桜の木の下に死体が埋まっているからと言って、本当に掘り出そうとする奴がいるものか

曇天紫苑

第1話

 夜桜という奴は月明かりから美しさを吸い取っている。何せ死体を養分にしているというウワサが流れるくらいだから、光だって己の一部にしてしまうのだろう。


 桜の木の下には死体が埋まっている、というのは割と常識だ。少なくとも【私】が知っている範囲内では、誰もがどこかで聞いた話だと思う。

 クラスの馬鹿そうな奴らも、賢そうな奴らも、人生楽しく無さそうな暗い連中だって知っているだろう。たぶん、きっと。

 だからと言って、本当に埋まっていると信じる人はそうそう居ない。私はあり得ると感じた事は無かったし、有ったとしても誰かがあやかって埋めたのであって、オカルト的な現象ではないと信じていた。いや、間違いなくそれが真実なのだ。どこかの作家が書いた小説を真に受けてはいけない。

 つまり、ここで実際に掘り返して確認しよう、と言い出した奴が現れて、夜中に飛び出し学校の傍の桜の傍にスコップを突っ込んでいるならば、酔っているのか、ふざけているのか、もしも真剣にやっているのであれば、あるいは正気を疑うべき出来事である。

 やっているのが知人でなければ、私も警察をこっそり呼ぶくらいに不気味で日常感のない光景だった。


「おい、まだ満足しないの?」

「あー、ちょっと待って。もうちょい確認しないと不完全燃焼で終わっちゃう」


 短めの髪から土を払って、それでもやめる気配はない。私が帰りたがっているなんて、とっくに気づいている筈なのに。

 夜桜を見に行こうと誘われたのが二時間前、スコップで地面を掘り返しているこいつを眺めてからもう一時間以上は経っている。

 袖をまくって似合わない軍手など着けて、涼しい夜風もなんのそのと額は汗まみれだ。


 風が吹いて木を揺らす音だけが私達の耳に届いていた。

 私達の学校は、当時の役人が土地の安さだけを見て決めたような山の中に建っている。夜中になると民家の明かりくらいしか人の気配が無く、このくらいの時間ともなれば生活音すら聞こえない。精々が会社帰りらしき車がエンジンを吹かすくらいで、どうにも田舎らしさが漂ってしまう。

 そういう垢抜けない所はあまり好きではなかった。再開発でもなんでもして、ビルの一つや二つ建ってしまえば良いのだ。いつもは割り切って諦めるのだが、睡眠導入剤を飲み忘れた頭が疲労を訴えてきたからか、無性に腹立たしい。

 散歩をしている犬を遠目に見かけた。犬がこちらを見ていた気がする。幸い、関心を無くした風に姿を消していった。吠えられなくて良かった。


 土が飛ぶと同時に、かけ声が混ざるようになっていった。

 覗き込むと、人間を丸めて詰め込めば何とか入りきるだけの穴が出来上がっていた。なのに一向に満足する気配もなく、掘られた土が次々に放り出されていく。前から、何かしら始めると体力の限界も忘れて取り組んでしまう奴だったが、今日はことさら肉体を破壊していた。


 いつまでやっているつもりだ。やれやれとわざとらしく言って見せるも、集中していて聞こえていない。

 見ているだけでは退屈で、落ちていた紙くずを用意していたゴミ袋へ放り込んだ。昼間に誰かが花見でもやっていたのだろうか。もしくはただ木陰でハンバーガーを食べるのが楽しかったのか。

 ゴミを放置して帰るだなんて最悪だ。こっちは夜桜を楽しむ為に来て、ジュースまで持参してきたのに。やることときたら一心不乱に穴掘りを続ける姿を観賞させられて、あげくにゴミ拾い。桜も地面に転がっているしで最悪だ。

 誘われなければ今頃はお気に入りのドキュメンタリーを見ていた筈なのに、帰ってから録画で見る事になってしまった。

 付き合わなければ良かったと思ったのもこれで何度目だろうか。

 でも同行してしまうのだから私も分かりやすく断れない。なんだかんだで私と深く付き合っているただ一人の知人だ。甘くなってしまってもやむなしくらいの物だと諦めるしかない。


