ショーの葬儀は呆気にとられるほど早く終わった。役人は今まで見せたことのないスピードで物事を進めていった。ショーの死体を肥料化する手続きに異議を唱える者はいなかった。肥料化の費用は管理局が負担する事になっていたが、どういうわけか今回に限って、管理局は追加の肥料を配給する旨を告知していた。

 肥料車イグ・モブはショーの葬儀の一時間後に姿を現した。私たちが空の棺に向けて葬儀を執り行う間、ショーの体は分解され、肥料の内に混ぜ込まれた。ショーの死を悼む暇もなく、私たちは葬儀場を後にした。

 肥料車イグ・モブの動向を私たちは固唾を呑んで見守った。ショーの肉体を含む大量の肥料は、巨大な土埃を巻き上げながら大地に散布された。風向きによっては、隣の農場へと肥料が届くことだろう。おこぼれの恩恵を期待する隣人を非難することが私にはできなかった。立場が逆ならば、私も彼らと同じように、大気に舞う肥料の行方を気にしたはずだ。

 散布作業が終わると、農場地域帯プランテーナの隣人たちは、複雑な顔で私たち家族に別れの言葉を告げた。その顔には、家族を失った者を悼む気持ちよりも、管理局の気まぐれによる肥料の追加を羨む気持ちの方が強く表れているように私には思えた。

 

 その期の収穫高は前期の17%増しにしかならなかった。噂では、品種改良された種の効果が早くも落ちてきているようだ。日に百も生まれる悪い噂のひとつを実証したようで気が鬱いだ。最近では、ショーの事を、思い出す日の方が少なくなってきている。

 

 第三次入植の先遣隊がヴヴの市街に到着し始めていた。次なる世代の農業従事者ファーマーたちは、私たちとは反対の方角に土地を割り振られることになると聞いた。その事をもって、私たちの土地が失敗だと判ずることはまだできない。

 シュシュ邸から使わされた高級自動車ヴィァ・モブは、市街の入口で私を待っていた。ゴプトは同乗していなかった。管理局の警護人が四人も高級自動車ヴィァ・モブの回りに待機していた。詰所にいる役人によると、第三次入植によって職を失うことを恐れた未登録労働者ノマークァや、スラムのヴヴ人が市街の各所で暴動を起こしているのだそうだ。管理局による制裁は警告なしの死で、よもや彼らの価値は、痩せすぎた肉体のために、肥料よりも落ちていた。

 しばらく来ない間に、ヴヴの市街は様変わりしていた。ヴヴ・ドゥ・カウク(ヴヴこそが故郷)と記された横断幕が、再び通りに揺れていた。その下を歩く者は、どことなく誇らしげに見えた。新しくできた物は何ひとつなく、取り崩され更地となった区画が目についた。白亜の瓦礫の下に人の肢体を見た気がしたが、気のせいだろう。管理局が、人を自然と腐るに任せるとは思えなかった。

 

 シュシュ・ウントの部屋で私を出迎えたのはゴプトだった。

 部屋は綺麗に片付けられていた。残されている物は私が手をかける椅子ひとつきりだった。白壁の所々に家具の日焼け跡が残っていた。ハーブの香気は薄れていたが、部屋のどこかからふとした折に匂い立った。

 「どうぞお座りください」ゴプトはかつてシュシュ・ウントが鎮座した日の落ちる場所に立っていた。

 「弟の葬儀で配給された肥料はあなたが手配した物ですか?」私は席に着かずに尋ねた。

 「手配したのは私です。しかし、費用はシュシュ・ウントが用意致しました」

 「シュシュ・ウントはどちらに?」

 「亡くなられました」

 私は彼女の訃報を聞いても驚かなかった。

 ゴプトは私が疑問を口にする前に、胸元から一枚の板きれを取り出した。

 「シュシュ・ウントから、こちらをあなたにお渡しするよう言付かっております」

 それは、シュシュ・ウントが所有を否定した、39の番号札だった。

 「彼女はどうして亡くなったのですか?」私はシュシュ・ウントに割り振られた39の数字を指でなぞった。

 「幸運とは順列を与えることにより相対化できる。このような主張をシュシュ・ウントが仰っていたことを覚えていますか?」

 私は頷いた。

 「私の父も、シュシュ・ウントも、私が出会ったことのあるオゼルの生き残りたちは皆、同じような価値観を共有していたようです。その理屈は強烈な体験に依拠している分、強力で、否定することの難しい呪いとなって彼らの内に残り続けました」

