06 覚悟の宣言
「こいつが……」
「元凶ってわけね」
目の前にいる存在をタツミは知っていた。その存在も〈スタースピリッツ〉で出てくるスピリットだったからだ。タツミはどんなスピリットだったかを記憶の中から探り出す。種族名は〈ウッダタマス〉で、名前の通りカバをモチーフにしたスピリットだ。しかしそのスピリットの背中には複数の蔓が幾重にも巻き付いたような大樹が生えており、その先に実のなっている枝とまだ青く硬くなっていない蔓に分かれていた。そしてやはり〈ウッダタマス〉の目は赤く血走っていた。鼻息も荒く、自分の縄張りを荒らされて興奮している獰猛な野生動物そのものだ。そこに知性は感じられず、やはり暴走状態にあるというのが一目で見て取れる。
先に動いたのは〈ウッダタマス〉の方だった。敵は逞しい四肢の内、右前足をゆっくり持ち上げて地面を力強く踏みしめる。それだけでタツミたちの体が浮き上がりそうな振動が周囲を襲う。
それをきっかけに背中の大樹に巻き付いた、まだ青い蔓が蠢く。蛇のようにのたうち回った後、ベリッと勢いよく剥がれる音がして、彼らに向けて伸ばされる。彼らのちょうど真ん中に放たれた蔓によって、タツミとガブ、ユイとフィンの二組は左右に分断される。
「ユイ!」
「タツミくん!」
互いに名を呼び合って無事を確認し合う。しかし目の前のスピリットは再び地面を踏みしめる。そしてまた背中の大樹から蔓が剥がれていく。思いの外背中の樹は多数の蔓によって構成されていたらしく、剥がれた蔓が空中で蠢く様はまるで波にたゆたうイソギンチャクを思わせる。しかしイソギンチャクは波によって揺らされているのに対し、この蔓は眼前の赤く血走った目の怪獣の意思によって動いている。自らのテリトリーに入ってきた外敵を排除するという怪獣の意思によって、蔓は二分された彼らに半々ずつ伸ばされる。
「うわ、ちょっ、わわっ!!」
今まで自動的に襲ってきた物とは違う、〈ウッダタマス〉自身の蔓はそれが伸びる速度も桁違いだった。しかも〈ウッダタマス〉だけでなく、周囲の樹海からも蔓が伸びてくる。この怒涛の攻撃にタツミは〈ソウルブラスター〉の照準を定められず、避けることしかできない。
「ああ、うっとうしい!」
ガブも敵に接近しようとなんとか前へ出ようとするが、蔓はその動きを察知しているのかとにかく彼の進行方向を遮るように動く。そしてそうやって動きが抑えられたガブを死角から別の蔓が彼を狙う。
「面倒臭え!! うらぁッ!!」
業を煮やして自らを狙う蔓を避け、その蔓を下から斬り裂こうとガブは腕の刃を振り上げる。
「なっ……!」
しかしガブの刃は蔓の半分まで入ってそこで止まってしまった。さらに断面が刃に密着してそこから刃を振り抜くことも、逆に引き抜くこともできなくなった。ガブは宙吊り状態になって動けなくなる。
それを怪獣は見逃さない。瞬時に新たな蔓がガブ目がけて放たれる。
「ガブ!」
タツミはガブを狙う蔓に得物の照準を合わせ、トリガーを引く。連射された光の弾丸が数発蔓に当たるが、今までの蔓とは異なり少し表面が焦げた程度で千切れることはない。だが蔓の軌道がわずかにずれたことによりガブには当たらず、彼より少し離れた場所を通り抜ける。
ガブはこの機を逃さず、抜けなくなった剣を炎に戻して消滅させる。そのことで挟まった蔓から解放される。そしてもう片方の剣を切っ先を前にして怪獣に投げつける。
〈ウッダタマス〉は瞬時に判断し、また前足を踏みしめる。するとうねうねと動いていつでも動けるように待機状態にしておいた蔓の何本かが、〈ウッダタマス〉の前に一列に並んで伸びて地面に突き刺さり壁を作り出す。
「戻れ!」
ガブのその一声で怪獣に向かって投げつけられた剣が蒼い炎に変わる。炎は蔓全体を覆うが、その表面が少し焦げた程度ですぐに鎮火してしまった。
「な、なんでだ!?」
ガブの素っ頓狂な声には自分の炎に絶対の自信があり、それを破られたことに対して理解ができないという動揺があった。
「あの蔓、太い上に今までの奴以上に水が一杯入ってるんだよ! だからちょっとの炎じゃ全部燃やせないよ!」
一部始終を自分たちを襲う蔓を避けながら見ていたユイが叫ぶ。
それからユイは蔓を無際限に放ってくる敵をにらみつけるような鋭い目で見る。敵に遭遇してからどこか違和感があった。自分たちを自動的に狙う周囲の蔓と、〈ウッダタマス〉自身の出す蔓がどこか違うように思えた。もちろんその太さも伸ばされる速さも〈ウッダタマス〉自身の物の方が上なのでそのように感じるのは当たり前なのだが、何故か蔓そのものよりも全く別のところに違いがあるように感じた。もしかしたらその違いがわかってそれを利用すれば、この不利な形勢を逆転できるのではないか。
そう思っていたその時、彼女の体は前につんのめる。
「えっ!?」
だがそのまま地面に倒れることはなく、足の方から思いっきり上に引っ張り上げられる。
「わ、あわわっ!」
ユイは自分の身に起こったことを自分の体が宙吊りになった時にようやく理解する。遠くに見えた、ガブの放り投げた炎の剣から身を守ろうと展開した蔓の壁。その蔓が今も地面の中へ伸びているのが見てわかる。今彼女の足を掴んでいる蔓は、あの壁の蔓が地面を掘り進み、ユイの足元までやってきたものなのだ。
「ユイ!」
宙吊りの相棒を助けるため、フィンは周囲に浮かべた水玉を弾丸のように放つ。しかしうねうねと動き回る蔓にはなかなか当たらず、運良く当たっても弾丸の方が弾かれてただの水に戻されてしまう。
「ガブ、頼む!」
「しゃあねえ、任せな!」
タツミが頼むと、ガブは翼を広げて飛び上がる。その間にも別の蔓がガブを目がけて四方八方から伸ばされるが、抵抗はせずに避けることに徹する。斬り裂ける蔓もあったが、中には〈ウッダタマス〉自身の蔓も混じっていて判別が難しかったためだ。今はいち早くユイを救出することに専念するべきという判断である。
「おらぁ!!」
ガブは右腕に作った炎の剣を真上に伸びた蔓を横薙ぎに一振りする。だがその剣はやはり蔓の真ん中ほどで止められる。
しかし、
「今だ!」
とガブはユイに叫ぶ。
その直前からすでにユイは〈ソウルブラスター〉の銃口を自分を捕らえている蔓に向けていた。そしてガブが斬り裂くと、照準をより詳細に、ガブの斬り裂いた箇所へと絞っていく。
ユイは冷静に引き金を引く。銃口から放たれた蒼い光はガブに斬られて残りが半分になって脆くなっている箇所に直撃する。〈ソウル〉の光は蔓の残り半分を焼き、蔓は完全に切断される。
しかし蔓がのたうち回っていたため、ユイの体はその勢いのまま宙に放り出され、放物線を描く。
が、
「ユイ!」
タツミはガブが飛び上がった瞬間に、いつでもユイが落下してきた時に対処できるように動き始めていた。そしてガブとユイが蔓を切断した瞬間に落下地点を予測して走り出していた。
タツミの予定通り、ユイを全身で受け止める。だが、
「ぐへッ!」
例え子供でも人間一人の重さは相当だ。更に勢いもついているのなら、それを受け止めるには相応の体勢と力が必要になる。タツミはユイの飛んでくる勢いに押し負け、そのまま仰向けに倒れる。ただユイにとってはタツミはクッション代わりとなり、無傷であった。ちょうどタツミの上にユイが座るという格好になった。
「あ、ありがとう……」
「ど、どういたしまして……」
しかしその時、仰向けに倒れていたからこそ、タツミは気づいた。
「あれって……」
その言葉にユイも真上を見る。
「しまった……」
彼らは頭上にある赤々とたわわに実った果実を見つける。そしてその視線を恐る恐る、ゆっくりと確実に確認するように頭上を覆う枝や蔓を這うように動かす。
しかし慎重に確認する必要など全くなかった。
樹海の天井はすでに真紅の果実で埋め尽くされており、まるでそれらが天井を血の色で染めたかのように不気味に彩っていたからである。
ユイの端末から流れてくる戦闘音声によってある程度、この〈特殊災害対策機構〉咲浜本部も戦況を把握していた。しかもその戦況が、今もなお拡大を続ける樹海の画像データが示すように芳しくないということも。
浩一郎の眼前に広がる指令室では様々なオペレータが自分たちに与えられた役割に徹していた。消防や救急隊などの救命活動方面や警察などの治安維持方面との連絡役、敵性スピリットの情報分析、そして敵に対応している〈リンカー〉たちより得られたデータを元にした戦況分析などだ。
だがどれ一つとっても状況は芳しくない。そもそもスピリットの脅威に対して、一般人や普通の行政機関は無力であるし、敵性スピリットは樹海に身を潜ませているため植物を操るスピリットという情報しか得ることができず、実際の脅威度がどれほどかも測りかね、〈リンカー〉たちが接敵している今の状況から断片的に類推するしかない。そしてその〈リンカー〉たちも全力が出せないことによって追い詰められていることが、送られてくる音声データから伝わってくる。指令室は混乱を極め、そこにいる誰もが自分たちが空回りしているように感じていた。それはこの場の全責任を受け持つ浩一郎も同じであった。
「司令! このままではあの子たちが……」
オペレーターの一人である佐藤がまるで悲鳴のような上ずった声を上げる。彼もまた敵スピリットへの対策を講じる戦況分析を任されている一人だ。そして彼はユイから送られてくる音声データから、彼らがじわじわ追い詰められていることがわかっていて、その重圧を感じているのだ。この若いオペレーターの対応によっては、今は声でつながっている年若い〈リンカー〉たちの生死が決まってしまうのである。
「さすがに〈グロウアップ〉の使用許可を出すべきでは?」
佐藤の近くに座る、佐藤よりも少し年上らしい女性の鈴木というオペレーターが浩一郎に進言する。鈴木にも佐藤と同じ役割が割り当てられていた。その言葉に佐藤のような動揺は見られない。むしろそのあまり抑揚のない声音はどこか機械めいた冷たさも感じさせるほどだ。
「駄目だ! あの樹海の中には今も大勢の人間が取り残されている。こんな状態で〈グロウアップ〉を使ったら彼らにどんな被害が出るかわからない」
「でもこれじゃあジリ貧でいずれやられますよ!」
「それはわかっている!」
浩一郎は口ごたえする佐藤に対して怒鳴るが、その表情は苦虫を噛み潰したかのように歪んでいる。手元の戦況確認用のタブレット端末には〈こちら側の世界〉における樹海内部を特殊カメラで撮影した映像が表示されている。特にドローンを利用して物体を透視する特殊なカメラで樹海全景を撮影した映像を浩一郎は拡大する。モノクロの映像でそこには真っ白な人の形をしたシルエットが浮かび上がっている。ある程度の温度を持つ物体は黒い背景に白く塗りつぶされるのである。もちろん彼らは人間であり、この樹海に飲まれた者たちだ。そして全景に戻すと、同じような真っ白なシルエットがいくつもある。事件発生当時はランチタイムは過ぎていたとはいえ、都市部の中心部で起こったため、このように大量の人間がこの樹海に捕らわれることになった。
