第8話 午後のプライベートタイム 下

 陽光が教会を照らしている。子供たちの笑い声が聞こえ、それが町全体の活気を僅かながら支えている。大人たちはそれを見やり元気づけられるでもなく淡々と己の役職に殉じている。


 対して、教会の一室である客間の空気はどうしようもなく鈍重だった。

 原因は明確だ。風切恋花。彼女がアースガルズに向ける憤怒とも殺意とも取れる威圧が部屋を黒に染め上げていたのだ。

 お陰でただでさえひ弱なアースガルズの精神は限界まで追い詰められていた。


 「さてと、そろそろ答えて貰おうかしら。貴方たちが何を企んでいるかについて」


 殺される。それがアースガルズの現在進行形で抱いている恋花への感情だった。沈みきった双眸は絶えずアースガルズを睨んで離さない。こんな目を向けられれば誰だって恐怖に呑まれるだろう。


 「だ、だから…さっきも…言った、通りだよ……。歴史を改変、して…この町の抱え、ている…絶望を…救済する…」


 「それは真尋君から聞いた。私が知りたいのはその先。貴方たちの狙いよ」


 「ね、らい…なんて、ないよ…。ただ、純粋な…慈善活動さ…」


 戯言もここまで来ると挑発でしかない。恋花は右腕に魔力を集束させる。

 次にアースガルズが放つ言葉が恋花の琴線に触れた瞬間、それは彼の身体を木端微塵に吹き飛ばすだろう。そこまで恋花の怒りは煮えたぎっていた。


 真尋から告げられたゲームの真実。典型的なバトルロイヤルの体を借りた陳腐なルールの裏側は恋花に衝撃を与えるには十分で危うく精神が崩壊しそうになったがアースガルズの勿体ぶった態度が何とか精神を保たせていた。


 「人を殺すのが慈善活動ですって?外道ここに極まれりね」


 「き、みたちだって…やってること…じゃ、ないか…」


 「何ですって?」


 「だ、だって…そうでもしないと、生きていけない…人、たちが…この世には…たくさんいるん、だよ…。それを、無視して…自分、の言い分を…通すって、いうのは…違うん、じゃないかな…」


 臆病に口ごもりながらも容赦なく毒を吐く姿勢には素直に敬服を覚える。しかしアースガルズの一言一句を認めたわけではない。たとえコイツがどれだけ正論を言おうが外道には変わりないのだ。そこに感心する気は更々なかった。


 「…それが、正しい行いだとでも言いたいわけ?」


 「だっ、だって…恋花ちゃんはこの町で…人が、死に続けた…歴史を…知って、いたかい…?人が…多く死ん、で…いった…この、歴史を…」


 「それは…」


 「それと、同じだよ…。人は…自分…が、幸福であれば…あるほどに…積み上げ、られた屍の数を、忘れていく…。それが…悪いとは…言う気はない、けど…自分が…殺人とか…殺戮と…無縁だと、思うのは…おこがましいんじゃないかな…」


 平然とアースガルズは言ってのけた。死からは逃れられても、それを遂げさせてくれた屍の道からは逃れられないという現実。百も承知だと口にはしても誰も知ろうとしない生者の特権。

 恋花は既に立っていたのだ。ただゲームに巻き込まれた所為でそれが明確になっただけに過ぎない。


 「…そうだね。私自身、縁がないといえば嘘になる。でも、だからってたかがゲームの為に人の命を奪うなんてのを許容する気はない…何より」


 だが、たとえそれが正論だとしても恋花にとって些事でしかない。それ以上に恋花が恥じているのは何も知らずにのうのうと寝ていた自分とその裏で戦っていた一人の少年に向けられていた。


 「真尋君に…それを強要させてしまった自分が許せないから」


 どういう発端であろうと真尋の戦う理由となってしまった。それは恋花にとって容認しがたい事実だったのだ。


 「…だ、から…怒ってる、の…?」


 「…それを貴方が聞くの?」


 アースガルズはただ怯えたまま恋花へと問いを投げる。ゲームは開始してから二日目を迎え状況は動かずに未だ闇の中。

 何よりもここからどうやって終幕に進めばいいのか、東西南北の一切が不明瞭な環境で確かなのは自己の存在のみであり恋花は辛うじてそれを真尋に助けてもらったのだ。ならばこちらが蹲っているわけにはいかない。


 「…どのみち、貴方たちのやろうとしていることは美徳なのかもしれないけど…私は認める気にはなれない。でも――」


 「でも…?」


 「戦わなきゃ生きられないのなら…思惑に乗ってでも戦うよ。それが貴方の望みでもあるんでしょう?アースガルズ」


 不安は絶えず渦巻いている。鼓動は死が近づくたびに鳴り続けるだろう。残るは三人。その内、一人は犠牲にならなければならないのなら、今度は自分が業を背負おう。それが現時点で恋花のできる唯一の贖罪だった。


