救う物語、救われる作者
砂塔ろうか
キミの物語は誰がために
年の瀬の迫ったある日。
少女は人知れず、ため息をついた。
大晦日近くになると、少女の家には親戚があちこちから訪ねてくる。田舎くさい話し方で悪口陰口を平気で言う親戚の大人達の姿は、彼女にとって耐えがたいものだった。
だが、親戚達に一切接触せずにやり過ごすことなどできない。仮に部屋に引きこもったならばきっと、
「マァ、中学三年生ならむつかしい年頃だかんなぁ。女の子はとくになァ」
とかなんとか言われることだろう。それはいやだった。
なので、
「
と呼ばれたならば、おとなしく親戚らの前に出る。にこにこと己を取り繕って、学校での成績に違わぬ、県内一番の公立進学校に進むことが当然の、模範的優等生を演じてみせる。
そうしてそつなく会話を終えた少女――葵は、自室に戻るとすぐに、ベッドの上に身を投げ出した。もう、何をする気力も残ってなかった。
「勉強……しなきゃ」
呟く言葉に力はない。それでものそりと、ゾンビめいた動作で起き上がり、葵は椅子に座ろうとする――
「……フクロウ?」
葵の視線の先、開け放たれた窓のむこう、ベランダの
葵がそのトリをじっと見ていると、
「やっと見つけた」
ベランダに、赤毛の少年が降り立った。
「なんでぼくを置いていっちゃうんだよ~。……え? ぱるくーる? ナニソレ」
少年は葵には背を向けたまま、あの奇妙なトリに話しかけている。
どうやらトリと会話しているらしい。叱られているのか、見る見るうちに少年の肩が下がってゆく。その落ち込みようがあまりにもオーバーに見えて、葵は自分でも気付かぬうちに笑い声を上げていた。
すると、少年が葵を見る。空の色を移植したような碧の瞳で見られて、葵はたじろぐ。
「……なるほど。彼女には物語が必要なんだけど、同時に彼女の物語を必要としている人もいる。そういうことだね?」
少年が振り返ると、トリはうなずいた――ように、葵には見えた。
「……な、なんですか。あなた……」
葵が訊くと、少年は葵の目を見て、にこっりと微笑んだ。
「ぼくはカタリ。カタリィ・ノヴェル。君の心を救いに来たんだ」
◇
「――起きて下さい。おーきーてーくーだーさーい」
「あと一日……」
「……作者様。残念なお知らせがあります」
「むにゃ、なぁに……バーグさん……?」
「締切まで、あと五日です」
「ぬわぁあぁぁ――! ……あれ? 昨日がたしか二十日で……今日は二十一なんじゃ」
「二徹で限界を迎えた作者様の身体は、長期に渡る睡眠を欲していたのです……」
「え? いや、あの……それなら起こしてくれれば」
「睡眠がしっかりととれていないうちは、起こしたところでロクなものが書けないに決まってます。寝惚けた脳で書き散らした小説が良いものになったためしがありますか?」
「……」
「そんなワケで、スケジュール通りに進めるなら今日中に一万字。頑張って下さいねっ」
「ハイ……」
「いつもながら書き出しは中々引き込まれる感じなので、どうかその期待を裏切らないように」
「う、うん!」
「時に作者様、質問、いいですか?」
「……な、なに?」
「少し気になったんですけど……プロローグと第三章とで、主人公の性格が変わってるのはなぜでしょうか? 主人公に何かが起きたわけではないようですが……」
「…………」
「あと、第二章のここからここまで、こんなに字数使う必要ありました? ……それとここの雑学、説明する必要あります?」
「…………」
「作者様?」
「もういい……」
「はい?」
「もうっ! いい! 寝るっ!!」
「作者様――!? ね、寝ないで下さい! どうしてそう、衝動的に諦めるんですか! 大学受験の心配がない今のうちにプロデビューしておきたいって言ったのに」
「でも、どうせ上手く書けないし……修正も間に合わないし……」
「……でしたら、気分転換に本でも読みますか? この物語はきっと、作者様にとって良いものであるはずですから」
涙声の葵に、バーグは一冊の本を渡した。
◇
“お手伝いAI”リンドバーグ――通称:バーグが女子高生アマチュア作家、アオ――本名、桜川葵に出会ったのは三ヶ月前、葵の住むマンションの部屋の前でのことだった。
――作者様の支えとなる。
そのために葵のもとにやって来たのだが、しかし今、バーグは困っていた。
――どうしたらいいのでしょう……?