〈グロウアップ〉には危険が伴う。以前にも浩一郎は一定以上の脅威度となった敵性スピリットを鎮圧するため、やむなくユイに〈グロウアップ〉使用の許可を出した。しかしこの時はあらかじめ周囲から人を立ち退かせるなどの対処を行った上でのことで、しかも戦闘後には敵のものかフィンのものか判別できないほどの破壊の跡が残り、浩一郎は戦慄した。昨日のガブの〈グロウアップ〉によって発生した大規模な破壊も、今もまだ修復中でその周辺は立入禁止となっている。
そのような事態が発生するかもしれない〈グロウアップ〉に、これほど大勢の人間が捕らわれてしまっている状態で使用許可を出すわけにはいかなかった。今使用すれば捕らわれている人たちを助けるどころか命の危機に晒すことになりそうだった。
指令室は重い空気に包まれる。浩一郎の声が聞こえていたのもあるが、彼の手元のタブレットの映像は指令室最奥の巨大ディスプレイにも表示されていたからでもある。司令である浩一郎の認識はこの部屋のオペレーター全員に共有されている。だからこそ、迂闊な行動はできない。それが結果的に誰かの生死に関わってくるかもしれないのだ。浩一郎を含めたこの部屋全員が、まるで将棋で王手をかけられたかのような焦燥感に駆られていた。
そんな張り詰めた空気が重くのしかかる指令室の自動ドアが唐突に開いた。近くにいたオペレーターたちが全員その方向を向く。
「藤原先輩!」
佐藤が入ってきた男に反応する。目の隈が深く、一晩どころか何日も寝ていないことが明らかに見てとれる。無精髭が顎に大量に蓄えられ、生気のない瞳をしているため傍から見ればただの不審者にしか見えない。
しかしこの男が入ってきたことに、浩一郎の頭に一つの希望の光がよぎる。
「三津安、もしかして……」
下の名前を呼ばれた藤原は猫背で生気のない瞳をそのままに口元を緩める。
「はい、〈
「本当か!? ついに!?」
浩一郎の言葉に対し、藤原は親指をぐっと上げる。
「すでに施設のメインシステムに制御システムを組み込んでます。〈樹〉からのエネルギー充填も完了済みです」
この言葉はそのまま、今の危機的状況を打破できるという意味を示していた。
「わかった、ありがとう! 本当によくやってくれた!」
浩一郎は心からの感謝の言葉を口にする。それに頷いた藤原はふらっと前に倒れ込む。
「藤原先輩!?」
佐藤が自分の持ち場のデスクを離れて藤原の元へ駆け寄ろうとする。
「佐藤くん、今は自分の持ち場を優先してくれ」
「え、でも藤原先輩が……」
「大丈夫。ただ寝てるだけだ」
佐藤がうつ伏せになっている藤原を見る。彼の肩がゆっくり上下に動いていて、寝息が少し聞こえてくる。本当に寝ているだけのようだった。
「鈴木くん、〈
「もう確認済みです。システム、オールグリーン。いつでも作動できます」
「佐藤くん、エネルギーの充填状態は?」
「先輩の言った通りです。充填率百パーセントです! いつでもいけます!」
「そうか……」
浩一郎は優秀な部下たちに感謝し、そしてここより離れた場所で戦う子供たちを想う。何もできず、彼らにただ指図するだけではない。自分たち大人も直接戦うことはできないにせよ、さらなる支援ができるようになったことの喜びを噛み締め、指令を出す。
「〈
「〈
鈴木が確認事項を次々にその機械的な抑揚のない声で読み上げる。
「伝達エネルギー、ビーム変換効率九十八パーセント! こちらも許容範囲内です!」
佐藤は対照的に興奮気味に読み上げ、確認と言わんばかりに浩一郎の方を見る。
そして浩一郎は頷く。
「よし、〈
「了解」
鈴木がキーボードでコマンドを入力すると、その隣に穴が開き、赤いボタンが中からせり上がってくる。
「〈積層隔離ビーム〉射出!」
鈴木は右手を握りしめ、大きく上に振りかぶり、げんこつの要領でボタンに振り下ろす。硬いバネで支えられているボタンが一気に沈み込み、それが電子信号に変えられ、システムへと伝えられる。
