40分間の闇鍋
善吉_B
【エッセイ】骨になって生きていきたい
30分、2330文字程度。後はちょいと付け足したり削ったり。
服を選ぶのが苦手過ぎることについての言い訳のようなエッセイ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
誰かと都会に出かけるために支度をするたび、骨になって生きていきたいと心の底から思ってしまう。
服を選ぶのがめんどうくさい。センスが無いので着る服に自信が無い。自信が無いが何かを着なければ外には出られず、かといっていい加減な服を着る訳にもいかない。
何よりも家を出る直前、私の格好を見た母が何というかを考えた途端に憂鬱になる。
実家を出てからもそれは変わらなかった。実物の代わりに脳内で見えない親の声が、私の服装に駄目出しをしてくる。
それを聴いていると本当にみっともない、世間の失笑を買うような恰好をしている気がしてきて、あわてて無難な、本当に何の印象も与えないような地味な格好に着替え始める。結果家を出るのは予定を数十分過ぎた頃。
ああ憂鬱だ。いっそ骨になって生きていきたい。理科室の骨格標本みたいな恰好で外を歩きたい。冬は寒そうだが夏は涼しいだろう。何より着る服に悩まずに済む。そうだそれがいい。そんな思考をかれこれ数千回は繰り返している。
私の母がどういう意図を以て幼少期や思春期の私の服装に口出しをしていたかは今もよく分からないが、そのコメントたるやテレビの辛口ファッションコメンテーターよりも辛辣だった。
「みっともない」「季節感がおかしい」は序の口で、大体最終的には「よくそんな格好で町中を歩けるね」「恥ずかしいとか思わないのか」「乞食の服装」「神経を疑う」というような言葉でクライマックスを迎える。思い出したらまた骨になりたくなった。つらい。
こんなことを言ってくる我が片親だが、別にファッションセンス抜群、という訳ではない。というかセンスがある親だったらもう少し具体的なアドバイスが欲しいところだ。季節感や布の質感などは、まぁ私よりも人並みの感覚を持っている人なのできっと正しいことも多いだろう。だがデザインや流行りすたりは分かっていない。
恐らくだが駄目出しの主な原因は、単純に私が選んでいるものだからだ。
どういう理屈かは分からないが、無条件でまず「駄目だ」が出てくるらしい。
その可能性に至ったのは大学の初め頃で、友人と珍しく都心に出るからと私なりに頑張ってみた時だった。
「上の服がおかしい。買った奴の神経を疑う」とまあいつも通りの駄目出しを食らったわけだが、残念ながらそのシャツを買ったのは私では無かった。いつも母がお洒落だと誉めていた、伯母からの進学祝のプレゼントだったのだ。試しにそう反論してみたら途端に黙った。そして帰ってきた言葉は「じゃあ、着こなしがおかしいんだ」だった。
あぁこの人もしかして、単に私が選んでいるから駄目出ししてきているんじゃないか、とその時になって初めて悟った。
それ以降、棘のある辛口コメントを真正面から受け止めることはやめた。
けれどその段階に至るまでの十数年で積み上げられた経験は簡単には覆せない。
家を出る前に浴びるその言葉で、私の身体はすっかり脊髄反射で委縮するように出来上がってしまっていた。
そして脳内で「ああこんな格好していちゃだめだ」となり、あわててまた無難な服装をするか、それまでに友人から褒められた数少ない服の組み合わせとそっくり同じ格好に着替えて家を出ることになる。そしてその度に「ああ骨になって生きていきたい」と心の底から思ってしまう。
とはいえ私は相変わらず人間で、残念ながら人間が骨のまま生きていく技術は今のところ発見されていないため、今日も今日とて私は自室と玄関を行ったり来たりしている。そしてその度に「骨になりたい」と冗談抜きに思っている。
元々服装には無頓着なのだ。高い服を買うくらいなら同じ金で本や標本を買う方が幸せになれる(だからこそ今になって、これほどまでに拗らせてしまったのだ)。
だがどうせなら、どうせ服を着て外に出るのなら、一度でもいいからそれなりに見えて、尚且つ自分らしい格好というものをしてみたいような気もしている。別にファッション雑誌みたいな恰好がしたい訳ではない。元々シンプルな服装が好きだし。でも無難すぎて面白味の無い現状からは脱却して街を歩いてみたいのだ。
ただいざ動くと脳内が自動的に「この格好ではまた罵倒を食らってしまう」と委縮してしまうので、もうどうだっていいやと適当で無難な、面白味の薄い服に落ち着く。それでも街中で妙な格好をしている気分は抜けず、「骨になっていきたい」ととにかく頭の中で叫んでいる。
最近では「もうこのままでもいいかな」と思い始めている自分と、「お前は一生そのままでいいのか」と叱咤する自分が両方いて、その二人の自分が脳内で大乱闘を起こす度に当の私はというと、いつも通り「あー、もういっそ骨になろう。そうすりゃ楽だよ」などと大の字になってぼんやりとしている。
このままだと永遠に二人の自分の間を行ったり来たりして、何一つ変わらずに人生を終えそうな気がしていたのだが、先日になって遂に転機が訪れた。
従兄弟のうちの一人が、結婚するというのだ。そしてその婚約者を近々親戚の集まりに連れてくるらしい。
やばい。いよいよ私は追い詰められた。今までは無難な格好に落ち着いてしまっても、阿呆のような格好で家を飛び出しても、さほど気にしないでいてくれる友人や知人と会うだけだったからよかった。
けれどこれは従兄の人生において、かなり重要な局面だ。
もしも集まりに来たその婚約者とやらが、恐らく歳の近いであろう親戚の私の格好を見て「うわぁ、ダサい親戚がいるな」などとマイナスの印象を持ってしまったらまずい。非常にまずい。従兄のポートレートの汚点となってしまう。それだけは避けたい。
そんな訳で、今更ながら今度こそ重い腰を上げて、服を着るという苦手科目を克服しなければならなくなった。
慌ててファッション誌を眺め、洋服屋に行ったところで付け焼刃かもしれない。だが従兄の減点項目にだけはなりたくない。仮にそんなことになってしまったら、申し訳なさ過ぎて骨どころか宇宙のチリになりそうだ。
とりあえずお洒落な友人にでも救いを求めようとメッセージを送る準備をしながら、私は何千回目か分からない、同じことを考える。
ああいっそのこと、骨になって集まりに参加したい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます