不華咲人のパビリオン

オサムフトシ

未練の募る俺の人生

 


 昼時の校舎の屋上で、無駄に眩しい日差しが俺を責め立てる。


 現社会において、学生が屋上に昼飯を食べに来る時代は終わった。そもそも施錠された屋上へ出るには教師の許可を得て鍵を手に入れるといった手間がかかる。そしてその許可がおりる事はまず無い。


 その理由は沢山ある。まず、ゆとり世代や時代の風習が原因だ。高所は危険とPTAが騒ぎ、昔に比べて生徒が不真面目と大人が喚く。そんな地域や社会の目を気にした教師はもしもの事故の責任から逃れる為にルールという名の保険を生徒に押し付ける。

 それが守れない生徒には反省文を書かせる。まあ、生徒視点だと恐喝と同じ事だろう。


 〇〇が嫌だからやらない。

 そんな完全支配の義務教育を本人の意思なく9年間押し付けられる。それが将来のためになる?いや違う。それは大人の考えで本人の意思ではない。

 それは先人が我が国の民を優秀にするために組んだシステムだ。実際その過程をクリアすれば悪くない人生を送れる。逆にクリアできない者は……

 だから親はクリアさせようと子に義務を積ませる。


 あぁ、義務教育を9年間といったな。義務教育卒業=社会人というのは大いに異なる。

 実際に高校や大学という経験を果たさないと将来は幸せになれない。そんな幅の狭い大行列、もといレールを歩かされている。

 といっても俺は別に革命を起こすつもりはないし平凡に暮らせればいいと思っていた。



 ……屋上の話だったな。出るのが禁止になった一番の原因は自殺する人間が増えた事だ。


 そもそも生物において自傷行為をするのはヒト科だけである。

 なぜ自傷行為をするのか。


 その理由は人間関係である。



 こんなにも苦しくて、辛い。誰かに伝えたい。共感して欲しい。同情して欲しい。恥ずかしい。迷惑かけたくない。笑われたくない。

 だから言えない、痛い、痛い、、痛い。……抱え込むしかない。

 匿名という何かに隠れて、誰にもバレない場所でその場しのぎの罵声を疲れ果てるまで続ける。生きている証が欲しくて、誰かに認めて欲しくて、自らの存在意義を知りたくて。

 ネットに依存する。

 意志を拡散する。快感、浸る。裏切られる。同情する、される。



 こうして現代社会というしがらみから人は落ちて行く。成功の波にたまたま上手く乗れた者は、そんな落ちこぼれを蔑みネタにする。


 だが、それは決して他人事ではない。


 環境が違えば、そうなったのは貴方だったかもしれない。


 ……俺だったかもしれない。



 人が人と成るには二つの条件がある。それは全ての人が異なる。


 環境と経験、これが人を形成する。



 なら、不幸ってなんだろう。者?運命?事象?それとも人生?

 誰がどう決めたらそれは不幸になるのだろう。

 全ての結果が決まっているのなら、いつから不幸だと決めるべきなのだろうか。いつから不幸になったというのだろうか。



 俺はそれが知りたかった。



 背後からガチャッとドアの取っ手が捻られた音がする。続くはガタついたギシギシ音。

 もっと優しく開けないのか。まあ、サビているドアだから仕方ない。



「おーい、たつみ〜?」


「……迎えにこなくても時間までには戻るつもりだったが?」


「次は移動教室だけど場所覚えてる?」


「……知るか」


「ほら!やっぱり遅刻する気だった!」


 あーしつこいしうるさい。日差しは強いがもう少しゆっくりしたかった。

 でもまぁ、こいつは俺の事を思ってここまで来てくれたんだろう。その点については感謝するべきだ。


「ありがとな」


「うん、早く行こ!私も遅刻しちゃうよ」


 彩華が俺を急かしてくるので小走りをする。掃除の行き届いてない階段を駆け下り、彩華の後を追う。



 このくだらない人生。いつまでも繰り返される毎日。こんな世界に生まれた事を憎んだ事がある。仕事で破産し、ストーカーと化した最悪の父親から逃げるため、母親につられて日本の端から端まで引っ越した事もある。ストレスと過労で母親が自殺した事もある。これからは二人で暮らしていくんだと、そう手を握った1ヶ月後に、なんも関係の無い妹が通り魔に殺された事もある。