 そこでゴプトは再度椅子に座るよう勧めた。

 私は拒まなかった。

 「とある特別な血を有する者たちが、理不尽な理由から捕らえられ、白亜の地へ送られました。辿り着いた地で、彼らは収容所に押し込まれました。人々はそこで数字を割り振られたそうです。数字は交換が不可能なように体の一部にも印字されました。数字の前ではすべてが平等でした。金品を持つ者。持たざる者、過去に高い地位に就いていた者、犯罪者、体の強い者、非力な者、女も子供もです。時が来れば、1の数字が刻まれた者から順に処理されていきました。理由はわかりません。それは、海が涸れるのと同じく天災なのだと彼らは結論づけたようです」

 「処理?」私は思わず口を挟んだ。

 「言い換えるなら、それは儀式でした。汚らわしい悪魔の血を抜く儀式です」

 「この話は、以前シュシュ・ウントがしていたものと同じものなのでしょうか?私には話に矛盾があるように思えます」

 「これは、私が私の父親から聞いた話です」ゴプトはそれで説明が済んだと言わんばかりに話を続けた。「1番を割り振られた者は2番を羨み、2番を割り振られた者は1番を哀れみ、3番を羨みました。そしてその数字の連なりは32が来るまで続きました。処理の回数が頻繁であった20番台の人間は、確実な保証がどこにもないにも関わらず、30番以降の人間を強烈に羨みました。30番以降の人間は生き残ることができると、発狂するに近い心で信じていたのです。それでも処理が進んでいくと、確かなことは数字の多い者が一秒でも多くの時間を有するという単純な事実だけになりました。処理に向かう人間は、自分よりも幸運な数字の持ち主――それは多くの場合自分たちよりひとつだけ数字が大きい者でした――に自身の有する僅かばかりの持ち物を残していくようになりました。彼らは数字の持つ価値を理解しました。その場所では、1という始めの数字以外はすべて希望の数字であり、それらの数字を持つ者は、誰もが幸運であると言えたのです」

 「生き残ることができなかった者も幸運であったと言うのですか?」

 「わかりません、フェム。これは生き残った者が見出した真理であり、死者の考えが及びません。父は43という数字に囚われていました。何より43より若い数字から、徐々にカウントアップすることを嫌いました。我が家には時計がありません。タオルや皿や、服、本などといった物品は、極端に数を多く持つか、全く持たないかのどちらかです。父は、あらゆる物事を数字に回帰させずにはいられませんでした。ある行為に対して数字の連なりに気がつくと、気が触れたかのようにその行為を連続させ、43に留まらないよう腐心しました。ところが晩年になって父は、今まで避けてきた43という数字を探し始めました。そして自身の納得できる数字を見出すと、次は私の番だと言い残し、自殺しました」

 「納得のできる数字?」

 「その家族が隣に越してきた日、父はあまり良い顔をしませんでした。典型的な成り上がりの入植者世帯で礼節よりも即物的な物品のやりとりで物事を解決しようとする傾向がありました。私たちは父の顔色を伺う形で隣人との付き合いを避けていました。ところが、その家の幼い娘が我が家に迷い込んだ時からすべてが一転しました。娘は、探検という無邪気な理由で我が家に入り込みました。最初こそ良い顔をしなかった父も、まるで孫娘に接するようにその娘の来訪を心待ちにするようになりました。娘は家に現れる毎に、父に何かしら手土産を持ってきました。菓子や工作や花のような、幼子に集められる細々とした物品をです。通行料、と二人でふざける声を聞いたことを覚えています。父は、書斎に娘からの贈り物を飾り始めました。私は、そのような事になっていることに気がつきませんでした。43の物品が棚に並んでいるのを見つけたのは父の葬儀の後です」

 「シュシュ・ウントもあなたの父親のように、自ら見出した数字を数え上げたのでしょうか?」

 「シュシュ・ウントは私の知る最後のオゼル人でした。思うに、彼女は自分という存在の過ちを正したがっていたように思います。39という数字は、最後の数字になり得なかった。それどころか、もっと早くに順番が回ってきていたはずだと考えていたのかもしれません」