二日連続の徹夜から解放され、今は夢の中にいる葵を見ながら、バーグは思う。
一ヶ月前、葵は高校の友達に誘われたらしく、放課後に遊んでから帰ってきた。しかし、顔色は冴えない。バーグが何かあったのか問うと、葵はため息をついて、
「疲れた」
と言って椅子に座った。
バーグが理由を訊くと、葵は答えた。
「だって、次のコンテストの締切まで時間ないし……楽しんでる場合じゃないでしょ。断らなかったのはあくまで、小説の参考になると思ったからだし……」
それに対し、バーグは言った。
「小説を意識しすぎてせっかくの高校生活が楽しめなくなってしまっては、それは取材にもならないのでは?」
葵は図星を突かれたような顔をして、一言。
「分かってる」
それだけ言って、黙り込んでしまった。
以来、バーグはあまりこの話題を出さないようにしていた。
しかし、葵が高校生活を楽しめていないのは問題だと、バーグは考える。なにより、笑顔がないのはいけない。
――もう少し、力を抜いてくれると良いのですけど……。
作家のやる気を出す方法ならば何百通りとインプットされているバーグにも、やる気のありすぎる作家を鎮める方法は分からなかった。おかげで今回のように、無茶な徹夜を許してしまうこともしばしばだ。
その結果、今、葵は熟睡している。起きるのは明後日になるだろう。
タブレットに表示される時刻は三月二十日の午前二時。バーグは床に座って、タブレットで葵の小説の推敲をしていた。
葵の小説は未完成だが、半分以上は書き上がっている。順調に進めばかろうじて締切には間に合うだろう。しかしそれでは、完成してから推敲する時間はない。だから今のうちに自分が推敲を――最低限、誤字や言葉の誤用の指摘程度はしておこうと考えた。
「ここと、ここに誤字。あと、ここの助詞が……?」
バーグはこつこつ、というガラスを叩く音を聞いた。ベランダからだ。
「……フクロウ?」
行ってみると、丸っこいトリがベランダの中にいた。窓ガラスを叩いたのはどうやらこのトリらしい。
「どこかで見たような……?」
と、呟くのも束の間。トリの後ろに、人が降り立った。まだ肌寒い夜だというのに半袖短パンの薄着を着た、赤毛の少年だ。
「ま~た、そうやって先に行く……せっかくリアタイできたのに……で。この人……じゃ、ないか。ええと、キミって空き巣、とかじゃないよね?」
「違います」
「なら良かった」
少年は安堵したように笑って、鞄から一冊の本を取り出した。
「窓、開けて」
警戒の色を残しつつも、バーグは窓を少しだけ開ける。
少年は、窓の隙間から手を入れ、バーグに一冊の本を渡した。
「これを、ここに住んでる子に渡して、読ませてあげて」
それだけ言うと、少年は去った。
疑問符を浮かべつつ、バーグはその本の中身を確認することにした。
◇
目を覚ました葵はバーグに一冊の本を手渡された。
「私は朝食の用意をしますね」
バーグはキッチンへ向かう。葵はその後ろ姿を見て、ついで渡された本を見た。
――?
妙な既視感があった。しかし、その正体が掴めず、葵は本を開いた。
「……!」
その文章は葵によく馴染んだ。必然、読書速度はどんどん速くなる。
めくる。めくる。そのスピードは尋常ではなかったが、葵はしっかり読んでいた。
果たして、バーグが朝食を作り終える頃には、葵はすでにその本を読み終えていた。配膳するバーグに、葵が問う。
「これ、誰が……?」
「ヘンなトリと赤毛の男の子が。なんだか本を置いたらそれで用事は済んだみたいで、すぐどこかに行っちゃいましたけど」
葵はぎゅっと本を抱きしめて、嬉しそうな顔になって、言う。
「バーグさん。聞いてくれる? 私が、小説を書くって決めた時のこと」
「是非」
◇
バーグが聞いたのは、葵がカタリという少年に出会った日の話だった。
カタリは部屋に入ると葵に一冊の本を渡し、それを読ませた。それは今回のとは別の一冊だったが、葵の心に深く沁みいる一冊だった。
読み終わる頃には、葵の両目には涙がたまっていた。物語に心を動かされたためだ。
それから、葵の心の中にあるという物語がカタリの能力によって本になると、カタリはその本を見せて、葵に言った。
「この本は、キミの心の中にある物語が小説になったものなんだ。そして、
この言葉に背を押されて、葵は小説を書くことを志した。それこそがこれまで、自分の夢らしい夢を持てなかった葵の、はじめての夢だった。
◇
「ただいま、バーグさん」
「おかえりなさい、作者様。文芸部、できましたか?」
「……まだ人が足りなくて。ちょっと……ていうかさ、どうしよ」
「何がです?」
「実は、一緒に文芸部立ち上げようとしてる子がさ……私のファンみたいなんだよね。コンテストに出すはずだったやつのこと、面白いから読めって布教してきて」
「それは! 良かったですね! 作者様! コンテストを諦めて作品のブラッシュアップに専念した甲斐がありました!」
「うん。ありがと……でもさ、」
「でも?」
「なんかちょっと、恥ずかしくて――」
気恥ずかしそうに笑いながら、葵は言う。
その顔を見て、バーグは小さく呟いた。
「……良かったです」
「え?」
「いえ、なんでもありません。……じゃ、とりあえずは夕食を食べて下さい。今日も執筆、頑張りましょうね!」
晴れやかな笑顔で、バーグは言った。
救う物語、救われる作者 砂塔ろうか @musmusbi
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