桜花一片に願いを

青い向日葵

緘黙 -かんもく-

緘黙かんもく」という言葉を知っていますか?


 正式には「場面緘黙症ばめんかんもくしょう」といわれる一種の不安障害です。医学的に認められてまだ歴史の浅い精神疾患であり、罹患者は約二百人に一人と言われています。


 何故いきなりこのような話をするのかと言えば、私が当事者だからです。

 緘黙とは、話すことが出来ないという意味です。話したくないのではありません。話したくてたまらないのに、声が出せないのです。


 ここは絶対何か言うべきだ、一言でもいいから何か、と思って焦るほど不安症状はつのり、益々声が出なくなります。

 場面と付くのは、その症状が時と場合によって出たり出なかったりするからです。その度合いは人それぞれで、家族となら話せる人、親しい友達なら話せる人、家族とだけ話せない人、誰とも話せない人(全緘黙ぜんかんもく)など、様々あるようです。


 因みに私は、初対面か、もう二度と会わない可能性の高い人となら話せる場面緘黙でした。

 物心ついた時から中学三年生まで。多くの人が、最も楽しい時期を過ごす大切な人格形成期です。私は、この多感な時期を沈黙の中で耐え忍ぶように過ごしました。今でも、子供時代に比べれば、どんな試練や孤独や誤解も怖くないと思えるほど、その時は辛かったと感じます。


 そして、私がその症状を列記とした障害と知ったのは、つい最近のことでした。

 インターネットが普及して、ついに私も遅ればせながらスマートフォンを手にした数年前、ツイッターで当事者として名乗る若い女性から自身のアカウントをフォローして頂いたことがきっかけで「場面緘黙症」という言葉を知ったのです。


 これは人生の転機の一つでした。


 私はそれまで、話せなかったことも含めて、子供時代の不遇はすべて自分の性格の問題によるもの、自己責任と思って、自分という人格を否定して生きてきたからです。

 場面緘黙を障害として認識している人は、被害者のような感覚で苦しみから抜けたい、何とかして助かりたいと訴えていました。私にとっては目から鱗でした。そんなふうに考えてもいいんだ、自分の所為せいじゃないんだ、と一筋の光を見たような気がしました。


 克服というと、やや違和感があるので、寛解かんかいと言いたいのですが、私は高校進学に伴う大きな環境の変化を機に、場面緘黙から表向きは卒業しました。

 便宜的に話すことが出来るようになり、友達と会話したり、仕事も普通に出来ます。私は敢えて接客業を選び、お客様とのコミュニケーションを楽しむことで、話すことに自信を付けました。

 けれども、今でも電話は大の苦手ですし、家に人が訪ねてくると、ドアを開けるまで異常に緊張しますし、親しい人ほど話し方がぎこちなくなってしまいます。おそらく、印象を良く見せたい、嫌われたくない、楽しい人だと思われたい、などの思惑がプレッシャーとなって緊張に繋がり、固まってしまうのでしょう。


 固まるという表現からもわかるように、緘黙の症状の中には「緘動かんどう」というものもあり、話せないのに加えて、動けなくなります。

 学校での体育の授業などで、よくありました。団体競技チームプレイなどでは、やる気がない、協調性に欠けると見なされ、輪を乱す者として敵視されました。

 酷い誤解ですが、もちろん言い訳の一言も話せませんから、そのままです。そうやっていつも誤解されたまま一人でやり過ごし、孤立した子供として生きてきました。


 当時は不登校という選択もなく、登校拒否という言葉しかなくて、それは反逆行為とされ、親が許しませんでした。

 親の理解は、ありませんでした。甘え、或いは出来損ないの烙印を押され、私はそんな判定から逃れる為に、必死に授業を聞き、学業の成績を上げました。体育は緘動の影響もあって壊滅的でしたから、せめて座学と芸術では誰にも負けたくないと、意地になっている所もあったのでしょう。まずまずの成績で、高校は県立の進学校へ入学することが決まりました。


 それからは、ガラリと環境が変わりました。

 生まれて初めて、咲き誇る桜の花に希望を感じた春でした。真新しい制服の肩に舞い落ちる一片の花弁にも喜びを感じながら、私は自ら選んで受験し、合格した高校の門をくぐりました。


 何しろ、県外からも生徒が集まる所ですから、同じ中学校出身の人はせいぜい全校に数人、しかも同学年となると一人でした。その人とは学科が違いましたので、実質私一人です。過去の私を知る人が一人も居ない環境で、私は新しい自分として生きることにしたのです。

 最初は無口な人と思われたかもしれませんが、挨拶や自己紹介、質問の受け答えには小さな声を出すことが出来ました。自分の中では多大な進歩でした。


 部活動は演劇部に入りました。裏方の仕事に興味があったからです。ですが、入部したからには発声練習にも参加し、場合によってはキャストにもなります。

 ここで出会った友人とは特に趣味が一致して、その話から会話が弾み、気がつけば緘黙のことなど気にならなくなっていました。まさしく寛解です。


 こうして今の私へと続くわけですが、子供時代の約十年あまりを空白にしてしまった代償は大きく、どんなに人に慣れても、どこかで心を閉ざしているような感覚が抜けません。

 誰しも、百パーセント心を開くことなんてないのかもしれませんが、その感覚が私には実際わからないし、謎のまま年老いてゆくのだと思います。

 せめて、これから人生の華を咲かせる世代の若い人たちには、緘黙で苦しむことから少しでも早く逃れて、豊かなコミュニケーションの中で楽しい時を過ごしてほしいです。


 緘黙とは話せない症状、つまり伝えることが難しいという特性があります。よって、当然知られにくくなり、実際あまり知られていません。知ってどうなるかと訊かれれば、大して変わらないのかもしれませんが、少なくとも、当事者本人に悪意がなく、心底困っているのだという事実だけでも世の中に広まってほしいのです。


 そんな思いを込めて、私は創作の際、物語の中に、しばしば緘黙のことを書いています。

 強く訴えかけるような重い啓発はあまり聞いていて気持ちの良いものではないので、当事者でありながら賛同しづらいのも現状です。だからこそ。

 私に出来ること、私にしか出来ないことを。きっと、これからも続けるでしょう。不図ふとしたきっかけで、私の文章に目を通してくれた人に、緘黙という言葉と、その意味を知らせる為に。誤解に苦しむ人が、一人でも多く救われますように。




 最後までお読み頂きまして、ありがとうございます。

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