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『洸平起きてた? 起こした? ごめん』
「起きてた起きてた。傭兵なれた?」
『あ、いやごめん、それはまだ。あのさ、さっき俺ピーケーに会った!』
普段気だるげな友人のはしゃぐような声は珍しく、洸平は驚きながらも「へえ」と相槌を打つ。
「まじか、襲われた? アカネ?」
『あ、それは見るの忘れてた。というか、なんかデカい服を上から着てて、どこにその赤いやつがついているのか分からなかったや』
「あー、アカネあるあるだよそれ。印章が赤いのと自分の名前を隠すことができる、そういうローブがあるんだよ。そんじゃ、そいつはアカネだな。サマナーだった? どこでやられた? やり返しとこうか?」
『ううん、大丈夫』
「マジ? 遠慮はしなくていいのよ駿汰ちゃん。というか、アカネじゃない人がアカネを倒してもPKにならないし大丈夫だぞ。むしろそいつを刑務所行きにできるし」
刑務所行き、の言葉に反応したのか少し黙ってから、駿汰は「いや」と言った。
『ほんとに大丈夫だよ。俺倒せたし。すごくない? 襲われたけど勝てた! やばい!』
「は? え? やっば、すごいじゃん! 何それ! 俺も立ち会いたかったじゃんか……」
『そう言うと思った。傭兵になった俺に期待しててくれ。……というよりは、襲ってきた人が結構マヌケだったから命拾いした感じ。自分の術にやられて』
「うわ……それでよくこれまで刑務所行かずにすんでたな。でもまあ、初心者を狙うクソ野郎が刑務所行きになって、平和になってよかったじゃん。あれ、でも倒されたアカネがいたら、そのときログインしている全員に通知来るはずなんだけど、俺それ見てないな。見逃した?」
『あー……』
駿汰が何かを考えるように間をとる。ペットボトルの水で喉を潤して、洸平は返事が来るのを待った。
『俺、完全には倒してないんだよね。死にかけ、みたいなところまでで、アイテムいっぱいもらって、そんでログアウトしたから』
「ええ、もったいないな。なんで?」
『とどめを刺されるのを嫌がっていたから?』
「え、ええ……」
『あと、持っているものを結構もらえたしいいかな、みたいな。早く寝たかったし』
「何もらった?」
『サマナーは、術を組むときに魔力がこもった石を媒介するんだけど、それが八種類あって、んで、その石を自分であちこちから集めなきゃいけないの面倒だから、それ。なるだけたくさんもらったよ。全色六百ずつ! お金ももらったし、まあいいかな、みたいな。刑務所ってなにするの』
「ええ……ぼったくられてないといいけど……。刑務所は、どこにあるか分からないけど、ゲーム内のどこかに結構広いマップがあって、その中に強制的にワープさせられんの。そんで、その中にいる看取のクルーが出す全てのクエストをこなせばもとの国に戻れるっていうシステム。これが結構ハードらしくて、アカネの人は基本刑務所行きをかなり嫌がるんだよ」
『それはそれで面白いね。今度気が向いたら俺も行ってみようかな』
「行ったら感想聞かせてくれ」
友人のひとり言のような呟きに洸平は肩をすくめた。好奇心のままに行動しても構わない世界の話だ、何をしようと駿汰の自由なのだ。
『うん。それで洸平も行きたくなったら次は一緒に行こうよ。ま、まずは俺が傭兵にならなきゃなにもはじまらないんだけど』
「ま、焦らずやってくれ。あっちで駿汰としゃべんの楽しみにしとくし」
『ありがとう。あー、自慢したら眠くなってきた。じゃ、寝るわ』
「はいはい、自由でよろしいこって。おやすみ」
「おやすみ」と笑いながら駿汰が通話を切る。部屋の中が急に静かになって、寂しいような気分になるのはいつものことだ。洸平はもとの静けさに戻った部屋の中をぐるりと見まわす。転がっているのはペットボトルにはいった水ぐらいで、テーブル、冷蔵庫、引き出しなど、四角くて白いものが窮屈そうに身をひそめているのが見えた。窓を見ると、手前にあるビルの向こうから朝日の淡い光が射しているのが何となくわかる。ななめにあるビルの壁が白く反射するが、その明かりが洸平の部屋の中に届くことはない。じめっとした朝を迎え、洸平はベッドの中にもぐりこんだ。次に目が覚めるまでには、乾燥した空気が吸いたい。テーブルの上に整頓されている雑貨のなかに混じって寝ている丸いレンズのだて眼鏡が、洸平のことを笑っていた。