 「私がそれを思い起こさせたと?」

 「あなたが原因でありえるのなら、罪は私にあります。あなたをこの場所にお連れしようと提案したのは私ですから。しかし私はその考えを支持しません。彼女は延々と考えてきました。あなたが生まれる遙か昔から、39の番号札の意味を見出したその瞬間から。43の数字を持つ私の父が、先に世を去ってから。結論はすでに出ていたとシュシュ・ウントは私に仰いました。その証拠に、彼女はあなたのために財産を分与する遺言を残しました。シュシュ・ウントは最後まであなたの事を気に掛けていましたよ」

 「どうしてシュシュ・ウントは私に番号札を残したのでしょう?」39の番号札は人一人の人生を決定づけたわりには軽く感じられた。私からすれば、それはただの汚れた板片に過ぎなかった。がさがさと砂っぽい触感は、番号札の汚れが拭われていないことを意味していた。彼女はどういった気持ちで、この札を持ち続けたのだろう。

 ゴプトは静かに首を振り沈黙を保った。お互い口を開きさえしなければ、シュシュ・ウントが答えをくれるとでも言うかのように。

 静寂が室内を満たした。

 高窓からこぼれる陽の暖かさが救いだった。

 ゴプトの表情からはどのような感情も読み取れなかったが、その瞳だけは悲しみに暮れた人間の色合いをしているように思えた。

 私はショーの末期を思い返していた。ショーは自分のベッドで体をがたがたと震わせながら、自分が死に向かいつつあることを自覚していると言った。それは半分が本当で、半分が嘘だった。ショーを治療する薬はあった。ただ、その薬を買うことで一家全員が路頭に迷うというだけで。決断は、薬の存在を黙秘する形で父が下した。それは私たち家族全員の沈黙だった。

 長い沈黙の後に、私はその場を辞す旨をゴプトに告げた。

 「あの方角に」ゴプト・ワントは空っぽの棚に目を向けて、厳かに告げた。「オゼルがあったのだとシュシュ・ウントが仰っていました。オゼルと失われてしまったフェムの海が」

 

 老齢者保護施設クレードルの担当官は無遠慮に私の顔を眺め回した。

 「あんた遺産でも狙っているのか知らないが、ここの老人たちときたら、繋がりがある人間がいると分かった日には、反対に入植管理局から金を請求されるような連中だぜ」

 私は、負債を取り立てる側の人間だと担当官に告げた。彼は、顔をしかめてみせたが、老人を訪れる許可を下ろしてくれた。

 老人の視線は天井から伸びる薬の管に釘付けになっていた。

 「元の薬に戻してくれ」と老人は絞り出すように声を出した。その一言でもって、手配した薬の効果が絶大であることは疑いようがなかった。担当官への賄賂は高くついたが、シュシュ・ウントが残してくれた遺産のごく一部でまかなえる額だった。

 「聞きたいことがあります。薬を戻す際には、より麻薬作用の強い薬をお願いしてありますから」と私は臆することなく話を始めた。

 老人は瞬きひとつしなかった。変色した瞳を見開き、ぜいぜいと荒い呼吸で私を見ていた。開かれた口からは汚れた舌が覗いていたが、唾液を流すほどの潤いを保ってはいなかった。息が強く匂った。

 「私は何年か前にあなたの下を訪れました。覚えていらっしゃらないかも知れません。でもその時、あなたはオゼルの名を口にしたのです」

 「オゼル」老人は激しくもがき始めたが、手も足も縛られているために、ベッドのフレームだけがギシギシと耳障りに鳴った。

 「あなたはオゼルのことをどこまで知っているのですか?」

 「俺は知らない。オゼルのことなど何も知らない。悪いのは親世代だ。血を飲んだのは俺の親共だ。俺は一滴たりともオゼルの血を飲んでいない。この体は呪いだが罰ではない。罰ではありえない。悪いのは――」

 老人に繋がれた機器が激しくアラートを上げた。担当官は悠然とやってくると、機器の背面に片方の手を回し、もう片方の手を私の方に伸ばした。私は担当官のカードに更なる賄賂を送金した。担当官はひらひらとカードを振りかざすと機器の電源を抜いて立ち去った。

