カタリィ・ノヴェルの旅
サヨナキドリ
パン屋の少女 サンの物語
最近、妙なお客さんがくる。
「やあ!今日はいい天気だね!」
赤毛に碧眼、外国人だろうか。歳は12歳くらいの男の子、つばとリボンがついた白い帽子を被って、活発そうな半ズボンを履いている。
「曇りでしたが」
「そ、そうだったかな?」
その子は返答に困って一度目を泳がせてから、私をまっすぐ見つめた。空のように鮮やかな目で見つめられると、何か見透かされるような気分になる。
「98円になります」
私は粛々と食パン3枚の会計を進める。この子はいつもデラックスサンドイッチボックスをひとしきり眺めてから、肩を落として一番安いプレーンな食パン数枚と、パンの耳をレジに持ってくる。
「え、ああ、そうだったね」
男の子がポケットから銀色の硬貨を一枚だして支払う。
「パンをありがとう!」
そう言ってその子は店を出た。扉の前で一度振り返った。
「なんなんだろう……」
私は無意識のうちにため息をついていた。
「作者様!筆が遅いんだからそろそろ書き始めないと間に合わないですよ?」
「わかってるって。でも、まだ肝心なところがヨメてないと思うんだよ」
何かを話しながら、その少年カタリィ・ノベルは道を歩く。けれど、周囲に話し相手らしい人はいない。
「……作者様、『課題』が可愛い女の子だと執筆に時間がかかりますね」
「バッ、そんなことないって!!」
カタリィはポケットからスマホを取り出すと、噛み付くように言った。その画面には女の子が写っている。ターコイズブルーのベレー帽とエプロンドレス、色素の薄い髪をした可愛らしい女の子が、呆れたように首を振っていた。
「作者様、あの子が笑いかけてくれるのはお仕事だからですよ〜作者様に気があるとかじゃないんですよ〜」
その女の子の名前はリンドバーグ。AIだ。
「それもわかってるから!ほんとにまだヨメてないだけだって!」
顔を真っ赤にしながらカタリィが反論する。それからカタリィは気をとりなおして考えた。
「いったいあの子は何を悩んでいるんだろう……」
「フルーツサンド……」
「またあの子来てる」
何を悩んでるんだろう。お金がないのかな。なんとは無しに眺めていると、ドアベルがなって誰かが入ってきた。
「サン〜」
高校の制服を着た女の子がこちらに小さく手を振りながら向かってきた。
「みそら!部活帰り?」
みそらは私の幼馴染で、演劇部の部長だ。中学時代は私も演劇部で一緒にやっていたのだけど、高校に進学してからは、家の手伝いが本格的になり、やめてしまった。
「何かおすすめはある?」
「クイニーアマンあたりが焼きたてかな」
私の言葉を聞いてみそらは、甘いパンを選びにいく。ふんわりとした、可愛らしい女性だ。声は優しくて、でも舞台の上ではハリがあって。部活では後輩にも慕われていて、クラスの男子からの人気も高い。つまるところ自慢の幼馴染だ。幼馴染だ。私は、みそらの幼馴染なだけだ。釣り合える何かを持っているわけではない。
「どうしたの?」
声をかけられて考え込んでいたことに気づく。みそらが持つトレーには菓子パンが3つ、クイニーアマンも入っている。
「ううん、なんでもない」
はぐらかして、レジ打ちを始める。そんな私を、サンドイッチコーナーからあの子が碧い左目で見ていた。
「……
公園のベンチに座り、カタリィ・ノベルはスマホの画面に指を走らせる。フリックする速度が上がっていく。
「作者様!頑張ってください!」
文章を書きつけていくカタリィを、リンドバーグが応援する。単に声をかけるだけではない。
「作者様!シソーラスを使いますか?」
「お願い!」
「作者様!資料です!」
「助かる!」
「作者様!ここでフクロウを入れましょうフクロウ!」
「えー…トリを思い出すからやだなぁ……」
「評価が上がるかもしれないじゃないですか!」
リンドバーグは、単なるコミュニケーションAIではない。作家をサポートするために設計された、自律型執筆支援AIだ。
「できた!」
リンドバーグの支援もあって、カタリィはひと息に書き上げ保存ボタンを押す。公開はひとまず保留とし、PDFをダウンロードする。この物語を最初に読むべき人がいるからだ。
「よし!届けるぞ!」
スマホをポケットにしまい、駆け出す。
「作者様!」
「うん!」
「方向が逆です!」
校門で、部活の後輩たちと手を振って別れる。知らず知らずのうちにため息が溢れる。今日は、サンのパン屋に行こうか。やめておいた方がいいかもしれない。
「お姉さん、お姉さん!」
突然、声をかけられてはっとする。声がした方に目をやると、赤毛で碧眼の可愛らしい男の子がいた。
「お姉さん、僕の店の品物を見ていってよ!」
見ると、フリーマーケットのようにシートを広げて商品をのせている。商品は、本のようだ。文庫本サイズの様々な色の無地の表紙が並んでいる。
「お姉さんには、これがオススメかな。まだ生まれたばかりの物語だよ」
そういうと男の子が薄い冊子を手渡す。