「フゥーッ」


 私が周囲の空き缶まで何もかも片付けた所で、ようやく一区切りついたらしく、奴がスコップを転がして伸びをした。

 スコップが落ちる音は想定よりも鈍かった。私達は一瞬顔を見合わせ、辺りを警戒したが、気づいてこちらに怒鳴り込んでくるような人はいない。

 見つかったら私まで巻き込まれて、迷惑行為の現行犯だ。そうなる事は絶対に避けたい。

 奴は手をひらひら振って、肩をぐるぐる回した。顔が赤くなっていた。

 それから、私達は無言のまま持ってきた缶ジュース(ちなみに中身はみかんゼリー味で、パッケージの指示通りに振ると固形物が震える感覚が腕に走った)と、奴の手持ちのチョコレートを分け合って口に含んだ。私の好きなカカオ強めのビターチョコを、奴は渋そうにもりもり貪っている。


「いやぁ疲れた。やっぱねえ、やるもんじゃないよ、穴掘りなんて」

「自分でやっておいてそれ言う?」

「想像以上に大変だったんだって。棺桶に人入れて埋める所もあるんでしょ? 当時の人達は凄いよ。私だったら重機持ってくる」


 自分で盛った土の上に、ズボンの汚れも構わず座り込む。気づいた時には私が振ってやったジュースを何の容赦もなく飲み干して、空いた缶をゴミ袋に詰め込んでいた。


「知ってる?」背中から土に転がって天を見上げると、奴は視線だけ私に向けた。「こういう所に並んで植わってる桜ってさ、全部クローンなんだって。だからみんな同じ時期に咲いて散るらしい」

「あー。どっかで聞いたことある」


 多分、何かの雑学番組で覚えたんだろう。誰が出演していたか微塵も思い出せないが、恐らく見た筈だ。見たと思う。恐らくは見た。

 膝を曲げて座り込む。多少の座りにくさはあったけど、服を汚すよりはよほど気楽だ。


「怖いでしょ。例えば、私とお前がクローンとして生まれてきて、背丈も顔もそっくりな人間として出会うような物だよ。学校の人達もみんな同じ顔なんだ。ゾッとするよ」

 でも、と奴が口走った。

「桜って綺麗だし、みんな綺麗なの見た目に育つのはなんか羨ましいかも」

「少しは解る。なんかこう来る物があるね。優しい色合いっていうか、桜色っていうと穏やかな雰囲気っていう感じ」

「品種の違いとかあるのかな? ショッキングピンクな感じの桜とか」

「違う種類の花じゃないの、それ」


 少なくとも、桜の色というのは柔らかいものだ。

 きっと、見ている方が勝手に騒いでいるだけなのだろう。この桜にとっては足下で騒ぎ倒す連中も、死体を掘り起こそうとする変態も、ただ見ているだけの人間も同じ様なものなのだ。


「おかしな色の桜も見たいな。黒とか、赤とか、いっそ虹色とか」

「そんなのが咲いていたとして、花びらに毒がありそうだから近づきたくないね」

「見た目に危なそうな色をしてるだけ優しさがある、って言ってもいいんじゃない? 遠目に見てる分には、毒があっても楽しめそうだし」


 くだらない話とセットだけれど、私達はやっと花見らしい行為に走った。隣が汗臭いのも、夜風のお陰かさほど気にならない。

 視界の中の桜は白色に近く、小さな花びらの集合体が木の上で咲き乱れて一輪の花を作り上げていた。夜中の静けさと月明かりのライトアップも相まって心穏やかにさせてくれた。腹立たしく思っていたのが嘘のようだ。私は、気分がよくなると数秒前の悪感情を忘れてしまう都合の良い生き物だった。二時間以上も穴掘り見学に付き合わされた事ですら、多少は許してやってもいいかと思えてくる。

 隣の奴の方が視力はずっと良い。私よりもかなり深く花びらや木の枝が見えるだろう。そう思うと哀れだ。人間も桜も多少はぼやけた視界の方が、よほど魅力的に写るものだ。


「でもさー。私らが桜を見て、きれいだなーって思うのだって、みんながそう言ってるからって所があると思うんだよね。それって、一人一人が今まで会ってきた人とか、経験とか、そういうので違ってくるんじゃない?」

 奴は目を閉じていた。

「私達だって、見た目異常に性格は違うし、生き方も、未来も違うものになる。そこの桜とこの桜、ちょっと枝の生え方が違うでしょ? きっとちょっぴり違う生え方をしたんだよ。例えほんの小さな誤差くらいの違いでも、それは違いなの」


