第3話 吾輩はゲロルドという


 銀髪メイドさんに背負われて人里まで護送されたぼくは、そのあと三日三晩寝込んだ。

 それが代償、いや必要経費。

 悪霊に刻まれていた記憶を肉体にインストールし、肉体に刻まれていた記録を悪霊にフィードバックする際の、負荷の結果だった。


 意識が混濁とするほどの激しい頭痛、それに伴う眩暈と吐き気。吐き気をこらえて口にものを入れても臓腑が受け付けずもどしてしまう。一日目は水さえろくに飲めなかった。

 二日目も頭痛は消えなかったが、苦しみもだえるということに対し身体に耐性ができたのか液体は接種できるようになった。三日目には高熱が発症し骨の髄まで怠かったが逆に気分は上向きになり、固形物も食べられるようになってきた。


 憑りついた先が貴族のお坊ちゃまでなくて貧乏な平民だったら衰弱死していたかもしれない。変なところで悪運のつよいぼくだった。

 それでもダメージは深刻で、熱がさがり起き上がれるようになったときには金髪だったはずの頭はのこらず真っ白に変わっていたくらいだ。


 ときに、恐怖で一夜にして白髪になる逸話は古今東西を問わず存在するが、生物学的にはすでに伸びた頭髪の色素がストレスで抜けることはありえないらしい。

 ストレスでメラニンが停止してそれ以降生えてくる髪が白髪になることはありうるが、その理屈でいくと一晩で頭がまっしろになるためにはショックでハゲて、さらに呪いの人形みたいに一夜にして白髪がしゅるしゅると伸びてくる必要がある。

 別に非科学的だと文句がいいたいわけじゃない。髪の色や長さが一瞬で変化するのは某宇宙の戦闘民族をはじめファンタジーに限らずフィクションの代表的な変身であるし、何よりぼく自身がオカルトの塊みたいなものだ。ファンタジーに偉そうにツッコミを入れられる立場じゃあない。


 ただ、仮にの話だがぼくの頭も生物学に則って金から白に世代交代を遂げたのであれば、ぼくが意識混濁している間にこっそり枕にびっしりついた金髪を掃除してくれたメイドさんには足を向けて寝られないなと思うのだった。熱に浮かされた妄想である。


 ただ、意識が朦朧としたおかげで思わぬ収穫もあった。ついうっかりいつもの感覚で机に置かれた水差しをポルターガイストで取ろうとしてしまったのだが、なんとこれが成功したのだ。

 これにより肉体を得ても幽霊時代に磨いたスキルが一部健在であることが判明した。真夜中でありメイドさんの目撃がなかったのも非常にラッキーであった。

 三日目は熱こそ怠かったが眩暈と吐き気はだいぶおさまっていたので、メイドさんたちの目を盗んでヒマつぶしがてら実験を重ねた。その結果、実用可能なレベルで有用に思えたのは次の三つ。


 念動力ポルターガイスト吸精エナジードレイン、そして物理法則にとらわれず周囲を認識する五感に分類されない感覚、霊視シックスセンスだ。

 急に貧血を起こした罪なきメイドさんたちのご冥福をお祈りしたい。恩を仇で返す糞野郎がここにいた。ぼくだった。肉体を得ても悪霊は悪霊である。


 そして肉体と魂がひとまず馴染んだ後もまた一苦労だった。

 なにせ体感で十年近く幽霊生活をこなしていたのである。その間、重力も慣性もろくに作用しない世界で文字通り地に足を付けず暮らしていたのだ。

 重力に押さえつけられ大地を踏みしめて歩くという行為に違和感がぬぐえない。


 幽霊だったぼくが概算で十年オカルト世界に生きて(?)いたように、この身体はファンタジーとはいえそれなりに物理法則っぽいものが存在する世界で十年生きて(!)きた。

 その記憶と身体感覚の蓄積がなければ、年単位でまともに動くことができなかっただろう。それでもしっかりひとりで歩けるようになるまでもう三日かかった。


 こうしてようやく人並みの生活を送るスタート地点に立てたわけだが、正直なところあまり馴染まない、馴染みきらない。最高にハイ、ならぬ適度にローテンションだ。

 例えていうなら、強烈な酔い止めを服用した後に荒波にもまれる小型船に搭乗したような。眩暈も吐き気もしないはしないが、隔てられているだけでたしかに隣りに違和感がいるのを感じる。きっかけがあればご対面することもあるだろう。


 さて、それでも動けるようになったのなら、あまり楽しくないし本意でもない食っちゃ寝生活とはオサラバである。

 ぼくがこの子オレになってからちょうど一週間。上司に回復を報告しにいかなければならない。



 家の中を土足で歩くのは緊張する。

 いや、慣れた行為だ。違和感を覚える理由がない。

 相反する感情がぐにゃぐにゃと脳裏をよぎる。馴染まないなぁ。


 もはやこの家に何人いるのか数えるのを諦めた名前も知らぬメイドさんの先導に従い、つまりそれだけの雇用と仕事を必要とする屋敷の廊下を歩く。


「失礼します」

「入れ」


 まるでなつかしき職員室のやりとりだ。これが親の待つ食卓に、子供がつくときの挨拶である。しかしこれが親子で無かったら季節の挨拶のような長々とした口上が必要とされるので、これでも近しい間柄なのだ。