*
鈴木が赤いボタンを押した瞬間、〈特殊災害対策機構〉咲浜本部の屋上に設置されたパラボラアンテナ状のビーム射出機構三基が算出された指定座標へ〈積層隔離ビーム〉を射出するために動いていた。仰角を調整し、虹色の火花が射出機構の上に走り、光が射出機構の先端に集まっていく。そして三基同時に虹色のビームが空へ向けて放たれる。
それぞれのビームが三方向から樹海の真上で交差し、収束した光が今度はドーム状の薄い膜のようなものに変化して広がっていく。不思議なことに、この膜に当たった箇所から樹海を構成していた蔓が、まるで消しゴムでこすられたかのようにきれいに消えていく。樹海に捕らわれていた人々も、周囲の蔓が唐突に消滅して次々に解放されていく。彼らは一体何が起こったのかわからず困惑するが、それを理解できるものがいるはずもなく、ただただ突然なくなった樹海に戸惑うばかりだった。
*
「な、なんだ!?」
その様子は〈
「もしかして〈
「な、なんだって、す、すぺーす……?」
突如聞き慣れない言葉を発したユイにタツミは困惑する。
「〈
するとユイの端末から声が聞こえてきた。
『ユイ、〈
「やっぱりそうだったんだ!」
『今〈こっちの世界〉でも樹海が消えたのを確認した。今なら思いっきり戦ってくれて大丈夫だ!』
「わかった!」
二人の会話にタツミはついていけず、尋ねる。
「だから何が起こったんだよ?」
「ここの〈
断言するユイに「ほ、本当なのかそれ!?」と尋ねるタツミ。そんな都合のいいことがあると、にわかには信じられなかった。
しかしユイは、
「ええ! だから今がチャンスよ!」
と自信満々に答える。
「おい、お二人さんよぉ、だけどまずは上の〈あれ〉をなんとかしねえといけねえぞ」
ガブは二人に対して上を指差して示す。たわわに実った木の実がいくつか落ちてきていた。木の実の落ちた箇所から急速に蔓が成長して上に伸びる。〈ウッダタマス〉も最初は突然の事態に困惑して動きを止めていたが、特に実害がないことを確認すると、地面を一度踏みしめ、背中の大木から蔓を引き剥がし、地面から生えた蔓共々、タツミたちを狙って伸ばしてくる。
再び、タツミとガブ、ユイとフィンの二組は分断される。
襲いかかってくる蔓を避け続ける中で、タツミはガブに問いかける。
「なあガブ」
「ああ? なんだこんな忙しい時に?」
ガブは切断できそうな蔓を両腕に新たに炎の剣を作り出して斬り飛ばし、切断できなさそうな蔓はタツミが〈ソウルブラスター〉を撃ってその軌道を逸らす。
「さっきオレに戦う理由がないって言ったよな?」
「――ああ、それがどうした?」
ガブはタツミの声音が変わったことに気づき、その先を促す。
「見つけたよ、戦う理由」
ガブはタツミの言葉を迫る蔓を斬り落としながら黙って聞き続ける。
「オレ、誰かが困ってるのを黙って見過ごすことなんてできない。だから昨日もあんな化物がいる場所に残って戦ったし、そんで今もここにいる」
タツミの脳裏には昨日の暴走するスピリットが起こした地獄絵図が思い浮かんでいた。人々が必死の形相で逃げ惑い、停められていた自動車が転倒して炎上し、歩道橋は怪獣の圧倒的な膂力で真っ二つに破断される。普段の何気ない日常が、いともたやすく壊される。タツミは昨日、その現場を間近で見た。そしてどうにかしなければならないと無意識に感じていた。
そして今日、その怪獣――暴走するスピリットと対峙できる術を自分は持っていると、スピリットに対抗する組織のトップから告げられた。
「誰かがやらなきゃいけないんだろ? だったらオレがやる! オレは誰かが助けを求めてるなら放っておけない! どんだけ自分が危ない目にあったって、絶対に助ける! それがオレの理由だ!」