 スコップを杖に立ち上がり、木の幹を軽く叩いている。木の枝が少しだけ揺れて、花びらが舞い落ちていった。桜の雨は奴を通り抜け、幾分かは穴の中へと降りていった。

 奴は暴れる猛獣をなだめるように桜を撫でて、得意げでさえあった。


「この子達も、自分らがクローンだなんて気にしないでいるといいな」


 桜の幹に頬を当てて、奴が「よしよし、気分を良くさせてくれてありがとう」と感謝を告げた。私に対しては何も言ってこない。なんてひどい奴だ。人間より桜の方が好きなのか

 いや、私も人間よりは桜が好きだ。桜は私を振り回さないし、冗談だって言わないだろう。


「さ、休憩終わり。続き続き」


 そのままスコップと一緒に穴へと戻り、奴が再び地面にその錆気味な鉄を突き刺した。静かな花見は数分もなく、また土をひっくり返す作業が始まった。

 またかよ。頭の中だけで言い放った。どうせ止められる気はしない。飽きるまでやらせておけばいいのだ。


「で?」見下ろして尋ねた。「なんで桜の精神的苦痛を気にかけるような人間が、そのすぐ近くで穴を掘ったりする訳よ。まったく意味不明なんだけど」

「いや、もしも死体が出てきたら、それって全部の桜の下に死体があるって事でしょ。つまりさ、その死体もクローンじゃん。クローン人間が埋まってるんだよ? 一応確認しておこうと思うじゃん。思わないの?」

「いや全然。むしろそんな事まで考えない。どうしたらそんな発想になるのかも分からない」

「えー? 想像力不足だ。もっと世の中を楽しく捉えないとつまんない人間になっちゃう」

「お前とはつまらないの価値観が違うの」


 ふーん、なんて相槌を打って、やはり手を止めずに続けている。何がこいつを駆り立てるのかは分からない。

 鼻歌まで聞こえてくる。無意味に音程が取れていて、音色としては耳にしていて不快では無い。それが一層おかしい物だ。

 土が飛び、鼻歌がやけに高い音で響いていた。私達の存在に気づく人は居ない。

 こんなに馬鹿げた事をやっているのに、誰一人として姿を見せないのはかなり運が良かった。幾らこんな場所でも、気づく人は居るだろうに。

 ひょっとしたら、私達が死体を掘り起こしている間に人類は滅びていて、私達二人だけが生き残ったのかもしれない。そして、それらの死体が全てこの土の中に埋まっているのであれば、奴の主張にも一理はある。

 そこまで考えて、あまりの馬鹿馬鹿しさに首を振った。


「そんなに掘って何も出てこなかったら、どうするの?」

「んー。死体でも埋めてみる?」

「まさか」


 死体なんかどこにあるんだよ。と尋ねると、奴はスコップを自分の頭に当てる。

 そして、「あ、土で汚れた」と呟いていた。


「例えばほら、そこの予備のスコップ、あるでしょ。それで私の頭を思い切りぶん殴ってみてよ。そのままここに丸めて捨てて、この土を被せればそれで終わり」


 見事なアルカイックスマイルで親指を立てている。

 何も知らなければ最高の笑顔だというのに。

 私は首を振って、分かりやすく軽蔑を送ってやった。どんな風で言われようと、聞き入れる価値がない。


「ぜぇったいイヤ、私に何のメリットもない」

「ないね。でも私にはある」

 にんまり笑ったままの顔がうざったい。

「即死しなかったら思ってあげるよ、お前が私を殺したら、罪悪感に苛まれて死のうとする。でも臆病なお前にはそれもできなくて、いつ私の死体が見つかるのかって毎日戦々恐々としながら過ごすんだ。血を流した私の頭を思い出して食事だって喉を通らなくて、衰弱して倒れて救急車で運ばれてさ。きっとみんなに心配して貰えるよ。私は、お前のその時の気持ちと顔を想像しながら死んでいく。良かったね」

