第十話: 谷間の圧力は自動調整




「あけましておめでとう、にゃん太。もう1月2日の早朝だけど」


 ──にゃん


「言いそびれていた。こういうの、あんまり誰かに言ったことないから、すっかり忘れていたよ、にゃん吉」


 ──にゃん


「そろそろ、どの名前が気に入ったか教えてほしい。このままだと本当にどれが一番良いのか決められそうにないんだけど」


 ──にゃん



 誰に言うでもなく、いや、同居猫に新年の挨拶(一日遅れ)を終えた彼女は、何時ものようにテレビを点ける。


 特に見たいものがあったわけではない。


 ただ、BGM替わりに点けるだけで、彼女の視線はテレビには全く向いていなくて、実際に冷蔵庫の方へと動いていた。



(う~ん……食べても食べなくても何の問題もないせいか、最近は食べる頻度が減ってきたなあ……)



 理由は、朝食の用意である。


 そんなのいちいち説明する必要があるのかと思われがちだが、彼女に限ってはある。だって彼女、面倒臭がって食事を取らない日が増え始めていたからだ。


 いったいどういう事かと言えば、答えは単純……この身体になってから空腹を一切覚えないせいだ。


 正確には、切り替えるようにして感覚のスイッチを入れるかどうかという感じなのだが、これがまあ……色々とヤバいかもと思う問題である。


 なぜかって、一旦食事を取るのを面倒臭がってしまうと、それ以降も面倒臭がって取らない感じになってしまうからだ。



 これはまあ、体感的に考えたら想像がつきやすい話だと思う。



 元々食べるのが好きな人や、口寂しいとナニカを食べてしまうような人、あるいは特定の嗜好品がないと落ち着かない(たとえば、コーヒーなど)人。


 そういう人を除けば、空腹時以外に積極的に食事を行う者は少ない。例外は、朝・昼・晩の間に行われる間食ぐらいだろう。


 だが、それでも繋ぎ程度の意味合いが強く、『空腹でないからいらない』と拒否する人もいるだろう。実際、オヤツは好きでも気分じゃないからいらないという人はいる。



 ダイエットといった目的ではない。



 単純に、空腹時以外には固形物を入れる習慣がなく、合わせて、そういう気分にならないから興味が引かれず、手が伸びない……というパターンの人だ。


 そして、彼女(つまり、太一)はこのパターンで……と、なれば、どうなるかは明白だ。


 意図的にスイッチを入れない限り空腹感を覚えない彼女にとって、食事は生きる為の義務ではなく、習慣的な名残でしかなくなっていた。



 ……最初の頃は、だ。



 人間だった時の感覚というか意識を強く認識出来ていた部分があったから、時間に合わせてスイッチを切り替え、意識して食事を取るようにしていた。


 しかし、言い換えれば、わざわざスイッチを切り変えない限りは、空腹感は一切覚えていない状態となる。


 はたして、そんな状態で……食事を取ろうという欲求が湧いてくるだろうか。食べたいという欲求は、基本的に『空腹が引き金となって生じるモノ』なのだ。



 たとえるならば、だ。



 普段の彼女の腹具合はいつも、昼食を終えて1,2時間後に晩飯を何にするか店を回っているような感じで……ぶっちゃけ、気分的にはオヤツもいらないなって状態なのだ。


 そんな状態で、好物とはいえ焼肉が食えるだろうか。豚カツが食えるだろうか。ざるそばが食えるだろうか。ラーメンが食えるだろうか。



 それらを心から食べたいと、思えるだろうか? 


 食べられたとしても、心から美味しいと思えるだろうか? 