ーーーーーー
薄桃色のカーテンの上から、分厚い遮光カーテンを引いた。外からの景色と一緒に、外からの視線を排除したかったのだ。いつもベランダで焚いていた香には水をかけ、プランターの中に埋める。固い土の上にしおれた雑草が横たわっているプランターは、墓場にするにはピッタリだった。緑色のスコップを突き刺して掘り返すと、虫すら生きることができないようなパサついた地面がめきめきと鳴りながら割れる。ざらざらとした砂の塊のおくに線香を砕いて敷き詰めた。上から腐った土をかぶせてスコップの裏で押し込む。ベランダの鍵をしめると、カーペットの上にあぐらをかいた。空の花瓶をひっくり返してホコリがテーブルの上に積もるのを見る。
「……今日もだめだった」
呟くその声からは、疲労がにじみ出ている。テーブルの上に表示されたままの掲示板には、特定の人物について知っている情報を持ち寄っているさまざまな人の書きこみがあるのが見えた。新しい書き込みはつい数分前だ。
『青の公園、目撃』
彼女は書き込みを見た後に髪をかきあげてため息をつく。誰が書いたのかは、心当たりがあった。
「またタローか……」
長い髪を後ろに結んで、テーブルに触れる。カーテンを閉め切った電気の点いていない部屋の中は、テーブルの光だけが怪しく浮かんで彼女を照らしていた。力の抜けた指先で、掲示板に文字を入力していく。書ききると、時間を横目で確認してから送信した。
『あれ、ボクも今日見ましたよ。カフラの林の近くです』
直ぐ後に書き込みが増える。
『時間は何時頃なんですか?』
『ボクは夜です。ちょうど十一時ぐらいかな』
『自分は二時ごろです。移動したんでしょうか』
『クルーさんが二時にいるのはおかしくないですか? 愉快犯ならやめてください』
テーブルから離れる。ベッドに座って唇をかみしめた。他の人が書き込んで愉快犯の話を盛り上げてくれてもいい、タローが憤慨してうさん臭くなってくれてもいい、ただ、邪魔されることだけは、彼女にとってどうしても回避しなければならないことだった。踏みにじられた心を持ったまま呼吸をし続けなければいけない人間のことを考えなくてもいい人たちは、かかわらないでほしい一心だった。彼女はベッドに体を預けたまま掲示板が更新されるのを待った。白い光が黒い目を輝かせるが、その光には表情が芽生えない。
『この掲示板にいる時点で、あなたも愉快犯では?』
浅い息をしながら息をのんだ。
ーー愉快犯? 私が?
「ふざけるな……」
釣られてはいけないと分かってはいるが、返事をしないのも怪しい。憑りつかれたようにテーブルまで下りて、白い光に触れる。
『確かにそうかもしれません』
震える指で一言だけを打ち込んで送信した。それ以上は、何を言っても自分の首を絞めることになるだけだと彼女は確信していた。
『だとしたら、二時にいるのって結構怪しいすね』
他の人の書き込みに唇をより深くかんだ。これ以上は「リオール」をフォローしきれなかった。彼女は、ただ黙って掲示板が流れていくのを目で追った。
『今度いろんな場所に散って張ってみます?』
『クルーもシフト時間外にインしていいって面白いな。今度クルーのバイトしてみたくなった』
『わかる』
話題が変わった。安堵の息をもらして、張り込みについての書き込みへの返事が来ないのを確認してベッドに戻る。枕元に置いてある茶けたノートを手に取って抱き締めた。表紙に「日記」と書かれたそれは、ページがところどころ破けているのか断面が不揃いでノート自体の厚さもぼこぼことしておりバランスが悪い。まるで赤子をなでるように強くだきしめてノートを撫でた。古びたそれはざらざらとしており赤子には程遠い。青白い光にぼんやりと照らされた部屋の中で、彼女はゆっくりと深呼吸をした。息を整えなければ、今にも叫んでしまいそうだった。震えた声で呟く。
「すぐに助けにいくからね……光……」
大きく息を吐いてふとんの中に入る。朝の八時になるまでの三時間がもどかしくてたまらなかった。カーテンに閉鎖された小さな部屋の中から何を言ったとしても、彼女の声が誰かに届くことはない。冷たいふとんに体を冷やして、静かに眠りについた。
赤い林檎とその価値について 飴屋ユユ @sysyunnn
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