「欠片も良くない」

「ええー? 私から見れば面白いのに。私を楽しませるために頑張ってよ」


 語るところの悪趣味さときたら、数秒ほど関係を見つめ直そうかと検討してしまう程だった。

 しかし、奴の人間性は知った上で間柄を作っているのだから仕方がない。どうしてこんな人間と私は友人になれたのか、今も謎だったしこれからも謎だろう。


「きっと、学校のみんなが長年語り継ぐ伝説になるよ。生徒の死体が桜の下から出てきたー! って。尾ひれがついて凄い噂話になったりしてね」

「最初に見つけた奴は一生忘れられない記憶になるね、絶対に」

「だろうねー。絶対に笑える。だって私の死体だよ? ……知り合いが見つけてくれたらいいのに」


 奴がまた穴を広げ始める。今までよりもペースは落ちて、息は荒くなっていた。

 死にたがっている訳ではない事くらいは知っている。そこまで短い付き合いではない。ただの悪趣味な冗談で、こいつは常々こうである。人を驚かし困らせる事が生きがいであるかの様に振る舞い、相手の反応で楽しんでいる上に、構って貰おうとする面まである。

 出会ったばかりの頃など、いちいちこいつのやらかす愚行に反応しては楽しませてしまった。一度、致命的な事件になってからは落ち着いたし、今のように奇妙な付き合いが続くきっかけにもなったから、今となっては良い思い出だが。

 別に嫌いではない。少なくとも私自身はそう思っている。例えこいつが夜中に何度も連絡をして来ようと、野良猫にかまい倒して朝から夕方まで付き合わせようと、私を引っ張り出して道路でダンスしようと、授業中に突然私を連れて屋上から飛び降りようと画策したとしても、どうしても嫌いにはなれなかった。

 桜の下に何が埋まっていようと、その見栄えの良さに変わりが無いのと同じく、奴もまたどれほどおかしな人間でも、私にとって親しい人物である事には変わらない。

 ただし、腹が立つかどうかは別問題だが。


「例えばさ」


 言われた通りに予備のスコップを持ちだした。

 心なしかずしりと重い。かつて武器にもなったこれは、多くの人の頭をザクロでも潰すようにして崩し、骨も中身もひしゃげた生物の残骸にしていたそうだ。私の持っているこれも相応に古めかしいけれど、まさか人の命を潰した経験のある鈍器ではあるまい。

 人の頭を掘るのはスコップの本懐ではない。目の前でやっているように、土を掘るのが本来の役目なのだ。しかし、人の腕だって首を絞める為にあるわけではない。


「なになに?」

「本当に、私がそうしようとしたら、どうする?」


 振り向く姿に合わせ、思い切り振りかぶった。

 鈍器はその役目を果たそうと空気を切る。

 奴は小さく悲鳴をあげた。必死にかがんで身を丸め、死を免れるべく両腕で頭を守った。

 もちろん、寸前の所で止めてやったが。


「あんたの為に殺人なんてやるわけないでしょ」


 奴も恐怖でいっぱいになっているが、私の背中にも冷や汗が流れた。

 頭を覆って隠しているが、それで身を守るつもりだったのであれば杜撰だ。鉄で思い切り叩き付ければ腕一本くらいは簡単に壊れるだろう。頭を潰すのも無理ではない。何年か前に借りた戦争映画でやっていた。現実でどうかは分からないが、この重さなら人の命の儚さを思い知らせてやるくらいはなんでもない。微塵もやる気は無いけれど。


「びっくりしたあ。死ぬかと思った」


 奴はびくびくと怯えた瞳でこちらを見返していたが、私がスコップを捨てたところでやっと調子を取り戻す。

 そうなれば早いもので、膝の土を払った時にはもう普段の通りだった。


「いざやってやったら怖がる癖に、そういう事言うなっての」

「ごめん」

「怒ってないけどね。冗談だって事くらいわかってるし」


 本気でやる奴があるものか。

 いや、本気で死体を掘り起こそうとしていたくらいなのだから、私が本気で人間の頭を掘りにかかった所で不思議でも何でも無いのだろうか。

 私はこんな事で殺人犯になるつもりは一欠片もなく、また知人友人を軽い気持ちで殺害して埋められる程に良心が麻痺した訳でもない。というのにここまで本気で取られてしまっては、まるで私が邪悪な殺戮者のようではないか。