※※※※※


 農業というのは力仕事の代表格に位置づけられる時があるが、それは大きな間違いである。

 実際は非常に繊細な作業とそれらを見極める眼。そして忍耐が求められる仕事だ。

 植物という制止した命を扱い、天候に簡単に左右される脆弱さを何とかしてカバーし、収穫の際には細心の注意を払って行動する。それが農業の本質なのだ。故に――


 「あっぢぃーい…あっついよぉー…」


 華奢な身体で乗り切られるほど甘くはないのである。


 午後の三時過ぎ。世間では俗に子供がおやつを頬張るとされる時間帯に恋花は植物におやつを与えていた。


 昨日の晩にリザから頼まれた二つの依頼。その片方を恋花は頬に汗を滴らせながら行っていた。


 町はずれにある畑の作業手伝い。それが恋花に与えられた仕事だった。

 水を与え、雑草を抜き、収穫物の調子を確認する。しかもそれらを文明の利器なしで進行させるというオマケ付き。

 更に太陽の光も相まって恋花は脱水しかけそうになったが、リザから飲み水を貰いギリギリのところで踏ん張っていた。


 「もう少しですので、疲れたのなら恋花さんは休んでいて構いませんよ」


 「…そういうわけにはいかないよ。泊まらせて貰ってるんだしね。他人の手が必要なら遠慮しなくていいからね」


 雑草を抜き、両手を用いて荒んだ土を調整する。畑での作業は初めてではないとはいえ小学校でのそれとは次元が違った。

 両手は泥に塗れ、両足は今にも崩れ落ちそうだ。それでも辛うじて残った体力と意地で継続し、リザの補助を務める。   


 「…にしても、この作業を普段から一人でやってるって…本当に凄いね」


 「私や教主様以外は皆、小さい子供たちですから。それに意外と思うかもしれないですけど、私、好きでやっているんですよ」


 「え…マジで…?」


 「はい。昔から誰かの世話を焼くのが好き…というか、性分だったんです。だから苦じゃないんです。子供たちや旅人さんの笑顔が見られれば私は満足ですから」


 聖母だ。この血で血を洗う怪物が住まう町にまだ聖母が生き残っていた。現代の日本ですらリザほどの献身を兼ね備えた女性はいないだろう。

 それは目の前にいる日本人代表たる風切恋花の反応が証明している。呆然とリザを見つめ、地べたに頭を下げ、敬意を称する。その姿は正に五体投地そのものだった。


 「ちょ、ちょっと!いきなりどうしたんですか!?」


 「あ、いやぁ…その、あまりにも神々しくてつい…」


 リザが苦笑いを浮かべる。当然だ。いきなり目の前で土下座されれば誰だって硬直する。むしろ心配してくれるだけマシだというものだ。


 「さっきも言いましたけど…本当に私は好きでやっているんです。可能な限りの範囲でできることをする。それが私の数少ない取り柄ですから」


 微笑。慎ましく女性らしいリザの笑顔は恋花にどうしようもない痛々しさを覚えさせる。

 異常空間で正常を維持しようとする必死さ。そんな地獄に諦観せず尚、彼女なりに抗おうとする健気さ。それがどうしようもなく恋花には感じ取れた。取れてしまった。


 「…辛くないの?」


 だからこそ恋花が理性で検閲する前に言葉は外界へと解き放たれていた。


 ハッとやってしまった自分を戒めるが時は無常であるのは世の理であり絶対的な自然法則は振動となりてリザの耳へと伝わっていった。


 「そうですね…辛くないといえば嘘になります…。でも、生きていますから。どんなに周りが残酷でどうしようもなくても…生きてさえいれば幸せは必ずやってきます」


 丁寧に草を毟り、命を刈り取りながら強者は語る。草花にとっては力の権化でしかなく、町民からしてみれば脆弱な農奴である彼女は橙色に染まりきった夕陽を見据えて問いへと回答する。


 「私は…それを信じていますから…たとえどれだけ辛くても乗り切られるんです」


「そっか…強いんだね…リザちゃんは」


 午後のプライベートタイムは淡々と進行する。少女と少女の間には奇妙な関係性が生まれ、月夜を招き入れる。


 ゲーム開始二日目。恋花は決意を新たにし歴史改変に挑む。それが誕生の起点とは知らずに。

 

 







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司りし者のヘルハール ヒグマ @nest39593

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