第5話阪神淡路大震災①

 平成7年1月17日。連休明けのこの日から私は仕事で新しい部署に変わる日だった。ひと月ほど前から、結婚退職する女の子から仕事を引き継ぎ、あ〜あ…会社に行くのイヤだなぁ〜なんて考えながら、結構早くから目が覚めていた。その頃主人とは付き合っていましたが、彼は1月から東京に転勤になり、引っ越しをしたりで、彼もその日から、東京での初出勤日だったと思います。前日に朝の6時にモーニングコールを頼まれていました。 

 飼い猫のキジトラのミーちゃんと二階のベッドでゴロゴロしていた時…

 ドドド〜ン…

 雷が近くで落ちたような耳をつんざくような音がした後、まるで巨人に家を掴まれて左右に振られているような体験したこともない強い揺れが始まりました。

 しばらくベッドで布団を頭まで被り、びっくりして逃げ出そうとするミーちゃんの首ねっこをしっかり捕まえて丸まっていましたが、ベッドの上のほうにある棚に使わなくなった黒電話が置いてあったのを思い出して、布団の隙間からのぞくと、今にも頭のあたりに落ちてきそうだったし、長い揺れでひょっとしたら家がつぶれるのかもしれないと思い始め、二階は二部屋あったんですが、部屋と部屋の境目、太い柱が二本あるところまでミーちゃんを抱いたまま移動し、体育座りでミーちゃんを膝と胸の間にしっかりはさみ、タンスや本棚が倒れる様子をみていました。私の部屋の真下に両親が寝ていましたが、家中がミシミシきしむ音、天井からおちる砂ボコリ、そして力いっぱい抵抗していたミーちゃんを守りきれず、ミーちゃんはすごい力で私を引っかき、猫キックをしながら、すごい鳴き声で階段を走って降りていきました。

 揺れがおさまったあと、下の部屋から、両親が「あれ何?地震?あ、そういえばそのこは??そのこ〜!そのこ〜!!」

 「お母ちゃん〜!」っと叫ぶと、冷静に母は言った。「スリッパはいて降りておいで。あぶないから」

 今まで夢中で忘れてたけど、とても寒い朝だった。そばにあったハンテンをはおり、ゆっくり階段を降りて行った。

 私の部屋はタンスや本棚が倒れていたけど、両親がやすんでいた部屋は棚の上に飾ってたものが落ちたくらいで、大きな本棚は倒れていなかった。もし倒れてたら大怪我だったかもしれない。

 隣の部屋の神棚の中はほぼ全部落ちていて、神棚に置いていた大黒様が見事にコタツテーブルに着地していた。

 台所の様子を見る前に、また揺れはじめた。今度こそつぶれるんじゃないかと思った。両親も上にジャンパーを着て、母から座布団を渡された。玄関のドアを開けた時、ガラガラガラっと屋根瓦がすべり落ちてきた。向かいに住んでいたオジサンが「あぶない!」と叫んでいた。ガラガラガラって音がおさまった時、両親と一緒に座布団を頭からかぶって外に出た。家の隣に空き地があり、そこに近所の人たちが同じようにパジャマ姿に上着をはおり、スリッパだったり、左右違う靴を履いてたりして、ホントに寝起き姿で着のみ着のまま外に出ていた。

「結構大きな地震やったな」 

「どこの家もつぶれてはいないみたいやな」 

 そんな話をしながら、まだ少し揺れたり、屋根瓦が滑り落ちるのを安全な空き地から見ていた。6時にセットしていた私の目覚まし時計がゆる〜いリズムで鳴っていた。とても怖い思いをした特別な朝なのに、いつも通り鳴る目覚ましの音に違和感を感じた。

 しばらくしてたびたび感じた余震もなくなったので、近所の方々も家に戻った。 

 家に入るとモーニングコールを約束していた彼に電話をした。地震のことを伝えたけど、寝ぼけてたのか、へぇ〜っていう反応しかなかった。

 確認していなかった台所を見に行くと、いわゆる観音開きの食器棚は見事に全開していて、中の食器は床に散乱。ほぼ全部割れてるお皿やカップ。まぁ、これは後で片付けようってことになった。

 部屋に戻って倒れたタンスをもとにもどしたり、洋服や本をしまったりしていた。頑張って家を守った柱には、大きな亀裂が、入っていた。

 何時頃か忘れたけど、電気が復旧してテレビをつけた。私の家は明石で家がつぶれたり、近所にもケガをしたような人はいなかった。テレビを見ると大きな被害があった神戸市の様子が映っていた。ニュース速報が流れ、神戸市○区死亡…で名前が出てたか、人数が出たのか忘れちゃったけど、まだ情報が少なかったのか、亡くなった方の人数がその時で数十名だった。それを勘違いしてた私は

「結構揺れたけど、亡くなった人おるんだな。」

と言った。

 三宮が映る…ビルが倒れて道路が塞がっていたり、大変なことになっていた。 

 何時頃か忘れたが、神戸市長田区に火災が発生したと速報が入り、画面が切り替わった。画面に映っていたのは、前の職場のあたりだった。高校卒業後、5年間販売の仕事をしていたデパートの周辺に火がせまっていた。

 高校からの紹介で就職をして、販売という職種柄、土日祝日に休みが取りにくく、またバブルの真っ最中の勢いで転職もしやすかったので、嫌いで辞めた職場ではなく、転職してからも何度か遊びに行っていた。今まさに燃えているところは、仕事帰りに寄り道をしたカフェや、アイスクリーム屋さんがあったところ…思い出がたくさんたくさんあるところだ。

「嫌だ!燃えないで!」

 何度もデパートの前が映る。同期の仲間と笑いながら歩いてたアーケードにも火の手が迫っていた。

 その後映っていたのはグニャグニャに曲がって倒れた阪神高速。割れ目のギリギリで踏ん張っていた高速バス…。被害は想像以上だった。

 これからどうなるんだろう…仕事は?生活は?電車も不通だとニュースで見た。道路も神戸のあたりは火災が発生したり、倒壊した家やビルでふさがっていたりで、とても仕事どころではない。

 嫁いだ姉たち、長女は近くの西明石のマンションに住んでいた。次女は神戸市垂水区のアパートに住んでいた。ふたりとも住まいも家族も無事でした。

 我が家は戦前から建っていて、改築や増築を繰り返していた家。明石が空襲になった時も、我が家は無事だったらしい。隣にお地蔵さんがおってやから、守ってくれてるんやろう…っていうのがうちの家族の口ぐせ。昔からの家なので庭に井戸があった。水は枯れていないけど、水道が通ってから、私たち子どもが落ちないように、コンクリートで蓋をしていた。少し隙間があったので、牛乳ビンをひもでくくって何度か井戸水をくんだことがある。もちろん飲みはしなかったが、夏場はとっても冷たくて。真夏に手足にかけて涼んだりしていた。夜店ですくってきた金魚を井戸水でいっぱいにした水槽で飼っていたら、すごく長生きして巨大に育った記憶がある。

 その思い出の井戸も地震で、家の手前まで崩れて、また大きな余震がきたら、家が危ないかもしれないということで、ここを一番になおすことになった。

 長女のダンナ様がいろいろ手配してくれて、軽トラに砂利を積んできた。母は誰かに井戸を埋める時の儀式的な話を聞いてきていた。井戸の神様に感謝もせずに埋めてしまうとよくないことが起こるらしいし…。

 井戸のことは両親や姉たちのダンナ様が頑張っていた。私は少しずつ台所の片付けを始めていた。

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