第7話さよなら、お母ちゃん①

いつまでもいつまでも…お母ちゃんはいてくれてるると思ってた。お嫁に行って離れても、子育てに疲れたとき、意味もなく電話をしても、お母ちゃんはいつも通り私の名前を呼んでくれると思ってた。

お母ちゃんは 高血圧の持病があり、脳梗塞を二回した。最初の脳梗塞は、私が子どもたちと実家でお正月を過ごした時だった。

「お母ちゃん、認知症予防に買ってきたよ」

古本屋でいろんな話を音読するような本を見つけ、読んでみてって昼寝から目が覚めてボーッとしてるお母ちゃんに渡した。

うぁらぁうぅ…

読めれふぇん…

ふざけてそんなこと言ってるのかも…って怒ってしまいました。お母ちゃんは鏡に向かってゆっくり歩いていって、頬を押さえしばらく鏡を見た後、「ちょっと寝てくる」って今度ははっきり言いながら、ベッドにむかった。

それが元旦の夕方の出来事。2日に姉たちの家族が集まる予定だった。

夕食も食べずに寝てたお母ちゃん。心配になって

「お母ちゃん、大丈夫?明日みんなくるけど、やめとこうか?」

「大丈夫。ちょっとしんどいから寝とくって言うといて」

「さっき、ほんまにしゃべれんかったん違うん?おいちゃんかちーちゃんに病院連れてってもらう?」

「言わんといて。寝てたらなおるから」

おいちゃんっていうのは、長姉のダンナ様。私の一回り上で、姉と結婚したころから、おいちゃんって呼んでて、近くに住んでる。ちーちゃんは次姉のダンナ様で、同じく近くに住んでて、車を持ってる。二人とも本当にうちの両親を大事にしてくれる人たちだ。私のダンナはというと、仕事の関係でなかなか正月には集まれない人。

次の日の朝は顔色もよく、普通に朝ごはんを食べたお母ちゃん。ほっと安心してると、またしゃべれなくなってきた。

「お母ちゃん、もうアカン!兄ちゃんどっちかにきてもらうから、病院いこ」

近い方の次姉のほうに電話した。すっ飛んできてくれた。1月2日でもちろん病院は休み。その後は次姉夫婦に任せたのだが、割りと近くの病院に緊急入院。軽い脳梗塞だったらしい。


その後また脳梗塞になり、定期的に病院で検査もしていたある日、次姉から連絡があった。

「お母ちゃん、脳になんかできてるみたい。前の検査でみつからなかったのに、結構大きいのが…。大きくなるスピードが早いから、悪性かもしれへんって。場所もあんまりよくないって。詳しくは開けてみないとわからないから、とりあえず手術するって。」


両親は頭がしゃんとしてるうちにって、流行り始めたエンディングノートを書いていた。延命治療はしない、病名、余命は伝えてほしくない、お葬式は家族葬で、自分のきょうだいたち以外は、亡くなったあとに、知らせてほしい。

とかいう内容だったと思う。


手術の結果は、やっぱり悪性の進行が早い脳腫瘍だった。余命3ヶ月。病名は伝えず、父親は認知症が少しずつ進行していたため、三人姉妹で現状を受け入れた。

私ひとり離れたところに嫁いだため、二人の姉は介護のため休職して、家も近いため、実家に住み込み、家の用事の時はひとりずつ順番に自宅に帰ったりしていた。実家は古い家のため、増築などで段差ばかりの家。それでももうお母ちゃんと過ごせる時間は、たった3ヶ月。入院中家に帰りたいってよく拗ねてたお母ちゃんのため、実家で看とることに決めた。

ベッドや介護用品のレンタルから、何もかも姉たちにまかせっきり。この頃高校生だった二人の息子たちと、毎週末明石に3時時間ほどかけて実家に通った。


いつ話せなくなるかもしれない…いつ意識がなくなるかもわからない…そんな不安の中でも、毎週両親に会いに行けるのが楽しみだった。


家族5人で同じ家で眠るのは10年以上ぶりだ。悲しいお母ちゃんの病気だけど、家族全員集まる楽しい時間を過ごせることにもなった。

認知症が進んで少しずつお父ちゃんはできることが減っていってしまったけれど、娘が三人揃うと嬉しそうにしていた。


お母ちゃんは、いったん腫瘍は摘出したけれど、取りきることができなかった。麻痺のあとつらいリハビリで少しずつ動けるようになった。ベッドのまわりをつたい歩きで一周歩けるようになったとたん、腫瘍が大きくなりはじめ、また動けなくなってきた。

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あの日のこと そのこ @melody-apricot

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