行きますね」


 タクミが言うと、ダグレスはしょうがなさそうに肩をすくめた。タクミは立ち去ろうとして、ふと、ふりかえる。


「……僕は、これまで、エンパシストに生まれてきてよかったと言えるよう、努力して生きてきました。これからも、ずっと、そうありたいと思っています」


 ダグレスは一瞬、まぶしげにタクミを見た。

 その目は、すぐに、ふせられたが。


 病院についたのは夜明けごろだ。

 ユーベルは高気圧高酸素濃度の高圧酸素室のなかで、順調に回復していた。無酸素症などの心配もなく、すぐに帰らせてくれた。


 昼ころ、荷物をとりに、タクミとユーベルは、アトキンス家に帰った。


 ダイアナが……イシスが二人の帰りを待っていた。

「よかった。もう会えないんじゃないかと思ったわ」

「ダイア……いや、イシス」


「わたしの相続する遺産の処理をしてきました。最初は全部、相続放棄するつもりだったけど、一部は受けとって、殺されたダイアナの遺族や、マーティンとコンスタンチェにゆずったわ。アルバートさんにもね。アルバートは自分の父が最期には、どうなったのか、知ってるみたい。だけど、他言はしないと約束してくれました」


 花ざかりの庭には、タクミとユーベル、イシスの三人しかいない。警察もひきあげていて、とても静かだ。


「それで、これは、あなたに」

 イシスはものすごい額の電子ペーパーの小切手を渡してきた。

「ダメです。これは受けとれません。依頼料は、ちゃんと、もらってますし」

「でも、あなたは何度も、わたしを助けてくれた。あなたがいなければ、わたし、今、生きていないかもしれない」

「とうぜんのことをしたまでなんだけどな」


 しばらく、考える。


「じゃあ、この小切手は、ロザンナ・ダルジェという女の人にあげてください。亡くなったダイアナの生前の親友です。ダイアナの死をただ一人、心から嘆き、今でも、クローンのあなたの幸せを願っていました。これは、あの人が受けとるべきなんじゃないかな」


 イシスは微笑した。

「あなたらしいのね。それじゃ、これは、あなたから、その人に渡して。わたしは、もう行かなくちゃいけないから」


 イシスが歩いていく。

 タクミは、ドキリとした。


 イシスの向かった庭木の花かげから、オシリスが現れた。


「帰るんですね? あの場所に」


 オシリスは幸福そうだ。

 そっと、イシスの肩を抱く。


「私たちは、そのために生まれてきたからね。人々に貢献し、月面都市を平和にみちびくために。

 私はあらゆる問題を解決するためのブレインバンクだ。人類の生活環境を向上させるための発見、発明に従事し、つねに新しい知識を吸収し、研究し続けなければならない。月面都市の守護神として、生き続けなければならない。

 死ぬことは、ゆるされない。ひとつの肉体が老いれば、若いクローンの体に記憶を移植し、何度でも、よみがえる」


 思わず、タクミは叫んだ。


「そんな! それじゃ、あなたの自由はどうなるんですか? いくら、人に設計されて生まれた命だからって、人間であることに変わりはないんだ。

 あなたが、そこまで自分を犠牲にしなきゃならない理由なんて、どこにもないじゃないですか!

 オリジナルの記憶を受け継いだアンソニーは、あんなに苦しんだ。人間は二百年も三百年も生き続けるようには、最初からできてないんだ!」


 タクミは涙が浮かんでくるのを感じた。

 しかし、オシリスは笑っている。


「たしかに、アンソニーは失敗だったよ。やはり、今後は私たち二人以外には、記憶の複写はしないことにする。君の言うとおり、人は一人では永遠に生き続けることはできない。孤独にむしばまれ、心を病んでいく。だが、二人でなら生きていける。私には、イシスがいる。オシリスはイシスの愛によって、よみがえる」