 絶望した。涙は出なかった。自殺しようとした。生きている意味がわからなくなった。


 同じ高校の同級生だった彩華はそんな俺を支えてくれた。励ましてくれた。俺にとって大切な人であり、唯一無二の彼女になった。


 なんで彩華はこんな俺と一緒にいてくれるのだろう。彩華の人生を考えると俺とは関わらない方が絶対いいはずだ。親もいなければ生きてる意味すらない、そんな俺なんかより絶対いい人はいる。

 そして将来それに気がついた彩華は俺を捨てるだろう。それが恐ろしくて辛かった時期もあった。


 意を決して別れを告げた事もある。この理由を言ったら殴られた。「馬鹿じゃないの!?」と言われた。普通はビンタじゃないのだろうか。あの痛みは今でも思い出せる。


 一時期行かなかった学校も、彩華のおかげで行くようになった。彩華がいたから俺は今、生きている。


 でも、依存はしない。そう自分に言い聞かせている。だって、貴方が存在意義だから貴方が居なくなったら死にますって……どんなメンヘラだよって話だ。

 俺は彩華以外に生きる意味を見つけなくてはならない。そう決めていた。


 だとしても、俺には彩華以外に生きる理由がない。そして、今の俺には明るい将来が予想もつかない。

 周りに流されて意味なく学生というサイクルを繰り返す。それで俺は何を得られるのだろうか。



 そんな事をごちゃごちゃと考えていると、いつの間にか放課後になっていた。


「ほら、たつみ帰ろ」


「ああ、わかったよ」


 教室一番後ろの席に座る俺の背をスクールバッグを両手に持った彩華がどついてくる。


 ──ガシャンっ!──


 それと同時に何かが床に叩きつけられた音がした。

 俺の足元に転がっていたのは金属のバケツだ。水が少し跳ねたので不快な気持ちになる。


 しかし、バケツは俺に向けて叩きつけられた訳じゃないらしい。


「ねえぴーちゃん、なんで昨日約束したのに来なかったの?」


「いや、バイトがあるからって……」


「はあ?私達より大切だって言うの!?」


 大声で喚いてるのは女子3人組のクラスの不良だ。そして不運にも絡まれているのは、染めてるのか知らんが青の髪をした楠木璃留さんだ。

 不良共の言っている事はめちゃくちゃで正直関わりたくない。


「ねえ、さすがに酷くない?可哀想だよ」


 あー、彩華は何でそうやって堂々と言えるのだろうか。俺には無理だ。


「はあ?うちらの約束に口出すなし」


「うちらは友達なの。だよね?ぴーちゃん」


「う、……うん」


「っ!それは「彩華、行くぞ」

 ……うん」


 さすがにこれ以上は付き合ってられない。あの子も俺らのせいでいじめが余計に酷くなったら可哀想だ。

 ああいうイジメにその場しのぎは逆効果だ。根本から崩してやらないと終わらない。それには時間がかかるし偽善皆幸福主義ヒーローでもない俺はしてやるつもりはない。

 他人は他人だ。それを聞いたお前らは非情だと口を揃えて言うが、実際現実に起きたらどうする?

 ……所詮他人事なんだ。自分さえ良ければいい。そんな世の中。俺はそれを知っている。



 彩華には悪いが俺はずんずんと昇降口へ向かう。

 一切後ろを振り向かず、靴を履いてひた進む。不機嫌そうだが着いてきたので少しほっとした。


「ねえたつみ、璃留ちゃん可哀想だよ」


「……そうだな」


 正直この話はもうしたくなかった。

 なんでこいつは赤の他人まで優しいのだろうか。理解できない。でも、それに救われた人もいる……俺の事だ。


「なあ彩華、俺も引っ越してくる前に虐められた事がある。ああやって指摘するのが本人にとって逆効果になる事もあるんだよ」


 父親が破産した時からか、お前の親はろくでなしだと何故か事情を知っていた奴が罵って来たことがある。それから有りもしない事を付け足され殆どの生徒から虐めの対象になった。