力の限り、タツミは宣言する。それはただの子供ではない、敵を眼前にして己を、そして周囲を奮起させる戦士の宣言であった。
「へっ、言ってくれるじゃねえか」
ガブは気に入ったというように笑みを浮かべる。
「そんじゃあ、お前の気合い、見せてくれや! いっちょ頼むぜ!」
ガブは手近な蔓を斬り捨ててから、タツミの前に着地する。タツミもそれを見越してその場所に銃口を向けていた。
「ああ、行くぞガブ!」
そしてその様子を見ていたユイとフィンも頷き合う。
「ユイ! ワタシたちも!」
「うん!」
ユイもフィンに〈ソウルブラスター〉の銃口を向ける。
タツミとユイはほぼ同時に叫ぶ。
「〈グロウアップ〉!」
二人の〈ソウル〉が込められた光はそれぞれの相棒に直撃する。その次の瞬間に彼らの体が蒼い光を放つ。そしてガブの体からは蒼い炎が火花とともに体から溢れんばかりに迸り、フィンの体の周囲には周辺の空気中の水分が逆巻く渦を作りながら集まってくる。
その異様な雰囲気に〈ウッダタマス〉は警戒心を強めたのか、一斉に大樹から蔓を伸ばす。周囲の木の実から発生する蔓も自動的に彼らを狙い、まるで壁のように押し寄せる。
「頼むぜガブ!」
「おうよ!」
ガブが「うらあッ!」と叫び、腕を横に一振りする。それだけで目の前が蒼い炎で埋め尽くされ、木の実から出てきた蔓だけでなく、今まで斬ることができなかった〈ウッダタマス〉自身の蔓も燃やし尽くす。炎の勢いはユイとフィンに迫っていた分も焼き尽くしてしまうほどで、あれほど頭上を覆っていた赤い木の実が一掃されていた。
「おい、お前、フィンっつったっけか?」
唐突にユイの相棒に声をかけるガブ。
「ええ、そうだけど?」
「こいつを頼む!」
ガブはいきなりタツミを背中から蹴り飛ばす。
「どわッ!」
タツミは空中に放物線を描いてちょうどユイの隣に着地する。
「ぶへッ!」
「ちょ、タツミくん、大丈夫!?」
タツミを案じてしゃがみ込むユイ。だが特に大きな怪我もなくタツミは起き上がる。
「い、いきなり何すんだ!?」
しかしタツミの抗議の声を無視してガブは、
「お前の水でこいつらを守ってやってくれ。オレがここの蔓全部燃やしてやる!」
とフィンに言い、次の瞬間にはガブの体からは蒼い炎が溢れ出し、その勢いがどんどん増していく。
「ちょ、こっちにも準備ってもんがあるでしょ!?」
フィンはそう言いながらも周囲に展開した水をユイとタツミも入れるほどの大きさのドーム状に変形させて覆う。
「一気に行くぜ!」
ガブは雄叫びを上げ、体の中に秘められた炎を一気に解放する。炎は閃光を放ちながら広がっていき、周囲の蔓を巻き込んでいく。
〈ウッダタマス〉は尋常でない炎を見て身の危険を感じ取ったのか、炎が迫る寸前に自らの蔓を伸ばして壁を作り出す。
あまりの閃光の強さにタツミは一瞬目を閉じる。迫ってくる炎に本能的に脅威を感じる。しかしフィンの展開する分厚い水の壁のおかげで彼らは炎から守られる。この水も全部蒸発してしまわないかタツミは少し不安になるが、ちらりと目をやったフィンが大丈夫とでもいわんばかりに頷く。
やがて火の手が少しずつ収まり始めると彼らの頭上を覆っていた蔓が黒焦げになっていた。太さも内部の水分が完全に蒸発させられたためか以前の面影もなくやせ細っている。そして自重にすら耐えきれなくなったそれらは一人でに崩壊を始める。今まで遮られていた空が再び姿を現し、樹海を構成していた全ての蔓が焼けて、破片がそこらじゅうに蒼い残り火を灯しながら散らばっている。
だが〈ウッダタマス〉は無傷だった。壁役を果たしていた蔓は燃え尽きていたが、赤く血走った敵意ある視線は未だ健在だ。