 そう。エジプト神話では、イシスは死んだオシリスを生きかえらせる。


 だが、そのために不死になったオシリスは、人間の世界では暮らせなくなって、冥界の王となるのだ。


「あなたは冥界の王であることに満足している。そういうことなんですね?」


「うん。人類には道標が必要だ。地球を人間の住めない星にしてしまったのは、他ならぬ人間だ。二度と、そんなことが起きないように。

 トウドウ。私が今、開発してるのは、私の脳波であやつるESP増幅器なんだ。

 このなかに入れば、私は長期の人工睡眠に入り、ESP能力が数十倍に、はねあがる。

 私一人で月面と月の衛星軌道上のスペースコロニーのすべてを、エンパシーによってカバーできる。

 犯罪を未然にふせぎ、サイコセラピーの必要な者には、それをほどこす。

 エンパシーによる楽園を創る。

 それが、私の試みだ」


 それがほんとなら、夢みたいな世界だ。

 オシリスなら、成しとげられるかもしれない。


「でも、それじゃ、あなたは眠ったままに……」


「私の記憶をコピーしたクローンを造っておけばいいだけの話さ。交代で増幅器に入れば、一人は起きて通常の業務もできる。

 じつは、装置じたいは、もう完成しているんだ。ただ、イシスを失った私の悲嘆も増幅されて、セラピー面でよ働きに不具合が生じていた。

 しかたなく、イシスがいたころの私の記憶をサイコメトリーで感知しながら実験をかさねていたが、それも結果は今ひとつでね。しかし、こうして、イシスは帰ってきた。次こそ、いい結果が得られるだろう」


「成功するといいですね。でも、僕が二人に望むのは、いつまでも幸せでいてほしいってことです」

「ありがとう。君たちもね」


 二人は行ってしまった。


 あのオモチャ箱をひっくりかえしたような、ムーンサファリのどこか奥深くで、囚われの神として、長い長い生涯をすごすのだ。


 それでも、二人が幸福なら、それでいい。


 オシリスとイシスを見送ったあと、タクミたちも荷物をまとめて、アトキンス邸を辞去した。


 去りぎわに、コンスタンチェが約束のマーティンの映像ディスクを渡してくれた。


「元気でね。坊や。わたしも、もうじき、出ていくわ」

「マーティンさんに会ったら、よろしくと伝えてください」


 手をふって別れた。

 そして、ディアナ市内にある、タクミのワンルームマンションへ。


「しばらく、せまいけど、ガマンして。できるだけ早く、二人で暮らせるとこ見つけるから」

「うん」


 広い豪邸から、ひさびさに帰ってきて、ますます、せまく感じる。

 だが、ユーベルはご満悦だ。


「ねえ、ユーベル。これは言おうか言うまいか、迷ってたんだけど。今、言っとく。

 君のお兄さんだけどね。エドワールは、いつも君を前にすると、罪悪感を感じてるね。あんまり強い感情だから、マインドロックかけてても、見えてしまうんだ。

 彼、君がさらわれるとき、見てたんだよ。公園で生まれたばかりの妹にお乳をあげる、お母さん。元気に走りまわるお兄さん。お兄さんは七さいだった。小さい君の相手をするより、一人で遊ぶほうが楽しかった。

 ふと、かえりみると、君は知らない男と手をつないで歩いている。あれ、どうしたんだろうと思ったけど、すぐに遊びに夢中になって忘れてしまった。

 君の姿が見えないことに気づいて、お母さんが大さわぎしだして、やっと気づいたんだ。それが、大変なことだったんだって。

 お兄さんは叱られるのが怖くて、言いだせなかった。ぼく、知らない人と歩いてくユーベルを見たよ、と。

 だから、ずっと、お兄さんは自分を責め続けてきたんだ。あのとき、自分が大声だしてればよかった。ユーベルがさらわれたのは、自分のせいだって。

 わかるよね? お兄さんは、君をきらってるわけじゃないんだ。ただ自分のことが、ゆるせなくて、君を見るのがツライだけだよ。ほんとに悪いのは、君をつれさった誘拐犯だ。お兄さんじゃない。ね? お兄さんのこと、ゆるせるだろ?」


 こくんと、ユーベルは、うなずく。

 兄弟の溝は、いくらかでも埋まっただろうか?