 正面から誤解を解こうとしても意味はないんだ。

 あいつらは自分の立場の為に敵を作って集まるんだ。


「……よくわかんないけどさ、困ってたら助けてあげたいじゃん」


 彩華は立ち止まると下を向き、どこか悔しそうにぎゅっと両手を握りしめていた。

 ……やっぱ、お前は優しいよ。

 優しく頭に手を置いた。


「なら、救ってやるか」


「──っ!うん!」


 関わりたくなかったが今の俺はこの馬鹿の彼氏だ。彼女がこんな顔をしているんだ。偉そうに救ってやると言ったが彼女の為に俺は虐めと再び向き合う事にした。


 俺みたいに、誰かに助けを求めていたかもしれないから。

 彩華に助けられた今の俺のように……救われる人がいるかもしれないから。

 なんだかんだ俺も、偽善者なのかもしれない。




 ───


 彩華が俺のアパートまで着いてきた。ずいぶんご機嫌だ。俺が協力的だったのが嬉しかったのだろうか。


「まず勘違いの無いように言っておくが、みんな大好きハッピーエンドにはならないからな」


「なんで?虐めが無くなったらいい事じゃん」


「あのな、なんで虐めると思う?」


「……瑠璃ちゃんが可愛いから?」


「なわけあるか」


 虐めには理由がある。それは純粋な嫉妬やウザイといった気持ちから虐めになることはほぼ無い。


「つまり虐めを無くすには虐める理由を無くせばいいんだよ。人はウザイと思った人をわざわざ虐めるか?俺なら無視するね」


 結局はそういう事だ。ウザイ人は無視するだろ?めんどくさいしわざわざ自分から関わりたくない。大人でも誰だって普通はそうする。

 まあ、彩華はウザイとか思ったことあるのだろうか?こいつ若干天然だし。もういっそみんな彩華になればいいのに、経済終わりそうだけど。


「う〜ん、難しい。虐めの原因って?」


「上位のチームに居座る事だ」


 いろんな特典があるからな。発言権とか。

 どうでもいい事だが人はこれをヤリ〇ンと呼ぶ。略して陽キャ。


「彩華も少しはわかるだろ?そういうの」


「うーん、何となくね。嫌だよね」


 上位のテーブルに乗れる人数は限られている。本質はその中心にいる奴に媚びているだけだ。それは本当の友達とはいえないし、上っ面でギクシャクしている。

 虐めの対象がいないと周期的にそのテーブルから脱落者が出る。その脱落者にならない為に寄って集って虐めをするんだ。


 なら、虐めを無くすにはどうするか……



「ちゃぶ台返ししてやるんだよ。そのテーブルごと全て崩壊させるんだ」


「??」


「つまり上位チームを解散させるんだよ」


「なるほど!そうすれば虐めは起こらないね!」


 ただし……


「あんな強気の女子グループを正面から解散させるのは無理だ」


「じゃあできないじゃん!」


「でも、ひとつだけ方法がある。これはもし俺がまた虐めに合った時の為に考えた方法なんだがな」


「そんなのあるの?」


 彩華の表情が一転二転して面白い。


「言ったろ?上っ面だけでギクシャクしているって。だから上手く刺激して内部崩壊させるんだ」


 あいつらが恐れているのはチーム内のスパイだ。少しでもリーダー角のことを悪くでも言ってみろ。それを耳にしたチームメイトは自分が脱落しない為にネタにする。そして脱落させるんだ。

