第6話阪神淡路大震災②
片付けの途中でも何度か余震があった。部屋はほとんど足の踏み場もなく、縁側で使えなくなったお皿をナイロン袋に入れていました。その日は何を食べたのかな?たぶんパンとかお菓子とか、さっと食べられるものを食べたと思います。明石市は電気もガスも水道もすぐ復旧していたので、特に不便ではありませんでした。
テレビのニュースはずっと地震の状況。火災が発生した神戸市長田区。速報では亡くなった方の名前と年齢がずっと流れていて、朝数十名だったのにどんどん亡くなった方の数が増えていきました。その夜からは両親と私、三人並んで二階で眠りました。今度大きな地震がきたら一階で眠ってたら危ないかも…って。枕元にはスニーカーもおいてたな。いつでも逃げられるように。ニュースでみた映像が頭から離れない。一階がつぶれてたり、隣にもたれるようになりながら崩れそうなマンション。燃え続ける街…どうなっているのかわからない道路…。これからどうなるのか、どうしたらいいのかわからなかった。
多分二日後か三日後、会社から電話があり、JRは須磨までは運行しているので、来られる人は来てくださいと連絡がありました。
私は山陽電車で通っていましたが、会社の最寄り駅板宿は電車が不通なので、JR須磨から歩いて来てくださいって。 一時間くらい歩けば来られるんじゃないかってことでした。そんなに歩くの??って思いながら、会社に向かうことになりました。
垂水駅で山陽電鉄からJRに乗り換えましたが、これ乗れるの?というかつて経験したこともないような混みよう。電車のダイヤは不通区間は折り返し運転だったりするので、来る電車に順番に乗る感じでした。ほとんどの人がスニーカーにリュック姿。私と同じように長い距離歩く人がほとんどなんだろうな。
やっとの思いで乗り込んだ電車はもうギューギュー詰め。身長が低い私は、片方の足が浮いたまま発車してしまい、踏ん張れずに電車が揺れるまま人に揉まれるしかありませんでした。
須磨に着いた時は、全員下車なので流れるように降りて行きました。
駅のあたりは、あまり被害がないように思えましたが、しばらく歩くと、 そこで見たのは…
ニュースで見たあの風景。建っている家を探すほうが難しいくらい。とりあえず会社がある板宿方面を目指して、歩き始めました。
歩道はふさがっているし、建っている家のすぐそばを通るのも危なそう。外壁が崩れてぼろぼろ降ってきそうなビル。信号ももちろんついていなかった。通れない道もあったので迷いながら二時間近く歩いてやっと会社に到着しました。
隣に建っていた四階建ての古いマンションがなくなっていました。前の日から来ていた人に聞くと火事で全焼したらしく、焦げ臭かった。
隣とは割りとひっついて建っていたので、トイレの窓を開けたら、マンションの中の部屋が見えることがあった。ここに住んでいた人は?
会社の人に聞くと、火事で亡くなったみたい、昨日警察がきて、なんかしてたよ。って。
事務所の自分の机もぐちゃぐちゃ。部署が変わって不安だったのに、さらにわからなくなって…。とりあえず書類やファイルなどを拾いはじめた。
私の会社は電気の卸の仕事だったので、自家発電の機械があったので、それで倉庫を照らして片付けていた。電気も水道もダメで、男性社員は軽トラで水をもらいに行って、トイレ用にバケツに貯めていた。使用後はバケツの水を直接便器に流して処理した。
1月は毎年初出の時、お得意先に商品を押し売りに近い形で、よく使う商品を置いていき、今年もよろしくお願いしますって挨拶に回った。町の小さな電気屋さんから、大きな会社まで。それが5日だった。
お客様は、神戸市須磨区、長田区がほとんどで、あと垂水区、中央区。火災が激しかった地域のお客様が多かった。まだまだ混乱していてお客様の状況も把握できていなかった。
夕方も電気がまだ通っていないし、長い距離歩かないといけなかったので3時半か4時前に帰るように言われた。
近くの家がつぶれていて荷物が散乱していた。今年の年賀状が束になって置いてあった。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
写真付きだったり、干支がプリントしてあったり…この年賀状の持ち主の家は、スライドしてペッタンコになってしまったこの家だろうか。
近所のクリーニング屋さん…ぽっちゃりした奥さんがいたけれど…クリーニング屋さんは二階が落ちてきていた。
名前は知らないけど、よく見かけてた隣のマンションの人、クリーニング屋さんの奥さん、みんな…みんな…16日の夜はいつも通り眠ったんだろう…。こんなことが起こるなんて…。
朝通った道とは違う道を通ってみた。焼け野原だった…家がない…あるのは焦げ臭いニオイ。あとは家の形を残していない焼け野原だった。戦争のドラマで見る空襲の後の風景のようだった。木の板に、
○○家、○○小学校にいます。
などの伝言もあちこちで見かけた。あの数十秒の揺れが、今までの生活や風景をこんなにも変えてしまったんだ。
やっと須磨駅に着く。須磨は折り返しの始発だったのと、少し早めに帰ったので朝よりは、すいていた。
長い距離歩いたのと、後片付けや、いろんなことを考えて、不安や気疲れで弱っていた体にガタンゴトンという規則正しい電車の揺れが心地よく、電車の中で爆睡してて、あっという間に明石に着きました。
少しずつ復興してゆく町…JRや私鉄もだんだん復活してきましたが、しばらくJRで通っていました。山陽電車の板宿が復活したのは、忘れてしまったけど、だいぶ後だったと思います。
板宿の駅前にパチンコ屋さんがありましたが、よく寄り道してたんだけど、久々にパチンコ屋さんにいってみました。台を決めて座ったらすぐに、店員のおっちゃんに、
「お姉ちゃん!よかった!無事やったんやな。しばらく見ないから心配やったんや」
どんだけ顔馴染みなん??って笑えたけど、おっちゃんも私のこと心配してくれてたんだな、ちょっと嬉しかった。
今思い出すと大変な経験をしたのですが、30年近くたつと、細かいところまで思い出せなくて…
でも毎年1月17日になると、朝イチに聞いたあのドドドーンという音、まだ薄暗い空、ミーちゃんの猫キックを思い出します。
そうそう、脱走してしまったミーちゃんは3日ほどしてガリガリに痩せて帰ってきました。パニクって必死に逃げて、家がわからなくなってたのかな?しばらく甘えん坊で一緒に寝ていましたが、余震のたびに、猛ダッシュするのは変わらなかったなぁ。
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