「どうして、これが私にオススメだと思ったの?」
「読めばわかるさ!」
どうやら短い物語だし、少しだけ読んでみることにした。
——鳥の飛び方にはいろいろある。トビのように回るもの、フクロウのように静かなもの、北極から南極まで飛ぶものもいる。
中でも、ヒバリの飛び方は特別だ。ヒバリは、草むらからまっすぐ上に飛び上がる。それは、ヒバリが太陽を好きだからだ。
ヒバリは歌いながら飛び上がる。草むらに降りてまた飛び上がる。
もう一度降りるとそこは水辺だった。水辺に自分の姿が映っていた。
太陽はあんなに輝いているのに、私は取るに足りない小さな鳥。私は何も持っていないのに、太陽に会いに行っていいものだろうか。
そうして、ヒバリは飛ぶことをやめた。
太陽は怪しんだ。いつも飛んできてくれた、あの美しい歌声の小鳥はどうしたのだろう。
いく日まってもヒバリは来ない。太陽は塞ぎ込み、光は月のように暗くなった。
そばを通った流れ星が聞く。どうして君はそんなに暗いのかと。
太陽は答えた。大切な友達が行方知れずなのだと。
流れ星は言った。なら私が地上に降りて、友達の様子を見てこようと。
太陽は言った。また来てくれると嬉しいと、伝えて欲しいと。
まっすぐに降りる流星。瞬きするまに地上についたけれど、そこにはヒバリのなきがらがひとつあるだけだった——
顔を上げると、男の子もその店も、幻のように消えていた。手にはまだあの本が残っているのに。
私は、走り出した。
店に駆け込む私を見て、サンが目を丸くする。
「サン!私、言わなきゃいけないことがあるの!」
サンの表情が硬くなる。身構えているのだろう。
「私、サンのことすごいって思ってたの!同い年なのにもう働いてて、お客さんに笑顔を振りまいてて、町のみんなの元気になってて!それに比べて、私には何もない……。それでも!それでも私はサンの友達でいてもいいかな!これから先も、ずっと!」
サンは息を飲んで、手で口を覆った。
「そんな!すごいのはみそらの方でしょ。優しくて、演技が上手くて、後輩にも慕われてて……」
こんどは私が目を丸くする番だった。サンがそんなことを思っていたなんて。
「私は普通の高校生だよ」
「なら私も普通の高校生だよ」
吹き出す私にサンが首をかしげる。
「どっちもすごくてどっちも普通なら、この先ずっと友達でいるために問題があるかな?」
「ないね」
「なんで泣くの?」
「そっちだって泣いてるでしょ」
「……安心、したのかな」
「うん、安心、安心だ」
陽が落ちた公園のベンチに、ごそごそと動く影がある。
「ずっとここで暮らしてるの?」
影に声をかけると、ビクッと振り向き、私を見て碧い目で微笑んだ。
「ううん、明日にはここを発つ」
「なら、今晩来てよかった」
手に下げた袋を差し出す。
「デラックスサンドイッチボックス!」
「何があったのかわからないけど、君のおかげみたいだしね」
男の子がサンドイッチを食べながら話をする。
「僕はカタリィ・ノベル、詠み人さ!」
「詠み人?」
「人の心には物語がある。
まるで何かの物語の主人公のような身の上をカタリは語った。
「ずっと旅を?」
「そうだね。見つけたいものがあるから」
「また会える?」
それを聞くとカタリは、肩にかかった鞄から本を一冊私に渡した。
「読めばわかるさ!」
家に帰り本を開く、パラパラとめくってみたけれど、その本は白紙だった。私は、シャープペンを2回ノックした。
「ホー」
「お、きたきた」
どこからか、フクロウのような鳥が飛んできた。カタリィはトリと呼んでいる。カタリィは、トリの足に付いていた封筒を取る。
「え?これだけ?」
中には数枚の紙幣と、次の『課題』の居場所を示すメモが入っていた。
「ホー」
「鼻の下伸ばしてひとつの課題を長々やってるから足が出るんだ?なんてこと言うんだ!この……焼き鳥にして明日の朝ごはんにしてやる!」
両腕を広げて飛びかかるカタリィをトリがするりとかわす。こんどこそ捕まえようと周囲を見渡したが、トリの姿は見えない。
「ホー」
「よしよし、野蛮な作者様で大変ですね」
スマートフォンを見ると、トリはリンドバーグの腕の中で撫でられていた。
「ずるいぞ!」
「ホー」
「作者様もなでなでして欲しいんですか?」
「そういう意味じゃないから!」
リンドバーグは少し考え込む。それから閃いた!とばかりに顔を上げて言った。
「そうだ!課題がひとつ解決したら、私がトリさんをなでなでするので、その部分でこう、もふもふっとしてもらってください。それで間接的になでなでを」
「だぁーーー!!!」
カタリィ・ノベルは夜の公園に頭を抱えて崩れ落ちた。
——流れ星は言った。ヒバリ、太陽がまた会いに来てくれると嬉しいと言っていた。
ヒバリはそれから、今でも飛んでいる。
カタリィ・ノヴェルの旅 サヨナキドリ @sayonaki
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