 なら、みんなが思っていることが同じだった場合、それを同時に口にした場合とかはどうなる?それはグループの崩壊、そして新たな派閥の誕生だ。

 そしてリーダー角はいない。同じ立場だったそいつらの新しい派閥からはリーダーは生まれない。反抗しても怖くないから意見を言い合える。

 逆に元リーダー角やその側近が虐めの対象になるかもしれないがな。


「だから言ったろ?みんな幸せハッピーエンドにはならないって」


「……他の方法ないの?」


 これには即答できる。


「無い」


 他の虐めの犠牲者を出すなら可能だが、それを彩華は良しとしないだろう。

 それに俺は、虐めをするような奴なんかに情はない。


「彩華、虐められている人は辛いんだよ。何か革命のようなものが起きない限り留まることを知らないんだ」


「……うん」


 リーダーが新たな虐めを受けるかもと言ったからかな。こいつはどこまで優しいのか。


「何か手を出すならちゃんと助けるべきだ。中途半端が一番不味い」


「……わかったよ。璃留さんは今が辛いもんね」


 わかってはいたが彩華には向いてない作戦だな。


「多分だが学校じゃ無理だ。あの3人が別々の時がいい」


 女子って所が難しい。休日に偶然を装うのが効果的だが……


「じゃあ3人の家に行く?」


「え?知ってんの?」


「うん、私学級委員じゃん。職員室いった時みんなの住所書かれた紙があって……それ覚えちゃった」


 あぁ、そういやこいつ。物覚えが良すぎるんだった。



 ───


 ピーンポーン。


「はーい、どちら様?」


「文香さんの友人です。少し話があって……」


「ちょっとまっててね」


 3人組の内のひとりの家に来た。以外に俺の家から近くて驚いた。新築なので引っ越してきたのだろうか。

 すると、ドタバタと慌ただしく玄関に近づく音がする。


「ご、ごめん!お待たせ〜……って、なんであんた達がうちに来てんの?」


 走って現れた時は笑顔だったくせに、俺らを見てから急に態度変えやがった。こいつはリーダーじゃないな。


「あ〜びっくりして損した」


「なんでびっくりしたんだ?」


「は?あんた何なの?」


 鋭く突っ込んでみたら睨まれた。まあ、そりゃそうなるわな。

 3人組の名前は岸本文香、松田花梨、北村祐菜だ。

 雰囲気から岸本か松田が気が強すぎるのでどっちかがリーダーだと予想付けといたんだが……どうやら松田がリーダーっぽい。

 なら……


「松田がさ、他校の女子と仲良くしてるのを見てさ。いつも一緒にいるお前がいなかったから喧嘩でもしたのかな?って思ってな」


 揺さぶりをかけてみる事にした。こいつが嫌がるのは立場がなくなる事だ。

 少し動揺しているように見える。だが、直ぐに平然を取り戻した。

 だろうな。だからわざと他校と強調したんだ。


「別に喧嘩なんてしてないけど?」


「そうか、隣のクラスの女子もいたけど。ま、いっか」


 動揺第二を投下。こいつが一番気にする事を付け足しのように言って話を進める。するとこう言ってくるだろうな、誰?って。

 うわ、表情が凄いな。


「……その子の名前は?」


「ん?なんで言わなきゃいけないの?」


「はあ?いいから教えろよ」


「そんなに知りたいなら松田に聞けよ。仲良いんだろ?」


 そんな事を言うと直ぐに黙った。こいつは絶対松田に聞けないだろうからなぁ。まあ、全てでっち上げなんだが。聞かないだろうし大丈夫だろ。


「でな、その他校のグループに俺の知り合いがいてな。んで気になったんだが」


「……そうなんだ」


「まあいいや、こんなこと話しても仕方ないよな。ほら、彩華」


「あ、うん。月曜日全校集会あるからいつもより15分早く来るようにね」


「あんた、そんな事言いに来たの?」


「だって毎回遅刻するじゃん」


「あー、わかったよ行くよ。じゃあね」


 それだけ言うと岸本は家の中に入っていった。うん、大成功かな。


「よし、彩華よくやった。次行くぞ」


「うん、ちゃんと大人しかったでしょ?」


「おう、えらいえらい」


 エサを与えたし暫くしたら岸本から俺に話しかけてくるだろう。

 なんか、虐めというものを崩すのが自分の為のようにも思えて楽しくなってきた。



 次は北本の番だ。家は電車一本分なのですぐ着いた。


 ピーンポーン。


 作戦は彩華が女友達を装い家の前に呼び出し、岸本と同じく揺さぶりをかけること。北本だけ除け者にされてたと言ってやるだけでもいい。


「はい……学級委員さんじゃん。なんの用?」


「少し話があるんだけど、ちょっといいかな」


「あーごめん。今手が離せないんだわ。要件は?」


「……月曜日学年集会あるか、遅刻しないでねって事で」


「そんなこと?わかったよ。じゃあね」


 ガチャ……


「「……」」


 まあ、予想外だった。仕方ない。そりゃ本人が出る時もあるし家に押しかけて忙しいって言われたら話すこともできないよな。

 しかし、今時の女子高生がインターホン出るのは本当に予想外だった。だからそんな目で見るな。大丈夫だから。彩華は悪くないから!怒ってないから!


