そのキーボードは何を書く

lasso*presso

第1話 卒業

「津田 拓人君」

「はい」


拓人はまっすぐ歩いて段を上って両手を前に差し出した。義務教育の賜物「まえならえ」の姿勢をするのもこれが最後かもしれない。


「以下同文です」


 その同文が書かれた証書を受け取って右脇に差し、一歩下がって礼をする。今度は右側から段を降りて、舞台の端にいる先生に証書を渡してから自身の席へと戻る。座って同級生たちの横顔が見えると同時に小さなため息が漏れる。緊張もやることもなくなってしまった。あと何十分椅子にくくりつけられなければならないのだろう。後ろに証書授与を控えているであろう約200人のそれぞれに20秒かけたとしても一時間を越える。

 証書授与の後は在校生に歌を贈る。拓人は歌詞を覚えていなかったので口パクでやり過ごした。その後、校長の言葉で第61回卒業式は幕を閉じた。最後の教室や最後の校庭で自撮りに巻き込まれた。知らない人まで一緒に写真を撮ろうとしてくる。作り笑顔で顔の筋肉が痛くなってきたので学校を後にした。

 後にした、とはいうものの、夕方になったら友達と飯に行くことになっている。家族とラーメン屋で昼食を済ませ帰宅して午後1時半。時間を潰さねばならない。部屋に散らかっている封筒から「入寮のしおり」を取り出した。「入学のしおり」も別にあるのだが、ここには心構えやキャンパスの地図しか書いていないので今読んでも仕方がない。拓人は学校の寮に入るための準備を始めようとしていた。まだ入寮まで3週間はあるというのに。

 目が覚めた。横になって「入寮のしおり」を読んでいたのがいつの間にか寝てしまったらしい。持ち物リストのページにいくつか斜線が引かれている。しかも学ランを着たままだ。とりあえずスマホを確認する。午後5時5分。飯の集合時間は5時半なので、今から着替えて向かえばちょうどいいぐらいだ。パソコンは…いらないよな。


「拓人来たって。連れてくる」

「よろしくー」


 拓人は家から徒歩圏内にあるファミレスの入り口に立っていた。歩が向こうからやってきて拓人の姿を認める。


「人数多くてわかりづらい場所に押し込まれちゃって。店の中2周ぐらいすればわかっただろうとは思うけれど、一応」

「あーそうなんだ、ありがとう」


 みんながいるテーブルに着いた。このファミレスに来るのは初めてだったが、厨房と客席を分ける場所でもないのにのれんが設置されていて確かにわかりづらい。いっそのこと個室にして部屋に名前をつけてほしい。


「これで全員かな?」

「たぶん」

「まだ注文してないから、たっくんも選んじゃって」


 メニューを渡される。チーズハンバーグにしよう。他の凝ったハンバーグよりも20g多くて価格が据え置きだったのが決め手だ。ドリンクはウーロン茶。

 いろいろと話が盛り上がって楽しい夕食だった。思い出話というよりも高校や春休みの話が多かった。就職先をもう見つけて4月から働き始める奴もいれば、進学校への入学が決定して勉強に不安を覚える奴もいる。中学の友達と最後にディズニーに行きたいという奴もいれば、いつも通り休みは休みらしく部屋に篭って寝ていたいと眠そうに上を向く奴もいる。


 長くて暇な春休みが始まる。

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