「おれ、知ってたよ。だから離れたほうがいいんでしょ? おれが、もっとふつうに笑えるようになれば、あの人も自分をゆるせるようになる」

「そうだよ。早く、そうなるといいね」

「タクミがいてくれたら、大丈夫」


 そうだといいのだが。

 ムーンサファリでのことがあるから、タクミは、どうも自信がない。


「ねえ、もらったディスク、見てみれば?」と、ユーベルは言う。

「あ、これ、立体ホログラフィーだね」

「専用の映写機がいるんじゃないの?」

「ホログラフィックス用のゲーム機があるから、それで見れるよ」


 立体ホログラフィーを戦わせるカードバトル用の機械に、ディスクをさしこむ。


 合金材質のマンションのカベに、巨大なホログラフィーが浮きだした。


 それは通常のホログラフィーとはくらべものにならないリアルな質感を持っていて、映しだされたものが、じっさいに、そこに存在しているかのように見える。


 今さらだが、マーティンの才能は本物だった。


 そして、それを見た瞬間に、タクミは知った。

 アンソニーが前後の塔を反転させるトリックに使った種が。


「そうか! これだったんだ。これの開始位置に一時停止をかけとけば……あの塔の二階はオーディオルームだ。オーディオルームには、このディスクのコピーがあるって、コンスタンチェが言ってたよね。映写機も、あそこにある。立体ホログラフィーの映写機なんて、手のひらにのるし、本物の絵画を持ち運びするより、ずっと目立たない」


 それは、オリビエが描いたイシスの肖像だった。


 肖像から美少女がぬけだし、本物の人間になっていく映像が、実写とCGをたくみに合成して作られている。


 絵からぬけだした少女は、幻想的な世界を自由にかけぬけていく。


 ほんとの彼女は、一度だって自由だったことはなかった。これまでも、これからも、カゴの鳥。


 だけど、そこにいる彼女は、たしかに自由で。

 生き生きと、羽ばたいて……。


 不覚にも、タクミは涙がこぼれた。

「……僕、失恋したよ」

「知ってる。タクミ、あの子のこと、本気で好きだったろ?」

「うん……」

「でも、おれのために残ってくれたんだよね。火星に行かないで」

「な……なんで知ってるんだ?」


 タクミはあわてふためいた。

 そのタクミの肩に、ことんと、ユーベルが頭をのせてくる。


「オシリスが見せてくれたの、観覧車のなかのタクミと、あの子」

「うわッ。おっそろしいことするなぁ!」


 タクミの選択が違ってたら、どうしてたんだろう?


 ユーベルは笑う。


「おれ、ほんとは知ってたよ。タクミが、おれをすてて行っちゃうような人間じゃないって。だから、タクミが好き。ねえ、タクミのことは、おれが守るから、タクミは、おれを守ってよ。それなら、いいんでしょ? 恋人になっても」


「まだ、あきらめてなかったか……」

「タクミには、おれがいるよ」


 女の子みたいな顔で耳元でささやかれれば、ドキドキしてしまう自分が、なさけない。

「よーし。今日はムーンサファリで、一日フリーパスだ。遊ぶぞ!」

 失恋にひたってるヒマもない。



 ——ほんとは、わたし、トウドウさんのこと、好きになりかけてたのよ。あなたとなら火星に行ってもいい。そう思ったの。



 その夜、見た夢は、ただの夢だったかもしれないが……。

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オシリスは夢のなか 涼森巳王(東堂薫) @kaoru-todo

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