「やっぱ奴を倒すには直接密度の濃い炎をぶつけてやるしかねえってか!」
ガブは舌打ちしながら、翼を広げてひとっ飛びにタツミの元に舞い降りる。その時に翼に纏っていた炎が周囲に撒き散らされる。タツミの肌にその火の粉が当たる。
「あつ、ちょ、熱いって!」
「あ、悪ぃ。まだあんま加減がわかんねえんだ」
しかしそんなやり取りをしている彼らに〈ウッダタマス〉は地面を踏みしめ、背中の大樹の蔓を一直線に伸ばしてくる。
「おらよっと!」
ガブは炎を纏った手を横に振るう。すると前方に飛ばされた炎が一瞬で結晶化し、壁を作る。蔓がその壁にぶつかり、自らの勢いに負けてぶつかったところから直角に折れ曲がって千切れる。敵は壁をぶち破ろうとしているのかいくつも蔓を伸ばしてくる。
「へへっ、無駄だっての!」
しかしガブの言う通り、蔓は全て防がれ千切れていき、結晶の壁には傷一つついていない。
「そうだわかった!」
そんな時、唐突にユイが大声を出す。
「な、なんだよいきなり?」とタツミが尋ねる。
「アイツが攻撃してくるタイミングだよ。周りから自動的に蔓が狙ってくるから気づかなかったけど、アイツ、自分の背中の蔓を伸ばす時はいつも一回地面を踏んでるんだよ。なんで踏む必要があるのかはわかんないけど」
「だったらそれがなんだってんだ?」
「今自動的に攻撃してくる蔓は全部ガブが焼き払ってくれた。だったらアイツを転ばして、足で地面を踏めなくなったら――」
「――もう攻撃できなくなる?」
タツミがユイの言葉を引き継ぐ。
「そう! その通り!」
「でもよぉ、どうやってアイツを転ばすんだよ? こっちはお前らのおかげでパワーアップしてるけど、それでもアイツに近づくのは難しいぞ?」
ガブの問いに答える代わりに、ユイはフィンに尋ねる。
「もういける?」
「大丈夫! 水は十分に集まってる!」
「よし、じゃあフィンこれお願い!」
ユイがバレットをフィンに撃ち込む。
すると周囲に千切れて散らばった蔓の断面、そこから漏れ出ている水が一斉に浮上し、彼らの頭上に集まりだした。
「アイツは蔓の中を流れる水の流れを利用してその動きを操ってた。だったらそれが千切れれば大量の水が出てくる。今度はそれをこっちが利用する番よ! やっちゃえフィン!」
「まかせて!」
頭上に集まった水は最初はくねくねとアメーバのように変形させていたが、ある程度集まると完全な球体となる。
「ワタシの能力は水を操る能力。どんな形にだって自由自在に変えることができるし、その水が流れる勢いだって操ることもできる。例えばこんなふうにね!」
フィンがそう言うと、頭上の水のボールが弾け、ダムの放流のごとき水の奔流が起こる。
「食らいなさい、『アクアグランウェーブ』!」
水の奔流は容赦なく〈ウッダタマス〉を襲う。押し流されそうになりながらも、自重を利用してかがみ込みなんとかこの押し流そうとする水の流れに耐えようとする。
「根性あるじゃない。でも押してダメなら引いてみなってね!」
それに対してフィンが念じると、今度は水の流れる方向が逆転する。あまりに急なことだったので〈ウッダタマス〉は対処することができず、足元をすくわれて横向きに倒れる。
「おおやった、って水がこっちに流れてきてんだけど!?」
タツミが半透明な結晶の壁ごしに、フィンの放った水が迫ってくるのを見て指摘する。
「あ、忘れてた」
「ガブ、もうちょい頑張って」
ユイとフィンがそれぞれ軽い調子で言う。
「テメエらなあ、オレは何でも屋じゃねえんだぞ!」
ガブは彼らの前に立ち、両手に炎を纏わせ、横に振るう。すると炎の壁がさらに拡張されて半円状になる。逆流してきた水は壁伝いに後ろに流れていき、タツミたちのいる場所には入ってこない。壁に触れた箇所から水が蒸発しているのか白い湯気が立っている。
