エピローグ


「今日はありがとう、二人とも」

「……」

「はい、ありがとうございます」

 俺と宮戸と紗子ちゃんは再び集まって、ゲーム制作会議を開いていた。

「生島さん、今日は何の会議ですか?」

「うん、そうだね。今日は――」

 嬉しそうに身を乗り出している紗子ちゃんを見るのが、辛い。

「断罪裁判だよ」

「……断罪裁判?」

「……」

 紗子ちゃんはきょとん、と首を傾げた。

「僕は今日を持ってこのグループを抜けるよ。今日はその僕の断罪の裁判さ」

「え、今日で生島さんが……なんで」

 紗子ちゃんが目を見開き、手で口を覆う。

紗子ちゃんが俺のしたことに気付いているのか、知っているのかは分からない。紗子ちゃんはあの時、俺に何も聞かなかった。俺が何も言わなければ、このままこの関係を壊すことなく過ぎていけるのかもしれないし、紗子ちゃんも今後何も言及してこないだろう。でも、そうじゃない。そんなことは、俺が赦さない。俺がした過ちの責任は俺が取る。俺は、罰せられなければいけない。自分の犯した過ちを清算しなければいけない。

 それが、いま俺が出来る唯一の贖いだ。

「僕は、君たちが嫌いだったよ」

「……え」

「……」

 紗子ちゃんが固まる。宮戸はずっと無言で俺を見ている。

「前、紗子ちゃんにぶつかったやつがいたよね。あいつらは僕と同じサークルのやつらさ」

「はい」

 紗子ちゃんが俺の話に聞き入るように、前傾した。

「あいつらは紗子ちゃんを見るたびに嗤って貶して見下して、結局最後には紗子ちゃんに危害も加えた。でも、僕もあいつらと同じ穴のムジナだった。僕も紗子ちゃんを嗤って見下してた。あいつらに味方するような、そんな僕の身勝手で浅はかな行動があんな事件を起こした。僕も事件を起こした人間の一人なのさ」

 紗子ちゃんは声を噛み殺した。何も気づいていなかったんだろうか。今は何も分かってくれなくてもいい。今後、俺みたいな人間に引っ掛からないようにいてくれたら、それでいい。

 俺は、俺が裁かれるための裁判を、開始した。紗子ちゃんを見る。

「紗子ちゃん」

「はい」

緊張した面持ちで紗子ちゃんと相対する。俺は大きく息を吸い、

「僕は君が大っ嫌いだったよ。コミュニケーションもまともにとれない、自分の好きなことでしか語れない、それに自分の趣味を語る時だけ饒舌になる君は、本当に気持ち悪かったよ」

言った。

 紗子ちゃんは目を細める。明らかな失望と嫌悪が、その目から読み取れる。

「初めて会った時も財布からお金落としてたよね。本当、動きはのろいし会話は出来ないし自分の好きなことを話す時だけ鬱陶しいし、いかにも陰キャって感じがして君の印象は最悪だったよ。ゲーム制作してるとか言った時には本当笑っちゃったね。凡人が叶わない夢追ってんじゃねぇよ、てめぇは一生この世界の端役として世界の隅っこでおとなしく生きてろよ、って、そう思ったよ。本当、君みたいなオタクは僕が一番嫌いな人種だったよ。だから君と友達だなんて思われたくなくて、君と会った時も無視したんだよ。理解しろよ」

 紗子ちゃんは無言で口を真一文字に結ぶ。泣くのをこらえているのか、強い怒りか。どちらでも大差ないように感じる。

「宮戸、僕は君も大っ嫌いだったよ。初対面から、君の印象は最悪だったさ。自分の容姿をたてに偉そうな口を利く君が、大っ嫌いだったよ。人の心に触れるから、なんて言った時には僕は鳥肌が立ったよ。なんでも分かって気になってんじゃねぇよ、人の心を分かった気になってんじゃねぇよ。お前みたいな浅学が自分に酔ってんじゃねぇよ、って、そう思ったよ」

「そう」

 宮戸は飄々と受け流す。

「紗子ちゃん」

 俺は紗子ちゃんに歩み寄った。目の前で、立ち止まる。

「もう一回言うよ。僕は君が嫌いだった。本当に、気持ち悪かった。君に近づいたのだって下心さ、適当に付き合う女の子を探してた、そんなつもりで近づいたのさ。僕が君に力を貸してると思ったのかい? 本当、浅はかだね、君は。君みたいな気持ち悪い女を何の下心も持たずに助けてくれるような人がいると思ったのかい? 君は今も、これからも一生、一人のままだよ。そうやって叶わない夢を追って一生苦しんで生きていけばいいさ。君のゲームだって誰の目にも留まらずに、何の日の目も見ずに消えていくんだよ。所詮は数あるうちの無価値な一つだよ。凡人が大層な夢を抱くなんて、おこがましいんだよ」