「言っておくけど、別に殺したかったわけじゃないから。ただのドッキリ! 分かる?」

「うん。もう言わないから、実行はしないでね」

「あんたは明日になったら忘れてるよ」


 どうせ、また思いつきで私を引っ張り出すに決まっているのだ。そして私は断れずに付き合ってしまうのも容易に想像できる。奴は曖昧に笑っているが、否定はしてこなかった。

 すっかり発掘作業の手も止めて、私がスコップを拾い直すのをじっと待っていた。

 いや、続ける気が無いのだ。何か言われるのをひたすら待っている。これもまた見慣れた仕草だった。


「で、飽きたんでしょ?」

「……分かっちゃう?」

「見ればすぐにね。思いつきの行き当たりばったりに何年付き合わされたか」


 両手を合わせて拝み倒してきた。しかし私は信仰の対象ではない。


「ごめん。そんなに怒ってるとは思わなくて」

「いいよ別に。今更だし」


 スコップを担いで、そこにこいつの血や肉片が付着していない事に安心させられる。

 自分でもよく分からないが、一発驚かせてやっただけで何もかも許せてしまった。やり過ぎてしまったと反省する気持ちさえあった。

 私もこいつも、構われたがりなのだ。


「何も見つからなかったし、撤収しよっか」

「土はそのままにしていくつもり?」

「よくないかな? じゃあ、片付けるの手伝ってくれる?」


 まっぴらごめんだ。なんで私が手を貸さなきゃいけないんだ。

 予想されていたらしく「だよね」とだけ返ってきた。

 このまま放置して逃げる。それもどうかとは思うが、私が元に戻しておく気もない。何せ、人間は生きている上であらゆる他人に迷惑をかけているのだ。

 それでも最低限と、軽くスコップで三回ほど土を戻してやる。やるだけやった気になって、後は放置でさようならだ。隣のこいつは桜に一礼し、「お騒がせしてすいません」である。

 ゴミを捨てて帰る訳にもいかないので、袋の口を縛って背中で背負うと、まるでサンタクロースになった気分だった。中身はプレゼントではないが。


「明日、学校終わったら家に来てよ。桜餅があるから何個かあげる」

「了解。一応聞いておくけど、無料?」

「当たり前でしょー?」


 輝かんばかりの笑顔で覗き込まれると、眩しさで直視できなかった。

 どれほど苛立った所でこの視線を無碍にもできず、無視も出来ず、私というものは情けない。


「今日も付き合って貰っちゃったし、ありがとね。流石に一人で死体発見するかもってなると怖くてさあ。実際、見つからなかったんだけど」

「はいはい。どういたしまして。見つからなくて良かった」

「なんで?」

「見つかったらその後の事情聴取とか、なんかめんどくさそうでしょ」

「いいじゃん別に」

「ダメ」

「えー」

「ダメ」


 一切期待してなかったが、やはり何も起きなかった。起きなくていいのだ。数年後くらいにあんな事もあったなと、夜桜を見る日がくればいい。

 桜は変わらず月下で照らされていた。これと同じ光景が、同じ時間に、多数の場所で存在している。不思議な感覚だった。

 けれど、死体を探していたのは私達だけかもしれない。


「あの穴」

「んー?」

「あのまま朝になって誰かが気づいたら、きっと話題になるんじゃない? 真夜中に桜の前の土を掘ってた奴が居たら、誰だって仰天さ。ウワサになるよ」


 黙り込んでこちらをまじまじ覗き込む。

 見慣れた顔に浮かぶ感情から目を背けると、思い切り笑われた。


「へったくそな慰め!」


 背中をばしばしと叩かれ、睨み付けると愉快愉快と噴き出している。

 数分も経っていない筈なのだが、私に頭を陥没させられかけた事はもう完璧に忘れている。もう一度やる気はまるで起きず、ただ疲れた、そして少し愉快な気持ちが足を軽くした。

 今日は何とか無事に終わり、人気の少ない、むしろ、まるでない道を二人で並んで歩いた。本当に幸いだった。夜中にスコップ一つ担いで帰る所を誰かに見られたら台無しだ。

 もしも事情を聞かれたら何と答えようか。「死体を埋めようとしていた」では殺人を疑われる。「死体を見つけようとしていた」と答えたって、きっと正気を疑われる。

 死体を探していたなんて、どこかの映画じゃあるまいし。


 私達の仕業だと気づかれないままでいればいい。その上で、都市伝説の一つでも産まれてくれれば面白い。

 楽しい事になれば良いと思っている自分に、呆れてしまった。

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桜の木の下に死体が埋まっているからと言って、本当に掘り出そうとする奴がいるものか 曇天紫苑 @srcsms

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