「よっしゃ、今がチャンスだ。いくぞガブ!」
「おうよ!」
ガブは翼を思いっきり広げ、垂直に、壁よりも少し高いところまで飛び上がる。
「昨日みたいに決めてくれよ!」
タツミが選んだバレットは昨日の敵にトドメを刺したものと同じだった。
「『ブルーフレアブラスト』!」
ガブの口から蒼く輝く炎が溢れんばかりに迸る。限界までその炎を圧縮した後、ガブは口を開く。その途端、炎は放射状ではなく、一直線に、まるでレーザーのごとく標的である倒れて身動きが取れない〈ウッダタマス〉目がけて放たれる。
敵の炎が着弾した途端、炎が周囲の空気を焼き、大気が一瞬で膨張して爆発のような衝撃を引き起こす。破壊された瓦礫が飛んできているのか、タツミたちの前に立つ結晶の壁に何か硬い物が当たる音が絶え間なく鳴り続ける。爆発によって発生した黒い煙も爆風に乗せられてタツミたちの方まで来ており、視界が完全に遮られて何が起こっているのかがわからない。
やがて爆風も収まり、黒い煙も晴れてきて視界が晴れてくる。そしてほとんど完全に視界がクリアになった時、爆発の中心部だったと思われる場所に一匹の小動物が目を回して倒れていた。カバのような見た目だが、その背中には植物の芽が地面から顔を出してすぐのような双葉が生えている。
間違いない。これが暴走する以前の〈ウッダタマス〉だ。完全に気絶していて、動く気配すらない。
事件は終わったのだ。
「よっしゃー! 終わったぁ!」
「よかったね、ユイ!」
ユイはフィンを抱きしめて全身で喜びを表現している。
「タツミ」
しかしその横で、ガブは冷静にタツミに話しかけようとする。が、タツミが手を上げているのを見て、
「何してんだお前?」
と問う。
「いや、せっかく勝ったんだからハイタッチしようと思って……」
「ったく、のんきな野郎だな」
ガブはハイタッチには応じず、もう一度話題を戻す。
「さっき言ってたな。困ってる奴はほっとけないって、どんなに危ない目にあったって絶対に助けるって」
「うん」
タツミは一瞬の迷いも見せることなくこくりと頷く。
「ホントバカだよなおめえって」
ガブは苦笑する。しかし「だけど――」と続ける。
「嫌いじゃねえぜ、そういうの。せっかく〈リンク〉とやらもできたわけだしな。
――いいぜ、お前と組んでもよ」
「それじゃあ――」
「ああ、これからよろしくな、相棒」
相棒、この言葉を反芻するタツミ。そしてそう呼ばれたことに心の底からの喜びを感じる。
「ああ、よろしく、相棒!」
二人は合図もなしに、互いの手のひらを叩き合った。
決着が着いたその瞬間、タツミたちだけでなく指令室の面々も歓喜に湧いた。部屋中のあちこちでオペレーターたちが喜びの雄叫びを上げ、佐藤もガッツポーズをしたあとに隣の席のオペレーターと抱き合ったり、いつもは表情を崩さない鈴木も近くの同僚から自然と差し出された握手に応じていた。
先程の緊張感あふれる喧騒とは打って変わった、歓喜の喧騒。そんな中で一人、安堵の表情で最奥のモニターをぼんやりと見つめる者がいた。
「星野、か……」
浩一郎は椅子の背もたれに体を預け、一人呟く。そしてモニターに映るタツミとガブを見て、何かを思い出すように天井を仰いで目を閉じる。そして口元に笑みが溢れる。しかしその笑みは喜びよりも、むしろどこか寂しげに見える。
「本当に、お前とそっくりだよ。達也……」
その呟きをこの指令室で聞いているものは誰一人としていなかった。
スタースピリッツ 水谷哲哉 @tetsu6988
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