「……っ!」

 パン、と大きな音が響いた。

 右の頬が、ぶたれた。紗子ちゃんが俺に手を出した。

「そうかい。次は左の頬でも叩くかい?」

 パン、と何の躊躇もなく左の頬が叩かれる。これで、良かった。俺と紗子ちゃんは完全に決別した。卑怯かもしれないけれど、俺は罰せられた。紗子ちゃんは俺という人間を切り捨てて次に進める。

 これで、良かった。

「じゃあね。これからも精々頑張って苦しむと良いよ」

 俺は紗子ちゃんに背を向け、歩き出した。

「生島さん」

 のに、俺の手はその次の瞬間、掴まれていた。紗子ちゃんが、俺の手を、掴んでいた。

「生島さん、本当ですか、今の話」

「そうだよ」

 まだ俺のことが許せないか。

「本当なら、許せないです。許したくないです。私は生島さんをずっと信じてました」

「そういうところが駄目なんだよ」

 友達がいないから、自分にすり寄ってくる人間が何を目的にしているか分からない。

「でも、生島さんは今もそう思ってるんですか?」

「……」

 無言。俺は変わった、なんてことを言うつもりはない。言いたくもない。それでも、俺は紗子ちゃんと付き合っていくうちに意識の変化があったことも事実だ。見下していた人間を美しいと思えるようになった。自分の愚かさとも向き合えるようになった。ゲーム制作だって、いつからか自発的にやるようになってた。

 俺という人間の根幹が変わったなんて、そんなことはないけれど、紗子ちゃんは俺に大きな影響を与えてくれた。

「違いますよね。生島さんさっき言いましたよね。だった、って。なんで過去形なんですか。今はそう思ってないからじゃないんですか。なんでそんなことを思ってるのに今まで生島さんが積み上げてきたことを壊すようなことをするんですか」

「俺は」

 俺は、罰せられなければいけない。

「断罪裁判って何なんですか。生島さんが断罪されなければいけない理由なんてあるんですか? 私がパソコンを落としたのだって私が下を向いて不注意だったからですし」

 違う。あれは俺のことを思って下を向いてたんだ。俺を思ってしてくれた行動が、結果として俺の近くにいる奴の悪意に衝突してしまった。あれは紛れもなく、俺の責任だ。

「第一、生島さんのお友達がしたことの責任を生島さんが取るのはおかしいです。生島さん」

紗子ちゃんは俺の手を取った。

「生島さんは今もそう思ってるんですか? 私が嫌いですか? 宮戸さんが嫌いですか? もう私たちといっしょにゲームを作るのは嫌ですか? どうなんですか」

「それは……」

 嫌だ。今のこの空気を壊したくない。俺は今後も紗子ちゃんたちとずっとゲームを作っていたい。そう、思う。それと同時に、俺は罰せられなければいけないとも、思う。

「生島さん、自分を責めすぎないで下さい。自分のしたことを恨むのもいいです。でも、それを一人で抱えようとしないで下さい。あなたは一人で生きてるわけじゃない、なんてそんな定型句みたいなことは言いたくないです。でも、生島さんは私に沢山のものをくれました。私は生島さんと触れ合うことで沢山知ることが出来ました。そんな生島さんが、自分を責めないで下さい。自分を頼ってくれてる人が、私がいるってことも、忘れないで下さい」

「……」

 気付けば、目頭が、かあっと熱くなっていた。

「あ、あははは、そんなことを言われるなんてねえ」

 俺はすぐさま顔を逸らし、悟られないように目頭を押さえた。なんだよ、本当にここ最近ずっといいことねぇよ。

「生島さん、そんなに私たちに罪滅ぼしがしたいなら、ずっとここにいてずっと私たちを助けてください。生島さんがくれたものは私の中でずっと生きてます。私には生島さんが必要です」