 せいぜい、美味しそうだなとは思いつつも、ほとんどの人はソレで終わる。少なくとも、美味しいなと全部平らげるような人は……そう、多くはないだろう。


 だから、徐々に億劫になってくる。必要でもないのに、いちいち空腹状態にしてから食べるという行為が面倒に思えてくる。


 これは、喉の渇きも同じ。スイッチを切り変えない限り、一口とて飲みたいという欲求が湧いてこない。


 おかげで、意識しないと前回水分を取ったのが昨日の昼間なんてことが普通に起こってしまうし、つい先日それが起こってしまった。


 その時は……正直、彼女は心底ビビった。


 己が人間ではないことは分かっていたが、それを別の角度から見せ付けられた気がして……ちょっと、気分が落ち込んでしまった。



「ニャンニャン、ご飯だぞ」


 ──にゃん



 ゆえに、彼女は……勝手な話ではあるが、同居猫の食事に合わせて自分も食事を取る習慣を付けることにした。


 只でさえ、億劫になり始めているルーチン。独りで黙々とインスタント感覚で食事を済ませるよりも、ずっとずっと気分が楽で……今では、欠かせない朝の作業となっていた。



「……福袋、か」



 そうして、いつものように食事を済ませ、昨日と同じくすることもないから点けっぱなしのテレビを眺めて……ふと、彼女の視線が、その言葉を捉えた。



 ──福袋。



 これまで一度として買った覚えはないが、それが何なのかぐらいは知っている。


 正月のニュースでだいたい長蛇の列が出来たとか、○○な商品が入っていたとか、ニュースになったり番組が作られたりとか、まあまあ大変な行事である。


 さて、どうして買わなかったかと言えば、これもまた同じ理由……つまり、高いのだ。


 いや、福袋自体は、入っている商品を考えたら格安だ。しかし、以前の彼女(太一)にとっては、わざわざ並んでまで買いたいと思う事はなかった。



 ……けれども、だ。



 ふと、彼女は部屋の隅……正確には、ベッドの下に仕舞っておいた手提げ金庫を取り出すと、パカッと中を開き……無造作に詰められている札束を見下ろした。


 それは、何時ぞやの自動モード中にこの身体が用意した現金である。


 どこの国でもそうだが、大量のお金を引き出すというのは色々と手続きというか、本人確認というものを求められる。


 おそらく、この身体はその煩わしさを予見し、予め纏まった現金を手元に置いておこうと判断したのだろう……と、今はそう思っている。


 実際、コレと同じ手提げ金庫がベッド下にあと7つある。


 他には、洗面所の物置の奥にも一つ……記憶している限りだが、計3億がこの家にあるわけで。



(……せっかくお金があるわけだし、使わないまま眠らせておくのは……もったいないよな)



 これまで己の生活費を除けば同居猫の生活費ぐらいしか使っていないから、札束一つ分も減っていない。


 ていうか、それ以前に……ここの札束を一つ減らしている間に口座の金が倍になっている可能性があるから、気にするだけ無駄だろう。


 実際、この前確認したら増えていて腰が抜けそうになったし……っと、そこまで考えた辺りで、彼女は万札を適当に引き抜くと……さて、と同居猫を見やった。



「……置いて行くのも可哀想だな」



 思わず、そんな言葉が彼女の口から零れる。


 普段はそんな事は思わない。



 だが、今は新年だ。



 明けましておめでとうな気持ちが、普段とは違う気持ちを彼女の中に生み出していた。



 ……。


 ……。


 …………ふむ。



「にゃんころ、出かけるからこのキャリーバッグに──」


 ──にゃおわん!!! 


「大丈夫だから、病院に行くわけじゃないから」


 ──にゃおわん!!! 


「そ、そんなに怒ることは……」


 ──にゃおわん!!! 


「……なら、仕方がない。私だけで行くから、ご飯だけは置いて──」


 ──ふにゃあああん!!! 


「あの、思いっきり爪が肌を引っ掻いているのだけど? この身体じゃなかったら傷だらけだぞ?」


 ──にゃん


「……え、もしかして、一緒に行きたいのか? キャリーバッグ無しで?」


 ──にゃん


「いや、しかし、ずっと抱えたまま移動するのは面倒臭いのだけど……」


 ──にゃん


「……仕方がない。こういう時でも何とかなるのが、この身体だ」



 考えるのが面倒に思った彼女は、『キャリーバッグの類や両手を使わずに同居猫を安全に連れていく』と強く己に意識しつつ、ちょっとだけ『自立行動モード』を起動させ──直後、ハッと我に返った彼女が目にしたのは。



 ──己の胸の谷間から飛び出した、同居猫の(妙に)誇らしげな顔であった。



 具体的には、パーカーの胸元からにゅっと顔を出した感じ、だろうか。首回りが広いタイプだから、特に息苦しいといった感覚はない。


 傍から見れば、乳房の間に挟まる(埋まる?)ようにして、猫を抱えている……いや、そこはいい。


 見覚えがない衣服な辺り、おそらく押入れや衣装タンスの奥深くにある、確認していない場所に保管されていたモノだと思うが、まあそこもいい。



(──きっも!? なにこれ、どうなってんの? 肋骨の辺りが変な──飛び出して!? うわっ! マジでナニコレ!? めっちゃキモいっす!)



 それよりも、彼女の注意を引いたのは……乳房の合間に居る同居猫を支えている、己の肋骨の感触であった。



(え? え? え? これ……ろ、肋骨? 肋骨がテーブルみたいに平べったく伸びているのか?)



 張りのある乳房(というより、筋肉?)が前面に出ている……スタイルの良さとゆったりしたパーカーのおかげで分かり難いが、下乳の辺りにテーブルのようなナニカが身体より盛り上がっている。


 触ってみれば、ゴリゴリとしているが肌に触れている感覚……上手く説明出来ないが、肋骨の一部が変形して、猫の足場の替わりが出来るよう平べったく変形している。


 痛みは全くない。肋骨が突き破っているような感触はなく、あくまでも身体の延長線上の感覚……え、この身体ってそういう変形も出来るの? 



(いや……もしかしたら、この身体は……適応していっているのか?)