「あら、祐菜のお友達?」


「ん?あ、北本さんのお母さんですか?」


 おっとこれまた予想外の事態。


「ええそうよ。良かったら上がっていかない?」


 それはさすがに気まずいし、まず友達でも無いので断るしかない。


「いえ、今帰るところなので」


「そう……でもよかった。ちゃんと男の子の友達もいるのね」


 少しホットしたように北本の母親は微笑んだ。さすがに俺もここで友達じゃありませんと言えるほど心臓は強くない。


「明日一緒にネズミーランドに行くお友達かしら」


「いや、俺達は違いますよ」


「あらやだ、こめんなさいね」


「いえいえ、では失礼します」


「学校でも祐菜をよろしくね」


 最後に軽く会釈してその場を後にした。いや、あのタイミングで母親登場はさすがに驚きだ。

 それにしてもいい人そうだったな……


 北本とは話せそうにないから他の策を練る必要がある。そして今日何かするのは無理だろう。

 岸本だけでも充分だ。大きな進歩だと思う。


 そんな帰り道、彩華がポツリと呟いた。


「いいなぁ、ネズミーランド」


 俺に言ったわけじゃないと思う。彩華の事だから素直に羨ましく思ったんだろう。そういや明日、彩華とショピングに行く予定だったよな……


「……俺らも行くか?」


「え!行っちゃう??」


「行っちゃうか」


 彩華が身を乗り出すかの如くとっても嬉しそうに抱きついてきた。こんなに喜んでくれるならそう言ってよかった。まあ、現地で北本と会う確率は少ないだろうし会っても大丈夫だろ。


「また明日な」


「うん!遅刻しないでよね!」


 集合場所と時間を決めて彩華と別れた。

 付き合ってもうすぐ一年経つがこうしたテーマパークは初めてだ。久々に明日を楽しみに感じた。




 ───


 翌日、集合場所である最寄りの巨大熊像の前の椅子で、欠伸を噛み殺しながら彩華を待っていた。

 それにしても朝は寒いな。

 5分後位か、向かいから彩華が走ってきた。


「おはよー、ちゃんと寝れた?」


「そりゃな」


「大きな欠伸だったよ」


「楽しみで眠れなかったんだよ」


「ふふ、よろしい」


 今日はデートなので自然と手を繋いで歩く。

 カップルが手を繋いでいるのは、まあ賛否両論があるが俺は別に好きにすればいいだろ派である。他人だし。

 しかしこうして手を握ると体温以外の温かい何かがある。大切な人と手を繋ぐことはとても大切な事だからみんなもするといい。恋人がいないなら親でもいい。こんな俺でも大切な人がいるんだからお前らもいるだろ?

 彩華という大切な人ができたから俺はまだ、こんな世界で生きていられるんだからな。



「ねえたつみ!どこから周ろうか」


 そういって彩華はカバンからパンフを出した。準備がいいな。てか何故既にハンプもっている?どこで手に入れたのだろうか。


「頭の中で園内を何周もしてるから俺に任せろ」


「え〜なんだ。すっごい楽しみにしてるじゃん」


「……言ったろ。楽しみで眠れなかったんだって」


「え?あれ本当だったの!?てっきりいつもの冗談かと思ったんだけど!!」


「嘘に決まってんじゃん」


「あー!!たつみのばか!」


 今日も彩華は愛らしい。癒されるし、楽しいな。



 そんな無邪気にはしゃぐ彩華を見ていると、何故だろうか……ふと死んだ妹の、結の事を思い出した。


 母親が自殺してから二人暮しだった俺は、あいつが友達と遊んでいる姿を見たことがなかった。

 放課後も俺と同じく早く帰ってくるので友達がいないのかと心配したら、「たつみが家でひとりだと寂しいでしょ?」と言ってくれた。

 その言葉に号泣した俺は、「俺の事は気にしなくていいから」と、友達と遊ぶように言った。

 そしたら心配そうに、だけど嬉しそうに結は玄関から飛び出していった。


 そして……帰ってくることはなかった。


 警察からの電話で病院へ行った頃には……いや、俺が呑気に家で飯を作っていた頃には、妹は死んでいたんだ。



 ……あいつも彩華と俺と、一緒にこうやって遊びに行けたらどれほど幸せだったか。


 そんな事を考えていたのが悪かった。


「なあ、彩華……彩華?」


 手を繋いでいたはずの彩華がいない。不意に結の遺体が頭に過り、鼓動が激しくなる。


 まさか……まさか!まさかッ!?