 「オゼルに暮らしたことがあるのですか?」

 「俺は何も悪くない。俺は生まれたときからあそこにいたんだ。俺のせいではない。俺のせいではない。俺のせいではない――」

 話の区切りを示すように、老人は同じ事を繰り返した。その間、私はゆっくりと質問を考えた。

 「オゼルに海はありましたか?」

 「海……?」

 「海です。オゼルの海。オゼルの海は赤かったと聞いていますが本当ですか?」

 「海はなかった。もう涸れていた……許してくれ。寝かせてくれ。悪いのは親共だ。オゼルの海を赤く染めたのもあいつらだ。俺ではない。許して欲しい。海は涸れていたんだ。海岸を染めたのは血だ。でも、その血を流したのは俺ではない。俺ではないんだ――」

 「海岸を染めた?」

 「悪魔の血だとわかったから、どこかの共同体ネイションがやったんだ。でも全員じゃない。本当だ。その証拠に、俺は連中をヴヴまで運んだ」

 「そして殺した?」私は39の番号札を男の目の前にかざした。

 老人は今や発狂していた。吐き出される言葉は意味を持たなかった。あらゆる言語でわめき散らしていたが、一番多く使われた言葉は私の知らない言語だった。

 老人の呼吸が止まった頃、担当官が戻ってきた。彼は、物言わぬ老人を一瞥すると肩をすくめた。追加の賄賂を要求されることはなかった。たぶん、彼が機器の電源を抜いた段階で支払いはすべて済んでいたのだろう。

 私は39の番号札を老人の下に残して、老齢者保護施設クレードルを後にした。

 

 ***

 

 家畜ゴスクを飼い始めたのは、ほんの気まぐれからだ。大した収入をもたらしてくれるわけではないが、栽培燃料ジョゴを相手にするよりは愛想がある。体液の自然発火を防ぐために、毎朝バケツを使って飼育場を洗い流す時、私はシュシュ・ウントの海を思い出す。それは糞と体液とに汚れた水の揺り動きではあるが、たしかに波を思わせる。

 父はショーに続いて死んだ。農薬のせいだと豪語していたが、毎晩浴びるように飲んでいた安酒が問題であったように思う。母はそれから更に狂い、乾季が厳しかった年に精製された栽培燃料ジョゴをコップ一杯飲んで死んだ。

 私は一人になっても栽培燃料農家ジョゴ・ファーマーを続けている。旧世界に戻ることを考えたことはない。私はこの地で生きるほかなく、この地で死ぬことになる。

 第三次入植者と共に新しい巨大複合入植企業コングロマリットが進出してきたことで、栽培燃料農家ジョゴ・ファーマーを支配する既存の寡占体制が変わった。そのバックに入植管理局が存在する図式に変化はないが、今では適正な価格競争が行われるようになった。

 収穫は安定していない。それどころか、年々悪くなっていく印象すらある。私はシュシュ・ウントの残してくれた遺産を使って、栽培燃料農家ジョゴ・ファーマー向けの保険機構を作り上げた。種子や農薬などを扱った巨大組織のゲームは未だに続いているが、少なくともその失敗によって首をくくる人間はいなくなった。

 入植管理局が発行する統計資料に、入植者を含めた出生数と死亡者数を比較するグラフがある。出生数は統計調査の度に、右肩上がりで上昇を続けている。第三次入植の終了宣言が打たれる前に、第四次入植の審査がすでに向こうで始まっているしい。グラフ上では、死者の数は数える事をやめたかのように横ばいのままだ。死亡者の項目だけ、数ではなく割合で示したそのグラフをあえて指摘する者はいない。昨日は、親しい栽培燃料農家ジョゴ・ファーマーの1人が死んだ。今期はこれで4人目の死者だ。栽培燃料農家ジョゴ・ファーマーに子供が産まれたという話は聞いたことがない。私たちの体は農薬によって破壊されてしまったのかもしれない。私が死んだら、新たな入植者が農場を引き継ぐことになるだろう。何度でも何度でも私たちはこの地を開発し続けることだろう。新しい人間が踏む土地が、今よりましなものであれば良いと最近の私は考えている。

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オゼルの海 ミツ @benimakura

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