 メイドさんにノックをさせ、扉を開けさせ、当然のような顔をして入る。


「体調はどうだ、ゲロルド?」

「ご心配をおかけいたしました、父上。情けないことに足元はいまだふらつきますが、この通り食欲がわき、自分の足で食卓に向かう程度には回復しました」


 そろそろこの身体、否。

 いまのぼくオレについて説明しておこう。


 ゲロルド・スピナキア・オレラケア。

 脳内翻訳が間違っていなければスピナキア侯爵家の三男坊である。御年十歳。

 家族構成は兄が二人、姉が一人、妹が一人、母が正室側室あわせて三人だ。

 生まれ自体が妾に近い側室からであることに加え、正室を母にもつ長男がばっち優秀、次男は別の側室の子であるがやっぱり優秀。悪質な流行り病や無謀な戦争でも起きない限りまず家を継ぐことは無いだろう気軽な身の上である。

 あまりに格差が開き過ぎて兄の間でどうなのかは知らないが、ゲロルドを巻き込んだ後継者争いは兆しすらない。


 現当主も家臣と同意見のようで、ゲロルドに与えられるのは厳格な帝王教育よりも、子供を可愛がる父親としての接し方を性質に主とする多い。ぶっちゃけ甘やかされている。母も母でその容貌が見初められて玉の輿を達成した下級貴族出身なので侯爵家の息子の育て方のノウハウがない。やっぱり甘やかしてしまう。

 結果として典型的なワガママ坊ちゃまに育っているのがオレぼくという少年だった。


 言い訳をさせてもらうのなら、オレぼくは誰にも期待されていないことがわかっていた。兄二人と格差が設けられていることを肌で感じていた。父上が兄たちばかり見ていると思っていた。母の周囲を省みない愛がうっとうしかった。

 いまでこそぼくオレという異分子、客観的視点と発達した文明由来の知識と賢智によって分析して分解して状況を並べなおして、ようやく自分も兄たちに与えられるかたちこそ違えど確かに両親に愛されているのだと納得できたが、少し前まではアイデンティティの確立ができなかった。その空虚を埋めるために暴君として振る舞っていたのだ。

 どこかの誰かを困らせているうちは、たしかに自分はそこにいたから。




 食卓についているのは父と、自分の母と、そして妹か。姉はすでに嫁いでいるとして、兄たちは仕事でこっちまで帰ってこなかったのだろう。その母親たちは……まずは身近な親子で水入らずの席を設けたのか。そういうことにしておこう。


 うやうやしく一礼してみせると程度の差はあれど、いちように瞠目する我が家族。これまでろくに挨拶らしい挨拶をしたことがないから、まるで豚が詩を吟じたのを目撃したような表情になってる。この体格を加味すれば比喩と言うより自虐に近いか。


 こうなる前のオレぼくはこじらせていたから『本気を出したら飛べますが?』と言いたいがために一通りマナーを頭の中に入れていたくせに、その上で勝手気ままに振る舞うという若さ溢れる態度だったのだ。

 付け焼刃だし、しっかり師について学んだわけでもないし、身体に馴染んでいないうえに間違いだらけだろうが、こういう身内の場でふわっとそれらしくなぞるだけなら及第点に届く。


 まあそんなことは、わりとどうでもいいのだ。

 さっきから視線を動かしているのだが、部屋の隅に配置されたメイドさんたちの中に例の銀髪メイドさんがいない。家族水入らず? 家政婦は貴族にとって家の備品なんですよ。

 とんでもないことに、ゲロ君はあの銀髪メイドさんの名前を憶えていなかった。ゲロ君がおぼえていないのなら、ぼくがどうがんばっても思い出すことはできない。

 まったく、なんてやつだ。身の回りを世話をしてくれる相手、さらにいえば護衛まで兼ねていた命を預ける相手の名前を憶えていないだなんて。

 この館に使用人が掃いて捨てるほどいるからといって、日常的に接していた相手なのだから顔と名前くらい一致して然るべき……そういえばぼくも、学生時代クラスメイトの顔と名前をさっぱり憶えていなかった気がするぞ。

 出席番号順に並ぶとき、自分の前後にいるべきクラスメイドがわからずけっこう困った記憶があるような気がするぞ。それも一学期の思い出とかじゃないやつで。

 うーん、気のせいだろう。生前、いやもやはこの状況だと前世か。ぼく前世の記憶があいまいだから仕方ないね。


 今日だけではない。この一週間、彼女の姿を見ることはついぞなかった。護衛対象であるぼくが半死半生に陥ったせいで罰でも受けたのだろうか。だとしたら申し訳ない。あの状況は百二十パーセント(ぼくの責任が百パーセントに、彼女が負わなくていい分を引き取ってさらに追加ニ十パーセント)ぼくの自業自得であるし、彼女は完璧以上にフォローをしてくれた。その上で死にかけたのは彼女の想定以上にぼくが貧弱だったからだ。


「あの父上。質問をよろしいでしょうか?」

「……ああ」


 お、どもりこそしなかったけど我を取り戻すまでにタメがありましたね。少し前までのぼくオレなら父親から一本取ったような気がして痛快なことこの上なかっただろう。

 今? わりと楽しいよやっぱり。偉そうな奴が必死に自分の偉そうな空気を取り繕うのは笑いをさそう。


「私の護衛についていた彼女はどうなりました? 彼女は私の我儘に突き合わされただけではなく、自業自得の命の危機をこれ以上ないほど巧みに退けてくれました。顔を合わせて礼を言いたいのですが」

「あいつには首輪を贈った」


 ほうほう。首輪を贈った、ね。賞与ではない。奴隷落ちの隠語である。

 ふぁ!?

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転生? いいえ悪霊です @fujisouju

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