「彩華っ!!どこにいる!」


 脇目も振らずに大声を出した。ここは地下鉄のホームだ。声は響く。しかし電車の音で掻き消された。


 歩いていた流れを逆流し、両手で人を強引に掻き分けて進む。必死に周囲に目を配り、息が荒くなる。


 すると腕を掴まれた。

 誰だ!?駅員か?俺は彩華を探してるんだ!だから


「邪魔をするなっ!」


 掴まれた手を強く振り払った。

 不意に振り向くと……気がついた。俺を掴んでいたのは、彩華だった。

 バランスを崩した彩華は人に押され、ホームから落ちた。


「──っ!!?彩華!」


 線路に身体が横たわった瞬間、俺の目の前で彩華が消えた。


「え……?」


 意味がわからない。わかりたくない。知りたくない。やめろ……やめろやめろやめろ!!


「やめろ!!ぐああああ」


 俺は高速で動いている電車をぶん殴った。何か液体が飛び散った気がする。

 思いっきり蹴る。弾かれて身体が宙に舞った。叩きつけられる。

 地に腹を擦りながら彩華がいた場所の、ホームと電車の隙間を両腕でこじ開けようとした。……上手くいかない。

 なんで?なんでだよ、なんなんだよ!!


「ああああああ!!」


 また吹き飛ばされた。体当たりしても止まらない。なんでなんだよ、やめろっつってんだろ!?

 返せよ


「俺のォ、彩華を返せよおおおおおおお!!!」


 再び体当たりしようとした所を、止められた。床に押さえつけてくる。

 離せ離せ離せよ!!


「がああああッ!、邪魔するなァああ」


 身体に力が入らない。自由が効かない。現実を知りたくない。いやだいやだいやだ!!

 瞬きの余裕すら無い俺は、酷い夢だと、電車が通り過ぎて行くのをただただ無心に眺めていた。

 身体の悲鳴か、意識が飛びかけていたが我に帰る。


「どけよ!!どいてくれよ!!!」


 電車がいなくなったからか、拘束が解かれた。

 原型のない両腕を引きずりながら、必死になって地を這った。


 彩華、彩華あやあ彩華あやかあやかあやか!!



 俺の視界に広がる光景は……とても言葉にできるようなものじゃなかった。


 理解できなかった。


 頭から線路に転がり落ち、彩華だったものの傍に行く。


 頭が追いつかない。


 担架をもった人が来た。何かを言っている。聞こえない。


 すると、身体が浮いた。

 段々彩華から離れていく。

 待て、離せ。離せよ。


 俺じゃなくて彩華を優先しろよ。そんな汚いものを彩華に被せるなよ。


 俺から彩華を、遠ざけないでくれよ。






 ───



 随分と長い夢を見た気がする……

 手足は動かない。上手く身体を起こせない。

 感覚もない。瞼がとても重い。



「……ぁ…ぉ………」


 誰だ?よく聞こえない。耳がおかしくなったのか?

 女の人だ。俺の目を覗き込んでくる。


「……たつ……意識が…るかも……」


 次は聞こえた。何を言っているかわからないが、右耳なら聞こえる。

 しばらくするとおじさんが来た。なんだ?


「……………」


 左耳じゃ聞こえないんだよ。お、気がついたのかな。


「もし意識があるなら3回瞬きしてくれないか」


 そういうことか。よし。


「なるほど……意識はあるようだね。右耳の方が聞こえやすいのかな?正しかったら3回瞬きを、違うなら目を2秒間瞑ってくれ」


 3回瞬きした。


「君は事故の事、覚えているかい?」


 事故の事?なんだ、知らん。目を瞑る。


「……そうか。簡単に今の君の状態を説明するから聞いてきてくれ」


 ここは、病院なのか?状況が聞けるなら有難い。


「まず、君は奇跡を起こした。あの出血量で命を繋いだんだ。頑張ったな」


 なんの事だ。知らん。目を瞑る。


「しかし、代償がある。両腕は私の判断で肩から下を切断した。そして右足も膝から下も切断した」


 ……は?何を言ってる。意味がわからない。


「靭帯損傷どころでは無かった。右脚の骨は砕け皮1枚で繋がり、両腕の指は既になく、腕全体が回復不可レベルの粉砕骨折だった」


 必死に首を動かそうとして腕のあった場所を見る。……本当に肩から先が無かった。そして首に激痛も走る。


「あばら骨も数本やられていた。内臓が傷つかなかったのが奇跡だ。そして、首の骨の一部に亀裂が入っている。顎にも亀裂がある。骨盤は砕けているところがある。座るのは当分厳しいだろう。リハビリもいつになるのか私達も検討がつかない」