「そうかい……」

 あははは、と笑う。笑う事しか、出来なかった。

「いやあ、紗子ちゃんが僕にそんな熱い思いを持ってくれてたなんて知らなかったよ。それは感激だなあ」

 どうしても、茶化してしまう。茶化してその場を濁さないと、自分の目頭から何かが溢れそうになって来る。

「それなら僕のほっぺたも叩く必要なかったんじゃないかなあ。必要としてるのに叩かれるなんて散々だよ!」

「それは」

 紗子ちゃんが俺の目をじっと見た。

「生島さんが、叩いて欲しそうにしてたからです。自分を罰して欲しそうに、見えたからです」

「あはははは、なんだ……それ……」

 敵わないな。俺は目頭を拭った。

「いやあ、僕にもとんだマゾヒズムの血が流れてるようだね。そうかいそうかい、紗子ちゃんは僕が必要かい。このグループに僕は必要不可欠かい。いやあ、なら仕方ないねえ。僕がずっとここにいてあげるよ。僕は紗子ちゃんのためにきびきびと働いてあげるよ」

「はい!」

 あははは、と俺は、ただ道化を気取ることしか出来なかった。

 やっぱり、これも悪くないな。


 暫くして、紗子ちゃんがトイレに、と席を立った。ゲーム制作の会議が一時中断する。

「宮戸さん」

「何かしら」

 頬杖をついて会議を聞いている宮戸に話しかける。

「紗子ちゃんはああ言ってたけど、宮戸さんまで一緒にいる必要はないよ。もう僕は君を強く引き留めたりはしないよ。僕みたいな人間といるとロクなことはない。今まで長く付き合わせちゃって悪かったね」

「あら、用が済んだらもう捨てるのかしら」

 宮戸は俺を挑発するように首を傾げる。

「それとも紗子さんと上手くいきそうだから邪魔者を排除するのかしら」

「面白い冗談だね」

 宮戸が俺に冗談を言った?

「僕はゲーム制作にかこつけて君を巻き込んだんだ。君がいつまでも僕みたいな人間に振り回される道理はないさ。君は僕なんかと一緒にいるべき人材じゃないよ」

「確かに私ほどの人材ならあなた程度の小物が世界を何周回っても見つけられないでしょうね」

 相変わらずむかつく言い方だ。

「でもね、私は私で今のここの空気、案外気に入ってるのよ」

 全く持って予想外な言葉が、ぶつけられる。

「僕の言葉を聞いてたかい? 僕は君をどう思ってるのか知らないのかい?」

「聞いてたわよ。さっきのあなたの言葉も、食堂前でご高説されてたあなたの言葉も、ね」

「…………知ってたのかい」

 聞いてたのか、誰かから聞いたのか。

「あれだけ騒ぎを立てたら誰だって気付くわよ」

 ふふ、と蠱惑的に笑う。

「あなた、変われたのね」

「僕は何も変われてないよ」

 即座に言い返す。

「人間はそう簡単には、変われないからね」

 そして笑顔で、そう言った。

「センスがある一文ね」

「君の受け売りだけどね」

 どういう意味合いで言ったのかは分からない。俺を焚きつけたのか。もしそうなんだとしたら、宮戸は俺の心に触れていると、本当に言えるのかもしれない。

 俺はほんの少し、自分と向き合えるようになった。

「すみません、生島さん、宮戸さん、お待たせしました」

 紗子ちゃんが帰って来た。

「いやあ、大丈夫大丈夫」

 俺はほんの少し、夢を追う皆を応援できるようになった。

「さあ諸賢、ゲーム会議を再開しようじゃないか。前回作ったのはあくまでまだ試作段階、プロトタイプ。シナリオに不整合があったり、シナリオが面白くなかったりもする」

「シナリオにばかり文句をつけないで」

 不機嫌に宮戸が言う。俺と紗子ちゃんは笑った。

「それに僕の絵だってまだまだ静止画の段階だと言わざるを得ないし、紗子ちゃんのプログラムもバグが内包しているかもしれない。まだまだやることは沢山ある。老い先短し学徒よ、学びたまえ」

「はい!」

「はあ……」 

 俺の軽口に対照的な紗子ちゃんと宮戸。

 俺は今までずっと、自分を偽り続けてきた。ずっと、自分と向き合わずにいた。偽りの仮面で自分を黙して、他人を騙して、生きてきた。

「さあ、君たち!」

 これからは宮戸とも紗子ちゃんとも、正面から付き合っていきたい。偽ることも仮面をつけることもなく、本当の自分のまま、自分と向き合っていこうと思う。

 俺は大仰な言葉とともに両手をばっ、と広げた。

「ゲームの製作を開始しようじゃないか!」

 俺はもっともっと、自分を応援したい。

 


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学生失格 利苗 誓 @rinae

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