着信脱走
新巻へもん
そして運命のメールが着信する
「あのね。大事なお話があるの。迎えに来てくれるかな」
恵理が電話をすると浩司はすぐに迎えに行くと言った。先日のデートの帰り、浩司のアプローチをすげなく断って帰ってしまっていたからどうなるかと思っていたが杞憂に終わったようだ。
つい先ほど着信したメールで、任務の解除を言い渡された。恵理は本当の名前ではない。元の名前を短縮してつけた偽名だ。長きに渡って指示を待ち続けたが、本来の目的の指示が来る前に世界の終わりが来ることになったようだ。
”キメラは鎖を外され、ベレロフォンはペガサスを手に入れた”
ペガサスは任務からの恒久的な解除を示す。ベレロフォンはもちろん自分のコードネームだ。そこまで事態が深刻になっていたとは……。恵理は唇を噛みしめる。
アパートのチャイムが鳴り、出迎えると浩司が立っていた。逆光で表情は良く見えないが少し緊張しているらしい。チラリとアパートを振り返る。ここにはマズいものはない。
車に乗り込むと浩司が聞いてきた。
「どこに行こうか?」
「どこか落ち着いて話せるところ」
まだ時間は少しあるはずだ。その間に浩司に秘密を打ち明けよう。どう話をきりだそうか。
考えているとスマホにメッセージが着信した。
”キメラは放たれた。GL”
うそ。もうなの。展開が早すぎる。車のラジオに手を伸ばした。通常の番組が中断し、大規模な事故の発生を告げる。終わりの始まり。
「ごめん。私のバイト先に連れてって」
「え?」
「いいから、お願い」
強い口調で言うと浩司は素直に、車をショッピングモールに向ける。
「急いで」
早く逃げないと手遅れになる。大脳皮質不可塑変性ウイルス。これをばら撒く世界同時多発バイオテロが発生したはずだ。この国で警告を受けていたのはごく僅かだろう。対応が後手に回る。
浩司を急かせて裏通りを車で疾走させる。途中でついにあいつらが姿を表した。灰色の肌をした忌まわしき存在。映画の中のゾンビのような存在が人を襲い、数を増やし始めていた。その姿に驚いたのか車を減速しようとする浩司に叫ぶ。
「何してるのっ? スピードを落とさないで」
「でもこのままじゃぶつかって」
「いいからアクセルを踏んでっ!」
車が加速する。一気に距離が縮まり、灰色の肌の集団に突っ込むと何人も跳ね飛ばした。どんどん、という衝撃が車に伝わる。なんとか、ショッピングモールに滑り込んだ。
浩司のシートベルトを外し急き立てる。車を降りて、鉄の扉に向かおうとすると建物の角から灰色の肌の化物が現れ、こちらに向かってきた。
「恵理。このままじゃ……」
浩司が引きつった声を上げる。
右手を胸の谷間に突っ込み、奥から相棒を取り出して、重い引き金を引く。パンという音が響き、ゾンビの頭を吹き飛ばす。小さなボディに似つかわしくない破壊力を秘めた相棒デリンジャー。
「早く。これはあと1発しかないの」
従業員用のドアを抜け、廊下を走り、肩から下げていたハンドバックからカードを取り出すと大きなドアの脇の読み取り部に当てる。ピっという音と共に扉から重い金属音が響く。その扉を力を込めて恵理が引き開け中に入って扉を閉めた。
「一体どういうことなんだよ? あの化物はなんなんだよ? それにその右手の物は?」
取り乱す浩司に説明する。
「あの化物は特殊なウイルスに感染したヒトの成れの果て。審判の日の始まり」
デリンジャーを胸の谷間に押し込むと、恵理は浩司の手を取って、自分の胸に押し当てる。
「男ってしょうがないけど、便利よね。これだけで落ち着くんだもの。さっきまでの怯えた表情が消えたわ。悪いけど、今はここまで。ついて来て」
浩司を武器庫に案内する。奥からきびきびとした足取りで迷彩服に身を包んだ部下が歩いて来て、恵理に敬礼をした。指示を与えてから浩司に向き直る。
「私は日本に送り込まれたスリーパーなの。有事に備えて、それまでは一般人に偽装して暮らすスパイと言ったらいいかしら。どこの国かはこの際もういいわね。もう、本国も同じような混乱の最中でしょうし。私はこれから自分の判断で生き残るつもり」
黙り込む浩司に恵理は説明を続ける。
「私も一応訓練を受けた兵士だけど、これからストレスフルな生活が始まるのよ。楽しみや慰めが欲しくなる。コージがそれを提供するの」
理恵は心に強く思う。私は負けない。確かに先ほどの着信ではすぐに逃げ出した。でも、その判断は正しい。さあ、これから反撃してやるわ。私には彼がいて支えてくれるのだから。
着信脱走 新巻へもん @shakesama
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