 なんなんだ……何があったんだよ。俺に何が……ぁ、。

 思い、出した。

 彩華はどうなった。どうなった!?


「んん!!っつ!」


 声が出ない。暴れることすら、できない。痛い。


「一緒にいた子だね……亡くなったよ。手に負えなかった」


 っ!!だまれ!そんなことない!ないんだよ、ないと、言ってくれよ。

 頼むよ。


 ……ふざけるな。ふざけるふざけるなふざけるな!!!

 なんで俺を生かした!?こんな状態で、なんもできなくて、誰もいなくて、全て無くして、みんな消えて、なんでだよ。なんで俺だけいきてるんだよ!?


 殺せよ。早く俺を殺してくれよ!!

 もう、辛いんだよ。疲れたんだよ!俺に、生きてる意味なんてないんだよ。もう、いいよ。



 こんな世界、こんな、こんなこんなこんな!!



 全部俺から奪いやがって、みんな楽しそうにしやがって、お前だってお前だってお前だってぇ!!

 ふざけんなよ、ふざけんなよ!!


 彩華の代わりに、死んでくれよ。彩華を生かしてくれよ。俺の大切な人なんだよ。俺を救ってくれた人なんだよ。

 俺が、守りたかった唯一の、最後の、傍で生きていてくれた人なんだよ。



 ……もう、彩華には会えなくてもいいからさ、別れて、二度と会えなくてもいいからさ。ただ、ただどこかで生きてるだけで、それだけでいいからさ。



 俺の代わりに、彩華を生かしてよ……






 気がついたら白い場所にいた。


 先の見えない白い場所。


 いつからここに居たのだろうか……わからない。


 そこには俺の人生が、まるで辞書のような本になっていた。



 隣には……妹の、結の本があった。


 棚から優しく手に取り、ゆっくりと読み進めていく。

 とても愛おしい。そこには結の人生の記録、感情が綴られていた。


 そして最後のページには、俺と、母親と、あのクソ親父と、とっても楽しそうに笑う結と、4人で楽しく食卓を囲む絵が描かれていた。ちゃんと俺も結も大人の姿になっている。

 まさか、親父までいるとは思わなかった。これが結の幸せだったのか。あいつ、すっごい楽しそうにしてる。俺に見せてくれてた苦し紛れの笑顔じゃなくて、とても幸せそうに……


 こんな綺麗な表情が、できたんだな。知らなかったよ。





 俺の本の向かいに彩華の本があった。


 彩華らしい内容だった。笑みが零れた。とても優しい物語人生だった。

 そして最後のページには、俺と彩華の式場が描かれていた。隣には当たり前のように俺が居て、ウエディングドレスを纏った彩華が、とっても美しかった。


 涙が、止め処なく溢れた。


 悔しいけど、とても嬉しかった。



 最後にふと気になって、俺の最後のページを開いた。

 そこには……


 あぁ、なんだ。まさか、こうなってるとは思わなかった。



 俺の人生は……決まっていたのだろうか。運命は、決められていた事なのだろうか。

 この本のように、人生というフォルダにすぎないのだろうか。



 でもそれは……誰も証明できない事なんだ。



 これが記録だとするならば、これが決められた出来事だとするならば、今この場所にいる俺は何なのだろうか……


 人の言う不幸とは……そして幸福とは。




 俺には、俺の答えがわかった気がする。



 でも、もう少し考えてみよう。

 胸を張れる答えをあいつらに教えに行こう。



 俺は……こんなにも幸せだったのだから。





 白い場所には誰もいない。


 そこに不可解な風が吹く。


 めくられた最後のページには



 大きな桜の木の下で、父と、母と、結と、たつみと彩華が、その手に抱かれた小さな子を、優しく包み込む家族の写真が飾られていた。


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