 その可能性に思い至った瞬間、彼女(太一)は絶句した。と、同時に、楽観的に否定は出来ないとも思った。


 人間の身体だって、不自由な部分が有れば、別の器官でカバーするようになる。目が見えない人が、指先の感覚が鋭くなるように……といった話をテレビで見た覚えがある。



 それと同じ事が、この身体で起きているのではないだろうか。



 様々な要因によって機能が発揮出来ないようにされているこの身体からすれば、時速300kmで走れる車で延々と徐行運転をしているような状態なのだろう。


 この身体は、人間の常識など欠片も通じない、超科学によって作られた戦闘兵器だ。


 いくら現在は彼女(太一)によって制御されているとはいえ、所詮は偶発的な要因が重なった結果生まれた、イレギュラーでしかない。


 もしかしたら、己ですら認識出来ないナニカが起こっているのでは……その可能性が脳裏を過った瞬間、彼女は足がその場に張り付いてしまったかのように動け



 ──にゃん



 なかった……のだが、その声を耳にした瞬間……気付けば、彼女は──ホッと、肩の力が抜けていた。



「……おまえは、怖くないのか?」


 ──にゃん


「大丈夫だ、安心しろ。怪我をさせるようなことにはならないから」


 ──にゃん



 変わらないその鳴き声に、彼女は一つ苦笑を零すと……さて、と財布に万札を追加すると、玄関へと向かった。






 ……。


 ……。


 …………で、それから1時間後。



「──それで、百貨店に行くどころか、電車に乗る段階で門前払いされたってわけ?」

「ペットはキャリーバッグに入れないと駄目だって……大人しいから絶対に出てこないって説明したけど駄目だった」

「いや、そりゃあ当たり前でしょ」



 福袋を求めた彼女は百貨店に──ではなく、ペットショップ『アニマル・フレンド』の前に居て……たまたまコンビニから戻って来た店長と鉢合わせし、コーヒーを奢ってもらっていた。


 いったいどうして……それはひとえに、電車に乗せてもらえなかったからであり、そのまま直帰するのも悲しかったので適当にぶらついた結果、たまたま足がそちらへ向いただけである。



 まあ、考えなくても当たり前だ。



 ペットを乗せるにしても、キャリーバッグに入れないのは問題外。初手警備員を呼ばれて御用になるよりはまあ、穏便な対応であった。


 ちなみに、店長と出くわさなければ、そのままコンビニに寄ってから帰る予定だったが……まあ、いちいち語る必要もないだろう。



「さすがに、歩いて向かうとなるとトイレの問題とか色々あるから断念した……来年は、レンタカーで行く」



 幸いにも、金はあるのだ。


 この身体ならば、運転技術ぐらいすぐにでも……そう、内心にて決意を固める彼女を他所に、店長は……なんとも言い表し難い曖昧な笑みを浮かべた。



「向こうには行けても、店の中には入れないんじゃないかしら? 百貨店に限らず、食料品を扱っている店ってだいたい動物の入店は禁止よ」

「え?」

「やっぱり、あたしたちが思う以上に動物の毛って飛び散っているから……それに、動物の毛も立派なアレルギーの要因になっちゃうから、だいたい拒否されるわよ」

「そ、そうなの?」

「そうよ。それに、体毛にはどうしても汚れが付いちゃうから……一緒に行きたい気持ちは分かるけど、そういう時は事前にペットOKか確認してからにした方がいいわよ」

「そうか……ありがとう、店長」

「どういたしまして。それじゃあ、あたしはもう行くわね。今年も、よろしくね」

「こちらこそ、今年もよろしくお願いします。また、来週ぐらいにご飯を買いに行くよ」

「毎度、御贔屓に」



 そう言うと、店長はパチッとウインクした。


 相変わらずの店長の姿に安心する彼女を他所に、店長は手を振って自宅兼店舗である『アニマル・フレンド』へと──向かおうとした、瞬間。



「あ、そうだ、舞子ちゃん。ここしばらくの間に、菊治さんと会わなかった?」



 唐突に、振り返ってそう話しかけてきた。



「……菊治さん、ですか?」



 久しぶりに、その名を聞いた気が……日数にして、最後に顔を見たのは91日前だろうか。



「最後に見たのは約91日前ですが、何かあったの」

「いえ、そういうわけじゃないの。ただ、最近はうちにも顔を見せなくなったから、どうしたのかな……って。ほら、菊治さんって、歳が歳でしょ?」



 心配そうに頭を掻く店長に、ふむ……と彼女は首を傾げた。



「そんなに心配なら、様子を見に行けば良いのでは?」

「……そうね、それをやれば簡単に分かることなんでしょうけど……」



 一瞬、ポカンと呆けた店長は……直後、困った様子で曖昧な笑みを浮かべ──「もうしばらく、様子見してからね」そう告げると、今度こそ店の中へと戻って行った。



 ……。



 ……。



 …………ふむ、と。



 誰も居なくなった店の前で、彼女は……チラリと、視線を彼方へと向ける。


 この身体の能力をもってすれば、個人の住所なんぞすぐに見付けられる。さすがに、遠方からわざわざ通ってはいないだろうから、今日中にでも迎えるだろう。



(外から、様子を見に行くぐらいはしておくっすかね)



 とりあえず、自宅に戻って猫のご飯とか用意してから向かうと決めた彼女は……眠そうにしている谷間の猫の頭を一撫ですると、あまり振動を掛けないように気を付けながら自宅へと向かった。




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ザ・マント ~偶然にも人類滅亡を未然に留めた者がいるらしい~ 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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