渇きが望む、郷里の桜

明里 好奇

渇きが望む、郷里の桜





 ああ、のどが渇いた。腹も減った。そうだ。おい、お前、それだけは食うなよ。それは大層毒だから。

 ああ、そうかお前は死んでいたんだったか。

 ちゃんと埋めてやりたいところだが、私にはその体力がない。もう、動くことも辛いんだ。それにここの土は、里の土とは違う。此処で埋めてやっても、里には帰れまい。


 ああ、こんな場所で死ぬことになるとは、思わなかったよ。あれがいい、これがいい、そんなことは言わないから、里の飯を食って、そうだ泣かせたままだったかあちゃんに謝らないといけない。

 ああ、女を残してこなくてよかった。死んでいく私に花を持たせてやろうという家族から、縁談を持ってこられてもずっと断り続けてきて本当に良かった。

 こんな今際の際に、憂う存在が居なくて本当に良かった。


 どこかで、噴煙が上がる。この島はずっと地面の下で芯が震えているようだ。水道管を引くこともかなわない、熱い地面だ。

 静かに、眠ることも許されぬのか。静かにしていてくれないか。

 ああ、しかし、のどが渇いた。水が欲しい。ずっと、乾いている。ずっとだ。

 これでは干からびてしまう。もう飲み込むつばもない。

 ああ、乾いた。

 もう、痛みはない。致命傷はないが、動くこともままならぬ。仲間もみな、深く眠ってしまった。どうか、あまり苦しくなければいい。

 最後に浮かんだのは、郷里の春だった。この最果ての楽園のような乾き塩辛い場所ではなく、長い冬を超えた先の郷里の、薄桃色のあの花、あの花の。


 桜の、あの下で春をもう一度見たかった。



「おい」

「……!」

 上司が背後から近づいてきていた。

「はい」

「何も、持って帰るなよ」

「そうですね、そういう決まりで」

「そうなんだが、」

 上司が口をつぐんだ。

 それを見て、この地に降り立ってから思っていたことが口を突いた。


「本当にここで、戦争があったんですね。本当にここに来るまでは、その実感が湧きませんでした」

 いかに自分が平和に慣れすぎているのかを痛感した。今も世界のどこかで戦争と飢えがはびこっているのに、実感がなかった。自分が平和の中にいるだけで、幸福なだけで。

 産まれる時代、生きた場所が違うだけで、たったそれだけのことで。

人間が、同じ人間を殺す。殺して無感情になって、振りかざされた正義を前に機械のように、命が狩りつくされていく。戦地に居ようが居まいが、戦争は心を蝕んでいく。

「そうだな。俺も正直ここに来るまで、実感を持ってはいなかった。まあ、一番最初だけだったが」

 命を守るはずの自分たちですら、この現状だ。いつだって守る。そうやって立っている。それでも、忘れてしまう。平和の前に戦争があったことを。

「いろいろ思うところはあるだろうが、今日はもう寝ろ。今、自分にできることをやり切るぞ」

 上司はどこか遠くを見ていた。その先に彼の故郷があるのかはわからない。国内からいろんな人間を集めて、守護をしている身だ。故郷と言ってもあの国自体が故郷のようなものだ。根無し草のような感覚ではあるが、あの国を今の平和を俺たちは任されている。


 この島の慰霊碑を思い出した。たくさんのベルトやキャップ、ドックタグが掛けられていた。水と一緒に。ここでたくさんの人間が死んだ。国がどうであれ、たくさんの人間がここで国のために死んだのだ。


 これから先、この国が平和を守ることが出来るのか、自分にはわからない。それでも、不安定な平和を守るのは、自分たちの役目だ。

 ひとつ、息を吸って腹にためた。

 硫黄の強い香りが鼻を通って、頭蓋を突き抜けた。

 足を踏み入れたこの島は、夜は耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。そして目を見張るほどの星空が印象的だった。


 英雄になれるとは思っていない。憧れてこの場に立っているわけではない。職業人として立っているこの場所ではあるが、本土の友人たちのことを思い出した。自分を一人の人間として受け入れてくれる、離れていても何も変わらない彼らのことが頭をよぎった。

 今日も明日も、きっと代わり映えのない毎日で、同じように平和の中に身を置いているだろう。


 それでも、忘れたくはないと思った。

 この場所を、その時代を。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

渇きが望む、郷里の桜 明里 好奇 @kouki1328akesato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